認知症の人を一番に理解しているはずの自分。
そして認知症の人が理解できていない自分。
二つの自分がいる。
生意気にも認知症専門職として、色々な場面で認知症を説いてきた。
第三者からみれば、認知症のことを一番理解してと思われている。
しかし、その実、まだまだ認知症の人を理解できているわけでもなさそうだ・・・
認知症とは本当に奥が深い。
人間の脳の器質変化により今まで出来ていたことが出来なくなる。
脳細胞のどの部位の細胞に変化が起こっているかによって
症状は全て変わる。
記憶の障害、見当識の障害等が大きな障害として、専門的には中核症状と言われる問題が発生する。
過去の記憶ではなく、短期の記憶が乏しくなり、なかなか自分の行動を整理して理解することが難しくなる。
場所、季節、空間の認識が乏しくなる見当識の障害。
これらの障害があると、それまでの自分自身ではなくなるような突飛な言動が始まる。
しかし、短期の記憶がおぼろげになっても、それ以外の脳の機能は健全であり
正常な部位と不明瞭な部位のギャップに苦しむことが、認知症の人の特徴である。
簡単に言えば、自分の頭の中で思考がバラバラで、まとまらない状態の事である。
これは、その人にとって、とても不安な状態である。
数は少ないものの、人は年齢に関係なく認知症の発症がある。
そして、年齢が増すに従い認知症の発症率は高くなる。
90歳を上回ると大半の高齢者には認知症の諸症状が現れる。
医学の進歩と共に、人の余命が延長され、当然ごとく認知所の人が増えている。
かくいう自分も寄る年波には勝てず、最近では動悸息切れ、指示語の増加、支離滅裂とした文章力と
高齢者のたどる道を踏襲している。
自分の老いていく姿を見つめながら、うちのスタッフと冗談交じりに自分がボケたときを話すことがある。
いつも口うるさい僕だから、ボケても口うるさいジジイのはず・・・
スタッフからは札付きに不良ジジイと言われ、きっとスタッフの後を追いかけまわし
ただひたすらナースコールを押したくる!そんな厄介な爺さんになってるだろうね・・・と。
それでも、うちのスタッフは、厄介な僕にも、お茶の子さいさいと言わんばかりに手玉に取り
それなりに手なずけていくのだろう・・・
僕は、僕の気持ちに寄り添って、常に気を付けてもらう必要はない。
適当にスタッフの目の隅に入れておいてもらえれば、それだけで良い!
パンツを上げそこねて、半ケツで歩いていれば、注意してくれるだけで良い。
鼻を垂らしていたらチリ紙を渡してくれればよい。
其のチリ紙で鼻をかむどころか、口の中に入れて食べ始めたら怒ってもらえばよい!
特段の温情はいらない。いたって普通の接し方を維持してもらうだけで良い。
僕は「認知症だから・・・」と言った特別扱いはしなくてよい!とスタッフにお願いしている。