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ブログ-施設長の部屋

2013/4/27
旅客機・・・飛行場・・・

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羽田空港でのショット。 何の図柄がデザインされているのかは忘れたが、とにかくド派手な飛行機が飛び立っていった。

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これも羽田空港のスナップショット。オブザーベーションから見た駐機中の787機。期待不良で空を飛べなくなる前の画像だから、結構古い写真であるが、あの当時は787にあこがれをもって眺めていた。飛び立つときの主翼のしなりや、いろいろな部分でとても興味があった。

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これはセントレアの駐機場でのスナップショットである。飛行場ってどれも同じように見えるが、これでいて結構、その場所によって特徴がある。滑走路の向こうの景色や駐機場にあるゲートなどの様子が、それぞれの飛行場によって顔が違う。写真では伝わってこない、ジェットエンジンの音や轟音、カーゴ車両の走る音など、いろいろな音が聞こえてくる。いつも、飛行場に行って、飛び立つ準備が整った飛行機から順にエンジンの高鳴り、専用車両によって押し出されていく飛行機を眺めていると、今にも自分もどこか遠くに旅立とうとしている気分になれる。美香氏の僕のブログでも書いたと記憶しているが、その昔、サンフランシスコで生活していたころ、ホームシックとなって家を思い出すと、飛行場に行ってはボーディングゲート近くの椅子に座って飛行機を眺めていたことを思い出す。

飛行場には色々なドラマがある。喜びも、悲しみも、エクサイトメントも感動も・・・あの鉄の塊が空を飛ぶなんて・・・と言う方もいるが。僕は、あの流線型の機体と天高くそびえる尾翼を眺めていると、本当に美しいと感じてしまう。飛行場を鑑賞するには、井丹空港のオブザーベーションが面白い。旅客ターミナルとは、滑走路をはさんで反対側に滑走路沿いに設けられているオブザーベーションは飛行機の理発着を眺めることができる。それこそ、飛行機好きにとってみれば、お弁当を片手に一日中でも飛行機を眺めて過ごせる、格好の場所である。

2013/4/26
ブロガーとして・・・

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僕もなんだかんだ言いながらブロガーの一人なんだよね!昨夜、パソコンで自分の過去のブログを読み返してみた。まあ、誤字脱字の多いこと。これは、自他ともに認める、僕の抱える弱点なんだ!そして、過去のブログに写真の少ないこと!これについては、某パソコンのソフト開発会社の社長にアドバイスをもらって以降、ブログを如何に見やすく、読む気になってもらうか!を心がけるようになったからなんだ。まだまだ、自分の書く文章力も未熟で、読み進むうちに意味ぷ~な点も多く、過去のブログを読み返すと冷や汗が流れる場面も多くあった。

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ブログってのは、書いてみると意外に難しいものである。過去の自分のブログは、自分自身の感情的な熱い部分は表現されているものの、そこに中身が伴わない場面が多かった。思い付きを書いているから、そのような散文となってしまったのではないかと自分なりに理解している。僕のブログの当初の目的は、うちの職員さんへのメッセージであった。自分なりの考え、それも介護に限らず、お遊びや趣味嗜好の部分も含め、自分自身を理解してもらうことを第一目標としていた。その当時、うちの職場の人間関係はもめにもめていた時代である。個々の職員の介護に対する熱意は、強烈すぎるほどあった。しかし、その方向性がバラバラであった。個人の考え方がバラバラで、向かう方向を見失っていた時代である。その一番の原因は、自分自身が職員の中に受け入れられていなかったことだろう。専門職が混在する職場において、それぞれの専門性を発揮するにあたり、必要とされる方向またはポイントに集中的に無駄なく注ぐことができなければ意味がない。すべてが空回りする。協働という意味でもチームワークが形成されていなかった。そのような時代である。

だからブログで考え方を示したことが功を奏したとは言わない。そんな大それた事云えません。しかし、このブログは少なからず組織を引き締めるためには役に立った。そして、ブログを呼んだ職員たちは、個々人が自分なりに考え始めた点が大きな変化につながっていったと考えている。この職員が考え始めるという行為は、自分たちの行いを反省(・・・そこまでは疑問ではあるが・・・)見直し、気づきに結びつき、結果として自分なりに疑問を持つようになった。

僕は、この疑問を持った職員たちを褒めてあげたい。職員たちは、そこから自分で学び始め、お互いが話し合うことを始めた。誰が支持したわけでもなく。要するに僕のブログは、職員たちの話題の種をまいたことと同じ作用を及ぼしたようだ。この種が、時とともに芽生え、成長していくこととなるわけだが、その途中でもいろいろな問題は起こってくる。本当にいっぱい、それも留まることを知らない洪水のように湧き上がってくる悩みの連続は継続される。しかし、一度方向性が固まると、以前経験したような苦しみもがき改善に翻弄することなく、話し合いの場で解決していくようになった。

