最近の介護職員さんのなかの敬語がちょっと変である。変と言うよりも完全に敬語にはなっていない場合が多い。恐らく本人はいっぱしの敬語で対応しているつもりだろうが、実際に話し方を聞いてると敬語ではなく、単にフレンドリーな表現を敬語と勘違いしているケースが多い。例えば、今日のデイサービスでの会話に、何か利用者の方が迷いがあったのか、介護職員が声をかけている。「・・・・いいよ~♪」 (軽~いニュアンスで語尾を引っ張るように言っている)
相手は年配者であり、サービスの利用者である。言ってみれば『お客様』である。何がいいよ!なんだ?「それで良いですよ」ならともかく(この言葉にしたって正しい敬語では無い)、相手は歳下の友人でもなければ、自分の親でもない人に向かって「いいよ~」は無いだろう。研修のたびに尊厳や人格尊重、思いやりなどについて教えられていても、正直言って何の役にも立っていない現状に少々苛立ちさえ感じる。私が常に唱える「出来ることは自分でやって頂く、出来ないところも最小限の支援に済ませる介護」には、相手の人としての尊厳を尊重して接する事が基本にある。あくまでも年長者であり、私達よりずっと経験も豊富な高齢者に向かって、友人またはそれ以下の対応は拙い。
僕自身、赤の他人、それも初対面の人から古くから知り合いのような口調で話しかけられた場合、非常に不愉快な気分になる。ましてや自分よりも若い人に、上から目線でものを言われる、指示される事には少なからず抵抗がある。誰一人として好んでデイサービスなどに来ては居ない。家に居ても生活に不安があるから施設サービスを利用しているのである。その点を理解すれば、私達は、この利用者の皆さんは友人でもなければ仲の良い顔見知りでは無い。私達は介護の専門職として、ここに来て頂く皆さんのお世話をさせていただく介護職なんだ。
日本人でありながら正しい日本語を使えない現象は、若者だけに限らず成人した子供を持つ親にしても同様の現象がみられる日本人社会。自分自身を含めて、もっともっと勉強し、自分勝手な日本語を流暢に操っている錯覚に気づくべきだ。
私の父の話である。最近、身内に重篤な病が連続的に起こっていた。年齢も年齢ながら、最近特に老化が早く進んでいるようでもあった。そこにきて、身内の悩みは年老いた父には厳しすぎた情報であったのかもしれない。人は、時として自分の精神で処理できないときに、退化という現象を引き起こす。つまり、聞きたくない!と物事の全てから耳をふさぐように自分自身を幼児化させてしまうのである。幼児の場合、難しい話や込み入った問題は解決する必要も、それについて悩むこともしなくてすむ。問題を直視しなくてすむように自分の耳をふさいでしまうのである。
おそらく、私の父も、其の現象が起こっているのか・・・?僕は精神科医ではないのではっきりとは分からないが、どうも様子が変である。情けない、悲しい、さびしい等、僕の父に対する気持ちはともかくとして、これも父にとって、強烈な外部からのストレスから自分自身を守るために、必要不可欠な機能なのであろう。今後、どの様な支援をしていくのか今は不明ではあるが、この現象は私の父に限ったことではなく、高齢者の多くに存在する恐怖観念、孤独感情などから逃げたい。其の思いに駆られて出現する自己防衛本能とすれば、私達の行う介護や支援にも、更なる検討が必要ではないかと考える。
高齢者が気弱になる状況。もうそろそろ辛い思いから開放してあげることも必要ではあるが、開放することと同時に希望を持ってもらえるためにも正しい解釈へのお手伝い。要するに不安の現況である、先に待ち構える危険を過大評価しないで済む支援。が必要では無いかと考えている。
