ここ数日は夜、結構涼しく網戸だけで眠れる気温。エアコンかけっ放し、喉カラカラの状態から脱することができて助かっている。暑い夜は寝苦しい、首筋にじっとりとにじむ様な汗で、夜中に目覚めることがある。しかし、ここ数日の夜は、結構快適な睡眠が確保されているのである。夏さかりの夜には珍しい数日です。
さて、そんなさわやかな夜には全く関係ないお話であるが、介護と慈善事業の違いについて少し触れてみようと思う。介護の現場では、時々経営者側と職員側との間に摩擦が起きることがある。場合によっては労使問題に発展しかねない非常に難しい局面を含んでおり、下手すれば職員がまとまって退職する危険性を持ち合わせている問題である。簡単に言ってみれば、介護業務の深度の問題である。この問題は、経営者側には、介護の質と量(特に量)を金銭に置き換えて評価していること、逆に職員側はそれらの量や質を満足度と達成感として評価している点で、換算方法の違いから、互いに交わるところは無い問題を相互がぶつけるところから、感情のもつれに発展しやすいデリケートさを含んでいるのである。
もちろん経営者とて「鬼」ではないし「金の亡者」でもない。社会福祉たるや、何を意味するかは十分に理解している。同時に介護現場の職員とて、すべてを無料奉仕しているつもりはないことは承知の上である。それでも、相互の意思の疎通は図れない状況ってのは、なぜ起こりえるのか?そこに常に存在するのが直接処遇者の感情と、それを管理するだけの関節処遇者の感情の違いが大きく影響を及ぼしている。直接処遇者は、日々の業務の中で生産業の従業員のように決められた工程を実行するだけでなく、そこに要介護者の人生や人間観が関与するからこそ、業務ではないかもしれないが、遠く巡り巡って自分たちの業務関係してくる要因を見つめざるを得ないのである。介護業務がヒューマンサービスと言われる所以である。
介護職員たちの多くは、業務遂行の中で、要介護者の環境、既往歴、現病を基本データとして取り込み日々の業務に生かして業務を行っている。一人として同じ境遇の人間がいないように、高齢者に限っても同じようにすべての利用者には尊厳すべき「個人」を持って生活しているのである。今の福祉は個人の尊厳を言われ、人格の尊重を重視している。言ってみれば、介護の業界はすべてにおいて、ハンドメイドでありオーダーメイドの社会である。職員は労働者ではなく職人を目指さなければならないのである。専門職であり、同時に職員であることが求められる社会で、なかなか金銭的に境界線を設けることが難しい現状が存在するわけである。
逆に経営者および管理者の意識として根底に流れるものは、すべてが数値化されている点である。日々、延べ人数、介護報酬額、人件費、運営経費はもちろん、行政指導を受ければ、それ相応のデータを示さなければならない。他者の評価という抽象的なモノが通用しない世界に生きているわけである。ずいぶん昔の洋画でトムクルーズが主演者エイジェントと言う映画があった。アメフトの選手の代理人として、チームに売り込む苦悩と困難を描いたものであるが、その映画の中で黒人選手がトムクルーズ演じるエイジェントに電話で叫ぶのである。「SHOW ME The Money!」。要するにファンの数では飯は食えない!まず『金(契約金)』をみせろ!と叫ぶのである。経営者、管理者はまさしく、この世界に生き、苦悩する毎日である。
このように住む世界が違う。と言ってしまえば、それに尽きるわけだが、だから関係の改善は望めない!と諦めてしまっては、一番の被害者は、その施設を利用する利用者である。労使間の関係改善と円滑な経営の両立を推進するためには、お互いがお互いの専門性を尊重し合い、それぞれが協働する意識の構築が重要であろう。実際、同じ屋根の下で、共通する課題を掲げ、意識的に共通する現場の環境改善を念頭に働いているわけで、奇しくもお互いの関係は戦場における敵対関係ではないのである。個人情報の保護と尊重という現代風社会通念に阻まれ、同じ職場で働くもの同士も深く同僚を理解していない現状も壁を作る要因となっているからこそ、普段からのコミュニケーションの質と量が大きな課題となってくる。
まず経営トップは自分の考えを明確に打ち出す事。そしてすべての職員と公平に渡り合うこと。
常に自分はこのように考えるという方向性を事例を持って分かりやすく、明確に打ち出す。ただし、そこに自慢話を含まないことは言うまでもない。そこに働くすべての人に、まずは自分を開示することが必要である。他人を変えることは困難であるが自分を変えることは比較的簡単にできる利点を生かし、先ずは自分を見つめなおし、職員の方向に歩み寄る姿勢は持ってもらいたいのである。
今時の若者は!と嘆くよりも、いまどきの若者の良い点を見つけ、その良い部分の成長を促してあげることを望みたい。今、こうやってブログに知ったようなことを書きながらも、自分自身に問いかけ、ブログを公開することでうちの職員には、さらに理解を深めることを約束することで、自分自身をある方向へ無理やりにでも押しやっているわけである。すべてが数字ではない。しかし、数字も重要であり、それによって僕は職員の給料を確保しているのである。この点も理解いただければ、万事がうまくいく!と信じている。
67年も前になってしまった広島原爆の日。先日、8月になって直後にブログを更新して、少しのんびりとしてたら、もう世間は6日となっていた。浦島太郎の気分である。今日の新聞紙面に「原爆の日」の活字を探そうにも、大半にオリンピック報道が占め、原爆の日のコメントは、社会面の片隅に小さく書き込まれているだけであった。風化しつつある太平洋戦争や原子爆弾の投下。時代は確実に変わってきている。オリンピックに出場する選手を見てても、我々の時代の人間とは違う、新世代の人間たちを感じてしまうのである。これも加齢という産物なのか?!
