今日は、ソラマメとジャガイモの苗を植えた。
先週造った畝の一本にソラマメを、
もう一本にジャガイモを植えた。
カラスの襲撃を受けないように、ジャガイモには一寸ばかりの細工をした。
両方の苗に液肥をおいて、しっかり育ってくれるようにお願いした。
畑の土が良くないので、成長は望めないかもしれないが
なんとか、この春には芽をだして、畑に彩りを添えてほしいと願っている。
それと、今夜は、毎週楽しみにしている韓国歴史ドラマの最終回。
NHKのBSで放送していた『秘密の扉』と言うドラマである。
僕の韓国ドラマ好きは、「イ・サン」から始まり
毎週日曜日の夜9時には、必ずテレビの前で一時間過ごす。
韓国の歴史ドラマの中でも、この『秘密の扉』は異質と言えるくらい
シリアスなドラマだった。
最初に観た「イ・サン」の父親の実話(歴史上ではそうなっている)
イ・ソン が第22代朝鮮王朝を受け継ぐ前に米櫃で処刑され死ぬまでの
ストーリーが24週にわたって放送された。
韓国のドラマと言うと、シリアスな反面、そこかしこに道化役がいて
チャラケた演技で笑いを誘う場面があるが、この秘密の扉には
そのようなチャラケは一切なかった。だから、その分、重い番組ではあった。
僕は根がシリアス(・・・笑うな!)な人間だから、
ドラマもオチャラケよりは、シリアスな方が好きだ。
昨年の9月に韓国を訪れた時にも、イサンが王様になって造ろうとした
新たな王宮としての街、水原(スフォン)にも行ってきた。
韓国のことはドラマからの延長で歴史を少しかじっただけで
それ程詳しくはないが。中国には大陸続きの小国として
古くから色々と外交に苦心してきた歴史があるようだ。
今回、日本を相手に意地っ張りな、分からず屋のようなイメージで
韓国の無茶ぶりが報道されているが
僕は、今回のドラマの収録が、自分が実際に足を運んで
観てきた王宮跡や城壁を、そのまま使ってロケを実施しているのをみて
更に韓国の街、人々、そして文化に興味を持った。
なんだかとても怪しい雲ゆきの日韓関係だけど
もう一度、韓国に旅し、もっと沢山の歴史を学びたいと思った。
「感動」はアンチエイジングとお話をした。
人それぞれ感動する時ってのは違うと思う。
テレビドラマや映画を観ながら感動し、涙する人も居れば
スポーツを観戦し、自分の応援する選手がファインプレーをした時。
美味しいものに巡り合い、奥深い味わいに感動するとか・・・
感動ってのは、与える方も、受ける方も真剣でないと味わえないと
僕は思っている。
食べる時も、その料理を作った人の感性を想像しながら
味覚を研ぎ澄ませて、ただ単に摂取すると言うのではなく
味わうことが必要と思わない?!
だから、僕は一人で食事しに、行きつけの中華料理店で
ラーメンを食べる時も、携帯電話のゲームやSNSを見ながら
食事することはない。だって、調理してくれた人に失礼だから。
マア、食事中のルールとマナーは別の機会に話するとして
感動する時は、誰しもが真剣に真正面から立ち向かっている時に
その真剣さに応じて高まってくるのではないだろうか・・・
中途半端に、だらだらと仕方なしに仕事してても
そこには、絶対に感動なんて感じることもない。
スポーツも同じく。下手くそでもいい、真剣に自分の出来ることを、
自分の100%を引き出して戦うものには、結果が負けであっても
そこには大きな感動が生じる。
ぼくは、歳を重ねて、ジジイ!と呼ばれる年齢になっても
感動を味わえる生活をしたいと思っている。
今日の夕方に、家族全員がお世話になっている日展画家の先生を
尋ねて有料老人ホームを伺った。
今年で93歳となる先生は、車いすでの移動され、
何度も同じ質問を繰り返すほど、記憶障害が顕著に表れていた。
そんな先生だけど、居室の中には大きなキャンバスが立てかけられており
そのキャンバスの下には、油彩やオイル、筆の洗浄液などの
画材が置かれていた。
つい先日まで肺に水が溜まって呼吸しにくいと言うことで入院されて
私たちも非常に心配をした状態が続いていた方だ。
このお歳で、ちょっとした刺激で体調不良を起こしがちな状態で
それでも真剣に絵を描き続けている御姿を拝見し
今日のこのブログのテーマどおり、人が感動する時を考えてみたかった。
人の大脳は右と左の二つに分かれている。
右の脳は、体の左側の運動機能に影響を及ぼし
左の脳は、体の右半分に影響する。
左右別々の動きをコントロールするのは
右脳と左脳の間にある脳幹が成長することで
