書字障害とは・・・文字を書いているつもりが文字とならない脳の気質変化を言います。
アルツハイマー型認知症のような脳の萎縮によって字が形を形成できないもありますが
多くは前頭側頭型認知症の方に多く見受けられる症状の一つです。
大脳の前頭部、側頭部に気質変化が生じることから
言葉を話したり、文字を書いたりすることが出来にくくなる障害を受けることです。
よく、丸時計を書いて、何時何分と時間を長針と短針を書いて表現してください。と言った問題に際し
的確に時刻を表示できないことがあります。また、屋根付きの家を、描いてください。と言った
設問に対して、的確に写生することが出来ないたって普通の人として、
このような書字障害を生じるような状態となった方々は
非常に残念ながら認知症の進行は、かなり進んでいると言わざるを得ない状態と思われます。
モノを見て認識できない。言葉をしっかりと認識して話すことが出来にくい。
そして、次に来るステージとしては、自分の姿の写る鏡に向かって、赤の他人に話しかけるように話をし始めます。
非常に悲しい姿かもしれませんが、ここまで認知症が進んでくると、逆に認知症に対する恐怖や
生きていく上においての不安感は縮小していきます。
私たちが、その様な認知症の人に支援できることは、字が書けないことを不自由に思わないで済むよう
会話が成り立たなくとも、お互いの意思の疎通ができるような気づかいさえあれば
その時々を何の不安も感じることなく過ごすことが可能です。
私たち、介護するものがやらなければならない事。
それは、その人の心に私たちの心を添えることしかないと思います。
決してバカにしたり、恥ずかしがらせることなく
いたって普通の人として、 一緒に時を過ごしてみることが重要です。
認知症と言っても、色々な段階があるのですね。
世間では、認知症となると直ぐに会話も出来ない、人間ではなくなる!等のイメージが強いようですが
そのような極端な認知症状の変化はありません!!
認知症とは、段階的に、それも非常にゆっくりと時間をかけて能力が衰えていく。
そのように考えて頂ければ良いと思います。
初期の認知症の人は、いたって普通の様に会話し、笑い、怒り、泣くこともあります。
そうなんです、『普通の人』なんです。
そして、中度の認知症となってくると、約束事を守ったり、仕事の段取りを組み込むことができなくなります 。
周りの人にとっては、首をかしげたくなるような事柄が増えてくるのですから、たまったものではありません。
特に息子や娘と言った近い存在からすれば、自分たちが子供の頃の威厳ある親のイメージから
失望感や喪失感、諦めなどが混ざって、時として腹立たしく思えることもあるようです。
これらの感情が暴力として出現するのがDV(ドメスティックバイオレンス)又は虐待と言われる社会的な問題行動となるのです。
確かに、何度言っても同じ過ちを繰り返し、同じ説明をしなければならない家族の気持ちも理解できます。
しかし、ここで短気をおこすことは認知症の人にとっても、その人との関係の上においても大問題となります。
一番のキーワードは「認知症であっても、感情は豊かに残る。です』
殴ったり、怒ったりすることは、たとえ相手が記憶に障害をもっていても、その時の心の痛みは残ります。
認知症の人の繰り返しの言動。それには、オウム返しが一番の得策課と思います。
相手の話をひてもせず、肯定もせず、それでいて無視もせず。
相手が言うように繰り返し、同調する姿勢を「オウム返し」と言います。
そうすることで、認知症の人は「この人は、私の言うことを聞いてくれる!」と思い、安心するのです。
認知症の診断を受けるということは、本人にとっては非常に寂しい、不安な気持ちとなることでしょう。
自分の脳の中で起こっている何か・・・は、実態がつかめない、解決したくともできないジレンマと恐怖の連続なのです。
そんな気持ちを理解し、相手の立場に立って共に歩む。そんな認知症ケアが理想ですね!
