俺らはプラマー
便利なプラマー
水道漏れれば俺らがいくぜ!
レンチ片手に、パッキン交換すりゃ
水漏れなんてㇸの河童!
(石原裕次郎主演「嵐を呼ぶ男」主題歌の俺らはドラマーの替え歌です)
以前から厨房から修理依頼が出ていた水道の蛇口からの水漏れに
きょうの午後、やっと重い腰を上げ修理を行った。
建屋の建築費をケチったせいか、
水道の元栓が手の届かない場所にあって苦労したけど
なんとか時間をかけて修理も完了。
修繕費をケチるために、自分でできる箇所の修繕は自分でやる。
しかし、水道屋さんの苦労は自分でやってみるとよくわかる!
マア、大変な作業だわ!
今日、うちのある一人のスタッフとの話の中で毎夜毎夜書いてるブログの話題について書き続けているうちに話題が尽きてくる!と言う話をした。話題が尽きることは、それだけ自分の生活がのっぺりとした張の無い単調な生活を続けている証拠と言えるかもしれない。しかし、今日は違う。朝からこの話題でブログを書こう!と決めていた。先にも紹介したように、うちの事業所はスタッフに恵まれている。全員、非常にまじめ!まじめと言うと几帳面なイメージを受けるかもしれないが僕の言う「まじめ」って言うのは、うそ偽りなく真正面から利用者に向かってくれている。言い方を変えれば「熱い!」し、人間身があふれている。僕も立場上、多くの認知症グループホームの事業所のスタッフと会話するがうちのスタッフに比べると、かなり優等生的発言が多い。そんな彼ら、彼女たちの話を聞いていると、僕なんか愚の骨頂のような接し方で認知症介護指導者として指導できる立場かァ~!!とお叱りを受ける程である。しかし、認知症の人に対して「一人の人」として向かい合えば神様のように振舞い続けているわけにもいかないだろう・・・?!と僕は思ってしまう。良い子ちゃん発言は、逆にその裏側が恐ろしい。普段から、そんな上等なこともやっていないことの表れのような気がして仕方ない。これは、僕がうちのスタッフを贔屓目で見ているからか?贔屓目に見ていたとしても、自分の思いをストレートに言える関係は素晴らしい。と僕は感じているし、その関係が誇りである。第2に、うちのスタッフは個人の持つ強みをシッカリと理解しあっている。認知症ケアはチームケアが大切である。同じタイプのスタッフが居ない。玉ちゃんはB型血液の持ち主で、大胆な発想を持つ豪快なそれでいて非常に神経が過敏。その過敏さによって自分自身が抱え込みすぎる弱点がある。B型だから、適当なところで開き直ればよいのに、いざという時に開き直りができない。その分自分で苦しんでしまうことがある。これは、年齢も関係しいてるとおもうがそれよりも自分自身にもっと自信を持ちなさい!と言ってあげたい。次にSさん、この子は自分の見せ方が上手である。これは天性だな。写真うつりが上手い。写真撮る時に顔の角度、あごの線などを計算しているのかいないのかは知らないがこの子は上手だ。いざ家庭に入れば受験生の子供を持つ親だから、今が一番大変だと思うけどそのことについて、愚痴らないね!僕はきいたことがない。彼女の武器は要領の器用さ。変な日本語だけど、要領をうまく使いこなせるところが、周囲の人間関係を円滑に回せる人かもしれない。つぎにOさん。この子はよく気が付く。気が付きすぎて困る時がある。本人も掃除が趣味と言うだけあって 、こと掃除になると彼女の右に出る者はいない。ただ、彼女の一番の弱点は自分自身に自信が無さすぎ!もっと自信持って仕事に向かってくれれば良いのに、ついつい控えてしまう。僕から見ると、他のスタッフと比べても何の損傷もないし、よく働く。今どきの日本人には珍しい人である。今年の彼女の目標はずぶとく生きる事としてほしい。今のっまで良い、自信持って家族と話をし、交流を続ければ自然と話し方は上達する。これは僕が証明できる。最後になるが、唯一の男性スタッフの西君。うちのグループに就職話が届いてから、実際の入社に至るまでの期間が長かった。本当に一緒に仕事を手伝ってくれ鵜rのかが心配だった子だ。そんな彼もまじめ。バカが上に着く程まじめ!しかし、彼も熱い男だ!先日、女子高生の実習見習いを受けたときは、シッカリと介護の基本を説明していた。横で聞いていて、物おじせずにあれだけのケア理論を語ることができる彼をみるのは初めてである。その時に、僕は彼に頼もしさを感じた。個人が持っている介護技術はバラバラだけど、それでいて全員がまとまっている。僕が他の事業所に自慢する気持ちは、この内容でよく分かるでしょう!!とにかく、こんなスタッフに支えられて、今までやってきた。そしてこれからも同じように、素晴らしい「ちょい甘」な介護を熱意をもって続けていってもらいたい。
