平成22年も後一月を残すだけとなってしまいました。平成22年、2010年は僕にとっても記念すべき年となり、自分寺院のメモリアルな意味をこめてイヤープレート等の記念の品を購入したほど、僕にはこの年の重みは一生の中でもかなりの比重を持っていると思っている。しかし、世の中の状況は今でも暗い。最近の話題では歌舞伎俳優が深夜徘徊の末、全治二ヶ月の大怪我。国会における宮様に対する国会議員の暴言騒動、世界的な国家機密を公開し続けるウイキリーク、挑発的な軍事行動を言い訳にロケット砲をまとめて先制攻撃する超身勝手な北朝鮮。なんだかな~って感じですかね。
世の中と言っても、私たち平民からは程遠い世界での出来事。まったく我々には縁儲かりも無い話でしたが、ここで家の太陽の家でも12月に入ったことから色々とあわただしい日々が出没し始めました。年末年始のサービス提供日に関する問い合わせも多く、利用者の家族としては(担当のケアマネジャー)としても年末年始は、出来る限りサービスの実施を長く続けてもらいたい気持ちが強いようである。しかし、正月の三が日に働ける職員を確保することが困難であることが、この時期にサービスの提供が間々ならない現実がある。そんな理由から、年末年始には、まとめてお休みを取得してしまうのが現状です。
また、小さな悩み事として、デイサービスの利用者の方々の隠れた行為が、また少しづつ問題化していきそうな気配である。つまりは、自前のおやつの持込であり、それらのおやつを利用者同士が融通しあう行為が出現してきている。ポケットに忍ばせた飴を自分が食べるのならまだしも、他の利用者の方々へ譲ったりしている点をどう対処するのか?私の気持ちとしては、デイサービスの利用者自体は、基本在宅生活を維持しながらのデイサービス利用。自宅に帰ってしまえば、食べるもの、生活習慣などについて私たちの管理の行き届かない環境が存在する以上、デイサービス途中で密かな楽しみとして持参してきてる飴を食べることくらい許してあげたいのが本音である。しかし、問題は、これらの飴が体に悪い影響を与える人々も太陽の家を利用されている。こうなってくると、やはり飴は自宅でゆっくりと食べてもらうこととし、特に他社に差し上げて一緒に飴をなめることは避けたい。
自分と同じ体調の者ばかりではなく、それぞれが個別の病気に苦しんでいる中では、飴を食べる行為は慎んでもらいたい。
デスクの上の散らかり様を観てもらえれば自ずと部屋の中の様子も想像できるかと思いますが、これが男の部屋の実態です。
パソコンのキーボードを中心に、名札、時計、ペンなどの筆記用具、香水、I-Pod用のケーブルやマスクなどなど・・・・いやあ~整理されていませんね!なんぼ男の部屋と言っても、もう少し何とかならんものでしょうか・・・・?結局、全ての小物、本当に何のたわいも無い小物の一つにも、それなりに残すだけの理由が僕にはあって、其の捨てられない理由によってこの机の上に積み重ねられているのです。言ってみれば、僕なりの捨てれない理論が存在するのです。
立派な経営者は、捨てるものを見極める天性といわれる技を持っているそうである。僕は本当に捨てることが苦手で、やたら溜め込んでしまう。この調子でお金もためることが出来ればよいが、お金はパッパラパーと使い放題。ぜんぜん貯まらない。いったいどうなってるの・・・?と嘆くばかり。
こうやって世間に恥ずかしい一面を公開することで、密かにこのずぼらな自分自身の性格の是正を目論んでいるが、さてどうなることやら・・・・?また、このブログを書いた後にデスクの上が整理されたら写真を掲載することとしよう・・・・
My God! It’ll be the end of this year soon! Time sure flies quick as an arrow!
