今回の本はネットで購入した。まず、なんで機長の日記なのかと言えば、僕の持っているクレジットカードの関係で毎月送られてくる機関紙があって、その機関紙に毎月紹介されるパイロットのエッセイが面白く、他は読まなくとも、そのエッセイだけは、毎号必ず目を通すわけです。そんな機関紙に、過去のエッセイのすべてをまとめて本にした!という広告が入っていたので購入。続いて、高野さんと言う著者のホスピタリティに関する本だが、この方の経歴がすごい!世界的にもラグジュアリーホテルとして有名な「リッツ カールトン」の日本支社長を務めた人で、世界に冠たる五つ星ホテルを管理運営した、言うなればホスピタリティの神様と言われる方。僕は、この著者の本の大半は読んでいるが、それぞれに新たな気づきをもらえる。結構、役に立っている本の一つである。次に、トレーニング関連の本であるが、これは、今後のデイサービスにおける機能訓練を如何に行っていくか?を考えるために購入した。
昔から本を購入するときは、恋愛と同じ。「出会い」を重視する方で、その時に目に止まったものを片っ端から購入する。読める、読めないは別問題。直感みたいなものを感じて購入してしまう。今回も、立て続けに6冊の本(薄いものだけど・・・)が届いたけど。ところが、どっこい!実はこれだけではないんだ。あと二冊購入したものの、業者に在庫がなく、分納されるようで、あと数日後に残りの二冊が手元に配送される予定である。前回、速読術の本を買ったので、さぞかし早く読めるだろうと期待して読んでみたが、昨夜12時までかかって機長の日記一冊しか読めなかった。まあ、これも訓練!次第に、一日数冊の本を読めるくらいになってくれればよいが・・・・。
僕から野球等のスポーツの話題ってのは想像できにくい!と、よく言われる。僕のイメージは運動音痴でスポーツは全くやらない!って思われているようである。いやア、意外かもしれないが、これでいて結構なジャイアンツファンなんだ!そんなジャイアンツの話題ではなく、今回は横浜の「熱いぜ、チケット」のお話。
知っている人も多いと思うが、横浜は万年最下位に位置するチームであり、今年からスポンサーと言うか、チームオーナーが変わり横浜DeNAとチーム名称を改め、新監督に元巨人の中畑氏を起用して、その熱血ぶりをチーム運営に注ぎ込みながら、最下位からの脱出を狙っているチームである。流石に新進気鋭のコンピューターゲームソフトの企業であり、熱血漢の中畑監督だけに、横浜スタジアムの一塁側内野指定席の50席分は、1日から6試合「全額返金!?アツいぜ!チケット」として4000円で販売。観戦したファンの満足度により勝てば半額まで、負けたら全額まで返金する球界初の試みを実施したそうだ。
ここ三連戦を連勝し、いつになく好調(・・・・失礼!)な横浜。ゴールデンウイーク中の試合では10点を超える大量得点で中日に圧勝。見てる方とすれば、そこまで大量に得点しなくても、毎回、コンスタントに得点できるほうがチーム成績も向上するのに・・・・と思ってしまう。
ところで、この三連勝に際しても、チケットの払い戻しを求める声が大きい珍現象が起きているそうである。その理由に三連勝の前に三連敗している事をあげているそうであるが、そんなニュースを聞いていて、日本人のセコさと言うか、図々しさと言うか、何とも気分悪くなる野球ファンの存在に呆れてしまった。以前にも書いたが、今の日本人の自己中心的な振る舞いや思考に、社会全体がもっと考え直さなければいけないと書いたが、この横浜の試合をタダでみようとするファンの存在には、同じ次元の図々しさと利己的思考が表れていると思う。自分が応援するチームの選手には、ぜひとも頑張って熱い試合を見せてもらいたいと願うのがファンであり、そんなファンの御蔭で選手たちもオマンマが食べられる。ボランティア活動の一環で、毎日練習厳しい練習を積み重ねているわけではないよね!自分の生活もかかっているし、家族を養わなければいけないのは、選手とて我々と同じ。野球ファンとて正統派ばかりでないのは承知だが、少なくても野球場まで足を運び観戦するほどのファンなら、チームが勝った時くらいあ、ご祝儀を兼ねて帰り際にも入場料と同額のお祝い金を提供するくらいの器量がほしいくらいだ。
分けのわからない理屈を声高に喚き散らして、自分が楽しんだ時間分もタダにしてしまう根性。腐ってるぜ!そんなけち臭いファンがいる球団は、トップチームには登れないといわれても仕方ないぜ!
