人間、誰しも歳をとるのですね。
どんなに社会的に立派な人でも、どんなにも頭良い学者さんでも歳をとります。
こんな自分も老けてきました!(笑)
髪の毛が白くなってきます。
目がかすみます!
階段上るたびに膝関節が痛みます!
排尿に時間がかかります!
耳が聞こえにくくなります。
そして何より、愚痴っぽくなります。
誰も好き好んで年齢を重ねるわけではないのですが
知らないうちに高齢者とよばれる分類に仕分けられてしまいます。
今はまだ、かろうじて自分の身体の全てのバランスは保ててますが
この中の一つでもバランスが崩れてしまうと、それを引き金に色々な部分の調子が悪くなります。
この状況をフレイルといいます。俗にいう”虚弱”ですが、
私たちが常に健康寿命の延伸を目指している現状、
要介護の認定を受けている人たちも共にフレイルに陥らないよう
気持ちだけは元気で、若々しい毎日を目指したいですね。
認知症ってのは、 中核症状と行動心理症状という二つの病態に大きく分けることができます。
その中で中核症状とは、脳の病変による認知機能の低下から引き起こされるもので、理解力・判断力の低下、
記憶障害、見当識障害、遂行機能障害や失語・失行・失認といった症状を指します。
程度の差はあれど認知症であれば必ず起こりうる症状で、進行とともに徐々に重くなっていきます。
行動心理症状は、環境やお薬、対応するケアの質によって出現の頻度や形は変化しますし、全く症状の出ない場合もあります。
しかし、前にも書いたように中核症状は、必ず全ての認知症の人に出現する病態であり、そのような人の最終エンドステージってのは
素人の方々には想像しにくい場面ではないかと思います。
私の父も重度の認知症状となってうちのグループホームで息を引き取りました。
昨日、NHKBS1で夜の10時頃に放送された番組を観て、非常に感動したのですが
岐阜の小笠原先生の在宅医療の現場に関するドキュメンタリー番組が放送されていました。
その中で、小笠原先生はご家族の最終段階でのかかわり方について
最後の瞬間を看取ることを目標とせず、そこに至るまでの段階の接し方を大事にすること!
と言われていました。
死を迎える間際には、認知症であっても無くても、不安なものです。
そのような瞬間に、信頼できる人、頼りにする人が顔を見せてくれることの喜びを第一に
与えてあげて欲しいと言われていました。
新型コロナ感染症によって、認知症の人を取り巻く家族の面会の自由は突然疎外されてしまいがちです。
コロナを正しく恐れ、出来る限り家族が関われる時間をもって、幸せな最期を迎えさせてあげる。
そのために私たちは努力する。となりたいものです。
日本は、他諸国に比べて平和で安全な国であると言われている。
確かに、毎日、殺人事件のニュース報道はあるものの、銃の乱射事件ってのは発生しない。
高齢者を目がけた詐欺事件は多いが、夜間でも比較的安全に路上を歩くことはできる。
ところが、一旦、車に乗ると人が変わるのが日本人。
女性ドライバーも、男性ドライバーも、ハンドル握ると人が変わる。
とにかく狂暴になる!(笑)
私自身も長年運転している中で、ここ数年の運転者のマナーの劣化が気になりつつある。
特に緊急自動車に対する配慮である
交差点での緊急自動車との遭遇には、ほとほと日本人であることを恥じてしまう。
大半の車が道を譲らない。交差点での停止を守らない。
緊急自動車がサイレン鳴らし、現場に急行するというにも関わらず
一般車両は自分の道を急ぐ。これって、どういう心理なのよ??といつも疑問に思い、一人憤慨している。
救急車を優先に考える姿勢が育っていない国だから、同様に救急車をタクシーがわりに使ってしまう意識が存在する。
命に対する考え方が、国民の潜在的意識に欠けているような気がする。
救急車(緊急車両)が近づいてきたら、とにかく道を譲りましょう!
なるべくスムーズに緊急性を発揮できるよう協力しましょう!!
