先日、仕事先のフランス人との話の中で登場した言葉が表題の通りの言葉です。つまり「痛みを見せないこと!」と直訳すればなる言葉ですが、この言葉だけでは、何のことやらサッパリ分からないと思うので説明します。
この日曜日の直射日光の厳しい、久しぶりの夏日のような日。僕は、ある仕事を実施していました。このフランス人男性と共に、汗を流して必死になって仕事をしていたのですが、その時に彼は、暑さを物ともせず、涼しげな顔をして業務を遂行していたのです。そういう私はと言えば、汗の為にネクタイを締めたカッターシャツは汗でべったり。着ていたスーツの上着を脱いで、ただひたすら汗を拭くばかりの状態でした。走り回った結果という状況下で、汗は飛び散り、意気も上がる中、彼はなんともないような涼しげな顔をして立っています。僕は不思議に思い聞きました。
「君は暑くないの・・・?」すると彼は
「暑いよ!」と何とも無いように平然と答えるのでした。それで、彼に次に汗はかかないのか?とたずねると
「かくさ!」と、またまた飄々とした顔をして答えて、それでも平然と立ち尽くすのでした。そんな僕は、何で?という疑問ばかりが浮かんできて、平然としている彼を見つめて、更に踏み込んで聞きました。すると彼は
「 Never show your pain! さ !」と言うのです。つまりは、自分の痛みを見せないことが美学だと言うのです。それを聞いて、私よりも若いくせに・・・と腹立ち、負けて入られないと濡れたカッターシャツの上に、上着をはおり、平然と嘯くように横に黙って立ちました。意地というか、プライドというか、他人に弱みを見せないことが、彼の言う男の美学なんでしょう。一本取られたと言う気分で恥ずかしかったことが印象に残りました。
先週の土曜日から、ずっと太陽の家には顔を出さずに他の仕事で手一杯の状態で今日にいたっている。この仕事は、僕が一年を通して一番待ち焦がれ、楽しみにしてきた仕事である。一週間から10日間は太陽の家を空けることとなるが、この仕事のおかげで僕のストレスを一気に開放することが出来ていると言っても過言ではない。以前は、我輩の女房様にも三行半を下されるように起こられ続け、最近では諦めて何も言わなくなった。そんな仕事が今の僕の仕事である。時々、このブログででも紹介しているように、副業としてビッグレースの中で通訳を務めているのであるが、僕の場合は通訳兼コーディネーターという肩書きで運営の全ての面で助言と手助けを行っている。
まあ、そんな仕事の内容はともかく、今日は月の支払いが必要で、一時、勤務中に太陽の家に戻らせてもらった。帰ってくるなり、いつもの爺さん婆さんをみて、今回は非常に懐かしい気持ちでいっぱいとなった。毎年、この時期は長い間太陽の家を空けることが多いが、今までこんな気持ちにはなったことが無い。(と言うと、非常に失礼な言い方であるが・・・そんな悪い意味ではないのでご理解いただきたい) その時の気持ちを説明すれば、 妙にホッとする気持ち。つまり、心が落ち着くのである。外の職場で限界を超えた緊張の連続の中に身をおいている時と、其の正反対の環境の太陽の家に、心のゆとりを取り戻したような気持ちになったのである。
これは、僕が成長したとか、この高齢者の介護の事業にとっぷりとつかり始めたことによる安堵感ではない。太陽の家の雰囲気自体が変化しているのである。利用者の皆さんの職員に対する信頼感、職員の利用者の皆さんへの期待感と充実感が、独特な安定した雰囲気をかもし出しているからだと思う。決して、昨年までの太陽の家が不安定であったとは言わないが、今の太陽の家の雰囲気は、職員全体がまとまり、それなりに充実したケアを実践できていることの証ではないかと思えるのである。
ほんの数時間、あまり長くは関わることは出来なかったが、それでも、居心地の良さは何とも言えない暖か穴物を感じた。そして、利用者の皆さんの目も、その点を物語っていた。時として、トップがフラフラと無責任にも、職場から遠く離れることも職員さんにとっては、いい経験となるのかもしれない。ひょっとすると僕なんか必要ない!とまで言われそうである・・・・はははは
僕の通訳仲間の男の子が、つい先だってタンザニアへの海外青年協力隊から戻ってきた。今日、久しぶりに彼と再会してタンザニアと言う国の情勢について話を聞いた。彼は海外協力隊の一員としてタンザニアに送られ、現地で飲料水のろ過を専門に活動してきたそうである。アフリカのどのあたりにタンザニアと言う国が位置するのか、それさえも知らない国に赴き、色々な社会協力を行ってきた彼の説によると、やはり貧富の差が激しく、住民の大半は貧困にあえぐ人々であるようだ。そして、なにしろ飲料水が汚い。汚染されていると言うより、くみ出した水でさえ汲み置きしておいても透明にならない。そんな汚れた水を飲料水として使い、調理に利用しているらしい。また、住民の多くは職業にあぶれており、毎日、何もすることも無く、国連や世界各国のNGOの団体からの施しを待って暮らしているらしい。