認知症高齢者の対応には、大半の介護職員が四苦八苦する。認知症専門の協議会の中でもいつも耳にするのが、職員の言うことを聞いてくれない。何度も繰り返し同じことを話する。指示が通らない。等の言葉が多い。特に認知症に限らず人間ってのは歳を重ねるごとに入浴を拒む傾向にあるようだ。その理由はよくわからないが、恐らく、人の世話にならずとも自分で何でもできる!と言う自負心の表れであったり、羞恥心であったり、といろいろなケースが考えられる。本人が思うように自分のことを完璧にやり遂げることができれば、それはそれで良いのだが、どうしてもやる事成す事が不完全に成りがちであることはいがめない。まあ、人生、ある程度いい加減でも生きていくうえで何の支障もない。本人がその程度で良ければ、それはそれで良し!とすることが可能であれば、何も問題は起きない。ところがどっこいである。介護職員の性と言うか何というか、遣ってあげることに生き甲斐を感じ、何でもかんでも徹底的に!と言わんばかりに張り切ってしまうのである。
お蔭で、要介護者本人は、余計なことまで世話を焼かれて「ありがた迷惑!」。自分で何でも出来るんだから!。家に帰れば自分で髪も洗うんだから!と理由をつけては、介助の手を拒む。
認知症高齢者の周辺症状である徘徊や暴言、拒否等の俗にいう問題行動(今は、この表現を使うことは適していない)を現代はBPSD(Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia)と英語の略文字を使って表現する、又は行動障害は、時として介護する側の大きなストレスになっている。相手は認知症なんだからと自分自身に言い聞かせながらの、日々の介護は疲れる。介護の専門職として認めてはいけないが、家族介護の中で暴言暴行が行われる状況は、ある点で理解できる。家族にとってみれば、認知症の母親、父親を看ていくことは、とても重いのである。認知症の方と接するには、介護者に心のゆとりが必要である。家族も家庭を守り、生活していかなければならない。生きるための努力を行いながら、家には認知症の親が居る。社会生活の疲れを癒す場である家庭に戻っても、慌ただしい介護を求められる環境は、人間の考え方までも変えてしまう。精神力を求められた戦前の日本人でも、今の殺伐とした社会と認知症介護の両立は難しい。これだけ苦しい生活をおくる位なら、いっそ心中でもしたほうが楽だ!という理論も成り立ってしまうのである。
認知症を患ってしまう人に悪意はない!その人に合ったケアさえ行えば、比較的安定した毎日を過ごせる!これらのフレーズは、専門職への言葉ではあるが、あくまでも客観的に要介護者をみることができる最大限の条件が必要となる。認知症介護は、爺さん、婆さんが可愛い!だけでは、介護できない現場なのである。その人を冷静に観察し、多面的な支援方法を考え、一つ一つ丁寧に実施してみて、その中の最善の方法を見出さなければいけない。
僕は、これから先に介護職を目指す人たちに声を大にして言いたい。高齢者介護は、単なる話し相手の延長ではないということを。
今年のゴールデンウイークは、雨が多い。それも春雨じゃ、濡れてまいろう・・・などと気取って言ってる状況でない程多量の雨に降られている。今日の鈴鹿こそ、霧雨のような細かな雨がシトシトとふる日中ではあるが、一昨日の雨では名阪国道も、新名神も通行止めとなる程強烈な雨模様だった。この春雨・・・云々のセリフは、行友李風が書いた戯曲「月形半平太」の中の有名なせりふ。聞くところによると、土佐藩主の武市半平太と言う人物をモデルに書いたらしいが、この濡れてまいろう・・・についていろいろな諸説があって面白い。春雨程度の雨を気にせず、自分は傘はいらない。むしろ舞妓の雛菊をかばう心配りと「粋」を謳っている。また、春雨と言いながらも風を受けて傘をさす意味もない状況に傘はいらぬ!と言った。とか・・・まあ、僕はどちらかと言えば、女性をかばう優しさと「粋」のほうを信じたいと思っている。
この月形半平太の時代(戯曲が書かれた時代ではない、その戯曲の時代設定)は、モデルの武市半平太の生きた時代とすれば1829年~1865年であり、韓国で言えば、例の韓流ドラマ「イサン」の次男である純祖(スンジョ)が国王の頃。日本で言えば徳川の時代。文化、文政と言ったところ。江戸に大火がおこり、伊勢の御蔭参りが大流行となったころの話である。
その頃の春雨ってのは今のそれとは違うのだろうか?地球温暖化の影響を徐々に受け始めている今の気候状況と江戸時代では、大きな違いがるのかもしれない。もちろん、僕なんぞは、貴族でも武士でもない平民だろうから、月形半平太のような粋をわきまえて遊べる身分ではないだろうが。その当時の平民だから、毎日の食事にさえも事欠く、貧しい農民で、来てる服も木綿素材ならまだしも、恐らく藁縄を編んで作ったようなボロをまとっていたかもしれない。継ぎはぎだらけで、風呂にも入らず、歯も磨かない、髪の毛は伸び放題・・・ひやア~汚い!!!
まあまあ、人の生活レベルの話ではない。この異常な程の天候。春雨じゃあ・・・などと悠長なことを言ってる場合ではないような大雨に東北地方は襲われたわけで、原子力もともかく、この世界的な異常気象なんとかせにゃ~!!
