My God! It’ll be the end of this year soon! Time sure flies quick as an arrow!
日本から遠くはなれたアメリカでは、今週末は感謝祭の休日となって、七面鳥のローストとアップルソースの感謝祭ディナーが各家庭で準備されるのです。アメリカにおける感謝祭とクリスマスは年間行事の中でも非常に重要なホリデーであり、この時期にアメリカを旅行するのは、色々な意味で観光客にとって避けたい時期かもしれませんね。
ともあれ、感謝祭で七面鳥のローストを食べて、数週間後には再びクリスマスディナーに七面鳥のローストを食べることとなるので、この時期は七面鳥にとっては最悪の日々なのかもしれません。贅沢な話ですが、食べる側にしても七面鳥が続くと、多少なりとも「飽き」てくるものです。ローストした当日は温かな鶏肉を皿にとって食べるのですが、次の日には、残ったロースト肉のスライスはサンドイッチの中に入れ、野菜たっぷり入れたスープに使われたり、兎に角、捨てるところの無いまで利用してしまうのです。
こうやって二回、大きな行事を行って、次にニューイヤーズイブ。New Year’s Eveをお祝いするのではなく、新年に変わる瞬間を皆がこぞってお祝いする。そんな新年のお祝いがアメリカ式。日本でも、大晦日の夜の紅白歌合戦を家族で観て、年越しのそばを食べて、近所のお寺の鐘楼で除夜の鐘をつく。・・・やる内容こそ違うものの、皆で新年への新旧交代をお祝いする姿は同じです。ただ、日本のようにそれから以降の三が日、何が何でも酒びたりの日々を過ごす文化と違って、アメリカでは1月の2日から平常通りすべての事柄が始動し始めます。学校も2日から開始。仕事も2日から平常通り。日本人感覚の正月休みってアメリカでは体験できないのです。
僕自身、アメリカから帰ってからの人生、仕事の関係もあって正月にゆっくりと休むという事なく過ごしてきたので、今更、正月にのんびりとお休みする事は苦手です。でも、ほんの一瞬でも良いから、自分の中の一年の締めくくりだけはつけて新たなる年を迎えたいと思うのです。その為にも、あと残すところ一か月。この間に整理できる部分を整理し、改めるところを改め、新年に向けての準備を整えていく。そんな日々がこの一カ月です。
今日は、朝から尾鷲市で認知症に関する研修に参加した。尾鷲に9時半に着くために、家を朝の6時半に出発。朝の6時半といっても、意外に沢山の人たちが会社へ又は家に車を走らせる人の多さに驚いてしまう。まア、それでも、普段よりはスムーズに伊勢自動車道に向けて、津インターまでスムーズに導かれ、そのまま高速道路を一路南に、巡航速度100数十キロで・・・・
最近の社会実験とかで高速道路が無料となっている区間だけに走行車両も多い。伊勢道から紀勢道へスイッチし、片側一車線で対面通行の高速道路は、道路幅も狭くて走りづらい。僕は特に、路肩の白線を踏んでしまいやすいのか、タイヤが大きな音を立てて、枠を外れている警告音に驚かされてしまう事がたびたびである。真っ直ぐ、道路中央を走っているつもりでも、結構左により過ぎていたりするのだが、この紀勢道だけは道幅が、一般的な高速道路に比べても狭いような気がする。そうこう言っている内に、大内山に近くなって霧が出始めた。最初はモヤ程度が、だんだんと霧が濃くなりあたり一面が濃い霧に包まれるまでになってしまった。久しぶりに霧の中で運転することとなって、多少ワクワク感もあったが、その時の状況をカメラに収めてきたので見てもらいたい。
しかし、道路幅が狭いだの、霧だ出ただのと色々と文句ばかり言ってるようだが、この紀勢道のお陰で尾鷲までの所要時間がぐんと短くなったことは事実である。今日の僕も朝の8時過ぎには尾鷲の警察前を走っていた。つまり2時間弱で尾鷲に着いてしまうのである。昔に女房連れて尾鷲に旅行に出た頃は、それこそ片道4時間もかけて尾鷲まで旅行したものである。あと2年もすれば紀勢道も尾鷲までのルートが完成する。そうなると尾鷲まで一時間で行ってしまうのか・・・・?!
紀勢道の完成も兎に角、最近、尾鷲にマクドナルドが出来た。今まで一番近くても新宮と松阪にまで足を伸ばさないと手に入らなかったマクドナルドが尾鷲の市街地で購入できることとなったようだ。流石に9時半予定の研修に、現場到着が8時過ぎでは早すぎるので、僕もさっそくマクドナルドの朝マックとコーヒーで時間つぶしを行った。
ブログを書きながら感じたことではあるが、僕の生活の中に近代文明というか今の時代の超便利モノのオンパレードであり、それらのモノによって僕の生活は快適に便利に保たれている気がする。このモノが無い生活を考えると、今では非常に不便を強く感じることとなるばかりか、自分の生活事態が成り立たなくなりそうである。高速道路、安定して走れる車、24時間、時間制限と場所の制限を受けることなく一定した味と品質の食品を味わうことが出来ている生活。こんな便利な生活がある暮らし。これを恵まれていると表現すべき?
まったく脈絡もない話題なのですが、まず、新型インフルエンザと季節性インフルエンザの混合ワクチンを接種。同時にワクチン接種した太陽の家の職員さんの大半が接種場所に鈍痛を感じ、その翌日には痒みに変わるなどの訴えを聞きながら、僕にはそのような症状は感じられず。しかし、インフルエンザの予防接種後に咽に痛みを感じ始め、その内に鼻水が止まらず、丸一日はティッシュペーパーの箱を抱えながらの仕事を行い、また、同時に周りの人たちに菌をばらまき散らして公害と言うか、感染症の一番悪いパターンを自らが踏襲するという不始末。また同時に始まった禁煙外来。初回の受診から2週間が経過し、なんとか禁煙は成功に向かいつつある今、タバコも吸っていないのに風邪ひいてどうやの?