彼は、タンザニアの国で流れる時間の感覚の違いを強調していた。日本や欧米諸国のような時間に終われるような生活は一切ないそうで、だから、尚のこと、物事の進行が遅いこともあって、経済も豊かに発展しないそうである。今日も、私は日曜日であるのに、雨が激しく降っている中でも仕事をしていた。ここのところ、太陽の家の仕事をやりつつ、副業の通訳の業務も忙しく、休み無しで働いている。今週末のF-1日本GP終了までは、通しで仕事をすることとなる。タンザニアでは、このようなスケジュールで、仕事に没頭することも無いのだろう。彼は、そんなタンザニアの生活リズムと風習が良いとか悪いとかは言わず、そのような生活の仕方も有り!と言う表現をしていた。
グループホームでもデイサービスでも、お年寄りの生活のリズムはタンザニアのごとく、スローペースでゆったりと流れていくべきなのではあるが、やはり、そこは日本人。歳を取ってもなすべきことは、すばやくやり遂げないければ、利用者の皆さんの満足感は得にくいのかもしれない。と考えながら、やはり日本人である自分たちの体に生活のテンポやリズムは染み付いてしまっているのだろう。おそらくタンザニアのような時間が、日本の社会において一般的になったとしても、多くの人たちはイライラがつのり、精神的に大きな負担を感じることだろうと思う。
そういえば、彼を少し紹介すれば、イタリア語、英語を話すバイリンガルの青年であり、とても思いやり深い好青年である。そして、今はスワヒリ語も習得したそうで、F-1の通訳でスワヒリ語を話すスタッフは初めてのことで、非常に面白いね!と笑っていたのである。F-1と言えば、世界のトップと言われるハイソサエティーな人々の集まりで、貧困とはおおよそ縁遠い人たちばかり。と言うより、「リッチ!」な人たちばかりで、(観客も当然、モータースポーツの観戦料としては一番高額な料金を支払って見に来る人々だか)そんな人々の中で、スワヒリ語はまったく通訳する機会のない言語だからだ。
まア、そんな彼の面白いところは、現地に行けば現地人と同じものを食い、同じ生活を売ることに徹する姿勢である。同じ水を飲み、おなじ食事を食べ、それでいて病気にもならないし、下痢もしない。まったく、どこに行っても土着民のごとく順応してしまう。非常に順応性の高い、と言うより、なんでもかんでも好奇心が旺盛で、根っからの自然児のようなタフな人間なのかもしれない。
しかし、通訳を遣っている連中と言うのは、変わった人間が多い。どこか変な奴らなのである。頭のピンが二三本ぬけているような感性、他人と交わらなくても単独で行動してしまうバイタリティーや行動力。(簡単に言ってしまえば、自己中心的であり自信家と言うことかもしれないが・・・)。そう言えば、僕のもう一人の友人であるフランス語の通訳など、会うたびにジョークの応酬。常に新しいジョークを仕入れて、其のジョークを言うことが好きな奴も居る。大体から、フレンチやイタリアンなどの通訳って、一般的な英語の通訳よりも希少性があり、通訳としても数が少ない。私同様、英語の通訳が多い中で、イタリアンやフレンチだから、其の変人ぶりは創造できると思う。
この仕事について、30数年。この間にいろいろな通訳と会って、いろいろな会話をしてきたが、自分の好きなことをやって生活を維持しているのは、ある意味、とても幸せなことかもしれない。前述のタンザニアの人々には、満足な教育も受ける機会も無い人々も多く、その為に貧困からの脱却もままならず、苦しい生活に明け暮れてる人も居る。マイナスのスパイラルに入り込んでしまうと、そこから這い出すには非常に大きなエネルギーは必要である。タンザニアだけではなく、この日本にも、よく見つめなおしてみれば貧困生活空の脱却に苦労している人も居る。何が不足して、どのような支援が必要なのか・・・社会貢献を行うには、まず多面的な視点を持って社会を見つめなおすことが重要である。我々の行っている高齢者福祉も同様、多面的視点を持って高齢者を見守らないと、本当に高齢者の求めるニーズは読み取れないような気がする。
昨日は恥ずかしながら、自分の誕生日を迎えた。一昨日の9月末に発生した、荒唐無稽なアクシデントの後始末に前日の夜も眠れずに、「誕生日だと言うのに・・・・何だよ!」と腹立たしい気分を押し殺しての出勤であった。まぁ、しかし、それはそれ!と割り切り、気分を入れ替えるために、デイサービスの午前のレクに割り込み、担当する男性職員を圧倒するがごとく(彼の立場、ないよねエ~・・・・ははは)大暴れ! 歌は先導するは、しゃべくるは!で、デイの利用者に元気を与えているのか、只やかましいだけなのかは分からないけどね・・・・・?!