偉そうに「半人前のころ」なんて書いて、今の自分が一人前か?!とお叱りを受けそうだが。そうではなく、僕自身が駆け出しのころの話をしようと思っている。ちょうど30歳代のころの自分は、まだまだ一人前と呼ぶには程遠く、虎の威を借りる・・・って人間だった。経済的にも余裕なく、仕事の面でも半人前。今でこそ、仕事でも大きな面して、威張りくさっているが、その頃の自分は、何事も控えめだった。信じられないかもしれないが、この僕がただ黙って、じっと耐えていたのだから・・・・。
その頃の自分は、今の福祉ビジネスではない、副業のほうでも駆け出しで、仕事こそ受注はするものの、自分の担当する時間以外は居場所のない寂しい業務をこなしていた。僕のブログでも紹介することもあるけど、F-1の仕事がそうである。このF-1の業務を受けるようになって、随分になるが、その当時は自分の席は存在しなかった。一日の大半は待機時間であった。それも室内で待機するのではなく、屋外での待機である。椅子もない。ただ立っていた。のどが渇いても自販機で自腹で飲料水を購入していた。僕の仕事は、F-1決勝当日に協力いただいた航空自衛隊の吹奏楽団のお世話係。前日の受け入れ、リハーサル、宿舎までのご案内。翌日のお迎え、現場までのアテンド。退場のアテンド。弁当の配布、お見送りまでの一連の作業を担当していた。二日間のすべての業務は、自衛隊のお世話で尽きた。
要するに、あの広いサーキットの中で、移動や食事などに不慣れな隊員の皆さんに失礼の無いよう最大限の気配りをすることが僕の仕事であった。F-1は今も昔も変わらず、関係者の出入りに厳格である。むやみやたらと入場パスを発行してくれない。当然、僕なんかに発行されるパスは存在しない。当日、必要な時間帯だけ他人のパスを拝借しての入場である。入り口でパスをお借りして、自衛隊のオープニング曲が終わってコースから退場する時には、パスもお返しする。そのまま徒歩で控えに使わせていただいていたホールまで移動。そこでは隊員の皆さんに食事の弁当とお茶をお配りして、昼食を食べていただく。僕は、そのホールの外で食事が終わるのを待ちながら、時間を過ごす。
ちょうどF-1の決勝レースが開始される前の、一番人々の期待が高まり、それまでレース場わきの土産物屋やホットドッグスタンドから観戦客たちが指定席に戻り始めるころである。VIPたちを運ぶヘリコプターの離発着がピークに差し掛かるころでもあり、屋外待機中の僕の周りには、高級スポーツカーを運転するセレブ達やヘリコプターから降りてVIPシャトルを使って特別観戦エリアへと先を急ぐ金持ちばかりがうごめいていた。次第に観客席から人々の歓声が高まり、それと同時にF-1マシンのエンジンが一斉に雄たけびをあげてレースがスタートしたような雰囲気が伝わってくる。
僕はF-1のマシンが走り回るレース場に居ながら、その映像は見れない。ただ音だけを頼りに、猛スピードで走り去るマシンを想像することしかできなかった。今でも、僕はF-1レースに関係する仕事をしていながら、レースそのものにそれほどの興味は持っていない。もちろん、レーサーへのあこがれも然程大きくはない。それは、この頃の経験が、僕にはF-1は単なる仕事としか感じることができなくしてしまったように思う。
さて、話はころっと変わって、半人前のもう一つの出来事。それは東京に半分業務で出かけた時の体験である。東京の晴海で見本市があって、その見本市に出かけた折。まだまだ田舎者で貧乏な僕が、身の程知らずにも、東京の青山で食事をしようとしたことに由来する。こんなしゃれた店で食事できれば・・・と思いつつ入店。お店の格も確認せず、席について驚いた。メニュー価格が想像以上に高い。自分がまかなえる額ではない。そのまま、ごめんなさい!と断って店を出ることもできたが、見栄というか、そんな自分が恥ずかしかった。隣の席にソフトスーツに身を包んで、モデルのような美女二人を伴って食事する若い男性は、そんな僕の財布の中身とは関係なく、惜しげもなく次から次と注文をしている。僕は、そんな彼らの大盤振る舞いを横目に、一皿の料理を待ち、料理を味わう余裕すらなく、そそくさと店を出たことを今でも屈辱の気持ちとともに思いだすことがある。
苦境の時というか、一番苦しかった時。今の僕にも、そんな時代が存在する。しかし、強がりを言うわけではないが、貧乏で力も無かったが、夢だけは持ち続けた。チャンスという機会を追い求めた。苦しい時こそ、冷静に自分を見つめ、その時できることを探した。そして、ただひたすら耐えた。昨日の鶴瓶の家族に乾杯って番組の中で鶴瓶はこう言った。
人生では「機会」「出会い」「縁」を大切にしなければいけない!とあった。人との出合いを大切に、そこに生まれる縁を大切にすることで、機会が生まれる。それがチャンスに変わる。と!