地域密着型サービス事業所は、おおよそ二か月毎に一度、地域の住民、民生委員、行政担当者や家族を含めて
施設の運営推進会議を実施しなければならないと決められている。
今日、太陽の家では民生委員の皆さん、ご家族、地域の総代さんと地域包括支援センターの担当者の方々に
お集まりいただき会議を開催いたしました。
昨年度より、運営推進会議の中で身体拘束適正化委員会を同時開催し
太陽の家の身体拘束について話し合う場を兼ねるようになっています。
いろいろな角度から、身体拘束に相当する事例などを検討しながら
その影響や身体拘束に至る経緯などを話し合い、事業運営の参考とさせていただいています。
今回の会議では、インフルエンザの蔓延を防ぐために、利用者を居室に閉じ込めることも拘束にあたるのではないか?と言う疑問を
管理者の方から提示し、その是非について話し合いました。
参加者からは、一般家庭においても家族内でのインフルエンザへの罹患を防ぐために
隔離することを予防策としている以上、このような施設においても同じ方法をとらざるを得ない。と言う意見が聞かれました。
また、この運営推進会議では、地域包括支援センターの担当者が加わることで
より地域とのパイプが太くなり、営利法人の運営する事業所としても
公共性が非常に高くなってきたように思います。
うちの運営推進会議は、管理者が頑張って実施しているので
出席者も非常に多く、多い時には13名から15名の方々にお越し頂けます。
まあ、場所が狭いものですから、少し窮屈となりますが
この運営推進会議。結構面白い制度です。
(写真を公開することに関しては、出席者全員の承諾を頂いております。)
僕のブログで、この手の話題について触れることはないと思うけど
今朝のテレビのニュースで『嵐』が活動を休止すると言うのを聞いて
非常にびっくりしたと同時に、芸能界の中で生きることのむつかしさを感じた。
僕の年齢で、ジャニーズ事務所の誰が、どのグループに属してなんて
全く知らないし、それ程注目はしてこなかった。
実際にSMAP(これでスペル正しいの・・・??)も
良く知らないのだから、話題にする資格なしではある。
でも、メンバーのことはあまりよく知らないけれど
個々の人物が、色々な番組のキャスターしていたり
自分の番組を持っていたりするのは、テレビと連れ添っている僕だから知っている。
それぞれ個性的で、ジャニーズ事務所のガキタレのイメージから想像できない
それぞれが上手に年齢を増して行っているように思っていた。
おぼこい子供っぽいと思っていた青年が、それなりに格好よくうまい歳の取り方をしている。
今の時代、爺もGGと呼ばしたり、婆あはバーバ。
昔の爺さん、婆さんのイメージとは全く異なるイメージで
高齢者が活躍したり、表に出ていることと重ねて
SMAPや嵐のような、青年~中年へ、そして初老に変化していくことは
僕としては憧れるし、非常に自分自身の将来(それ程長くはないけどね!)に対し
夢を抱くことができる。
そんな気持ちで彼らの成長を見ていたつもりだけど
やはり、芸能界という世界に暮らすことって、本人たちにとっては重い、辛い事なんだ。と
改めて感じた。僕たちのように個人として無名な人間ってのは
世間の注目もなければ、その分、人の目を気にしなくても良い。
公衆の中にいても、その中の一人でいれるってことは
非常に楽なポジションなんだね。
そう言う意味で、リーダーの大野くんが自由になりたいと言う気持ちは理解できる。
ただ一つ心配なのは、嵐と言うグループから離れても、元「嵐」の大野さん。と
注目は同じように浴び続けることで、せっかく辞めたにもかかわらず
同じように人の目を気にして生きなければならないこと。
どこまで世間が、元嵐のメンバーを一般人として扱ってくれるか??なんだろうね。
「情けない・・・」って言葉を認知症の本人が言った。
この男性は、うちのデイサービスをほぼ毎日利用している車いす使用者です。
普段から人が嫌うようなことをやっては、周りの利用者からひんしゅくをかっている人です。
僕も、正直、この人は人格に問題ありと思っていた人です。
室内でも送迎車の中でも、やたらと唾を吐くのです。
人をからかうことが好きで、歩行訓練する人に向かって
イチ!ニ!サン!シ!と号令をかけては叱られています。
今日の午前中も、リビングの椅子に座っていながら、椅子ごといざり移動するのです。
床のピータイルや椅子の脚が壊れる寸前の軋み音を立てています。
