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ブログ-施設長の部屋

2011/4/18
気持ちの持ちようによって変わる気分。

 3月11日の大震災以降、日本中が沈痛な思いに包まれ、全体的に暗い、何とも言えない恐怖感でいっぱいになっている状況が続いているが、こんな時には、曇り空の天候ですら人の気持ちを暗く、重くするものなんですね。今日は、天気予報では雨の予報で、地域によっては雷やヒョウ、竜巻などが発生するかもしれないと予報を受けていると、薄暗い外の空模様に、尚の事、心は晴れない。おまけに、黄砂か花粉か分からないのですが、車全体を覆いつくすようにベッタリと覆い尽くすチリを見つめながら、洗車する気にもなれず、フロントガラスにはウオッシャー液とワイパーの筋がキッチリと残ってしまう日々です。

 しかし、今の時期は例年、田植えの準備のためにトラクターが田んぼに入り、田起こし(この字であってるのか?)農家の人は大忙し、そして、次第に田んぼには水がはられて、それまで乾ききっていた田んぼが池のように、満面の水に満たされ始める時期なのですね。この頃はサギ類の鳥も、田んぼのあぜ道に陣取り、繁殖期を迎えるのか気が荒くなり始める時なんでしょう。時々攻撃的な鳴き声を上げては飛び回る姿を目にします。桜の花が散り始める今の時期は、気候も安定せず、天候も晴れたり曇ったり、雨が降ったりと、日々変化の多い時です。

 私達の気持ちの持ちようによって、自然の様子は大きく私達の気持ちまで左右します。また、テレビの番組の話で恐縮ですが、パタゴニアという所で超人的レースが行われたそうで、8日間、道なき荒野や山、湿地帯などをカヤック、自転車、トレッキングで走破するレースの模様を紹介していたのです。日本からも4人がチームを組んでチャレンジしていたのですが、距離にして650Kmをコンパス、GPSと地図だけを頼りに最終のゴールまでの所要時間を競うのです。しっかりとルートが決まっていないなか、獣道や断崖絶壁など、自分たちで目的のポイントへの道筋を決めながら進むのです。チェックポイントに到達したとしても、それで一日のレースが終了したわけではなく、一時間の休憩も無駄にすることなく、不眠不休の連続で先を急ぐこのレース。人間の極限を玉されているような過酷なレースに、食い入るように映像を見てしまったのでした。

 こんな過酷な環境の中、日本人チームはレース途中に一人が肋骨を骨折すると言うアクシデントに見舞われながらも、リタイアすることなく堂々の5位入賞を果たし完走したのです。極限で人間は何を考え、何を思うのか?僕のような軟弱者には理解できないですが、少なくても前向きに物事を考えていこうと言う、とても力強いメッセージを受け取った気がします。 

2011/4/18
デジタル ビジョンの弊害!?

昨日は、昼間は温かくて庭の手入れにはうってつけの日よりだった。最近、体力ないねん!の僕だから、一時間程度、植木の根もとの草を抜き取ったりして、居間のソファーに寝っ転がってテレビを観たりと、一日中、ダラダラと過ごしていた。デジタル放送への切り替えに向けて、世の家庭の大半のテレビはデジタル対応型の超薄型ハイビジョンテレビへと変わっている事と思うが、あまりにも画像が綺麗過ぎて、アナウンサーやテレビに出演する人達の顔面のニキビの痕までが映し出されてしまう。要するに見えなくてもいいモノまで見えてしまうことで、テレビの画面から結構目を背けてしまうことも増えてきたように思う。

 昨日も、ある歴史探訪の番組を見ようとしたのだが、解説に起用された大学教授の不潔(?)なイメージが画面いっぱいに出ていた事と、またもう一人中年女性の解説者の不釣り合いな服装と髪型やメイクに、その番組を観る気持ちが失せてしまった。人の顔立ちについて、どうのこうの言えた義理ではないが、番組を作る側もせめて画面に映し出される映像の管理はしっかりとやってもらいたいと言う番組だった。

