このホームページにある一つのコーナー『施設長の部屋』も書き始めて8年が経過するのです。
今回、あらためて振り返ってみて、いろいろな情景が目に浮かびます。
このコーナー、私の個人的な呟きコーナーでもあり
その時に頭をよぎった事柄を、描き下ろしています。
本来なら、高齢者介護に関する話題であるべきかもしれませんが
私のもう一つの顔でもあるフォーミュラアーワンの仕事に関する記事もあります。
読み返してみると、その時々の自分の思いが滲んでいます。
今振り返ると恥ずかしく思える記述もあります。
また、誤字、脱字、取り留めもない文章…..と
え~っ、こんな事を書いて……と反省する部分もあったり。
まあ、しかし、これも全て自分であることに変わりはありません。
恥を忍んで、現状を変えることなく残していくこととします。
暇があれば、過去のブログにも立ち寄ってください。
月に一回の施設内研修を実施しました。
今回のテーマは、介護の現場におけるチームワークの構築。
まず、丸三つと棒一本を使って自由に絵を描いてもらいました。
皆さんなら、どの様な絵を描くでしょうか?
今日参加した職員のほぼ全員が「お団子」の絵を描きました。
しかし、手渡した白紙に描かれた団子の位置や大きさは
書く人によってまちまち。
描き終わった職員に団子に結びついた理由と
団子を描いた位置に対して訳を説明してもらいました。
最初は訳もわからず同じ様な説明をしていた職員ですが
説明を聞いているうちに、説明内容に変化がみえてきました。
最初は当たり障りない応えをし、周りの職員の考え方が見え始めて
次第に自分自身の思いを修正し始めた結果だと考えられます。
私は、この点を職員に強調して説明しました。
相手を観察する事は、人間関係の改善には不可欠です。
同時に相手の考え方を理解しようとする姿勢は
視点の幅を広げます。
幅広い視点を持って相手を見つめることで
相手の優れた点や特徴を掴みやすくなります。
私は、この姿勢が相互理解にとって大変重要なキーワードとなると考えています。
単純な図形を描いて、お互いの思いを想像し
合わせて相手の思いを聞く事で
更に他者の考え方を学習します。
私は、この相手に対する複眼的な視点を
職員全体が持ってくれることが
チームワークをより堅強なものに成長させると説明したつもりです。
相互の信頼、チームで超える職場の壁、
太陽の家で働く意義や意味を
ここで働く全員が高めていってくれることを
切に願います。
モクレン=マグノーリァ(以前にもブログで紹介しましたが……..)
太陽の家のモクレンが春を告げています。
青い空に真っ白な花がとても清々しく美しく映えます。
命短い花ですが、春一番の花として
私は大好きです。
さる3月24日(金曜日)のお話ですが、弥富市から真宗大谷派の僧侶に
太陽の家にお越しいただきました。
「縁」と言うのは非常に不思議なもので
このお坊さんとの関係は?と言えば
以前私が鈴鹿市の福祉講演会に呼ばれたことがきっかけなんですね。
私の講演を奥様が聞かれ、それ以降、メールでの意見交換を重ねる中で
お坊さんであるご主人も、高齢者福祉にご興味があるとか…….
一度、直接意見交換をさせていただきたい!と言う結果が
この訪問につながりました。
いろいろとお話を伺ううちに、地元の有料老人ホームでも色々な支援をされているとか。
言ってみれば、沢庵和尚を目指しているような人物でもありました。
坊さん=死に直結する立場の人と老人ホームって?と訝しく思われるかもしれませんが
意外と皆さん、素直にお話を受け入れてもらえて、
屋台の骨組みを作成しました。ここから組み立て式とするために六角ボルトを使います。
日曜大工程度の技術ですから、本当に出来上がるのか不安です。
骨組みの政策は昨日の夜、パネルを張って完成は今日の午後。
まあまあ、それなりに形にはなりました。
この屋台を使って、たこ焼きやお好み焼きを利用者の皆さんの面前で調理して
楽しんでもらおうと考えています。
太陽の家が調理を委託している三重給食センターさんの協力を頂き
来月の18日には、天ぷらのライブキッチンを実施してもらいます。
その場で揚げたての天ぷらを利用者の皆さんに食べていただくつもりです。
最終的に掛った経費12,000円。安く上がりました!!