まままま・・・・兎に角、57回目の誕生日を、それなりに無事に乗り切り、多少、昨晩の睡眠不足が祟って眠気が強いものの、なんとか夕方、デイサービス利用者の帰宅まで踏ん張った。事務所に、今日は特別の予定もないけど、誕生日なので(と勝手な理由!) 早く帰ります!と告げて帰ろうとした時に、職員一同からと言われ、カードを手渡された。 写真を掲載するので見て頂ければ分かるはずですが、このカード。いつも太陽の家利用者の皆さんにお渡ししているタイプの手作りカード。そして、職員の寄せ書きが・・・・
僕は見栄っ張りで、頑固で、意固地な人間ですから、職員の前で涙は流すまじ!と感激の心を封じ込め、笑顔で繰り返しお礼を言うだけで帰ったのですが、このカードを貰うことも太陽の家を始めて以来初の出来ごとでもあり、職員の寄せ書きまで入れてプレゼントされたのも初めて。そんな初の事に内心は、とても感激したのでした。
・・・・しかし、よくよく考えてみると、これって、僕もデイサービス利用者と同じ年齢・・・・???まだ第二号被保険者なんだけど・・・
とても急激に寒くなって、今年の秋は無いのかい?と問いたくなるような毎日である。明日は、11月の気温だと言う予報も入り、ますます冬に突入と言った感じかな?そういえば、今日の福島は昼と夕方の二回にわたり震度3と4の地震が発生した。私も全国の認知症グループホームの関係で、福島県の協議会との交流もあり、少し心配。しかし、運よく地震も小さく特に被害も無いようで安心している。しかし、ここ数日、日本の各地で震度3程度の地震が多発しており、なんだか嫌な雰囲気。来月の10月には自分が考えて、大型地震がこの三重県を襲うと想定した一斉避難訓練を予定している中で、巨大地震が正夢にならないように祈りたい気分である。
さて、昨日にも異常気象の及ぼす影響についてブログを書いたが、あまり気候のことばかりでは読み手に失礼と思うので、今日はうちのグループホームについて書いてみたい。
何でも事業を拡大していく中で、一番経営者を苦しめることに従業員の確保と定着である。私たちのような弱小の施設では、せいぜい働いてもらえる職員数も20名そこそこ。大型施設なら50や100名なんて一般的。多い所では、1500人とかの従業員を抱えて運営している施設も存在する。1500人の中の数名の退職は痛くもかゆくもない。しかし、20名そこそこの規模に数名の退職者は大きな痛手を伴う。職員の退職はそのまま、事業運営を困難としサービスの提供に支障をきたす。うちのグループホームでも、先月末に一名が退職。其の前月にも1名が退職。二人とも退職理由が個人的な理由によるものらしいが、実際のところはわからない。退職者が出ると言うことは、職員の扱いが悪いというレッテルを経営者は張られてしまいがちで、それには言い訳も出来ない部分もあるにはある。職員への充分なケアが行き届いておれば、そうそう退職にまで踏み込んで結論だてる職員も居ない。と言う理由からである。
しかし、実際に、グループホームで働いてみると、職員同士の会話や交流が少なく、個人としてのかかわりが多く感じられる。もとより、介護は個人プレーではなく、協働の姿勢が求められているが、実際の現場では一日8時間働いて、その場で顔を合わせるのは3名程度。全職員7名の中でゆっくりと意見交換を出来る場がない。自ずと、職員は全ての問題や課題に対して個人の力で考え、対応していくことを求められる。介護未経験で資格も持っていない職員などにすれば、毎日の業務が不安で仕方が無いのも当然である。新人職員には出来るだけ先輩職員がマンツーマンで指導する機関を設けてはいるが、それとて、どこまでを教えて、どこまでを自分で学んで行ってくれるのかは人によって格差がある。