太陽の家

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ブログ-施設長の部屋

2012/6/3
今年初の蛇がでた!

こんな話、田舎に住んでいれば日常茶飯事、何にも珍しくはない話なんだろうね!実際、うちの家だって、50メートルも歩けば田園地帯。今は田植えも終わり水が並々と張られた水田ばかりの環境に住んでいる。当然、蛇もカエルもそれを捕食する大型の鳥も生存する。

 しかし。この蛇は。おそらく我が家の玄関わきの花壇に生息するのだろう。昨年も同じ場所にのたっていて、驚き、飛び跳ね、急いで場所から離れて大騒動したことを思い出した。昨年は、女房が火箸でつまんで、裏の田んぼに苦しに行く途中、火箸からすべり落として逃がしてしまった訳だが。その蛇と同じ、体長1メートルほどのシマヘビである。

 今年も登場した蛇。恐ろしくって近寄ることもできず、誰かに処分してもらおうと探した結果、うちのデイサービスの主任が、蛇は怖くないと言うので火箸を渡した。そんな僕の狼狽える姿を見てたデイサービスを利用するMさん。体大きいのに、なんで怖いの?!!???と・・・・図体デカくても怖いものは怖い!俺は蛇が大の苦手なの!と弁解しつつも、遠く離れた窓越しに、蛇をつかもうと火箸を持って追いかけまわす主任の姿を見守るだけ。

 俺を殺すのは簡単だ!なんせ、穴掘って、蛇を数匹放り込んだ中に突き落とせば、おそらくものの数分で精神錯乱で泡吹いて死ぬ!と思う。そういう意味では、僕はインディージョーンズにはなれない!大体からやね!ジャングルの中に入って行って、何が出てくるかもしれない場所に探検に行くなんて芸当は無理!それに、ジョーンズ先生、毎回、とても危険な目にあいながら、それに対するメリットって少なすぎるじゃない? まあ、僕の場合、いくら金を積まれたとしても、あんなところに行くのは真っ平ゴメンであるが・・・・

 まあ、とにかく、この蛇と長い間格闘してた主任。苦労の甲斐なく取り逃がしてじまった。お蔭で、僕は毎日、暗くなるころに家の玄関を通るのが億劫で仕方ない。億劫というよりも恐怖で仕方ない。周りを見渡し、蛇の影、動き、気配を見定めてから、思いっきり飛び跳ねるようにして素早く家の中に入ることにしている。

 小学校のころは、生まれたての蛇を学校に持っていき、授業中は僕の上着のポケットに入れて遊んでいたのに、どこからこれほどまで蛇を怖がるようになったのか分からない。そういえば、僕も蛇年生まれ。暑い夏は、これが一番気がかり。早く冬になってもらいたい、夏が大っ嫌いな理由は蛇の存在にも関係するのかもしれない。だけど言っておくからね、僕の蛇恐怖症を逆手にとって、給料のベースアップ交渉に蛇を持ち出そうと考えたら遺憾よ!その時点でベースアップどころか、クビだからね!(笑)

2012/6/1
1982年6月1日

今からちょうど30年前になる。この太陽の家の母体となる会社が設立された。僕一人のちっぽけな個人会社である。それまでの海外での生活や会社勤めの経験を生かして、第二の故郷であるアメリカから雑貨を輸入し販売する会社として始めた。その当時、地元の銀行と掛け合って1000万円の資金を借り入れ、それを元手に色々な雑貨を輸入した。30年前の鈴鹿って、どんなだったろう・・・・?自分でも不思議ながら、その当時のこの町を、あまり覚えていない。ただ、暑い夏、愛知県のとあるゴルフ場で開催されたフリーマーケットに出店し、氷で冷やしたスティックサラダを販売したら、フリーマーケットに取材に来てた東海テレビのスタッフに珍しがられ、取材を受けた記憶がある。スティックサラダなんて、アメリカでは一般的なのに・・・・と思った印象が今ものこっている。

 さて、たかが30年。しかし、この30年の間にはたくさんの出来事があった。僕一人で始めた輸入業と合わせて輸入雑貨の販売から、取扱品目がアンティークに変わり、アンティーク家具やカントリー家具にまで手を伸ばし、何度もアメリカの家具工房にも足を運び、日本における代理店契約を結び、その頃に個人業者から法人格を取得。有限会社として事業拡大をすすめていた。この頃は、日本は俗にいうバブル全盛の時代。何でもかんでも売れた! それまで貧乏な夢追い人だった僕のような個人事業主も、いっぱしの企業経営者のような錯覚に陥っていた。この頃からファッションと車が好きで、道楽と言われそうだが洋服と車に金をつぎ込んだ。

