今日の屋外は意外と肌寒い一日で、風が冷たい! でも、初老のオッサンは風の子、元気いっぱい自転車乗って鈴鹿市の山の手へ向かって、向かい風おまけに上り坂を必死に走っていく。
今まで走ったことのない道を選んで走っている内に、この写真のようなレース場を見つけた。最初は何気なく通り過ぎたが、こんな田舎に、なんと贅沢なラジコン用レース場が作られている情景を写真に収めたくって引き返した。
写真の順番が狂ってしまったけど、ここに紹介する池は、鈴鹿市のインター近くにある竜が池って名称の貯水池で、僕が聞きかじった程度の説明させてもらうと、昔、この池が良く氾濫をおこして近隣の田畑に被害が出ることが多かったらしい。そこで、お竜さんと言う地元の若い女性が人身御供となって堤防に生き埋めにされたとか。それ以降、池の氾濫は収まり近隣住民は安心して暮らすことができた。という伝説が存在する。
でもこの写真からは、そんな凶暴な池には見えないほど、静かでおとなしい池のように思える。その竜が池でのスナップとバイクを撮影した。
『がんの征圧は間近か!? - 鳥取大、悪性度の高い未分化がんを正常細胞に転換』
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140128-00000069-mycomj-sci
1月28日のネットニュースに掲げられた見出しは衝撃的なニュースであった。鳥取大学医学部が未分化の癌細胞を正常細胞に転換できる方法を発見したというニュースである。医学的知識の乏しい私には、単純に喜ばしいニュースとして、近い将来に癌患者にとって素晴らしい発見であると同時に、人間の死に至る第一要因ともいえる癌が根絶されたら、人はどのようにして死んでいくのか?を思った。
現在の人の死における第一次の原因疾患が癌であり、それ以外は心臓疾患や脳出血などの疾患が言われている。一部報道では成人の二人に一人は癌を患っていると言われ、生命保険会社もこぞって癌治療をめぐる保険を整備している。
その中で細胞の変化を正常細胞に変えることができ、癌となっても死に直結する病でなくなれば喜ばしいどころか、これほど癌患者の精神的支えになる発見は無いのではないか。しかし、こうやって不幸にも癌で死ぬことが経たれてしまう将来を考えると、逆に不安になってしまうのも事実である。
2025年には団塊の世代が軒並み75歳の後期高齢者の域に達し、ただでさえ認知症の増加が懸念される上に、医療分野の並外れた進歩は(介護の進歩が追い付いていない・・・ともいえるが)さらに、人生の幕引きの原因となる切っ掛けが無くなっていくのである。死の宣告と言われた「癌告知」でさえ恐れることはなくなれば、いったい人類は何をもって人生の締めくくりとするのだろう。もちろん、癌で死ぬことの恐怖は十分すぎる程、自分自身は理解しているが、その癌ですら完治するとなると(癌の場合は「完治」とは呼ばない)、人生はどんどん長生きすることとなり、長寿につれ認知症の発症が増加する。と言うわけである。
何にしても人は死を恐れる。かく言う私自身、死に対する恐怖は人一倍強く抱いている。体力も衰え、自分の姿かたちさえも衰えを見る年齢となって、世間に醜態をさらすことを良しとしない自分さえ、死ねる病が無くなることの方が恐ろしい気がする。ヒトは本当に都合よく作られているものだ。死を恐れ、病を憎み、病が無くなることを切望しながらも、老人として夢も希望もなく、ただダラダラと生きることにも文句を言おうとしている。
毎日、毎日、本当に何のために一生懸命動き回っているのか、時として見失ってしまうときがあります。特に何かして結果に結びつくものばかりではなく、全く何の効果も、結果も得ることにならない場面の方が多いくらいです。それでも、私たちは必死になってもがいているのですが、この「面倒くさい・・・」を全て排除したら・・・いったい自分はどんな風になってしまうのだろう??