そんなロンドン・オリンピック、日本人は本当にオリンピックがお好きな人種な様だ! 中日新聞の社説にも書かれていた日本人のオリンピック好き。ネット情報によれば、昨日の女子マラソンの視聴率が22%ちょいで、同時刻のNHKの平清盛を食ってしまったそうな・・・。総理大臣がころころ変わり、合わせて国務大臣も七変化のごとく色が変わる日本。あっちにフラフラ、こっちにフラフラと一向に一途な改革は起こりそうにないにもかかわらず、そんな日本でも国際試合の場ともなると、やっぱ日本人選手を応援してしまうわけだ。もちろん、僕だって日本人選手がメダルを逃すと悔しい気持ちになる。ましてや金メダル候補と前評判の高かった選手がこけると、逆に腹立しくなるほど、熱烈な日本人選手びいきである。では、なぜ、それほどまでにオリンピックに期待するのか・・・?
元来、選手の中で馴染みの選手を探す方が難しいくらい、日本の社会においてアマチュアスポーツ界ってメジャーではないではないか! 北島選手やなでしこジャパンくらいは、最近メディアで紹介されている関係で知名度は高い。しかし、他の選手なんて、それほどスポーツニュースに注目していない一般中年のおっさんにとってみれば、どれもこれも皆同じ。失礼ながら、本当にそんな程度の視聴者の一人でも、やたら日の丸の旗に固執してしまう。オリンピックってのは、魔物が会場に住んでいて、テレビ画面のこちら側には別の魔物が日本人視聴者の心をもてあそんでいるのではないかと思うわけです。韓流ドラマの主人公に恋焦がれている日本人のオバちゃんたちも、オリンピック放送によって韓流ドラマが流されても、黙って受け入れるほどだから、この日本人のオリンピック熱ってのはすごいものなんだと想像できる。
あと7日。世のオジサン、オバサンの夜更かしも後一週間。一週間が過ぎれば、今度はお盆。世の中はお盆休みと帰省ラッシュの話題で盛り上がるのだろうな!やっぱり、どちらにしても日本人は、群れることが好きなようだ。民族が一丸となってあっちにころころ、こっちにコロコロ・・・みんなが同じ方向に向いてないと安心できない人種なのかもしれない。
今年は、いつになったら熱くなるんだろうと思いながら、例年なら蒸し暑くって仕方ないころに、まだ長袖でないと肌寒いと思っていたのが、ここにきて急に暑くなってしまいました。毎日新聞をにぎわすのが、猛暑日の話題や熱中症の話題。街中で救急車を見かけると、また熱中症で誰かが倒れたか?と思ってしまう程の猛暑ですね。先日の午後、用あって近くの病院を訪れた時のこと。エレベーターに数名の人達と乗り合わせたのですが、どこからともなく汗の臭いが漂い始め、次にドアが開くまでの数秒間というもの、さすがに「夏」を実感する場面に遭遇したわけです。もちろん、僕自身も汗臭かったことだろうとは思いますが・・・
さて、話は汗臭いエレベーターの話ではなく、寝苦しい夏の夜に重ねてロンドン・オリンピックのテレビ中継の影響で、ついつい夜更かししてしまう毎日なのですが、日本人の多くの人は同じように、ついつい夜更かししてしまってるのでしょうね。眠い目をこすりながら、時折、テレビの実況アナウンスが、す~っと意識の片隅から消えていく瞬間を感じつつ、ハッと我に返り、もう一度テレビ中継を見つめなおす。そんな時間を過ごしています。
あれほど、省エネモードで節電に気配りを!と叫ばれながらも、ハッと気づいた時には、それまで見ていたはずの競技が終わり、番組まで替わっていたってことは無いですか?僕は、そんな状況、何度も経験しています。何にも省エネではない。逆にさっさと寝てしまえば良いものを・・・金メダルを求めて限界の中でもがく日本人選手をみてると、節電も忘れて応援したくなるものなんです。とは言っても、結果的に居眠りしてるだけなら、応援も何もあったもんじゃないのですけどね!