昔、僕がまだ会社員だった頃のお話で申し訳ないが、ちょうど30歳を迎えようとするある時。僕は会社の長期出張でアメリカの中央部にあるネブラスカ州に居た。アメリカ全土をターゲットにして、ちょうど中間地にあるネブラスカ州が便宜上、どこに行くにもアクセスしやすい環境と理由なのかは知らないが、兎に角、そんなアメリカでも何も無い州の典型と言われる田舎に住んでいた。西と東の間に4時間の時差がある大国ゆえ、会社の出張と言えば新幹線ではなく飛行機を使うこととなる。当然、飛行機に乗る回数も多いし、また、移動する距離もかなりの距離を移動する粉が多くなる。この時の仕事の詳細は忘れたが、何かの理由があって一般的な旅客機ではなく、双発エンジンのセスナに乗って出張したときのことである。セスナの操縦は、其の当時の生産課マネージャーが行った。アメリカでは比較的たくさんの民間人がパイロット免許を所持していて、うちの会社にもパイロット免許を持つマネージャーが居たのである。彼は、順調にリンカーン空港を離陸。目的地まで特段のトラブルも無く到着。僕は、軽飛行機を降りて自らの業務をこなし、またすぐに乗ってきた軽飛行機に乗って帰路についた。もちろん、うちのマネージャーが操縦。僕は後部の座席に一人で座って外の景色を眺めていた。
自家用飛行機で時間の制約無く勝手に離発着できる便利さから横着からか、僕は出張先でコーヒーをがぶ飲み。まったく想定していない事態に巻き込まれるとは夢にも思わず。自家用軽飛行機というモノを知らなさすぎた。良く考えてみれば理解してなければいけない事を、すっかりと忘れていた。忘れていたと言うより、当初より考えにも及ばなかった。・・・・・そうなんだ!軽飛行機なるモノには便所がついていない。飛行距離も短く、搭乗人員も少ない軽飛行機にトイレまで設置できないのである。この重大な事実を、事もあろうか僕は想定もせず、沢山の飲料を飲み、おまけに搭乗前にトイレにも行かず、そのまま『えい!やぁ!』とばかりに乗り込んでしまった。そして、操縦を担うマネージャーも日帰りのフライトを気にしてか、そのままリンカーン空港に向けて出発してしまった。
案の定、飛び立って暫くすると、尿意が起きてくる。やばいぞ!と思えば思うほど尿意は強くなり、次第次第と我慢の限界を超えようとしつつあった。満を持して、操縦しているマネージャーに悲痛な訴えをする羽目になった。軽飛行機と言えども、一応はフライトプランなるものを提出しているらしく、むやみやたらと、その辺に着陸して立ち小便などできっこない。しかし、そうこうする間に、僕の膀胱は破裂寸前にまで膨張し、我慢の限界をこえ鋭い痛みまで出るようになった。その時の自分自身の様子は記憶に薄いのであるが、おそらくとても悲壮な状況であったことと思う。操縦士のマネージャーは、僕の為に緊急無線を入れてくれて、一番近いコミュニティー空港(要するに田舎のちっぽけな飛行場)に着陸許可を取ってくれた。
飛行機が着陸して、その後、どの様にトイレに走ったかは覚えていない。しかし、今まで耳にしたことの無いアメリカのど田舎の空港でオシッコをした経験は、今でも鮮明に僕の記憶に残っている。
ついでに、ニューヨークとデトロイトなどを仕事で回って、会社のあるリンカーン、ネブラスカへ戻る時のハプニング話を一つ。もちろん、このときの飛行機は、コマーシャルラインであり、一応大型のジェット旅客機である。僕は、数日の日程で出張を繰り返し、ようやくネブラスカに帰ることが出来ると言う日。ニューヨークのラガーディア空港を出発するジェット旅客機を待っていた。冬の寒い一日のことで、飛行場の外は細かな雪がふぶいているような状態であった。ニューヨークの冬は寒い。もちろん雪も多い。当然、飛行機のフライトスケジュールも乱れる。話は脱線するが、ほんの先日ほどの東海地方に降った雪でさえ、地元の交通機関はボロボロになるくらいだから、ニューヨークの冬だから、当然飛行機も遅れる。僕の飛行機もボウディングが開始され、シートベルトを着用してもなお出発の兆しは見えなかった。
『おい、おい、大丈夫かよ・・・?次の乗り換えをシカゴでしないと、ネブラスカまで今晩中に帰れなくなるそ!』と心配に。そして、其の心配が現実となる。ちょうどシカゴのオハラ空港に到着したのは1時間数十分を上回った時に着陸。僕のスケジュールはオハラからリンカーンへの飛行機の待ち時間を一時間しかとって居なかった。ニューヨークからの便を急いで降り、広いオハラ空港のウイングを端から端へ全力で走って、リンカーン行き飛行機の出発ゲートについた頃には、すでにボーディングゲートは閉鎖。搭乗予定の飛行機こそタラップの先には居るものの、すでにタラップと言うか乗り込みゲートは飛行機から離れつつあった。急いで、関係者を捕まえ事情を説明。係りの者から飛行機の操縦席に連絡。駐機エリアから滑走路に押し出されることをタクシーイングと言うが、そんな状態から飛行機は再び元の駐機エリアに戻り、通路をコネクト。閉じたドアを開けて、遅れてきた僕を機内に入れてくれた。一旦動き始めた飛行機、そこに乗り合わせた他の乗客にお詫びを言いながら席に着いたことがあった。