全く別々の動きを行うことができる。
ピアニスとが両手を使い、それぞれ別のリズムで、
別の音階を奏でることができるのは
訓練によって脳幹が鍛えられるからだそうで
これには年齢は関係ないそうで
定年を迎えた高齢の人が、初めてピアノを習い
ショパンを演奏できるようになる。
年齢を重ねるとき、「歳だから・・・」と自らが諦めてしまいがち。
歳だからと諦めることなく、練習することで夢が実現する。
それまでより脳の活動が活発化する。
まず、この事実を信じて努力することも大切だ。
そして、音楽を聴いて感動すると、人の心拍数は上がるのだ。
鳥肌立つ!背筋に感動のうねりが起きる。
こんな経験をしたことあると思うが、
音楽を聴いて感動する以上に
その音楽を自分が演奏することで、更に心拍数は上昇する。
そして、その分、脳幹も成長する。
動きにくかった指が動くようになり
鳥肌立つ感動を繰り返し、感性が豊かに
そして、笑顔が増えるようになる。
全ての細胞が元気になった証拠である。
認知症であっても、鬱を患っても、感動することで
更なる感動の輪につなげることができる。
感動すること、そんな刺激を脳に与え続けたい。
今日、デイサービスの利用者の前で、
いくつかアメリカンジョークをお話しした。
年齢もあるだろうけど、全然反応が無かった。
必死で身振り手振りでジョークを話す自分、
聞き終わっても知らんぷりの利用者。
全く興味を示さない人に向かって
必死になって、声枯らして話す自分の姿と利用者の表情の対比が
逆に笑えてきた。
僕の中でジョークってのは、お酒の場でのウイットだ。
酒飲みながら、ジョークを話する。
このジョークは知らないだろう・・・・!!??と
皆が自慢げにアメリカの酒場では、ジョークを語り始める。
日本人はまじめで勤勉だ。(最近は少し疑わしいが・・・)
ジョークの世界と実話を混同した頭で考えようとする。
もう少し直観的な笑でも良いと思うが、
日本人は生真面目なあまり、中途半端な馬鹿笑いはしない。
ジョークだからね・・・と断わっても
「そんなの、ありえないわ!」と怒り出すしまつ。
このギャップこそ、面白い!
あ、ごめん!決して僕は自分自身をアメリカ人とは思っていないから
誤解の無いように。
でも、少なからず、好奇心だけは旺盛だ。
そして、感情は日本人のそれよりは直観が優先される。
どちらかと言うと、「YES!」と「NO!」の
二つに一つしかない。
これもまた、日本に住んでいるものとしてはNG!なんだ。
グレーゾーンの無い奴!として、それこそ八分の非国民だ。
単純といえば、単純であり、単細胞なのね。
そう言う風に言えば、日本人は笑ってくれる。
東海地方の養豚場から豚コレラの陽性ウイルスが発見され
豚舎の全ての豚が察処分となった報道が続く。
今日、新たに豚コレラ陽性が発見され
一万頭を超える豚が殺処分となるニュースをみた。
愛知県知事は自衛隊に支援要請を行ったそうだが、
強制的に命を奪われる豚たちを思うと
とても心が痛む。
愛知県の隣に位置する三重県の業者だって、
今の状況には戦々恐々とした思いでいっぱいのことと思う。
一匹でも豚コレラの陽性反応が出ると
その業者の豚舎全体が察処分となるわけで
この経済的損失は、事業運営の上で受け入れがたい局地だと思う。
政府は有効なワクチン接種には、豚肉の輸出に際し不利益になる
デメリットを考えるとワクチンによる拡散防止は考えていないと言う。
一万頭もの命を無理やりに奪い、土に埋める代償は
豚肉輸出に及ぼすデメリットの方が大きいのか?
この判断は、まだまだ食べることが可能にも拘らず
健康被害のリスクを恐れるあまりに、まだまだ食べれるのに
廃棄処分とする食品ロスを作っている今の日本そのもののような気がする。
今日の仕事を終える時間帯に、16通の書類を郵送するために地元の郵便局に行った。
郵便局ってのは、どこの局(今頃、局とは呼ばないのか・・・?)も駐車場は少なく
市街の中心部にあるため、結構、周辺で渋滞が起こる。
郵便窓口は空いていたので発想に時間はかからなかった。
用事を済ませて駐車場から車を出そうとすると
結構、何台かの車が郵便局に駆け込んで来た時に重なった。
こちらは駐車場から車を出そうとする方、相手は車を入れようとする方。
両者が同時にすれ違うだけのスペースはないので
僕の方が遠慮して道を譲った。
そのことを好都合と、次から次へと待機している僕の車の鼻先をすり抜けていく。
そして、何の挨拶も礼もない!