まあ、一連の騒動は、以上のような細かな事柄を経て同時に起こった出来事なのです。特に因果関係と言われるものは無く、全てが独立し同時に発生しているだけの事なのですが、これが当事者にとってみれば、意外と関連付けたくなるものなのです。例えば、タバコを辞めたから風邪をひいたとか、禁煙外来の待合室で風邪に罹患したとか・・・・
そんなこんなで、なんとか今でも禁煙は成功しているのですが、あと4週間、禁煙が継続できれば、その時点で禁煙外来は終了するという。そんな現状が今の私の中でフツフツと騒ぎ出しては落ち着き、また騒ぎ出すという。そんな毎日です。
でも一番辛いのは、太陽の家の「風鈴の会」への参加が無くなった点です。唯一と言っていい程、職員さんとの交流の場(なんと、寂しいのでしょう・・・唯一の交流の場とは・・・・!)に参加する事が無くなったことでしょう。いろいろな職員さんの意見やら要望を聞けたのですが、それも今となっては貴重な時間でした。今後、タバコを吸わなくなった僕が、どのような交流の場をセッティング出来るかが課題となりますね!
年を重ねる内に、「加齢臭」だの何だのと邪魔者扱いされるのが年寄りのようである。自分も、加齢臭漂う年齢となりつつあり、それなりに自分自身の放つ「匂い」には、神経を使っている。例えば、入浴に際して加齢臭を防止する石鹸を使ったり、香水を使ったり、また、部屋の中ではアロマオイルを使ったりと、それはもう、大変な努力と言ってよいかもしれない。しかし、まだ自分の場合は、自分なりに予防的処置を行うことが出来る。これが、もっともっと年齢を加えて、おまけに自分自身の身体機能が低下していくと、これまで気にしすぎるほどケアに余念の無い自分であっても、それら一切の事柄がどうでもよくなってくるのである。
それは、異性を意識することがなくなると同時に、または、自分自身の見栄もなくなると同時に、多少、風呂に入らなくても関係なくなってしまうようである。其の内に、垢では、人は死なない!と言う理屈をこね始めて、入浴を面倒がることに。風呂にも入らない。自分のオリジナルの歯も無くし、全てが義歯ともなると、歯を磨く手間も無くなる。当然、それなりに口臭もきつくなる。口は臭い、体も不潔、着ている衣類も洗濯もせず、万年同じ服。こうなると、世間一般的に嫌われる年寄りの代名詞のような存在となってしまう。
前回の職員Aさんの書いたブログのように、介護に携わる人を見て、高齢者の匂いに対する同情というか?半分、嫌悪感をあらわに知り合いの方々からかけられる言葉。「よく介護の仕事を我慢できるね!?」
しかし、介護の世界って、言うほど臭くて、汚くって、厳しいばかりの職場ではないんだ!現に、太陽の家に来てくれるデイサービスの利用者さん達は、皆さん、清潔にしているし、特に体中から異様な匂いを発していることも無い。ただ、排便だけは、コントロールが難しく(これは、ある意味、薬に頼りすぎることが災いして下痢や極度な便秘に甘んじることが高齢者には多い)大量の便にまみれることもある。こんな時は、流石に部屋中に便臭が漂い、とても息苦しいときもある。しかし、そんな特別なとき意外に、年寄りだから臭い!という説は事実とは異なるのである。
若者にしても、年齢を重ねていくうちに、放つ体臭は変わり、次第次第と他人から「くさい!」と言われるような年齢となっていくのです。年寄りよりも、今時の女子高校生の方が不潔で臭い!若さにあぐらをかき、手入れを怠っている若者の方が不潔であると言うのは、面白いはなしである。
これって職業病、、、いや特技です。介護の仕事をしている。と人に言うと、人から言われるのが、お年寄りのウンチやオシッコの世話が良くできるね~、私なら臭いに堪えられない~エライね~と言われます。いえいえ、私は匂いフェチで食べ物も匂いを嗅いでから食べますし、人を好きになるのもその人の匂いで好きになってしまったりと、当然のように良い香りが大好きです。なのでくさい臭いには抵抗もありますし、大嫌いでもあります。太陽で働き始めた一週間はお年寄りのあれこれの臭いでご飯が食べられず、今日こそは辞めようと毎日毎日思いながら仕事をしていました。でもいつの間にか気にならなくなっていたのです。慣れてきたからかなぁと思ったし、何故平気になったかさえ考えてなかったのですが、知らず知らずのうちに臭わない呼吸技を習得したのです。それは臭いの危険地帯では口で息を吸い鼻で吐いているのです。無意識で行っているのです。なので不意に入ってくる臭いには対応出来ないのが残念ですが…例えばですが、電車に乗り合わせた酔払い中年の口臭だとか、エレベーターの中に残されたオナラの臭いとか、不意の臭いには困惑する事がありますよ!
毎日毎日、利用者様の顔を見て思うのが、大正・昭和・平成を生き抜いて来た方達は素晴らしく、私にはとても真似の出来ない〓しぶとい(?)方達(今の若者には、このしぶとさが欠けているような・・・・)で尊敬の念で一杯です。これからは毎日笑ってて貰えたらなぁと思う毎日です。
※この文章は、太陽の家の職員Aが書いてくれた文章です。正直に高齢者介護の現場の感想を書いてくれてます。この職員Aさんは、太陽の家の風鈴の会に一つの話題を提供してくれたと思っています。これから、風鈴の会では、この文章について話し合ってみたいと思っています。