このブログは長い間、更新されずにいた。
外からブログを見ていると、空白期間が目立つが、
実際は、書きかけのブログが公開されずに
このページの裏に潜んでいるわけです。
結構、色々な未発表の書きかけブログが存在します。
なぜ未公開なのか・・・って理由は色々とあります。
○ 話が途中で終わっているもの。
○ 書き終えたものの、公開するには忍びない出来だった。
○ 泣き言や愚痴だけのブログだったから・・・と
色々な問題があって、公開することを辞めちゃった!と言う流れです。
ブログを書くのも結構な根性と覚悟が必要で
誰の目に触れるかもわからないネット上に
物申すわけだから、それなりに覚悟を決めて公開するのです。
よほど鈍感な神経か、それとも図太い神経かは別として
ネット上で炎上騒動ば頻発していることからも
公の場での発言には注意が必要と考えている。
しかし、それも、有名人のネット上の話で
僕の様な無名の者のブログなんて、炎上しようにも
そこまでの注目を浴びていない。(笑)
いつ失くしたんだろう・・・
今日、改めて普通車免許証が見当たらない事に気が付いた。
普段はオレンジ色のパスケースに入れて首からかけている。
年末の29日には、デイサービスの備品を買いに近所のDIYに行ったことは覚えている。
そこでパスケースに入れていたクレジットカードを取り出し
そのカードで支払っていること。
続く30日は、正月の連休初日で夕方まで大掃除。
夕方の5時半に、美容院にいって散髪をしてきた。
大晦日の当日は、特に外出することなく家の大掃除。
実際に、この正月連休に外に出たのは、1月3日の母の命日に
実家の仏壇を拝んで、お墓に参ってきた。
部屋中、事務所中、全ての車両の室内を、何度も確認したが「見当たらない」
こうなると、大掃除の時にゴミと一緒に捨てた・・・・??としか疑いようがない。
こうなると来週の月曜日に、電車乗って津にある免許センターに行って
再交付をお願いしてこなきゃ!
その前に、紛失届をださないと !
それが、最近では交番に直接、出向かなくてもネットで届け出ることができるのです。
とても便利になったもので、誰かがネットでできるよ!と言ってもらわなかったら
自転車乗って神部の交番に行ってましたよ!
これだけでも助かりました。
まあ、月曜日には朝から三日市駅から電車乗って
三重県免許センターに行ってきます。
なんだか、自分自身の脳に自信もてなくなってきたな~
太陽の家では、職員のみんなに毎月10日を締切として
前月の自分自身の課題評価を行い、文章で提出してもらっている。
これは職員必須ではなく、あくまでも自分自身の決定に任せているが
年二回の人事考課に関連しているのも事実。
個別の課題を自分で分析し評価して次月につなげてもらっている。
そして、僕は、その提出された自己評価票に対し
僕の意見やアドバイスを書き込んで返却することを
今まで毎月、繰り返してきた。
ところが、その返却システムが故障してしまい
昨年の一年間分ほどの返却が滞ってしまっていた。
これは、職員に対し僕としての言い訳もできないことであり
今まで、常に気がかりな僕の課題でもあった。
そして、今日、そのうちの数人分を仕上げて返却した。
まあ、普通、この返却しましたよ!って話題で終わるところではあるが
一年分の職員の自己評価をまとめて読み直してみると
意外に別の意味で「なるほど・・・」と驚く発見が多くあった。
その一つが、一年を通してみてみると
職員同士が大体同じような課題を背負っていること。
悩んでいる時期は違っても、全員が同じような箇所で引っかかり、悩み