 そして、いつの間にかバブルははじけてしまい、一夜にして不景気になった。ほんとに、一夜でという表現が当てはまるような極端な変化があった。そう言えば、あの時に、地元のある起業家からメルセデスベンツのスポーツカーを5台。投資目的でアメリカから輸入する依頼を受けていた。あの頃は、日本全体で物がとてつもない値段で売り買いされていた時代である。一億も二億も簡単に設けることができると思い込んでいた。アメリカ国内で苦労して5台のベンツを押さえたとき。バブルがはじけた。依頼主も金の工面がつかず逃げた。僕にとって生まれて初めて味わった最低最悪の瞬間である。背筋が凍りつくような、頭の中は真っ白になって、何をどうするべきか考えることすらできない状態だった。

 食うに困る時代。何も買えない。食いたくても食えない。一番つらい時代があった。年金も税金も保険さえも支払えない時代があった。今、芸人の母親が生活保護を不正受給していたと騒がれた。僕も生活保護の受給までは無理だった(親が多少なりとも資産を持っていたから)が、僕の一番貧困な時代は1万円を握りしめ一か月過ごす。そんな生活を長い間続けなければいけなかった。人を羨むことはなかったが、自分自身が恥ずかしいと思うことはあった。何とか、そんな境遇から抜け出したかった。滞納する税金を回収にくる行政担当者のさげすむ目が厳しく突き刺さった。とても悲しかった。

 30年の年月は、そのまま僕の顔のしわとなり、人相として生きた証が現れる。短いようで長い期間。問題だらけ、立ち向かっても、立ち向かっても、乗り越えることができず、空すべりの連続の中。自分自身の支えとなってきたのは、唯一、プライドだけである。僕の持つプライド。それは、この58年間の生涯をかけて積み重ねてきた生活。そのものが僕の大切なプライドである。ひとには自慢できない程ちっぽけな人生ではあるが、自分が生きたきたなかに悔いはない。これから、どれほど先まで続くか見えない将来だけど、仮に僕の一生が潰えても会社は残ってほしい。いく代も重ねて少しづつでも良い、成長していってもらいたいと願っている。

 今日の6月1日。アルファルファは、この鈴鹿の地に生まれました。30周年。ささやかながら、ぼくの心の中だけでお祝いをしたいと思っている。

2012/5/31
介護職員さんは個人事業主?!

看護師や医師は業務独占。(業務を独占するという意味ではない!念のため) 社会福祉士、介護福祉士は名称独占。要するに医師や看護師ってのは免許を持っていないと業務に就くことができない職業であり、介護福祉士や社会福祉士ってのは、免許はなくても同様の業務は行えるが、その名称を名乗ることは出来ない職種である。そして、これらの職種の人々は、言ってみれば個人事業者なのである。医師や看護師は〇△□病院で働き、介護職員は全国に散らばる介護施設で働く。その道のスペシャリストであり、そこそこ経験と知識を求められる点では医師も看護師も介護職員も、ほぼ同じである。しかし、前にも書いたように、何が何でも〇□△病院や××老人施設でなければ働けない!と言うわけではない。

 社会福祉士や介護福祉士の資格に合わせてケアマネジャーの資格を持っていれば、全国のどこの施設に行っても、ほぼ同じ内容の業務を行うことができる。だから個人事業者と言っても差し障りないのである。この個人事業者の集合社会が病院や施設を構成しているわけだから、離職率が高く、定着率が低い現実が問題となっている。当太陽の家においても同様、職員の定着率は、今でこそ安定はしてるものの、以前は糞ミソな状況で、職員同士のイザコザ、労使関係は最悪な時代が存在した。

 今、毎日曜日ともなると新聞の折り込みチラシに混ざってくるのが寄合空人情報チラシである。本当に多くの福祉施設や病院が看護師や介護職員を募集している。入れても入れても辞めていく職員。それはそれで仕方ないことではあるが、事業主にとってみれば、この求人チラシの経費も馬鹿にならない。結構な金額を支払い、結構な経費を負担しながら新入職員を育てている。ようやく一人前となって仕事をしてもらえる頃となると退職を告げられる。経営者、管理者にとって一番心臓に悪い瞬間である。

 ここで問題としたいのは、ここの人材が、その働く施設や組織のために働いていない点である。働いていないのか、働かせていないのかは後で述べるとして、看護師は患者のために自分の生きがいを設定し、介護職員は入居者の高齢者に焦点を当てて業務を行っている以上、そこにはチームワークは存在しない、ましてや、その施設がどうなろうと、知ったこっちゃない!のが職員ン側の言い分である。確かに、職員を一つの意志のない道具と考え、時間さえ努めてもらえればよい!と思い込んでいる経営者の元では、働く意気込みにも影響を及ぼすし、生き甲斐すら見出せない環境である。だからと言って、職員を育てようにも、トップ人事が考えるほどスキルアップや考え方の改善は容易ではなく、それこそ血の汗を流す努力を必要とされる難行である。経営者からすれば、これくらいの事、なんで理解できないんだ!と声高に喚き散らしたくなる気持ちも理解できる。

