


昨日の巨人と楽天の試合は面白かった。共にチームのエース格のピッチャーを充ててきた試合は、試合後半まで零点のままで進んだ。7回裏の巨人の攻撃でちょっとしたミスから、楽天の田中投手は巨人の高橋にツーランホームランをあびて、そのまま決勝打としてしまった。巨人の杉内投手は、9回を投げ切りノーヒット、ノーランという偉業を成し遂げ、そのままゲームを終了。流石に楽天の田中。惜しくも敗戦投手となってしまったが、その力はすごいものがある。同様、巨人の杉内投手も素晴らしいピッチングであり、おまけに一時は完全試合!?を期待される素晴らしい出来栄え。完全試合と言う点では、惜しくもチャンスを逸したが、そのプレッシャーたるや、我々が想像でいる圧力ではない。大きなストレスを感じながらの投球であったろう。
よくよく考えてみれば、9回の表、楽天の攻撃を三人で終えれば、そのまま巨人の勝利。おまけに完全試合がかかったイニング。調子よくツーアウトまで追い込んで、三人目のバッター。このバッターさえ獲れば完全試合。東京ドームには、たっぷりの巨人ファン。怒涛のような大声援に包まれ、バッターに向かってボールを投げる。恐らく、普通の者なら、この感性だけで舞い上がり、キャッチャーミットまでノーバウンドでボールを投げ込むことすら困難な状況であろう。過去にも数名の者しか達成できていない完全試合がかかっている。おまけにはちきれんばかりの歓声。
ここで少し落ち着いて考えてみよう!・・・・この大歓声、言ってみれば巨人が負けても勝っても、なにも傷つかない、損もしない単なる観客。ビールを飲みながらほろ酔い加減で、必死になって戦っている選手を眺めながら、それこそ勝手な独りよがりの妄想を抱いて、勝手にファンと称し、大騒ぎしている連中だ。まあ、大したこたア~ない!勝手に騒いでろ!と思えれば、それはそれで太っ腹。しかし、人間である以上、そうそう無闇な感情コントロールも困難である。
人間が受けるストレス。それを制したものが、この場合でも勝者につながる。プロと呼ばれる者には、技術と同時に強靭な精神力が求められる。この試合は如実にそれを物語っていた。
年老いてくると、人生のいろいろなネジレと言うか、不可思議な状況が見えてくる。若いうちは気にならなかった事柄も、歳とともに気になり始めることが増えてくる。例えば、食事の作法。今の若者、(先日は僕と同年代のおばちゃんでも、同じような無作法な食事をみた)の箸の持ち方、食事の姿勢、食べ方が成っていない。肘をついて食べる。片手を上げて食事を隠すように黙々と食べる。携帯メールを送受信しながら食事をする。前かがみになって器を持たず食事する。
端的に言って、今の無作法は、人間の食事ではないという点ですべてが間違っている。人として食事を楽しむ。と言う意味をもう一度、日本人のすべてが考え直すべきである。欧米では食事にかける時間が長いと言う。確かに個人主義の国、アメリカでも食事の時間を大切にしている。レストランにおいても、必ずと言っていいほど食前酒を楽しみながら食事を楽しみ、そこで話を楽しむ。ジョークを交えて馬鹿笑いするという会話ではなく、それなりに場の雰囲気を十分に考慮した会話を考えて話をする。ある意味、そこには知性や技術や経験と言う「技」を必要とする。それに引き替え、日本人の食事は、とてもあっさりとしている。ただ単に空腹感を満たすだけ。家族でともに食事しながらも「個」なのである。家族ならまだしも、たまに若いカップルでも、そのような場面に出くわすことがある。デートの最中だろうと思しきカップルに会話がない! ただ黙々とモノを口の中に放り込んでいるだけの姿は、見ててもさみしいものである。
僕が一番許せないのは、若者に対して、しっかりとマナーを教えることのできない年長者が多いこと。すべてに関し年長者が主体となって(支払いまでも)まかなうべきと思い込んでいる若者が多いこと。そんな殺伐とした味気ない、ただ客に食事を作って提供するだけで楽しむ演出を怠っているレストラン側と・・・日本人の食に関する気持ちは、これから先の社会を考えると、どこかで学び改善を要する問題だと思うのだが・・・・!!??
まあ、今に始まったことではないけど、銀行やスーパーマーケットの駐車場など、特に大きなショッピングセンターなどの駐車場には、必ず身体障碍者用駐車スペースが設けられているが、その駐車枠に若い人が当然の権利として駐車する光景を目にする。空いているのだから、だれが使っても良いのであるが、車いす利用者を搬送するうえで、時として邪魔になるときがある。まあ、その配慮のなさも若さゆえと理解するとして、常に僕なりに心配になるのは、元気で若いうちから「楽」をし続けることで、年老いてからの身体機能の如実な低下を心配するわけさ!