 もちろん、ハイビジョンでクリアーな画像で素晴らしく美しい自然の姿や、何処までも澄んだ紺碧の海に浮かぶサンゴ礁の島々など、そのまま壁紙にしたいと思うような画像などは、ハイビジョンで見てみたいものではある。まあ、何でも同じだが、余分な情報はソートして観なくて済むならその方がいい。また、聞かなくて済むなら、それはそれで良い。僕が、年寄りによく説明するのに、「歳とって、今まで散々ぱら世の中の嫌な部分や恐ろしい部分に直面してきて、それらを一生懸命乗り越えてきたのだから、歳をとって耳がとおくなったり、目が醜くなったりするのは、そんな世の中を観なくて済むように、聞かなくて済むようにという計らいなんですよ!」と説得するが、世の中が進歩すればするほど、新たなる弊害はドンドンと生まれてくるんだな~と思っている。

2011/4/15
大震災にゆらぐ日本全土の影響も大きい。

僕たちの地域は、ほとんど地震の揺れを感じない地域に生活をしているが、今回の東日本大震災の被災地では、今なおかなり大きな余震に襲われている。また同時に原子力発電所の問題にも襲われ、気持ちの上で生きていくことに曇りが生じている。これが僕なら、とっくの昔に精神的に大きなダメージを受けてしまっている事と思ってしまう。また、報道機関は、連日連夜、この地震と津波による負債者に関する報道を行っている。その事が悪いのではなく、何も不自由なく生活出来ている我々が、報道される現実の一部を、どう捉えるか?が重要であると思う。

 被災地と同じ気持ちで落ち込むことも正しいのかもしれない。しかし、実際問題、日本全土の意識が沈没してしまう事となったら誰が復興へのお手伝いができるのか?「皆で頑張ろう!日本」のキャッチフレーズは、皆で同じ釜の飯を食おう!では無いはずだ。今の日本は、政府与党の力関係のとばっちりを受けて、一億総弱気人間をつくっているような気がする。もう一つ言ってしまえば。今回の大震災の被災者にとって復興への足を引っ張る要因として、与党も野党も政権奪取しか頭にない。そんなバカばかしい政治家の被害者であるとも言えるのではないだろうか・・・・?

2011/4/15
感情の陰陽。

 最近、とても弱気な自分がいた。何かにつけて弱腰。と言うより気力がない。何をみても、聞いても感動すら感じない。それよりも煩わしささえ感じる自分がいた。特に自分の体調がすぐれない時に大きく関係してきていた。自分はストレスへの対処方法について、多くの本を読んで理屈を理解していた。不安感情のメカニズムも理解して、それなりの対処もしてきた。しかし、いつからか知らないが、極端に色々なマイナスイメージを抱くようになっていた。自分でも何ともしようのないジレンマを感じながら、この泥沼の淵から這い上がる事も出来ずに一人もがいていた。

 こんな時に他者に救いを求めていっても、相手にとっては重い雰囲気が伝わる事によって、関係が疎遠となりがちである。よくよく考えてみれば、何とか救ってあげたいと思いながらも、何とも救いようのない程マイナススパイラルにはまり込んで居る者の傍にいるだけで、その自分も泥沼に吸い込まれそうな恐怖感を抱いてしまうからである。ある意味、冷たい様だがいたし方ない状態なのである。どん底で喘ぐ人を救うために、なまじっか関わることでミイラ取りがミイラになりかねないのである。だれしもが嫌う。

 時が解決する?・・・いやいや、ただ単に放置するだけでは時は解決しない。その問題には、周り以上に本人の意識向上にどんなきっかけを提供できるかが問われる。そして、その内容は人によって、人格によって、その症状の深さによって違う。相手をよく観察し、性格や悩んでいる種を見つけて、適切な言葉かけをする事によって救われる時もある。応援する言葉かけではなく、相手の痛みを理解してあげること。その中で充分に耐えている事をたたえること。充分に戦ってる事を理解してあげること。そこから解決への糸口が見いだされると思う。

 一緒にいても何もしてあげることができないのではなく、一緒にいてあげる事が出来ることが大きな救いとなることもある。と言う事を認識する事が必要だ。人間の感情の陰陽は、皆が当然持っているものであって、特別にその人だけの問題ではない事。痛みを感じて悩む事は普通の人間の行いである事。全てが、特別なケースではなく、いたってノーマルな事である事を相手に分かってもらえれば、それで大半は成功したと言える。

2011/4/14
言葉の重み。(とても重要な事を書きます)