飛行機が大好きな僕であるが、偶然、今まで大きな事故に巻き込まれることも無く、無事に利用さしてもらっている。アメリカの飛行機は、日本のそれとは随分と違って、大陸間を移動する交通機関として生活の一部に同化した存在であり、決して特別な乗り物では無かった。そんな飛行機が例の9・11事件以降、テロの道具となり厳重極まりない警戒大勝となってしまったようである。今の時代だと、僕が体験したようなことは、絶対に不可能なことであり、臨機応変は対応は望めなく、シカゴのオハラ空港の待合ロビーで一夜を明かすこととなるのであろう・・・・・
1月16日の早朝から、この地方では最近めっきり珍しくなった雪。こんなに降るとは、天気予報では大荒れの天候と聞いてはいたものの、実際に朝起きてびっくり仰天。まあ、昨日は日曜日でデイサービスはお休みだが、グループホームは利用者の方が生活している。と言う事は、必ず職員が居なければいけない。誰も職員が居ない施設なんて考えられないわけで、雪が降ろうが槍が降ろうが、何が何でも職員さんは出社しなければならない。「犬は喜び、庭かけ周り・・・・」♪ ♪ 的余裕もなく、如何にして施設まで行こう??!!って心配が出勤前の職員さんの脳裏に浮かぶ事だろう・・・
しかし、そこは責任感の強い太陽の家の職員さん達、日曜、月曜の二日間、グループホーム担当もデイサービス担当者も、徒歩や自転車を使って出勤してくれた。本当に有難い話で、誰一人として穴をあけることなく職員さんは時間通りスタンバイ。しかし、先のお知らせでもご案内したように、この天候、道路状況では例えスタッドレスを履かせた送迎車両でも、危なくって迎えに出発させられない。これくらいの雪で・・・・(雪国の人には笑われるかもしれないが)一番恐れるのは田舎の狭い路地を通行しなければいけないことからの脱輪や横転事故。鈴鹿は都会のような顔を持ちながらも、やはり耕作を中心とした農業がおもな産業の地域。各家庭は大きな敷地に大きな家、しかし、家々を結ぶ道路は狭く、舗装されている分少しくらいの雪にも滑りやすく非常に危険な、ハイリスクな道路事情が存在する。また、乗降の折に足元が滑って転倒などでもあれば、即骨折。雪の日の一日、家の外に出ない方がより安全と考えざるを得ない。そんな訳で、今日のデイサービスのサービス提供は急きょ中止となった。
デイサービスを中止する場合は、それぞれの利用者のお宅にお電話して中止の声がけをさせていただく必要がある。仮に連絡がつかない場合は、担当のケアマネジャーに連絡し、それでも一人暮らしの高齢者宅には、直接職員が出向いて安否確認を兼ねたご説明に伺う。
この気まぐれな冬型の天候に、普段とは違った緊張と責任が生じてくるのである。
太陽の家始まって以来初めて現金のご寄付を頂戴しました。今話題になっているタイガーマスクではなく、この寄贈主は昨年末にお亡くなりになった入居者のご家族様から頂戴しました。金額と送り主のお名前は伏せますが、今回寄付いただいたお金で、太陽の家のグループホームの利用者の皆さんの役に立つ品を購入したいと思っています。グループホームの利用者の方々からはマッサージチェアーなどの意見も出ておりますが、全員に役立つ品を検討して購入したいと思います。また、意見がまとまり、購入させていただいた時点で写真を入れてご紹介します。
今回のご寄付は、太陽の家始まって以来初の出来事で、とても驚きました。まさか私達のような施設に寄付を頂戴できるとは想像もしておらず、感謝の気持ちをどう表現したら良いのか分からずひょっとして、とても失礼な対応をしてしまったのではないか?と後になって心配したほどです。皆さんの介護保険から介護料を頂戴して運営している施設ですので、本来ならば受け取ることのできないものです。しかし、現実の問題として、高額な電化製品や備品などの購入は、今の収益では買い替えることも難しいのも事実で、今回のような心遣いは非常にありがたいと感謝しています。