太陽の家

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ブログ-施設長の部屋

2011/5/5
日々の温度差が激しいです。

昨日今日と気温も上がり、日中は半袖でも充分な温かさだった。しかし、明日の予報では最高でも17度。最低温度は11度。東北に比べれば温かい方ではあるが、この温度差が体調に大きく影響を及ぼす。特に高齢者には、とても大きな意味を持つ。歳をとると体温調整が付けにくくなる。また、外気温と体温の差に鈍感となる。当然、寒いはずが寒さとして感じにくくなる。または、暑いという感覚が鈍っても厚手の衣服にくるまれ続け汗をかく。体温を一定に保てないから風邪をひきやすくなる。歳とって風邪をひくということは、肺炎を起こしやすくなる。そして命に大きな影響を及ぼす重大な疾患へとすすんでしまう。

 今なおインフルエンザが子供たちを中心に残っている。それ程大きく流行する事は無いにしても、秘かに潜在化しているようだ。要するに社会の中では、誰かれなくインフルエンザ菌を持ち歩いて、ばらまいている者もいる。目に見えないウイルスに触れる状況がそこいら中に存在する。こんな天候の変化の激しい季節は、特に高齢者への感染に注意が必要である。まずは、自らが予防、仮にインフルエンザ菌に罹患したら、菌をばらまかないように精いっぱいの努力を行う。インフルエンザに罹患した者が複数の人を感染させてしまえば、結果としてインフルエンザの撲滅には程遠くなってしまう。

 春先の気温の変化に敏感に対処し、風邪をひかない努力が求められる。

2011/5/5
白い、ふわふわパンを好む日本人!

この近辺のスーパーでも、ベーカリーでも、なかなかイギリス食パンやドイツ パンなどは販売していない。ましてや、イタリアのフォカッチャなんて、絶対に手に入らない代物である。元来日本人は、パンと言えば「コッペパン」からスタートしている人種で、戦後の品不足の折にアメリカの駐留軍が、日本人の栄養バランスを懸念して普及させたのがコッペパン。学校給食にさっそく取り入れられ、僕たちが小学生のころの学校給食には、毎食にコッペパンが付いてきた。そんな食文化の日本人だからか、食パンと言えば、真っ白でふわふわしたやわらかい食パンが好まれるようである。それでも、最近の健康意識の高まりからか、全粒とか五穀パンなどは販売されているが、欧米で人気のライ麦を使ったパンなどは、滅多とお目にかかれないのが現実だ。東京の紀伊国屋さんが、ネットスーパーを立ち上げており、かなりの種類の食品を通信販売している。僕も、たまにドイツパンやライブレッドなどを注文する事があるが、これらの欧米人が好むパンってのは、結構、ハード(堅い)タイプが多く、歯の弱い人には噛み切れない石のようなパンとして毛嫌いされる場合が多い様だ、現に、僕の周りで、これらの堅く、密度の濃いパンは嫌いと言う人が多い。

 需要がないから供給もされない。商売の鉄則のような壁にはばまれ、近場でフレッシュな美味しい(僕好みな)パンは買えないのである。それでは、僕は、なぜふわふわ食パンが嫌いなのか?と言えば、あまりに柔らかすぎて食べてる気がしない。また腹もちが悪い。食べたすぐ後に空腹感を覚える。それと、トーストしても表面がフガフガで頼りない。バターをぬろうとしても、全体に広がらない。超柔らかなマーガリンなら兎も角、通常のバターの場合、まだらに乗ってしまうところが、どうも好きになれない。また、サンドイッチにしても、日本のサンドイッチには、パンの耳が切り落とされている。唯一、噛みごたえある部分が最初から切り落とされている。これは、犯罪である。言ってみれば、種を抜いてしまった梅干しのようなもので、お茶ずけの最後に梅干しの種をしゃぶる楽しみを取り上げられている事と同じなのである。

 そんなパンの中で、いま一番はまっているのが先にも書いた「フォカッチャ」である。ローズマリーやヒマワリの種、ゴマなどを練り込んだり、岩塩をまぶして焼いたりと色々な焼き方があって、生ハム、サラミやチーズと一緒に食べると最高に旨いイタリア風サンドイッチとして僕の食欲を満たしてくれるのである。イタリアのパニーニは、結構有名だが、僕はパニーニよりもフォカッチャのサンドの方が好きだ。スライスしたフォカッチャにオリーブオイルを垂らして食べてもうまいが、チーズをかじりながら、ワインをお共にフォカッチャの昼食ってのが好きだね!