そこに道を譲っている者がいることすら眼中に入らないがごとく
厚かましいにもほどがある。こんな輩を「厚顔無恥」「傲岸不遜」と言うんだ!
それも、僕と同じくらいのオッサンが。
この年代、50歳から65歳くらいの年代って、絶対に厚かましいだけの
言ってみれば嫌われ者の年代なんだ!
何せ世の中のだいたいの荒波を乗り越えてきた変な自信と 厚かましさを備えている。
僕も含めてさ~、この厚かましさ何とかせにゃアカン!
ほんまに、このまま行くと、この年代に介護が必要となった時に
介護職員からひそかに虐待を受ける対象となってしまうぞ!!
お昼ご飯を食べた後ってのは、誰しも睡魔に襲われる。
それは、健常な僕にだってあるし、もちろん認知症高齢者にもあるよね。
そんな昼のひと時、デイサービスのテーブルでいつも食後にうたた寝する利用者男性Aが
今日も椅子に座りながら、頭が次第にテーブルに向って垂れさがっていった。
あと数センチで、頭がテーブルにゴッツンコするところを発見した職員Bは
咄嗟の判断で枕を間に挟み入れようとした。
当然、枕がすんなり頭とテーブルの隙間に入るわけなく
職員Bは、利用者Aに枕を入れるために彼の頭に手をふれた。
この行為によって、うたた寝の境地にいた本人は 気持ちよく午睡のひと時を邪魔されたようになった。
特に興奮するわけでもないし、文句もない。しかし、その様子を見ていた
これまた認知症の婆さんCが、その様子を見ながら話しかけ始めた。
こうなると午睡どころか、それまで静かだった環境が雪崩のごとく崩れ始めた。
利用者Aさんは、眠いにも拘らず、意味不明の会話を始めた婆さんCの言葉が煩わしくって仕方なくなる。
さて、皆さんは、このようなときに枕を差し入れるでしょうか?
それとも、そのまま放置しておくでしょうか?
僕の答えは、このような場合は放置する方を選ぶ。
どちらにせよ眠りに入ろうとする人を起こすくらいなら
そのままテーブルにゴッツンコしたとしても
何もダメージを受けないから、放っておいても良いように考える。
いつも、このAさん、微妙なところでテーブルに頭を打ち付ける前
半覚醒して姿勢を元に戻す。それもあって、僕は後者を選択した。
実際はどうなんだろう・・・・
昨日のブログで心を添える意味を書いた。
この場合の心を添えるとは、どちらなんだろう??
今日、突然、松坂で同じ仕事をする仲間が訪ねてきてくれた。
僕よりずっと若くて、格好いい好人物だ。
彼も自転車を趣味にしている人で、フェイスブックでは
自転車の話題が多いひとでもある。
(自転車にほとんどご無沙汰の僕が、彼も自転車・・・と言う権利はないけど)
そんな彼と、今の現状について意見交換をした。
最近、介護の関係者と話をすると話題は「人材不足」の
話題が多くなっている。
その中で、彼が面白いことを言っていた。
介護業界の悪しきイメージが先行している今、
もっとメディアが故意にでも、良いイメージを率先して流してもらえれば
この業界は助かるのではないかと言う。
3Kがクローズアップされ、介護者による虐待や殺人が
報道されるようになって、殊更、介護は苦痛のイメージが増加している。
コンビニのバイト君に一部が、浅はかな動画をSNSに公開し
社会問題となっているのと同じで、今のネット情報は
本の一部のイメージが、それこそ全体像のごとく社会に波及してしまう。
そんな意味を込めて彼は言っていた。
僕も同じように思う一人だが
今の日本社会ってのは、たしかに何処かで歯車がかみ合っていない。
労使問題もさることながら、なんでもマスメディアの言うがまま
事の本質を自分なりに咀嚼せずに、取り入れてしまっている。
サバの水煮缶が健康に良いと聞けば
マーケットの陳列棚からサバ缶が売り切れる、
ココナッツオイルが認知症予防になると聞けば
店頭からココナッツオイルが売り切れ続出となる。
単純な物事の理解は、一部のメディアにマインドコントロールされ
右に左に揺れ動く。
一国の大臣が、競泳スイマーの報道に
「がっかりだ!」とインタビューに答えるような国だ。
ある意味、国民が単純な平和ボケしていても
それはそれで当然かもしれない。