 最近の僕のブログでも何度も言うように、高齢者の心理ってのは、非常に壊れやすくセンシティブな状態にあると言うことを真剣に理解してもらいたい。真剣にと言うよりも、事実として100%の高齢者、特にデイサービスを利用するような要介護者に関していってみれば、論外と言う人は居ないと信じている。そして、その人たちに対する言葉かけの重みを介護する人々に意識して発してもらいたい。うちの太陽の家でも、時として介護側の不用意な言動(もちろん、それは意図したもんではない事は理解できるとしても)、些細な発言が高齢者をいとも簡単に傷つけてしまうことの恐ろしさも認識してほしい。

 同時に、信頼できる人からの一言が、高齢者の心理的不安感情をいとも簡単に救う力も持ち合わせている事も認識してほしい。たった一言の「大丈夫よ!」と呟き、そっと肩にでも触れてあげるだけで、相手の抱いていた不安な気持ちがす~っと消えて、気持ちが楽になる事がある。これは、鬱の患者さんに対しても同じ事が実証されており、言葉かけの重要性をものがたっている。ただ、その一言を有効な言葉にするか否かは、相手との信頼関係が何処まで築かれているかによる点に注意しなければいけない。つまり、我々の介護の現場で、普段から如何に相手の高齢者と強い絆で結ばれているか?または、信頼関係が構築できているか?にかかってくるわけである。これをラポールの形成と専門的な用語で言われているが、相談援助業務の中で一番重要かつ早期に形成すべき関係として言われている。

 ここで、信頼関係の構築には、どう対処すれば形成が出来るのか?であるが、これも最近、僕が太陽の家の職員さんに言うように我々は高齢者の人達に「媚」をうったりしないこと。つまり高齢者の笑顔を求めるあまり、ご機嫌取りをする事があるが僕はこのご機嫌取りを行うことによって、高齢者は介護職員を自分にとって都合よく使おうとするだけの関係で終わってしまいがちになると考えている。私達がもつスキルを使い、客観的に高齢者にとって良い事を分別付けて提供すること。それは、時として高齢者には辛い事もお願いしなければいけなことかもしれない。痛いから歩けない人を思いやり、動かさないで寝たきりの状態で傍に付き添っている事は、決して相手にとって良くない事として理解できると思う。この場合、専門職のドクターや看護師、理学療法士などに相談しながら適切な運動を、辛くても実施する指導力も要求されるのではないか?と思うのである。

 僕は、今の太陽の家に通って頂いてる利用者の方々には、お客様扱いをすることよりも一人の尊厳ある人間として接することを目指し、自分の力で生きる勇気を与える方に進みたい。と考えている。その為の個別機能訓練であるし、その為のレクリエーションであるべきだと考えている。

 ただ単に風呂に入る、食事を提供する、排便支援をするだけのデイサービスは五万とある。また、家族の介護負担の軽減だけでも役不足と言える。この施設に通う人達は、少し前まで自分ひとりで買い物に行き、家族を養い、子供を育て、社会的な活動を行ってきた人たちである。もう一度、過去のように健康に暴れまくるようにとは言わない。でも、以前のような生きる喜びと目的を持てる人生を持ってもらう事は可能である。僕たちは、その為に存在するのであり、その為の支援を行うべきである。決して、利用者の人達に毎日(こんな納なしの施設は無いだろう・・・)桜の花を見物させたり、ショッピングに連れ出すことがデイサービスの目的では無い事を認識してもらいたい。時として、相手によって、それらの行事が必要な人もいる、その必要性を見極めて適切な支援が出来る介護職員に、太陽の家で働く職員さんには成長してもらいたい。ただ、私達の行っている介護は看護ではない。看護と介護の違いは大きい。この点についても職員は、しっかりと理解してかかってもらいたい。

 喜ぶ顔が見たい。それは、けっしてご機嫌取りで喜ぶ顔では無い。我々の支援に感謝する喜びの顔であるべきだ!これが可能となった時には、太陽の家はこの鈴鹿だけではなく全国一素晴らしいデイサービスセンターとして評価される時が来る。皆さんの今後の意識向上とスキルアップを大いに期待している。まったく遠い夢ではない。もう少しでその領域に達しようとしていると感じている。


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