僕は他の事業所の管理者の皆さんに、この方法を見習ってもらいたいとは言わない。しかし、年寄りの介護を真剣理解し、そこの場所に右往左往する現場職員たちの気持ちを諮り、理解する努力は、管理者・経営者には必須ではないかと考えている。制度に縛られすぎる経営も、決して介護の質の面ではよくない。実際、高齢者福祉は儲からない! つぎ込む労力を時給換算すれば自然と理解できる。以前ある人が言った。高齢者福祉ってのは、砂漠に池を造ろうと水を注ぎ続ける行為と同じさ! そこまでひどくはないにしても、部分的に納得できるのである。そして、そのような状況下で介護者の持つエネルギーの補充を行ってあげるのが、経営者の役割ではないかと考えている。

2013/4/25
田植え時期

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風混じりの雨が、昨日一日この地方でも続いていた。個人的には雨の日より晴れた日の方が好きなことは誰しも一緒。でもこの時期の鈴鹿は田植えの始まりのころ。そろそろ田植えが始まっている。太陽の家の裏(南側)にはグリーンベルトゾーンと呼ばれる農振地域が確保されていて、広大な土地に稲が栽培されている。要するに、裏はすべてが田んぼ!ってことである。その田んぼに水が張られ、田植えの準備万端ってとこである。おそらく暑い夏の盛りには、新米が収穫されることだろう・・・

話は変わるが、この時期の緑が一番鮮やかできれいである。とても新鮮な緑を放っている。そして、水を張った田も夜の月明かりの中では、大きな池のような様相を作り出している。少し離れた町の明かりが反射し、月の光を受けて微妙な輝きを放っている。これが日本の春だ!ってな具合に感激も等しい。と、そのような中、夜の田んぼの散歩は恐ろしい。蛇が出てくる。水をふんだんに蓄えた田んぼに生きる小動物を狙って、夜間にニョロニョロと動き出す。アダムとイブの時代から蛇は存在するようで、僕はこの蛇が大の苦手。これほど恐ろしい生き物はいないと思っている。

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さて、このような状況下で夜道を散策するときに足元を照らすライトは必要か?というくだらない質問をしてみたい。貴方も僕と同じように蛇のことを恐れるタイプの人としよう。蛇をいち早く察知するために明るく足元を照らすライトは必要不可欠と考えるのか?それとも、知らぬが仏と言うではないか、怖いものをわざわざ照らし出さずとも、見えなければ怖くないわけだからライトは不要と考えるか?この選択肢のいずれを貴方なら選ぶのだろうか?実際、僕も非常に悩んでいる。見えなければ、わざわざ見なくても済む。しかし、見えない暗闇の中で、ひょっとしてアクシデントで蛇を足で踏みつけてしまったらどうしよう・・・・?!ってなわけだ。

どう~でもいい疑問を考えている僕。これは暇な証拠?それとも平和な証拠・・・・?    いやいや、違うのですよ。僕が言いたいのは、介護の現場では、このようなジレンマが無数に存在するのです。どうでもいいような問題に見えるかもしれない些細な課題。それを真剣に悩まないから、ことが重大に発展することが多いのです。フェイルセイフとかコンプライアンスとか、リスクマネージメントと言われる分野がこの例に当てはまる課題なのです。お年寄りは健康な若者より「壊れやすい」または「衝撃に弱い」。普段何気なく行っている介護が、選択ミスを起こすことで、大きな事故につながることも多い。

介護者は、気づきに結びつかない些細な変化や異変について、もっと神経質になるべきだ。それ程のこだわりを持って業務を遂行する必要があるってことを学んでほしい。見えなければいい!でなく、しっかりと目を見開いて察知する。感知する!理解する! アンテナは高く、レーダーは広く!です。

2013/4/24
地域の中心的な認知症の人の拠点になるために

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さて何ができるか・・・?認知症の人は決して特別な人ではない。我々と同様、いたって普通の人間であり、人である。この考え方が一般市民おなかに浸透しきっていない現状が存在するだけではなく、今でも認知症の人との接し方が分からずに悩み苦しむ家族は多く居る。認知症ってのは、非常に判断がしにくいのが問題と言えば問題ではある。年齢に応じた物忘れまで「認知症」に直結させる人が多いのが、その証拠である。もともと認知症って状態がクローズアップされてきたのは、医療分野の研究や技術が向上することで、人間の寿命が延びたことから、認知症を患う人が増加したわけで、それまでの社会は医療が充実していないことから、多くの高齢者たちは年齢の積み重ねとともに病に倒れ、死に至ることが大半であった。それが、今どき、癌でさえ早期発見、早期治療を行うことで完治する時代である、人は昭和の初期に比べ長生きし、同時に市民の健康意識の高まりから定年退職の年齢さえも先延ばしする時代である。