若いうちに歩く癖をつけていかないと、それこそ年老いてから身体機能を維持することが難しくなってくるよね!と勝手に心配し、それこそ、「余計なお世話!」と言い返されかねない事なんだが・・・また、慣れた奴なんかに注意でもしようものなら、若いうちから膝を酷使した結果、膝関節が摩耗して逆に歩けなくなったら、どうしてくれるんだ?!」と反論されそうだが、しかし、膝関節の摩耗よりも、体内に蓄積されたエネルギーの消費をどう考えるか? 特に楽をする若者に限って言えば、その大半が小太り又は小太り以上。あと10年もすれば生活習慣病と診断されるような体型である。
健康意識の高まりで高い月の会費を支払いながらスポーツジムに通い、余分なエネルギーを消費する。エネルギーを消費すれば当然のごとく腹が減る。空腹感はマクドナルドで満たし、気になる太りすぎを懸念するがあまりダイエットコーラを飲み、食後は黒烏龍茶で脂分を洗い流す。それでいて、疲れるからと、ショッピングに行けば入り口にできる限り近い場所を求めて、車を無意味に走らせる。ショッピングから戻れば、疲れた体を癒すがために昼寝する。十分な昼寝が功を奏して、都合よく夕食も食事がうまい。食べれるということは健康な証拠と勝手な言い訳をつけながら、たっぷりとエネルギー補給を行う。おまけに、一日の疲れを癒すために、ほろ酔い加減よりもチョコット多い目の酒を楽しむ。あ~ア、今日も一日健康でよかった、よかった!と床に就く。
何か違う!なんだか変な世の中、間違っているとは思いませんか?
今日から三日間、愛知県のポートメッセなごや(国際展示場)にて、第15回国際福祉健康産業展が開催されている。今日の朝から、うちの職員2名を同行し、会場をぐるりと回ってきた。今回のウエルフェアには、私なりに若干の期待を持って参加したつもりだが、実際に会場に赴いてみると、その規模の小ささに落胆してしまった。
今回は、身体的機能が重度化した利用者の移動、移乗に際し、介護負担を軽減するための機具と、足こぎ式車いすの導入を考え、ぜひ実際の商品を目で確認し、操作方法を見てみたいと思っていた。しかし、移動用リフト系は一点のみ、足こぎ式車いすは狙っていた商品を見ることができたが、わざわざ名古屋まで出向いて、駐車場料金を700円も支払って参加するメリットは感じられないものだった。
私がこの事業を始めたころは、もっと多くの出展社があり、疾患別の特別食の販売やら、障碍者用のユニバーサルデザインの食器など幅広く展示されていたものだ。もちろん、出展社側も商いだから、商売につながらないと判断すれば継続的に出展は出来ない。売れないから出展しない?出展社が少ないからモノを買わない?と、これは鶏と卵と同じで、問題の解決にはならない、単なる水掛け論ではあるが、しかし、それにしても、年々、名古屋の福祉機器展を見ていると、規模の縮小が目立ってきている。
これは、すべてが主催者や出展者側の問題化と言えば、そこに集まる客側にも大きな問題が隠れているように思う。展示会に参加する者の多くは、勉強を兼ねてライ書する者が多いように見受けた。要するに冷やかし客である。何だかんだと説明を求め、サンプルを集め、試食試飲するだけの客である。そして、以前に比べると介護施設関係者が減少しているように感じた。入館時に受付で、来場者を区分けするため介護施設関係者、一般、企業と数種類に色分けされたディカールを着けさせられる。今回は、金曜日だからかもしれないが、一般の入場者が大半を占めていたように思う。同時に、福祉関係者の面々を見てても、決裁権のない一介護職員が偵察に来ているような人も多く見受けられた。
見本市には、企業側はそれなりに出展経費をかけ、人件費など多額の費用を負担しながらの参加を行っているわけで、それこそ死にもの狂い。そんな場所だからこそ、見る側も死にもの狂いで徹底的に聞いて、見て、確認する行為が求められるのではないか?入場者側にも、お祭りに参加し、タダで試食してくるデパ地下で腹を満たすおばちゃん族のノリで参加するのでは、それこそ、見本市自体が縮小傾向になってしまっても文句は言えないところである。
まあ、こんな状況であるから、来年は名古屋には参加せず、東京か大阪の見本市に参加して、この太陽の家にフィードバックできる新たなアイデアや機材を探しに行こうと考えている。
僕は怒っている! 何に対してかと言えば、子供のしつけに関する今どきの親に対してである。
最近、常に感じることだが、今どきの親は子供を叱らなくなった。そして、自由奔放、何の制約もないのびのびした環境で子育てを希望する夫婦が多いようだ。今日の近所のスーパーマーケットでも、子供が走り回り、商品陳列棚の間でかくれんぼをしている。また、幼児が用事を乗せたベビーカートを母親から離れた場所で、それも単独で押している。狭い通路をやみくもにカートを押して歩く状況は、献立に迷いながら品定めをして買い物してるオッサン、オバサンには危険である。
どちらの方向に行きたいのかわからず、こちらの方が自分の思う方向を譲らなければいけない状況があった。まあ、100歩譲って、相手は幼い子供のやること。そんなに目くじら立てて憤慨する必要もないわけだが、それでも、親は何も言わない。こちらの方がハラハラ・ドキドキする状態である。
今どきの親の考え方はともかく、夕暮れ時のスーパーは、夕ご飯の材料を調達して、速やかに夕食の調理にかからなければいけない者ばかり。みんな結構、先を急ぐ者が多い中、子ずれの客にも同様の権利があるといわんばかり、または、公共の公園で子供を放つ親のように、本当に子供は自由に、思うまま走り回る。これは、はっきり言って「暴力」である。あなた方以上に、私にも安全に、そして速やかに買い物ができる権利がある。相手が無邪気な子供だから責任はないにしろ、それらのガキを管理する義務は親は持ち合わせているはずだ。これらの無頓着な(横着な?)親に声を大にして言いたい。
「あなた方の勝手な理論を掲げて、子供を放し飼いにするな!」と。