 さて本題に戻ろう。日本人の好みからするとフワフワ食パンが良く売れる。指で押すと窪みが簡単に出来てしまい、手で圧縮するとペンペラの板状になってしまうようなパンなんだ。それは、安物のスポンジのようなもので、手で触るにもデリケートに取り扱わないとパンとは言い難い異質な食品となってしまう。バケットよりはロールパン、イギリス食パンよりはフワフワパン。う~ん???と考え込んでしまう日本人の好みの基準である。

2011/5/5
さすがに大型連休、車が多いね!

 ちょっと前までは、あの震災への配慮から自粛ムード一色だった社会も、この大型連休には車が道路に溢れている状態が毎日続いている。自粛ムードの中、遠方への旅行を控えた人達が、近郊の小旅行またはショッピングにお休みを使っているのか、特に国道や主要幹線道路は車の列が切れない状態が続いている。

 お休みの時の車には、複数の人が乗っている姿が多くみられ、平日のようなドライバー一人という車は、逆に少ないのが特徴のようだ。この数カ月、テレビでは例のAC(公共広告)のやたらと重い雰囲気のテレビCMばかりで、テレビを見ること自体、苦痛になるほどの沈痛な思いに駆られる時を過ごして、今、こうやって行楽やショッピングに気持ちが切り替わりつつある社会を見てると、とても喜ばしく思えてならない。不断だと、そこら中で発生するなが~い交通渋滞に苦情タラタラの自分も、今回ばかりは社会全体に活気が戻ってきた様子に、苦情も思い浮かばない。(勝手と言えば勝手ですが)

 しかし、本当に車の数の多さに今更ながら驚いてしまう。どこにこんなにも沢山の車が保管されていたんだろう・・・・?と思うほど、沢山の車が市内に出回っている。これだけの車には、ガソリン使われているのだから、それこそ石油燃料の枯渇が危惧されるのも分からないでもない。当然、ガソリン代金も高騰を続けており、一昔前の超馬鹿高いガソリン価格の時に匹敵するような価格である。あの当時、僕は静岡で大学のスクーリングを受けていたが、スクーリング会場がちょっとへんぴな場所であったために自家用車で通ったことがある。僕の車は、それ程燃費の良い方の車ではなく、言ってみればパワー重視の反エコロジーな車である。満タンで出発したが、帰りの道中に給油しなければいけなくなった。高速に乗る前に静岡市内のガソリンスタンドで給油したが、その時のガソリンの値段は198円/リットルという値段だった。満タン100リットルで19800円。嘘のような代金である。まあ、そんな燃費の悪い車に乗らなければ良いわけだが、そんなガソリン価格の高騰を予想もせず購入してしまった車ゆえ、当分はこのまま乗り続けなければいけない。まあ、次はハイブリッドの小さいエンジンの車を考えてはいる。

 ウサマ ヴィンラディンが殺害され中東産油国と先進諸国との溝が深まりそうな雲行きの中、ガソリンの供給がこれまでと同様安定的に日本に輸入されてくるのか大きな疑問である。下手をすれば、静岡の198円どころか、タバコの値上げ同様、リッターあたり300円とか400円と言う時代が到来するのかもしれない。そんな大変な世の中で、350馬力とか500馬力なんてパワーの車なんて必要ない。(僕の車は、それ程のハイパワーではないが・・・)

 電力に関しても節電が求められる時代。すでに遅いかもしれないが、私達の生活スタイルや嗜好を根本から180度の転換をしていかなければいけない時代なのかもしれない。でも、車が好きで、手に入らないような高級スポーツカーに憧れているちょい悪中年にとって、やはり低燃費、低スピードの車を運転するって、やるせない気分も半分くらい残っている。だから、エコロジーがちょっとやそっとで進んで行かない。そんなジレンマが存在するのも理解できる。

