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ブログ-施設長の部屋

2012/6/11
時代の変貌。

認知症介護や高齢者福祉の世界では、今の時代背景が介護に大きな影を落としているといわれている。核家族化、少子高齢社会や限界集落などがそれだ。 人口の過密は都市部に集中していることは、誰しも知っている通り、東京に限らず、この三重県に於いても、都市部(って、言葉が恥ずかしいけど)・鈴鹿、四日市、津などの中心部に人が集まり、山間部では人口の減少とともに老人世帯の増加が問題となっている。さて、なぜ問題化と言う点について、この私の家を例に話せば、私の家庭では両親ともに健在ではあるが、老人二人だけの世帯と、離れた場所に我々子供世帯が生活をしている。

 年々、両親だけではなく我々子供世帯も歳を重ね、老人世帯は年金を中心に生計を維持している。そして我々世帯は、夫婦共に高齢者介護を主体として生計を立てている。夫婦共に施設の長として忙しく、自由になる時間は限られている現状である。オヤジ夫婦は、健在と言うものの、御多分にもれずに母親は膝関節の障害で歩行が困難で、親父が主介護者として母親の介護を行いながら、何とか日々の生活を維持できている。御蔭様で認知症の方は、かろうじて問題にはなっていないが、それもいつまで行けるのか・・・?!と不安材料は多い。 これは、言ってみれば今問題となっている「老老介護」と言われる現状であり、夫婦の何れかが倒れれば、その時点で生活のバランスは崩れて、何かしらの生活支援を必要とするわけである。

 私が子供のころは、オヤジ夫婦と私たち子供と祖父母が同じ屋根の下で生活をしていた時代である。それぞれが家事を負担し合い、協力しながら毎日の生活をおくっていた。時の流れとともに、祖母が脳血栓で倒れ要介護状態となった時も、家族全員(僕は子供すぎて役には立っていなかったが)が協力し合って、在宅介護を継続した。だから、ばあ様は自宅で亡くなった。次にじい様が認知症となった。その時は、親族の感情的な反対に合いながらも、地域に芽生え始めた老人介護施設で介護をお願いした。この時のオヤジの年齢が今の私の年齢である。 家には私や妹が一緒に暮し、じい様の面会や必要な用品の交換や届け物などを分担しながら家族で補った。

 そして今の時代である。自分自身も年老いていく中、おやじ夫婦の生活は長男である自分が背負うこととなるが、先にも述べたように今、夫婦のうちのどちらかが潰れると、途端に困ってしまうが、その困難さは以前の比ではない。夫婦共働きで、それぞれに責任がある毎日を過ごすものとして、いちいち両親の生活を支援するだけの余力がないのである。介護保険に頼り、フルで施設のお世話にならなければ、介護者の生活まで壊れてしまいかねない厳しい現実が存在するのである。

 先に書いたように、老老介護の果ては核家族社会のデメリットが、生活を困難にさせていくマイナス・スパイラルが発生するのである。生活相談員をしていると、このような困難なケースは、いくらでも遭遇する。地域社会の到る所に、これと同様の問題は転がっている。老人同士の介護を余儀なくされ、介護負担は一人の肩に重くのしかかる現実がある。精神的にも肉体的にも、歳をとってからの介護や看病は難しい。特に夜間のケアは、年寄りにはきつい。だから、今、政府が24時間のケアを模索しているのである。24時間体制で老人を見守っていく体制づくり。それも、介護保険の契約の枠を超えて、柔軟な対応を可能とするシステムが求められている。

 介護保険の将来は、この問題をクリアーにしていくことから始めなければ、介護保険料の値上げばかりでは国民の負担ばかりを増やして、有益なシステムの無い社会保障制度では、要介護者の増加する一方の日本の社会は破たんする。

2012/6/8
介護職員と仲良くする方法!

唐突ながら、まず大盤振る舞い!けち臭いことは言わない。何でも好きにさせる!すべて自由!束縛を一切しない。規制もしない、休みたい!と申し出たら、どんどん休みをやる!西に同じことを繰り返し言う利用者にヒステリックになった職員が居れば、その職員をかばい、東に介護疲れの職員が居たら変わってあげ、子供が熱を出したと保育園から連絡を受ければ、即座に職員を早退させ子供を看病させ、北に腰痛に悩む職員が居れば、腰痛予防の福祉器具を購入し、南に送迎車をコンクリートブロックにぶち当てた送迎担当者がいれば、黙って黙々と事故処理を行い、保険会社と折衝をおこなう。