認知症は人間の脳細胞の気質変化に応じて起こり始める記憶障害だけが一般に普及してしまった結果、単なるモノ忘れさえも認知症と叫ばれ一大事件とばかりに家族の大きな問題としてしまう傾向がある。極端な隔離、幽閉、や叱責などの行為は、年寄りたちの精神状態を極限まで追い込む結果となり、それまで問題とならなかった精神的不安定さがクローズアップされてしまう結果となるケースが多い。認知症の場合、ケアする側が家族という場面が多く、家族であるが故のストレスや多方面の負荷は、第三者による介護に比べても大きくのしかかることとなる。これは、家族の気持ちの中に苛立ちを生み、そのことが虐待や身体拘束などに結びつくことが多い。

さて、そのような状況に陥る認知症の人は、良い状態、悪い状態を見極めることが重要である。

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認知症の人の悪い状態の時・・・・

 ◎ がっかりしている時や悲しい時にほったらかしにされている状態。

 ◎ 郷土の怒り

 ◎ 不安

 ◎ 恐怖

 ◎ 退屈

 ◎ 身体的な不快感

 ◎ 体の緊張、こわばり

 ◎ 動揺、興奮

 ◎ 無関心、無感動

 ◎ 力のある他人に抵抗することが困難

次に認知症の人の良い状態とは?

 ◎ 表現できること

 ◎ ゆったりしていること

 ◎ 周囲の人に対する思いやり

 ◎ ユーモアを示すこと

 ◎ 創造的な自己表現

 ◎ 喜びの表現

 ◎ 人に何かしてあげようとすること

 ◎ 自分から社会と接触する

 ◎ 愛情を示すこと

 ◎ 自尊心(汚れ、乱れを気にする)

 ◎ あらゆる感情を表現すること

・・・・・・さて、気が付いてもらえただろうか・・・・この良い状態も、悪い状態も、私たちの世代、健康な若者、誰にでもあてはまる事柄ではないだろうか?認知症ってのは「特別なもの」ではなく、いろいろな病態を見せるものの、そこにいるのは普通の人間であるということ。まず、この普通の人であることを今回のキーワードとしたい。

2013/4/23
うちのワンコ達

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うちには小型犬のミニチュアダックスが3匹いる。朝4時頃の新聞配達のバイクの音に反応し、吠える! 少し興奮した後落ち着きを取り戻すが、一時間後にはおしっこのために吠え始める。ここまでくると、そのまま放置できなくなる。なんせ喧しい。僕の部屋は二階にあって、ワンコ達は一階のフロアで生活する。この合図とともに起こされて、目覚めのオヤツを食べ、朝の7時半に朝食。お昼休憩の時間に再びオヤツ。自分が帰宅してからおしっこのために屋外を散歩させ、その後7時半に夕食。夕食後の散歩として、ベランダから外へ出て裏庭を徘徊。夜10時には就寝となるが、その前に三回目のオヤツ。うちは共働きだから日中の彼らは、誰の束縛もなくずっと昼寝。 

このような毎日ってどうなの?  人によっては一日中熱転がって定期的に食事が与えられ、食べることには何の心配もいらない日々。

アフリカの紛争地帯に生活する人々に比べれば、安全で安心した日々であろう。しかし、アフリカのそれも同様、決して良い環境ではないし、それと比較されても困ってしまうってものである。この子達にも生まれてきたには理由があるかもしれない。または、運命の悪戯として犬に生まれ、この家で飼われることとなったのかもしれない。

人間を犬に例えることに問題がないわけではない。しかし、このような生活って、高齢者の生活に似ていないか?デイサービスの利用日以外は、一日中寝て暮らす。家の中では疎外され、家族との団らんもなく、一人で部屋の中で暮らす毎日。食事こそまんべんなく与えられるものの、そこに自分の嗜好は加味されない。常に同じパターンで、年齢とともに脂っこい食事を避けて、巻きずしのパック入り、朝食は調理する必要のない菓子パンまたはコンビニのおにぎり。お茶はヤカンで朝食の時に配膳される。犬との違いは、唯一テレビが昼間のお供をしてくれている。テレビを点けっぱなしで居眠りして、家族に叱られ。どうしようもなく居たたまれず、ただ一人ふさぎ込んでしまう生活。

これは人間の生活ではない。犯罪を犯して収監されている刑務所でも、もっとましな生活をしているのではないだろうか?!

介護保険が十分に浸透した世の中にあっても、年寄りたちは、これに似たような生活を行っているのではないか。もう一度、高齢者を取り巻く環境について真剣に考えてみる必要があるのではないか・・・。


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