 そう言えば、サマータイムの導入に関して、政府は今でも結論を出せずに浮遊している。大企業ではさっさと、自社だけの操業時間の繰り上げを実施している、または実施する予定の企業が増えてきているらしい。明日の日の出は4時40分だったか?!日の入りは夕方の6時30分くらい。二時間早めたとしても日の出は6時40分、朝起きる頃は、まだ外は暗いかもしれないが、それでもアフターファイブから日没までに3時間半はある。野球なら1試合、照明なしでできる余裕が生まれる。全国的な時間変更に際して莫大な費用がかかると言う理由から政府は決断できないようだ。

2011/5/4
介護職員は教養を養うべし。

 高齢者介護を担う介護職員さんには、介護技術や理論はもちろんのこと、それよりも「教養」を身につけてほしいと思うのです。教養とは、学問・知識を修め、豊かなたしなみを身につけること。また、そのようにして得たもの。と広辞林には記載されている。もちろん教養と学歴はまったく関係の無いものであり、学歴ある人は全てに教養があるとは限らない点を理解しなければいけない。じゃあ、なぜ、介護職員に教養が必要か? 身体介護が主な業務でトイレ介助に教養が必要ですか?入浴介助にゲーテやシェークスピアが必要ですか? 食事介助に微積分や因数分解の方程式が必要ですか?と屁理屈を言われるかも知れなが、僕は、高齢者の方々にも色々な知識や豊かな感性、感情を持ている方も大勢みえます。そのような高齢者の方々との会話も重要な介護の仕事であり、教養が乏しい介護者の会話は、会話として成立しない場面は多いと感じるのです。もちろん、表現は悪いが教養も学歴もないが、気立ては良く心やさしい介護者となれば良いのですが、それでも、僕は介護職員だからと言って、普段の言葉で、何も考えず思った事を言い、友達口調で相手に接し、ひどい時には嫌味の一つも交えて高齢者を叱咤する人が見受けられる今の介護の現場。もちろん、介護職だけではなく、病院で勤務する看護師にも見受けられる現実に憂慮するのです。

 利用者の方々との日常の生活を豊かにし、より会話を楽しくするには、やはり介護職とてある程度の教養を身につけていなければなりません。教養はテレビから得ることは少ないです。本を読むこと、歴史に触れること、日本の文化に触れること等、時間はかかりますが、介護職員さんには、今までに体験した事のない異文化に触れることも行ってもらえる事で、介護の質も向上するし、皆さんの生活や生き様にも大きく貢献する事と思います。さあ、みんなで教養を身につけましょう。(・・・て、一番必要なのは僕か!?はははは  まあ、このブログは自分自身に言い聞かせているのも事実ですから・・・・へへへへ)

2011/5/4
アラモの陥落!

このところの僕の一番の頭痛の種は、燕との戦いがありました。一対の燕が自宅玄関先ポーチに巣を作ろうとしていたのですが、すでに施設の玄関には3つの巣がつくられていて、尚、もう一対が新たに、それも僕の自宅玄関に作ろうとしているのです。ツバメに恨みは無いにしても、その後の糞の始末やらを考えると、いくら幸運を呼ぶ鳥と言えどもご遠慮頂きたい場所もあるのです。そんな理屈をツバメに言ったところで理解も出来ず、この間、ツバメに諦めてもらえるようにあの手この手の妨害作戦を展開しました。僕は、この燕との戦いをジョンフォード監督の映画「アラモ」に例えて「太陽の家 アラモの戦い」と命名しました。ビニールテープを暖簾のように天井から下げたり、ネットをはったり、クリスマス用のピカピカオーナメントを付けたりと、兎に角、自宅玄関先は支離滅裂な状態と化し、来訪者が首をかしげて恐れおののくような様相でした。

 流石に徹底した防御を行った結果、玄関ポーチの内側に巣作りは諦めたようで良かったのですが、ついにそれ以外の自宅建物のあらゆる場所に泥をくっつけて、新築移転工事を始めてしまいました。今朝がた、その燕の必死の努力に戦意喪失というか、やはり幸運の鳥に対する虐待とそれに対する罰を恐れて、全ての遮蔽物を取り除く事とし、とうとう太陽の家アラモ砦は、あえなく陥落となってしまったのです。

 ヒナが巣立つまでの数カ月、毎日の玄関先の水洗い掃除は僕の担当となるのでしょう・・・・まあ、これも仕方ない。諦めるとしよう・・・・・


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