 こんな管理者や施設長は、絶対に職員と仲良くなれる!(・・・よな!!!????)これでも、管理者なんて、大っ嫌い!なんていう職員は、ハッキリ言って、罰当たり! まあ、こんな管理者や経営者は、どこを探しても居ないはずだ。僕からすれば、情けない!の一言に尽きる。その理由は、上に書いたような振る舞いって、基本的に芯が通っていない。何がしたいのか?何を追及してるのか?分からない。 職員は、確かにより多くの給料を求めて、常によりベストな働き場所を求めている。これが、立場を変えて自分が介護職員なら、当然のごとく常によりベストを求めるはずだ! 自分の生活を、より理想に近づけるため、高額な報酬を求め、より高い評価をしてくれる職場に魅力を求めている。誰しも、職場内で糞ミソ扱いで、いつも顔を見れば「馬鹿!だの、脳タリン!」などと呼ばれ続ける職場に、安らぎを感じないはずだ。職員だって人間だ、いつもありがとうね! よくできたね! 助かってるよ!と言われる方が気持ちいいに決まってる。

 そう、職員はアホで脳タリンかもしれない。管理者や経営者は、それなりに多額の借金抱えて大博打をしてる連中だ!職員のようにアホではばくちは出来ない。しかし、よくよく考えてみれば、こんな儲からない事業に多額の借金をつぎ込むのって、アホな職員以上に大ばか者しかできない技ではないのか?とその頭脳を疑いたくなる。儲からないから、それを職員のせいにする。動かない職員ではなく、動かせない管理者は己を戒めることも忘れ、すべてを他人のせいにする。本当に、どちらが足らないのか、わかってない現実に職員の疲弊する。

 介護の現場では、すべての作業が見よう見まね、猿まね合戦の連続である。職員も管理者もてっとり早く、「HOW TO?」を求め、こんな時は、こうするの!式介護術にはまり、実際の状況判断を誤り続けている。職員も管理者も、不必要なプライドばかりに左右され、人の言うことを聞かない。また、同時に学ぼうとしない。そりゃ、いつまでたっても介護の質はよくはならない。

 遊ぶこと(レクリエーション)のことは成立するに時間は必要ない。ほんの数時間で決定し、それに向けて皆が一丸となり努力する。しかし、これが機能訓練ともなると、専門外と言うこともあってか、一か月が経過しても何も進まない。おまけに、遣ってることは数か月前と何も変わらない。これでは、何を目標に仕事してるのか分からない。しかし、そんなコタア、どうでもいいんだ!職員と仲良くできれば!

 介護の現場は、やる事が溢れている。やる事多すぎて、一日の就労時間内には片付かない。しゃあないので、出来なかった分は明日に持ち越し。そう自分に言い聞かせて積み重ねた宿題が昨年の末からたまりっぱなし。これに似た状況が郵便局でもあったように記憶している。配りきれなかった郵便物を、最終的にはかってに焼却してしまった局があったそうな!どうも、よく似た現象だぜ!溜まりにたまり、熟し切れない仕事は、どこかで一旦きれいに始末しようぜ!そん時は、俺にも声をかけてくれよ!手伝うからさ!と息巻く。

 ああ~、今日の俺って何かあったの・・・・?と勘違いされそうなブログ。特に何事もなく平穏な一日が過ぎた。ただいつものタッチのブログにちょっと飽きた!ってのが本音。こんなブログも、時にはいいもんだ!

2012/6/6
ぬるめのスープに指

アメリカのジョークに面白いのがあった。最近、日本人の新進コメディアンが、このジョークをネタにしてる者がいて驚いているが、ストーリーはこうだ!

 ある日、潔癖症の男がレストランに一人、メニューを眺めながら今日一番の夕食を楽しもうと品定めをしていた。十分な吟味の末、男は意を決してウエイターを呼んだ。

 男の呼びかけに即座に応じたウエイター君。少し浅黒い顔、それほど身長も高くない黒人系。恐らくプエルトリコ系の黒人移民だろう。強いアクセントの言葉で注文を取りに来た。

 「はい、お客さん! お待ちね! 注文、どうぞです!」 不慣れな言葉遣いに苦笑しながら、男はニューヨークカットステーキとサワークリームをたっぷりと載せたポテトを注文した。そして、ウエイターがテーブルを離れる間際に、思い出したように追加のスープを至急持ってくるように命じた。 軽く会釈して立ち去るウエイターを尻目に、男は持参した夕刊に目を通し始めた。しばらくすると、先ほどのウエイターが依頼したスープを持ってきた。