 しかし、よくよく冷静に考えてみれば、施設あっての要介護者、要看護者であり、その中でお互いが専門性を駆使して必要なケアとキュアを執り行えることがベストで必要不可欠な問題であるとするならば、お互いにさらに歩み寄れる妥協点を探らずして、提供サービスの質の向上はあり得ない。行政が打ち出している雇用改善交付金など「金」の問題ではないようだ。(もちろん、ここで働く以上、その職員にも生活していかなければいけない責任がある。だからお金も必要である!)が、それでも、そこそこ居心地の良い働き場所が存在するならば、そこの場所で仕事を認めてもらいながら業務に合った金額の報酬を受けることができれば、それこそ一番理想とする職場となるのではないか!と考えている。

 キャリアパス制度は、紙でそろえるのではない。職員の中に息づいて職員の目標とされるものでなければいけない。まだまだ開発途上ではあるが、太陽の家は、さらに職員の生きがいを追及して働き甲斐のある施設として改善に改善を繰り返していく。

2012/5/31
巨人×楽天の試合

昨日の巨人と楽天の試合は面白かった。共にチームのエース格のピッチャーを充ててきた試合は、試合後半まで零点のままで進んだ。7回裏の巨人の攻撃でちょっとしたミスから、楽天の田中投手は巨人の高橋にツーランホームランをあびて、そのまま決勝打としてしまった。巨人の杉内投手は、9回を投げ切りノーヒット、ノーランという偉業を成し遂げ、そのままゲームを終了。流石に楽天の田中。惜しくも敗戦投手となってしまったが、その力はすごいものがある。同様、巨人の杉内投手も素晴らしいピッチングであり、おまけに一時は完全試合!?を期待される素晴らしい出来栄え。完全試合と言う点では、惜しくもチャンスを逸したが、そのプレッシャーたるや、我々が想像でいる圧力ではない。大きなストレスを感じながらの投球であったろう。

 よくよく考えてみれば、9回の表、楽天の攻撃を三人で終えれば、そのまま巨人の勝利。おまけに完全試合がかかったイニング。調子よくツーアウトまで追い込んで、三人目のバッター。このバッターさえ獲れば完全試合。東京ドームには、たっぷりの巨人ファン。怒涛のような大声援に包まれ、バッターに向かってボールを投げる。恐らく、普通の者なら、この感性だけで舞い上がり、キャッチャーミットまでノーバウンドでボールを投げ込むことすら困難な状況であろう。過去にも数名の者しか達成できていない完全試合がかかっている。おまけにはちきれんばかりの歓声。

 ここで少し落ち着いて考えてみよう!・・・・この大歓声、言ってみれば巨人が負けても勝っても、なにも傷つかない、損もしない単なる観客。ビールを飲みながらほろ酔い加減で、必死になって戦っている選手を眺めながら、それこそ勝手な独りよがりの妄想を抱いて、勝手にファンと称し、大騒ぎしている連中だ。まあ、大したこたア~ない!勝手に騒いでろ!と思えれば、それはそれで太っ腹。しかし、人間である以上、そうそう無闇な感情コントロールも困難である。

 人間が受けるストレス。それを制したものが、この場合でも勝者につながる。プロと呼ばれる者には、技術と同時に強靭な精神力が求められる。この試合は如実にそれを物語っていた。

2012/5/31
若い連中の思い込み

年老いてくると、人生のいろいろなネジレと言うか、不可思議な状況が見えてくる。若いうちは気にならなかった事柄も、歳とともに気になり始めることが増えてくる。例えば、食事の作法。今の若者、(先日は僕と同年代のおばちゃんでも、同じような無作法な食事をみた)の箸の持ち方、食事の姿勢、食べ方が成っていない。肘をついて食べる。片手を上げて食事を隠すように黙々と食べる。携帯メールを送受信しながら食事をする。前かがみになって器を持たず食事する。

 端的に言って、今の無作法は、人間の食事ではないという点ですべてが間違っている。人として食事を楽しむ。と言う意味をもう一度、日本人のすべてが考え直すべきである。欧米では食事にかける時間が長いと言う。確かに個人主義の国、アメリカでも食事の時間を大切にしている。レストランにおいても、必ずと言っていいほど食前酒を楽しみながら食事を楽しみ、そこで話を楽しむ。ジョークを交えて馬鹿笑いするという会話ではなく、それなりに場の雰囲気を十分に考慮した会話を考えて話をする。ある意味、そこには知性や技術や経験と言う「技」を必要とする。それに引き替え、日本人の食事は、とてもあっさりとしている。ただ単に空腹感を満たすだけ。家族でともに食事しながらも「個」なのである。家族ならまだしも、たまに若いカップルでも、そのような場面に出くわすことがある。デートの最中だろうと思しきカップルに会話がない! ただ黙々とモノを口の中に放り込んでいるだけの姿は、見ててもさみしいものである。

 僕が一番許せないのは、若者に対して、しっかりとマナーを教えることのできない年長者が多いこと。すべてに関し年長者が主体となって(支払いまでも)まかなうべきと思い込んでいる若者が多いこと。そんな殺伐とした味気ない、ただ客に食事を作って提供するだけで楽しむ演出を怠っているレストラン側と・・・日本人の食に関する気持ちは、これから先の社会を考えると、どこかで学び改善を要する問題だと思うのだが・・・・!!??


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