野球を見てても、オリンピックにしてもそうですが、観戦する方は気楽なものです。ビール片手に、さきいかを肴に、ほろ酔い加減に調子づき、言いたい放題。時には大声で怒り、感激に叫び、そして監督でもないのに、ちょっとしたプレーに注文を付ける。まあ、僕も世の中の親父族と言われる年代、スポーツ観戦は、あくまでも他人事、それでいて結果に一喜一憂する気楽な年代なんです。協議してる選手は必死なのに・・・そう考えると、ちょこっと反省して、今後は襟を正してもっと心を込めてオリンピック日本代表選手たちの応援に励みたいと思うのです。明日からは・・・・もっとマジメに!心を込めて!・・・・・ふにゃふにゃ・・・・
普段から、いろいろなお年寄りの介護に精いっぱいの努力を、ありがとう。皆さんの支援によって多くのお年寄りたちが、毎日元気に生活を維持できていると確信しています。さて、精いっぱいの努力を頂きながら、更なる理解を求めるには、それなりの理由があります。まず、今の介護業界の現状を考えると、市内に増え続ける新規デイサービスセンターやグループホームなどの小規模施設の立ち上げです。増え続ける高齢者の受け皿づくりと、今後さらに増加するみこみの認知症高齢者を支える専門施設としての整備が進められているわけです。たくさんの同業施設が増えてくることは、そこには市場原理として「よりサービスの良い事業所に利用者が集中する」という現象が見えてきます。今すでに、その施設のサービスは兎も角、立地によって待機者の数に差が生まれようとしています。お陰様で、この太陽の家は、鈴鹿市内の中心部に立地し、ショッピングや交通の便を考えても、とても有利な立地条件化に位置します。しかし、問題は、これから先の話です。現状に満足し、今の環境に胡坐をかいてしまうことで、いつの間にか気が付いた時には、地域の中の同業事業所に大きく溝をあけられてしまった!と言う失敗は見たくはありません。今、他事業所との格差が微小であり、そのいづれもドングリの背比べ的状況下では、どこの施設を利用しても大差はないのですが、ここで皆さんが先々を見据えて、もう一段階のステップアップを達成してもらえれば、業界でのイニシアティブを獲得することとなると信じています。
我々の求めるものは、立地条件はOK!しかし、提供されるサービスの質によっては利用を遠慮される方もあり得るという点を考えていかなくてはなりません。ただ単に同業各社の中で企業として生き残るだけではなく、この社会福祉事業として地域に貢献し、この地区の社会福祉全般を担うだけの技量と自信を得ることは、ここに働く職員さんのサービス提供者としての自負心にも大きくつながることと信じています。
以前、私はブログの中で書いたことがあります。サービスもへったくれもなく不味いラーメンを販売していて金をとるな!と。まさしく、この理論が必要不可欠な時代なのです。国により、地方行政により、国民の多くの血税を介護保険事業に使わせてもらっているのです。ただ時間さえ満たせば(サービス提供時間だけ滞在するだけの状態)介護保険から同一の報酬が確約されている制度上の問題はあるにせよ、だからと言って、文句言われないから最低レベルの帰順させ満たせばよいという考え方に明日はない!そのような気概で前を見つめてもらえなければ、日本の高齢者福祉は破綻することは目に見えています。そして、この理論が浸透しない介護職の人が要介護者となった時に、今、要介護者が心に秘めている同じ不満感を味わうこととなるのです。
人間の欲求を100%満たすことは不可能です。しかし、100%に近づける気持ちを維持することは可能です。自分の独りよがりではなく、複数の者が同じように満足できる到達点を求めて、ともに学びを進めていかなければいけません。このように、私は考えるのですがいかがでしょうか?
うちの居宅のケアマネが昼食時に帰ってくるなり、「ブログネタ!獲ってきました!」と嬉しそうに言う。彼女のことだから、きっとうちの年配の看護師のおふざけ写真と思いきや、掲載した信号機の写真だった。彼女の話によると、今朝がたの雷鳴とどろく雨空の中、居宅の業務で出かける際中の出来事だったそうで、幹線道路を走行中に赤信号で止まった途端に、写真の通り、交差点のすべての信号が消失したそうだ。幹線道路だから、その時の車両走行量も多いはずが、信号が消えても、しっかりと全社停止し、交差する側の道路から、適当な時間だけ往来があり、また車両が自発的に停止し、幹線道の方の車列が動き出したそうだ。誰が支持するでもなく、その場に居合わせたドライバーが、指示なく規則正しく走行していた。と言う点でびっくりしたとコメントしていた。
普段は黄色信号はすすめ!のドライバーマナーを嘆きながらも、いざと言うときには秩序を持って運転できるんだ!という驚きがブログのネタだそうだ。