本日はグループホームの運営推進会議が開催されました。
行政担当者として北部包括支援センター。
地域の総代さんや民生児童福祉委員の方々、ご家族、
総勢16名の方々にお集まりいただき一時間を目途に
太陽の家グループホームの運営に関し話し合いの場を持たせていただきました。
この運営推進会議は法令で二か月に一回の割合で開催が求められており
半ば強制的に(?!)参加をお願いしているわけですが
皆さん、本当にお忙しい中、この事業所に足を運んでいただいてます。
せっかく来て頂くのですから、有効に活用させていただくことが求められます。
司会進行の管理者も額に汗しながら毎回奮闘しております。
回を重ねるにつれ、進行も慣れてきたようで
結構上手に進めています。(笑)
私たちがこの運営推進会議の場に求めるものは
自分たちが気づかない視点を頂戴することがメインです。
一人の目で探すより、複数の目で探す方がモノは見つかりやすい。
そんな理論で、この会を毎回進めさせていただいてます。
次の開催は5月中になる予定です。
毎回、この会に参加いただいている皆様、本当にありがとうございます。
グループホームに限らずデイサービスにおいても
認知症の人の単独外出には神経を集中させなければなりません。
うちでは出入り口のセンサー音とモニターカメラの画像でチェックをしています。
職員全員がセンサー音には特に敏感になっており、
毎日、センサー音が鳴ると、全員がモニター画像をみます。
その画像に利用者さんの姿を見つけるたびに
職員が走ります。
時には頻繁にセンサーが反応するときもあり
時には全く反応することなく穏やかな一日もあります。
日によって、対象者によって異なる状況ですが
この二つのシステムによって
今まで利用者が行方不明となることもなく
無事に運営を継続してこれました。
ただ、残念なことに新規利用となる認知症の利用者さんに対しては
入り口自動ドアの電源を切ることもあります。
この処置は 利用者さんの状態を把握するまでの限定期間だけ実施しております。
決して言い訳ではないのですが、出来る限り行動に制約はかけないように
心がけています。だって、制約を加えればその分介護が煩雑になり
介護者の負担が増加することとなるからです。
この処置を行いながら、その人の役割や活動の場を作り上げていく。
そのような支援を行っています。
妙なタイトルのブログとなりました。
昨日、ショコラの命が閉じられたことはお知らせしましたが
同日、太陽の家デイサービス利用者のお一人がお亡くなりになりました。
犬と人間では、事の重大さは大きく異なりますが
でも、命と言う点で考えると非常に心さびしいものがあります。
今日、午前中にショコラにお葬式をだしてあげるために
名古屋のペット専用霊苑に行きました。
手作りのお棺に布団を敷いて、生花で埋め尽くすほど
色とりどりの花を入れて荼毘にふしました。
小さな小型犬ですし、上下消化器官の病に侵されたこともあり
健康な時より1.7キロやせ細り、最後はたった4キロ。
最後のお別れをし、控室で待機していたのもつかの間
うちのショコラの骨を拾い、お坊さんにお経を唱えていただき
小さな骨壺に入ったショコラを連れて自宅に戻りました。
この間数時間。三連休の初日と言うこともあって
国道や高速道路は渋滞。50キロほどの距離の移動に2時間もかかりました。
時間をかけて遺体を運び、荼毘に付し、渋滞を帰る。
帰ってから服をも服に着替え、今度は利用者さんの通夜に参列。
昨日まで声を聴き、目を合わせ、声をかけていた人や動物が動かなくなる、
そして、粛々と時間は経過し、全てが一段落する頃には、今まで居た人やペットがいなくなる。
確実に時間は動いていることを殊更、強烈に感じた一日。
毎日、目を開けて僕を見てたショコラは、いつもの場所にいない。
16年前に赤ちゃんのミニチュアダックスがうちにやってきて、
それから16年。いつも同じ場所から首をかしげて僕の方を見ていた。
時間の経過とともに、どんどんと情景は変わっていく。
年齢を重ねるごとに一日、一時間、一分の重みが増してくるような感じがした。
残念なことに時間は止まってくれないんだ。
楽しい時のまま止まってくれれば良かった。
ショコラの骨壺を抱えて歩いているときに
このタイトルの『時間は止まらない』ことを強く意識してしまいました。
今日は、理容の日。
理容ボランティアとして来て頂いている理容師さん。
ボランティアさんとして関わって頂くようになったのも
ご家族さんが当デイサービスを利用されるようになったことからです。
居宅のケアマネがグループホームの管理者に担当するケースについて
相談している様子も撮影しました。
パソコンのネットワークを使って、利用者の方に関わる担当者さんと
情報の共有をすすめています。
高齢者支援、特に在宅生活を維持されている高齢者の方々には
医師を含め多職種の支援が必要となります。
その中で、日々の状態の把握を関係者全員が把握できることは
支援の濃度を上げることにつながります。
インターネットってのは、使い方次第ではとても強力な助っ人となります。
今年の一月中旬以降、重篤な状態となっていた愛犬、ショコラちゃんが
とうとう逝ってしまいました。
昨夜、寝る前には顔をあげ一点を見つめていたショコラを確認していたのですが
今朝6時に起床した時にはすでに体は冷たくなっていました。
この4月で16年。犬にしては長生きした方です。
以前にもブログで書いたように
ペットの犬にしても、私の方から点滴治療をとめる勇気がなかったのですが
私たち高齢者介護を実践する者として、人の最終段階に立ち会うことも多くあります。
人が一生を終えようとするとき、どのタイミングで医療を切り離すのか?
緩和とは何なのか?
今回のショコラの件でも僕は獣医師と議論もしました。
全ての点滴が延命治療と断言できない事。緩和治療とは、それなりの目標となる苦痛があってこそ
対処する方法と言われたことに、僕なりに反論をしてきました。
反論をしながらも、ずるずると決断を先延ばしし今に至ったわけですが
ここまでの治療に苦痛を与えることはなかったのか?
本人が意思表示をできない状況下で、本人の思いを酌みとることの難しさ
本人の思いに寄り添って結論を出すことの難しさを感じました。
こんな話をうちの職員にしたら、獣医師も商売やから・・・・と点滴治療の継続に対して
意外とクールな言葉が返りました。
事の根本にはすべてに際して経済システムにのっかった上で生活をしている我々です。
商売だからとすれば、生きるのも金次第と割り切らなければいけないのか?
いろいろと難しいですね。