認知症道中膝栗毛も第17話まで続いた。(めずらしい・・・と、影の声)
さて、17話までくると、タイトルにその時のテーマでも添えたほうが活用しやすいと考え
今回から、お話のテーマを入れてみることにした。
今回は「物忘れに」についてお話ししましょう。
認知症=記憶障害と繋がるのですが、特にアルツハイマー型認知症の方にとっての
記憶という作業は、年を追うごとに厳しくなっていくものです。
物忘れする。と言うより、新しいことを覚えておくことができなくなるのです。
ですから、普通の様に会話していて、私たちからすれば、あの時言ったのに!と思いながら
相手は、聞いた事を覚えておくことができず、約束をすっぽかしたい、鍋を焦がしたり等の失敗をしてしまう。
結構、これらの失敗やら聞き損じってのは、本人のプライドに深く傷を残すこととなるわけで
ここで、周りの者の配慮が大きく影響を及ぼすこととなるのですね。
認知症の診断を受けていなくても、高齢ともなれば、若い時の様に全ての事象を覚えておくことはできなくなります。
失敗しても、お鍋を焦がしてしまっても、そんなこと気にしない。
一度失敗したら、どうすれば同じ失敗をしなくても済むのか?それを本人と一緒に考え
共に解決策を導き出すようにすると、認知症の当事者のプライドを尊重しながら
その人らしい生活を維持していける。
そんな介護が望まれます。
短気は損気!怒らない!嘆かない!笑って済ませましょう・・・・って、これが家族さんにとっては一番つらいんだけどね!
でも、大丈夫ですよ。こんな支援を続けていくと、認知症となっても穏やかな状態で過ごすこと可能となります。
認知症の方々をケアする中で、どこの職員さんも、ケアマネジャーを含めて
「傾眠」と言う用語を多用する傾向にある。
実際にネットで「傾眠」を検索してみるとよく理解できる。
傾眠とは本来、人の意識障害を表す用語として、医療現場で使われている言葉です。
意識レベルがはっきりとしている状態を「意識清明」と言い、
そのレベルから徐々に意識レベルの低下と共に言葉が変わっていきます。
「明識困難状態」から「昏蒙」→「傾眠」→「嗜眠」→「昏迷」→「昏睡」と言うように
その言葉によって、その時の意識レベルが表現されています。
認知症の方々が、昼夜逆転現象のあおりを受けて日中にウトウトされるのは
「傾眠」と記録してしまうのは、適切な言葉で表現していることとならないのです。
介護の専門職も、少なからず医療用語を活用し、情報の共有を図らなければなりません。
このように、介護職員さんも日々の介護記録作成においては
的確な言葉を使って多職種との正確な情報伝達を目指したいものです。
認知症と味覚って、即、病気につながるようでなく軽く見られがちだけど
これが、結構、重要な課題であり、同時に「好き嫌いの激しい人」と軽んじて評価されてしまいがちなテーマなんです。
僕はグルマンを気取り、結構味に対して煩い『人』を装っている。(実は、それほどの美食家ではないのですよ!)
この美食家なるもの、結局は人のお口の中の舌で感じた信号を、脳の中でも
特に前頭葉とよばれる部分で視覚から入る情報や臭覚から入る情報の全てを合成し、うまい!って評価を決めている。
もちろん、そこには経験値と言うものが加えられ、今までに味わった経験が「旨い!」の評価のレベルを調整してくれることとなる。
ここで、認知症となった僕は、目で見たお団子を、美味しいお団子として認識できなければ食欲もわかないはず。
お団子の櫛を片手でつまむことができなければ、どうやって口の中に入れるのか分からないはず。
食べ方を忘れることを失行。お団子と認識できないことを失認と言うのだけど、
これらの障害はアルツハイマ―型認知症、脳血管型認知症、レビー小体型認知症などの病型によっても
出現の仕方が違う。
人間いつまでも、美味しく口から食物を摂りいれたい。
美味しいね!と美食家を気取って生活を継続したい。
そのためには、認知症の早期発見、早期治療を行いながら、食事する環境をもう一度見直すことが大切になると思っている。
匂い、見た目、色彩、そして、雰囲気(照明や音楽、温度も大切)そして、何よりも「誰と食べるか・・・」が
一番大きな課題となってくるのでしょうね・・・・
認知症、上手くお付き合いしたいものです。