今日の僕のブログは、毎月、提出してもらっている
職員の自己評価と次月の目標から感じたテーマに触れてみたいと考えている。
太陽の家を設立当初から、職員全員には自己評価を前月の自分に採点してもらう。
それを踏まえて次月の目標設定を自ら考えてもらう。
その自己評価を読ませてもらった僕から、メッセージやアドバイスを
記入して返却する。
このブログ更新がままならなかった時期には、
職員へ自己評価への書き込みどころか、返却まで滞って
皆には迷惑をかけてしまったわけだけど、
今日、読ませてもらった自己評価にアドバイスとして
皆が実践している介護全般的に言えることとして
内容はすごく良い介護を実践していると思う。
利用者の気持ちと個別性に配慮したケアは素晴らしい。
朝のコップ一杯のミルクにしても、
口腔ケアへの格段の配慮にしても
スキルと共に理念も充実していると感じた。
そして、ここでもう一つ、実践している現在のケアに
ほんの少しエッセンスを振りかけてもらえれば
尚のこと、この太陽の家のケアはよりベターな唯一無二のモノとなる
そんな気がした。
それは、皆さんのやっているケアに、皆さんの心を添えることで
利用者の気持ちに更に訴えることができるように思う。
例えば、コップ一杯のミルクを提供する時に
そのタイミング、温度、量を考えてあげる心。
口腔ケアに際し、水で口を漱ぐことに加えて
マウスウォッシュの希釈液で最後の濯ぎを勧めるとか、
使っている義歯の手入れを入念にし、今までよりサッパリと
管理してあげることが、僕が思う「心を添える」と言う意味だと思う。
元リッツ・カールトンの日本支社長の高野登氏の講演からも
なぜリッツ・カールトンが政界の一流ホテルとして残るのか?からも
ヒントを得ることができるモノが多くあった。
その人が「嬉しい!」と思えるサービスを添えること。
それも通常の業務にささやかな「あと少し」のエッセンスである
気遣いと思いやりを添える。
相手を思う気持ちは、好きな人にはすすんで発揮できる。
でも、相手に対する気持ちが無ければ、それは普通で終わってしまう。
今現在の内のスタッフを観ている限り、
普通で終わっているようには見えない。
異性としての愛情ではなく、人として相手を思う気持ちがよく見える。
それなら、そこに皆さんらしい一振りのエッセンスを
加えてあげてみると、さて、どう変わるだろう・・・・・
そこが楽しみだ。
毎日のブログ更新が継続している。
一か月を超えて毎日、更新しているのは初めてこと。
ひと月の更新回数では、過去にも記録として
今よりも多く、一日に4本や5本のブログ更新をしていた時もあった。
もう、なんでもありの世界だったかもしれない。
ただか数撃ちゃあ当たる式のね・・・
今のブログ更新も、どこかそのような惰性で継続していると見えなくもない。
なかなか毎日、新鮮な話題は転がっていないけど、
これも自分がアンテナを高く掲げていない証拠。
それと、すべての事柄に素直な気持ちで臨んでいないからかもしれない。
毎日が、言うなれば初のことばかりのはずなのに
同じルーティーンとしか自分が見ていなければ
そこには何も感じるモノは無くなってしまう。
ほんの些細なことでも、新鮮な経験と謙虚に思えることが
若さを維持する秘訣だと考えてはいるが
なかなかそのように自分の気持ちを維持できないところが
悩ましいところだ。
今日、ショッキングな出来事はたくさんあった。
女子競泳選手の病気の報道があったり
年老いた大型犬を散歩途中に蹴っ飛ばした飼い主の動画報道、
コンビニや寿司チェーン店のアルバイトの素行不良等
なんで?と悲しくなるニュースが飛び交っていた。
僕たちは、単なるニュース報道の一部でしか
それらの情報は入ってこない。
愛犬を蹴っ飛ばした飼い主にも、他に言い分はあったかもしれない。
そのような断片的な情報だけで、人を糾弾することは避けるにしても
虐待や人や物を尊重しない場面は、至る所で起こっている。
今や、情報に壁を立てることはできない社会。
僕のブログにしたって、どの様に僕個人の思いがねじ曲がって
トラブルを引き起こすかわからない状況だよね。
本当に世の中、年々生きにくい時代となっていってる。