 「お客さん、お待ちなさいませ! 今、スープ、持ってきてます。」 と訳のわからない言葉とともに、男の前に並々とスープが入れられたスープボールを置いた。

 ところが、テーブルに置かれたスープボールには、事もあろうにウエイターの太く、黒光りする親指が浸っているではないか!そんなことは関係ないがごとく、ウエイターは、次のステーキまで、スープを楽しんで味わえとばかりの言葉を残し、立ち去ろうとするのである。男は客であり、おまけに潔癖症である。少しも不潔な状況は許せない性質である。ウエイターを呼びとめ、客が飲むべきスープの中にウエイターの指が使っていることは許せないと、憤慨して苦情を伝えた。するとウエイターは、

 「お客さん、私、今日、この親指怪我したね!病院いったら冷やしたらだめだ!って言われたね。だから、スープの中でずっと温めてたね! だからちょっとスープもぬるいかもしれない!適度にひと肌! うまいよ!食べてみ!」と、全く反省する雰囲気ではない。いよいよ頭にきた男。

 「そんなことは理由にならない! ましてや、俺がスープを注文しなければどうするつもりだったんだ?」と問いかけた。するとウエイターは、

 「大丈夫! お客さんのスープができるまでは、自分で自分のおケツに指入れて温めてた!」

 ・・・・・・どうですか?面白くないですか・・・・??

ウエイターの男の言い分は、自分を中心にした視点でものを判断してる。客と自分の立場を理解しているようで、客にサービスを提供する意識が希薄である。こんな分かり切ったこと、そして、常識では考えられないことがジョークの世界では起こり得る。その現実と空想の世界のギャップに私たちは、酔いどれの世界でいろいろなジョークをつまみに酒を楽しむ。酒を楽しむジョークなら罪はないが、これと似通った行為が高齢者介護の政界では現実問題として、平然と行われているようだ。介護職員の常識は、そのまま介護を受ける側の常識とイコールではない。ましてや、望んでもいない訓練を強要され、望んでもいないにも拘らず長生きをするためと称して規律正しい生活や日光浴を求められる。誰のための人生で、我々は何のために介護を実践するのか?介護する者も一度立ち止まってよくよく考えてみる必要があるのでは???

2012/6/6
横行するジジ連の暴挙!

昨日ババ連の話を書いたが、流石にその年代の女性人たちからの苦情の嵐。女を一方的に糾弾する前に、男も同じくらいひどいものだ!と言うのが大方の言い分であった。それでは、と言う訳ではないが、今日はジジ連の暴挙なるものを書き出してみよう。

 僕が感じるジジ連の暴挙。敷いては、同じ同性の立場からも恥ずかしいと思う個所を書いてみたい。

 男も、それ相応の年齢に達すると扱いに困る人格に変貌する者がいる。それらの人間を総称してジジ連と命名するならば、この困ったジイジイ達に自覚と自律を促す意味においても(もっとも、反面教師として自分自身に言い聞かせる意味のほうが多い)まず、加齢臭の問題である。これから蒸し暑くなる日本の夏、おやじたちは屋外で仕事する機会増加、室内においても近年の節電ムードの中での冷房を控えめに設定したりと、汗にまみれる毎日。よほどコマ目な手入れをしない限り、一日の勤務が終わるころには十分すぎる体臭を発散することとなる。人間だれしも無色無臭な者はいないわけで、それなりにオリジナルなニオイ(どんなニオイや???笑)を発散している。ただここで問題なのは、体臭に増して喫煙者はタバコのニオイ。そしてコーヒーを好むものはコーヒーのニオイ。もちろんキムチを好むものはニンニク臭と、いろいろなニオイが混ざってしまうことによる悪臭である。若いころ、女性を意識する時代は、ニオイに対して過敏すぎるほど神経質になっていた男も、恋愛ごっこから遠のいたジイジイ達は、よほどのことがない限りニオイにも無頓着となりがちである。満員電車に詰め込まれ、岐路を急ぐ人にとって、いろいろなニオイの混じった臭いジジ連は、御免こうむりたいものである。

 さらにジジ連は、常に女性を下に見ている傾向にある。自分一人では、何もできないくせに威張りくさっている。気に入らなければ暴言、悪態、暴行を繰り返し、身体の不自由となった時ですら相手を恫喝しようとする。これは、男として醜い部分の一つである。男子たる者、弱者を守り、強きをくじく! 武士道精神がいつの間にやらねじ曲がり一部、自分にだけ都合良く封建的課長主義を前面に生きようとする。それに付け加えて、ジジ連の一部の公共道徳の低下は信じがたいものがある。特に公共の電車の車内で、マナー違反のジイジイを沢山みかける。後ろの席から、前列のシートの肘掛に足を投げ出して座る。夕暮れ時の特急電車では、必ずと言っていいほど缶ビールとおつまみを食べ始める。汗臭い上にスルメとビールのニオイが近隣界隈に漂い、タダでさえ疲れて家路を急ぐ人々を不快な気分にさせている。