そして苦悩していることがはっきりとつかめてくる。
つまり、個々の利用者の課題に際し、同じように考えあぐむ姿が見えてくる。
同じ共通の問題点があるなら、その点だけアドバイスしてあげれば
職員も助かるのに・・・と考えるかもしれないが、そうそう簡単にはいかないようである。
相手も人間、こちらも人間。全く違った環境の元、違った状態で問題が表面化するから
一通りの対応策を伝授したところで効果はないからだ。
認知症ケアって、本当に複雑で難しいってのが
ここからも理解できる。
それと、もう一つの課題として、利用者の家族さんの思いを知ることにある。
家族さんとの素直な思いを聞きたいと要望する職員。
しかし、なかなか正直にお話を聞くことができないと訴えている。
僕も父を世話してもらっている立場として
実の父すら自分の手でケアできない自分を負い目に感じている。
恐らく、大半の家族さんも同じようにケアできない罪の意識は持っているのではないかと想像する。
だからと言うわけではないが、ケアワーカーの皆さんには感謝の気持ちは本心から
持っているわけで、これ以上、何の要求もすることはない。
ただ、自分の家族が認知症を患って、日増しに使い古しのボロ雑巾のように変わっていく姿は
決して見たくはないのではないか。
ヨレヨレのシャツに、ボタンも外れ、食べこぼしで胸元が汚れた姿でいてほしくない。
髪の毛もボサボサ、髯は伸び放題で近くによれば口臭がひどく、おまけに尿臭でも
するような生活が垣間見えるようでは困る。
ボケても、自分の父や母は綺麗でいてほしい。
そんな思いが家族の中には必ず存在する。
・・・・と、偉そうに自己評価票を溜めこんだくせに!と叱られそう・・・
さて、昨晩のブログの続編。
ストイックに自分自身の食生活を管理するとは?って点について。
何のためにそれ程神経質になって食生活を見直すのか?と言えば
結論として浮かんでくるのは、「人生長生きしたい!」現われなの?
長生きしたいかと言えば、それ程、自分自身の寿命に関して関心があるわけではない。
世間一般の高齢者と同じ、誰かの世話にならずにあの世に行ければ
それ程幸せなことはない。と願っているだけ。
いたって普通。そして、この至って普通の人の思いと同じ。
そして、普通の人のように年齢を重ねていくうちに、いろいろな病気を患い
思いもよらぬ結果に戸惑う自分が居るのではないかと思う。
以前、治療のために入院していた時に
同室の高齢者が夜な夜な呟くんですね。「なんで、こんなんになってしもうたんやろ・・・」って
おそらく、僕もこの時のご老人と同じことを呟くのかもしれない。
だから、今の自分自身を改めないと、後々に後悔するかもしれない。
そのためにも、もっとストイックに自分を見つめなおさなきゃ!と考えるが
やはり自分に甘い!
これ一個くらい! 今回だけ!ってのが僕の足を引っ張る。
長生きではない、苦なく死ねる方法を!と言いながらも
やはり本心では長生きしたい願望が潜んでいるのか・・・?!
最近では、更に「毎日のストレスが大きく、ストレスを解消するために不可欠!」と
また都合よい言い訳を思いついたりして・・・
人の思いってのは、非常に勝手なもので、どの様にしても自分に都合よく
物事を考えてしまうモノなんだな!
えっ・・・?自分に都合よく考えてるのは僕だけか?!?!
そして、限りなく職員たちに迷惑をかけているのも実は僕なのかもしれない!!
この正月休み中に自分がたどり着いた今年一年の目標。
「職員を僕の糞のような屁理屈でねじ伏せない事!」ってことだな。
海外では1月の2日からすべての事柄が動きを開始する。学校も2日からスタートしてくる。
海外では正月をお祝いすると言うよりもクリスマスを祝う方が優先されるからだ。
学校も企業も十分なクリスマス休暇をとって、新年の変わり際を喜び合って
それで終わり!日本人の自分にとって、この時期には多少の違和感をもって
学校に行ったものである。
さて、それはそうと、ここ数年、正月になると風邪をひく。
毎年、年を越せるのだろうか?と不安と焦りに苛まれ
必死になって年の瀬を迎えるからか、その疲れがどっと出て正月に風邪をひく。(?)