日本から遠くはなれたアメリカでは、今週末は感謝祭の休日となって、七面鳥のローストとアップルソースの感謝祭ディナーが各家庭で準備されるのです。アメリカにおける感謝祭とクリスマスは年間行事の中でも非常に重要なホリデーであり、この時期にアメリカを旅行するのは、色々な意味で観光客にとって避けたい時期かもしれませんね。
ともあれ、感謝祭で七面鳥のローストを食べて、数週間後には再びクリスマスディナーに七面鳥のローストを食べることとなるので、この時期は七面鳥にとっては最悪の日々なのかもしれません。贅沢な話ですが、食べる側にしても七面鳥が続くと、多少なりとも「飽き」てくるものです。ローストした当日は温かな鶏肉を皿にとって食べるのですが、次の日には、残ったロースト肉のスライスはサンドイッチの中に入れ、野菜たっぷり入れたスープに使われたり、兎に角、捨てるところの無いまで利用してしまうのです。
こうやって二回、大きな行事を行って、次にニューイヤーズイブ。New Year’s Eveをお祝いするのではなく、新年に変わる瞬間を皆がこぞってお祝いする。そんな新年のお祝いがアメリカ式。日本でも、大晦日の夜の紅白歌合戦を家族で観て、年越しのそばを食べて、近所のお寺の鐘楼で除夜の鐘をつく。・・・やる内容こそ違うものの、皆で新年への新旧交代をお祝いする姿は同じです。ただ、日本のようにそれから以降の三が日、何が何でも酒びたりの日々を過ごす文化と違って、アメリカでは1月の2日から平常通りすべての事柄が始動し始めます。学校も2日から開始。仕事も2日から平常通り。日本人感覚の正月休みってアメリカでは体験できないのです。
僕自身、アメリカから帰ってからの人生、仕事の関係もあって正月にゆっくりと休むという事なく過ごしてきたので、今更、正月にのんびりとお休みする事は苦手です。でも、ほんの一瞬でも良いから、自分の中の一年の締めくくりだけはつけて新たなる年を迎えたいと思うのです。その為にも、あと残すところ一か月。この間に整理できる部分を整理し、改めるところを改め、新年に向けての準備を整えていく。そんな日々がこの一カ月です。
今日は、朝から尾鷲市で認知症に関する研修に参加した。尾鷲に9時半に着くために、家を朝の6時半に出発。朝の6時半といっても、意外に沢山の人たちが会社へ又は家に車を走らせる人の多さに驚いてしまう。まア、それでも、普段よりはスムーズに伊勢自動車道に向けて、津インターまでスムーズに導かれ、そのまま高速道路を一路南に、巡航速度100数十キロで・・・・
最近の社会実験とかで高速道路が無料となっている区間だけに走行車両も多い。伊勢道から紀勢道へスイッチし、片側一車線で対面通行の高速道路は、道路幅も狭くて走りづらい。僕は特に、路肩の白線を踏んでしまいやすいのか、タイヤが大きな音を立てて、枠を外れている警告音に驚かされてしまう事がたびたびである。真っ直ぐ、道路中央を走っているつもりでも、結構左により過ぎていたりするのだが、この紀勢道だけは道幅が、一般的な高速道路に比べても狭いような気がする。そうこう言っている内に、大内山に近くなって霧が出始めた。最初はモヤ程度が、だんだんと霧が濃くなりあたり一面が濃い霧に包まれるまでになってしまった。久しぶりに霧の中で運転することとなって、多少ワクワク感もあったが、その時の状況をカメラに収めてきたので見てもらいたい。
しかし、道路幅が狭いだの、霧だ出ただのと色々と文句ばかり言ってるようだが、この紀勢道のお陰で尾鷲までの所要時間がぐんと短くなったことは事実である。今日の僕も朝の8時過ぎには尾鷲の警察前を走っていた。つまり2時間弱で尾鷲に着いてしまうのである。昔に女房連れて尾鷲に旅行に出た頃は、それこそ片道4時間もかけて尾鷲まで旅行したものである。あと2年もすれば紀勢道も尾鷲までのルートが完成する。そうなると尾鷲まで一時間で行ってしまうのか・・・・?!
紀勢道の完成も兎に角、最近、尾鷲にマクドナルドが出来た。今まで一番近くても新宮と松阪にまで足を伸ばさないと手に入らなかったマクドナルドが尾鷲の市街地で購入できることとなったようだ。流石に9時半予定の研修に、現場到着が8時過ぎでは早すぎるので、僕もさっそくマクドナルドの朝マックとコーヒーで時間つぶしを行った。
ブログを書きながら感じたことではあるが、僕の生活の中に近代文明というか今の時代の超便利モノのオンパレードであり、それらのモノによって僕の生活は快適に便利に保たれている気がする。このモノが無い生活を考えると、今では非常に不便を強く感じることとなるばかりか、自分の生活事態が成り立たなくなりそうである。高速道路、安定して走れる車、24時間、時間制限と場所の制限を受けることなく一定した味と品質の食品を味わうことが出来ている生活。こんな便利な生活がある暮らし。これを恵まれていると表現すべき?