僕は、備品を壊されたくなくって、彼に声をかけました。
最初は不機嫌な応答で答えていた彼も
車いすを持って、真横に置いたら車いすに移乗すると言い始め
少しお手伝いすると簡単に車いすに移乗しました。
少し彼の行動を見守ってみると、玄関口に移動しようとするので
思い切って屋外の散歩を覚悟しました。
玄関を出て、施設の前の歩道を通って、隣のショッピングモールへと向かいました。
結構、今日も外は寒いです。本人は家に帰るために外に出たのですから必死です。
どっちへ行くの?どうやって行くの?この方向でええの?と、いろいろと質問してきます。
そのたびに、この方向で本当に帰れるの?と問いながら、彼の反応を見つつ車いすを押していました。
ものの5分もしないうちに寒くなってきたようで、何とかしてくれ!と訴えがありました。
僕は、彼に、寒いから一旦戻りましょうと促しながら車いすを施設の方向に向けて 進めました。
施設に戻って、彼の横でじっくりと話をしました。
すぐに忘れるだろうけど、ここに来てもらっている意味を説明しました。
この説明には十分な時間を費やしました。外を徘徊していた時間以上に何度も繰り返し説明しました。
その時の声のトーンは、普段より落としてゆっくりと簡潔に話をしました。
彼も、気持ち的に落ち着いてきたのか、普段よりも多くの事を語ってくれました。
その大半は理解できませんでしたが、その中で理解できたのが
「・・・・なさけない!」の単語でした。
いつも嫌われ者で、粗暴な彼の言動が今日はすっかりと消えているのに気づきました。
自画自賛しているわけではないのですが、介護の現場に、このようなたっぷりと避けるだけの時間がないのですね。
一人のために僕は一時間のうえ、べったりと付き添っているわけですから。
今の認知症ケアの一番の問題点が、ゆっくりとその人に寄り添うことが
現場では持てない「余裕のない現実」と思います。
認知症の人が昼ごはんを食べている。
放っておけば、副食の添えのポテトサラダまで一緒に味噌汁の椀に入れて食べてしまう。
其の物を認識できないから仕方ない行為ではある。この時点で介護が加わることは、自立支援の理念に反するのか?ポテトサラダは、単独で口に入れる方がおいしく食べれると考えるのは私個人の思いなのか?認知症のあるなしに係わらず、その人が思うように食事すれば良いのだけどしかし、普通に考えて、その人が以前からポテトサラダを味噌汁に入れて食べていたのか??が問われると思う。こんな不毛の議論をするつもりはないが、その人の自立支援ってのはその人の癖や習慣を知って初めて実施できる支援ではないのか?!食事だけをみても、認知症の人のケアには繊細な神経が必要となる。繊細な神経の持ち主は、精神的に非常にデリケートである。張り詰めた神経を維持していくには、認知症の人のケアは大きな負担となって圧し掛かる。結果的に認知症ケアから遠のいていく。
パラリンピックが市民権を得たように、多くのパラスポーツが
メディアに取り上げられ、同時にパラスポーツのアスリートが表舞台に出始めている。
障害をもつ人々が昔のように、家の中に閉じこもる時代でなくなりつつある。
これは、社会にとってとても良い傾向で、この機に認知症の人も
思いっきり外に出て、自分を主張する好機だと思う。
社会全体が偏見と差別をなくし、「普通」と言う言葉を変えてしまう、そんな時代になる。
以前にも書いたが、車いすでも歩行器でも、すいすい屋外を歩き、自分で思う方向に移動できる道路
道に迷っても誰かれなく助けてくれる社会ができるかもしれない。
社会全体が障碍者を、何の抵抗もなく受け入れるような社会となれば
逆に障害を理由に弱音を吐くことができない社会となりうる。
何にでもネガティブなバイアスってのが生じる。
障害者をかばっていく活動が活発となると同時に
障害にやさしい思いやり社会だから、支援は不要と考える方向に傾く。
もっとわかりやすく言えば、優先席が用意されている車両だから、
そこに座らない老人には席を譲る必要はないと言う思考を言う。
障害をもつものが、健常者と同じレベルで生きていくには
まだまだ改革すべき点は多い。
認知症となっても普通のように生きることを掲げて
僕は認知症啓蒙啓発活動を自分のライフワークと考えている 。
認知症徘徊模擬訓練など先進地域として大牟田市や大府市などの取り組みを見て
今一つ、鈴鹿市ってのは熱い思いが伝わっていきにくい土地なんだと感じている。