今年も同じく風邪をひいた。
運動もしないから、体がたるんでいる証拠だよな~と猛省している。
年齢と共に心身を鍛えることも忘れないで行きたいものである。
今日、久しぶりに執拗な族の暴走が行われた。
爆音まき散らして、この中央道路を走り回る暴走族に苛立ちながら
このブログの在り方について考えていた。
毎日、自分自身の思いつきを文章にしているだけのブログから
少し今年は脱したいと考えていた。
チャットやツイッターでないから、このブログを呼んでもらえる方々と
双方向の会話はできないし、討論もできない。
それなら、僕の方から問題提起をし、次の日に自分なりの考えを表示する
ようにすれば、ある意味、共に考えると言うことにはならないかと考えていた。
たとえば、認知症の人の権利や、家族の思いについて話題を提案する。
一日おいて、次の日に自分なりの意見を表示する。
別に考える必要性はないし、そんな提案に賛同してくれる読み手は限られているかもしれない。
でも、まあ、一度やってみる価値はありそうだ。
と言うことで、今回は、食欲について書いてみよう。
食欲は健康のバロメーターのように言われ、食べないとだめよ!と言われてきた。
そして、止めどもなくあふれ出る食欲に流されて
気づいた頃には肥満が重症化し、逆に主治医からは食べるものに注意なさい!と
注意を受ける始末。
ハングリーだから食べてしまうのか?
それとも生活習慣病が食欲を増進するのか?
何ともあほらしい話題ではあるけど、こんな話題を提供しあうにつなげたい。
それぞれに対処の仕方も違うし、うまく運動を結び付け余分なカロリーを
燃焼させている方々もいるかもしれない。しかし、そんな奇特な人は
数える程の人しかいないのではないかと思う。
ストイックに自分を管理できる人が少ない以上、蓄積されたエネルギーを
お腹周りにまとい、年々胴回りが太くなっていく。
そんな人生を送っている多くの人々よ!
これから先の自分の体型の崩壊と不健康極まりない生活習慣。
どうやって修正していこう!!??
この世には現在って時空は存在しないんだってことを書物で読んだことがある。
今は、その瞬間に過去に変わり、『今』はそのまま「過去」であるのだそうだ。
昨日からみれば、このブログを書いている瞬間は新たな過去となっている。
まずは2019年1月1日を過ごし、僕の人生の残りを一日減らしてしまったことである。
今年は、こんな屁理屈は言わないでおこうと新年の抱負に祈願したにもかかわらず
もうすでに約束を破る、この厚かましさ!!(笑)
僕の子供時代、テレビで人気だったのは「鉄腕アトム」や「鉄人28号」の漫画
アクションドラマとして子供の間で人気だったのが「月光仮面」
今、思い起こすと、非常に粗悪な画像で芝居じみたままの動きは
やはり時代を物語っている。
今の映像技術とカメラ機材の違いもあるけど、観る側の感性も今ほど研ぎ澄まされていない時代。
嘘っぽい事限りないテレビの番組にも、胸ときめかして見入っていた時代だった。
半世紀の時代の経過は、人そのものを大きく変えてしまう力を持っている。
社会の変化は早く、情報は瞬時に全世界に拡散される。
僕がIPhoneでやってるゲームも、世界の人が同時につながって遊んでいる。
言葉はいらない。ゲームをとおしてお互いが競い合うだけのゲームとして
誰でも、人種国籍や言語の違いに関係なく加わることができる。
前にも言ったように、半世紀前の子供の遊びは、近所の同じような年齢の子供たちが
唯一の遊び友達だった。そして、少し年齢が増してくると、つながりの輪が
隣町にまで拡大されていった。
そんな小さな世界に育ち、今では海外に無料で通話できる時代。
世の中は日に日に便利になり、社会が拡張されていく。
そして、その分、受ける影響も拡大し甚大になっていく。
社会や文化の広がりに対して、人間の心が追い付いていけない。
50年前の社会よりも、今の時代の方が社会に取り残されていく人が拡大されているような気がする。
未来と過去しかない今、私たちの暮らす社会から落ちこぼれることのないよう
未来に向けて何が求められているのか?