ここにアメリカの救急車の画像を挿入しておきます。あちらのお国柄かもしれないが
とにかく騒々しいのがアメリカの救急車。全てを蹴散らして先を急ぐ。そんなイメージが強いのですが
僕は、それでよいと考えています。まずは命を救う!そのための車両ですから・・・
認知症の人の介護に心を添えるってお話を約2か月前の(笑)ブログで書きましたね!(大笑・・・ひんしゅく!)
さて、今日は、その心を添えると言うことについて、介護職として実践して欲しい事を書きます。
先日、ホワイト介護主催のスキルアップ研修にて講師をさせて頂いたのですが
その研修の場でもふれた内容について、若干の補足説明を付けて『心を添える』と言う内容を説明したいと思います。
認知症介護の中で、我々介護に携わる者として、全ての介護には目的と根拠があるのです。
分かりやすく言えば、認知症の人にお付き合いして買い物に一緒に出掛ける。
この目的は、単純に食材を買い求める目的がありますが、ここ問題となるのが
どの様に買い物に出かけたか?です。車で出かけ、ショッピングカートを押してもらい、会計もご自身で完結してもらうのか?
それとも、ただ単に買い物に同行してもらうだけなのか?そのやり方は様々です。
ここで、一番重要なことが、何のために買い物に行ってもらうのか?が重要な要となり
最近、日中でも一人で臥せっている状態の多い、入居者さんとすれば
当然のことながら、目的は気分転換となります。
または、最近下肢筋力の低下が著しく、このままでは近い将来には更に歩行不安定が想定される場合には
下肢筋力の向上を目指して、お買い物に乗じて歩行訓練を行いながら下肢筋力の向上を目指すこと。となります。
この目指す点が介護の目標です。そして、この二つのケースの介護の根拠とは
その人が今までよりも元気よくハリのある生活をしていた時代を取り戻すこと。または、その時代を思い起こせること。が
介護の根拠として存在するのではないでしょうか?そして、その根拠がすなわち、心を添えるという意味であると考えています。
認知症ケアの中で、よく言われるスキルの一つとして
「心を添える」があります。
さて、この「心を添える」とは?どう言うことを言うのでしょうか?
随分以前にリッツカールトン日本支社長として、日本に初めて
リッツカールトンなる5星ホテルを立ち上げた高野登氏の著書を読ませて頂いたのですが
その著書の中で、高野氏はリッツカールトンのサービスの主軸に
お客様サービスにスタッフの心を添えたサービスを言われていました。
同じように、認知症ケアの主流となっている [パーソン・センタード・ケア」でも言われています。
さてさて、前置きが長くなりましたが、この言葉の意味はと言いますと、
私たちケアする側にすると、介護って結構重労働になりがちで
身体的にも、精神的にも負担は大きくなりがちです。
これは対人援助と言われる業務全てにおいて言えることで
だから、ホテルでのお仕事においても顧客満足を求める事業には
常に働き手の心と肉体に係る負荷が大きな問題となります。
人間だれしも、疲れてくると他人を思うことが希薄になりがちで
どうしても保身に走ってしまいます。
しかし、だからと言って、我々介護者の目線、都合を優先してしまうことは
支援を受ける側(要するに要介護者)にとって、介護してもらう逆の負荷がかかります。
気の弱い人は、自分の要望を言い出せず黙ってしまったり、
逆に気の強い人は、要望を拡大させ喧嘩になってしまったり。と、人間関係に大きなダメージを負うこととなります。
そこで、私たちは、常日頃から、相手の思いを想像し、気持ちを汲み取り、相手の思いに添えるような支援。
そのような訓練を積んでいきます。
相手を理解するということは、相手を理解しようとする気持ちがない事にはすすみません。
はなっから相手を否定し、色眼鏡で相手を見ていては「相互理解」なんてできません。
特に認知症の人は、自分の思いを表現することが苦手です。
だからこそ、私たちが相手の心に私たちの思いを込めて、支援の手を添える。
それが「心を添える」と言う意味と理解しています。