さらにさらに、ジジ連は入れ歯の手入れをサボる。おかげで近くによって会話するにも口臭がたまらん。ジジ連は平気な顔して所構わず立小便を実施する。ジジ連は、やたらめったらと痰をはく。ジジ連は、か弱き老人を装いながら若い介護職員に抱き着く。おまけに抱き着いた手を緩めることなく余韻を楽しもうとする。ジジ連は、セクハラもパワハラも野原も味噌糞一緒。問い詰めれば、そんな新しい横文字は分からん!とうそぶく。

 まあ、とにかく、男も女も年を重ねるにつれ人生経験が豊かになるにつれ、厚顔無着となりちょっとやそっとでは反省しない。すべてに関して我が道をゆくのである。それでいて、一人になると結構人生について反省し、自分の粗鋼に対して自戒の念に駆られる軟弱な性格も持ち合わせているのである。

 上手に年を重ねる。ってのは永遠のテーマであり、難攻不落の障壁のようであり最初から諦めがちではあるが、そこのところを意地を張ってどこから見ても隙のないちょい悪オヤジを目指して、世のすべてのジイジイ達が奮闘してくれれば、この日本社会。すべからず住みよい社会へと大展開するのではないだろうか?

2012/6/5
介護施設で働くババ連。

最近では、高齢者のババ様ドライバーと遭遇することが多くなってきた。先日も、ある地方で車を運転してた時に遭遇したババ様。少し狭い橋の上ですれ違わなければいけない状況にぶち当たった時のことである。運転に自信がないババ様、橋の入り口近辺でこちらの車をやり過ごそうと、自分は早々と車を停車させ待っている。おまけに、橋の出口のど真ん中。どう考えてもこちらの車の側面が橋の欄干をこすりそう。それでも、自分の車を当てては損だ!とばかりに自分は動かない。両者一歩も譲らないがっぷりよつの体制には、さすがの後続車両も堪忍袋の緒が切れる。こちらの車の後ろからぶーぶーとうるさい。仕方なしに、欄干ギリギリに寄せて車をジリジリと移動させるも、やはり後輪が欄干の基礎コンクリートに乗り上げる。嫌な音とともに、なんだがフェンダーまでこすったような感触。まあ、あとで要チェック。とりあえず、この場をそそくさと過ぎ去ろうと気持ちが逸る。まあ、偶然、フェンダーにも傷なく、タイヤの腹をこすった程度で済んでよかった。しかし、世の中、このようなババ連は大勢存在する。

このババ連、口やかましい。勝手な思い込みで突っ走ること、血気盛んな若者さえも食われてしまうがごとく。だから、人の言うことを聞かない。それほど肝が据わっている。おまけに、怖いもの知らずの年齢に達しているために、立場に見境がない。目上の物だろうとなんだろうと、旧知の友のごとく親しみをもって話しかける。当の昔に女を捨てた者たちは色気よりも食い気!食べることに貪欲である。食べてはしゃべり、食べては寝る!お蔭で、ババ連の多くの下半身は丈夫で力持ち、ちょっとやそっとの横風を食らってもビクともしない。一昔前までは、イケメン韓流スターのポスターを年甲斐もなく自宅の居間にはって、毎晩寝る前の投げキッス。車を運転させれば、相手がなんであろうとまったくわれ関せず、道のど真ん中を突っ走る。俺はベンツで相手はボロボロの軽自動車。それでも、優先権はババ連にある!

 ババ連ってのは百害あっても一利なし・・・・!!???

 いやいや、そうでもない。ババ連は人生経験豊富。うまく使わせてもらえば、料理や掃除洗濯まで上手にこなすスーパーウーマン。そこは、ハンドリング次第。ほら、昔の自動車教習所で仮免教習のところで習うではありませんか、アクセルはゆっくり踏み込んで、ハンドルは滑らかに!ババ連は年齢も年齢なだけに急激な変化を極端に嫌う。おまけに嫌うだけでなく、思いっきり、力の限りの文句を言ってくる。それは無言いたい放題。そんな愚かなハンドリングが災いして、反撃を食らうくらいなら、それはそのように相手のスピードに合わせて、文句をこちらから言いたい放題にすれば、これが意外と効果を発する。「オウムがえし」である。相手の攻撃に対して、あくまでも他人事のように言い分を、そのまま返してやる。すると、ババ連は黙ってしまう。相手が糠に釘なら、こちらも糠に釘。目には目を、歯には歯だ!

 いずれにせよ、ババ連とうまく付き合う方法。これは、我々にとって永遠の課題であり、その課題解決できる頃には、自分自身も老いて役に立たなくなっているような、そんな根深な問題を抱えている人生である。

 


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