飲み込みの早い人、少し不器用な人、すこし苦手意識の強い人・・・等など。其の格差をどのように超えさせるように指導していくのか?は、グループホームの管理者にゆだねるしかない。非常に難しい舵取りを求められているようであり、大変な重労働であろうことも理解している。ただ、仕事を指図して監督しているだけではなく、そこには「施設利用者」の存在がある。一番重要なことは、利用者の生活の場を守ってあげなければいけないことであり、そこに働く者たちは道義的責任として、業務上のトラブル、特に人間関係のトラブルに利用者を巻き込まないよう細心の注意を払う必要があるはずである。
ただ救われる明るい兆しとして、前述の退職者の変わりに新たに働いてくれる新人職員(石河、玉腰)が、新人の割りに多面的な視点を持って仕事を手伝ってくれている点である。介護の仕事は、どうしても視野が狭くなりがちである。それは、相手が残り少ない余生という時間的制約を受け、おまけに、これ以上の成長が見込めない高齢者であると言う点で、どうしても最終的な「死」を意識しながらの作業だからだ。 認知症高齢者の日々の生活を支援する前に、其の人たちの終の棲家=平穏な過程と同じような生活という環境を模索していかざるを得ない。しかし、生活の質と言う点を重視する中で、普通の生活を継続することとは、ただ何もせず、闇雲に時間が過ぎ去る毎日を見守るだけで良いのか?という点を疑問に思う。毎日、同じスケジュールで動き、特に波風も無く、何の変化も無く時間が過ぎていくことは、果たしてハイレベルな生活の質が担保されているのか?うちのグループホームでは、利用者の方の自由な外出や散歩を奨励している。自分の意思で外に出て、散歩することは良いことであると思う。しかし、勝手にお散歩してくれるから、いつものことだから大丈夫と、職員はマンネリ化したシステムに胡坐をかいているようにしか受け取れない。 誰だって、何の刺激もない単調な行動を継続する事は辛い。仕事でも単調になればなるほど継続には、かなりの困難がついてまわる。たまには職員が同行して新たなお散歩ルートを見つけたり、季節の草花を探したりすることも必要ではないのだろうか?
それと同時に、数少ない食事作りの効果と目的について考えてみたい。この計画が出始めた当初は、職員自信も燃えていた。しかし、今は若干のお荷物になりそうな気配もする。いや、すでに職員にとって食事作りは、生活リハビリではなくなり、職員の余分な業務になりつつあるのではないのだろうか?太陽の家では、毎食を業者に委託して、この施設内で調理を行ってもらっている。もちろん、私にとっては決して安くはない経費を費やして、毎食の安定供給をお願いしているし、また業者の方々も一生懸命に要望にこたえようと努力していただいている。食事作りの写真ばかり張り出して、食事を作って生活リハビリとして活用しています!というプロパガンダよりも、実際に食えそうにない失敗作に対しても、其の話題に笑いながら、みんなで反省を交えて食事を楽しむ、食事作りを楽しむような機会をもうけてもらいたいものである。
もう数年前になろうとするが、其の当時に入所された利用者の方の糖尿病を完全に克服できるまで、職員が努力して食事を制限したり、カロリー計算を行い徹底した支援を行った結果、其の方のインシュリン注射を不要にしたことを考えてもらいたい。自分たちでも出来るんだ!という自信がもてた。自分たちもグループとして協働体制がとれたという喜びがあったはずだ。今、うちのグループホームの職員は、ほぼ100%変わってしまった。この事実を負の遺産と考えるか、新たなる出発と捉えるか?其の捉え方によって、これからのグループホームの成長に大きくかかわってくるはずである。