面倒くさい事をせずに生活する。たとえば朝起きることが面倒くさい。だから寝続ける。しかし、寝続けると背中や腰が痛くなるよねえ。第一、そんないっぱい眠り続ける事も出来ないし・・・
そういえば、朝起きて歯磨きするのも面倒だ!僕の場合は朝ぶろだから、朝からお風呂に入ることも面倒くさい・・・でも、寝起きに歯磨きしないと、口の中が気持ちよくない。大体からやね、歳とってくると加齢臭なるものがあって、朝起きて服を着るにも加齢臭たっぷりに香水たっぷりは好ましくない。匂いが混ざって、それこそ全部洗い流したいくらいの気分となるだろうね。
僕は食べ物に対して貪欲だから、朝食は面倒くさくない。
しかし、仕事に行くのって面倒くさい。仕事なんてくそくらえ!って呟きながらも、デイサービスやグループホームの爺さん婆さんたちの目を気にしながら、仕事に出ずに裏庭の草むしり!なんてできっこないし。
日中は、色々なところからの電話が入るけど、これだって面倒くさいの一言に尽きる。別に話をしたくはないし。相手の都合で電話に呼び出される。これは何とかせにゃ!おまけに、もう一本ある電話も鳴りたい放題で、ジャンジャンかかってくるけど、俺は電話交換手じゃあないし!って大声で叫びたくなる。
しかし、この面倒くさい毎日が無くなってしまうと?きっと寂しいんだろうね!何もすることがない程、わが身をもてあそぶ。ただ、じっと黙って周りを眺めているだけって耐えられないよね!!
すると、やっぱ、面倒くさい≒遣り甲斐、生きがいに結び付くってわけなんだ。まだ、当分は、この僕も毎日、面倒くさい!と叫びながらも、仕事を続けているのだろうね!
幾つになっても若くいたい!
この私にしても、そんなことを思う歳となって、そう考える自分にあきれ返っている始末である。しかし、さりとて、このまま黙って自分を老いに任せる事だけはしたくない。これを悪あがきと言うか、年寄りの冷や水と言うのか・・・ここ数か月、毎夜毎夜、ダンベルを使って密かに筋トレを行っている。一個3Kgのダンベルを上腕筋を鍛えるために、400回の上下運動を行っている。それと、十字の位置に持ち上げ静止を1分間を3セット。背中から頭上に持ち上げを100回。これを毎日繰り返すことで、結構、力こぶはたくましくなった。
一個3Kgを両手にもって計6Kgのダンベルにも慣れが生じてきたので、今日は一気に重量を5Kgにしてみた。何とか150回はこなせたが、腕がだるい。
筋肉を鍛えて何となるわけではなく、それで女子にもてるわけでもない。僕の場合は、綺麗に格好よく洋服を着たい一心である。定期的に読んでいるレオンなる雑誌に登場するモデル男性の胸の厚み、程よい腹のでっぱりが、いたって格好良い!僕もちょい悪イタリアンな親父を気取っている以上、それなりの姿にならないと話にはならない。きっかけは、この単純でいて無謀と言うかバカげた発想がもとで、このダンベル運動を始めたのである。
これから薄着になる季節。イタリアンな親父は、こぞって薄黒く日焼けした肌を惜しげもなく露出し(考えてみれば、いい歳こいたオッサンが気持ち悪い!)、どうだ!格好いいだろう!と言わんばかりな態度。まあ、クレイジーな世代の代名詞かもしれない。
さて、このオッサン気質。この色気が無くなるとボケる?! 僕はその通りだと考えている。ボケてしまうことに恐怖はないと言えばうそになるが、人生長生きになって、他に命を奪う病が無くなりつつある今の医学。長寿になればなるほど、頭の老化は大きな課題となって高齢者に残されていく。いつまでも色気を失わずと願い続けて、結果的に色ボケした認知症の親父になってしまっても困る。だから言い訳にしか聞こえないかもしれないが、僕はあくまでも洋服を格好良く着こなしたい!それだけの望みなんで、その点誤解の無いように!
「新幹線から見る富士山」
悩み多き人生。何かと心配事があるのか、疲れていても眠りが浅い。そして、何度も何度も夜中に目覚めてしまう。
暗闇の中に浮かぶデジタル時計の数字をみて、まだ起きるには早すぎる。そう自分に言い聞かせて目を閉じる。体の向きを替え、枕の膨らみを戻したり、めくれ上がったパジャマの裾を直したり・・・やってはみるものの一度目覚めた頭は、それ以降星空のもとに飛んで行こうとはしない。
暗闇の中で思うことは、今のこの時間に眠れない不安な思いで布団にくるまっているのは自分だけだという思い。
そして明日もしれない不安な感情に震えおののいているのも自分だけだという思い。
この先に夢を描けない、絶望の淵に立たされているのも自分だけだという思い。
深夜に目覚めて、眠らなければ!と言う焦りを感じ、このままでは明日の仕事に差し障りがあるという思い。
こんなにも家の中は静まり返っているのに、眠れない自分がいる。ほかの家族を自分のために巻き沿いにしたくはない思い。
眠れない夜を過ごす人は、皆同じようなことを考え、感じながら、床の中で悶えている。
そんな人たちに告ぐ。
無理して寝なくても良い!と僕は思う。人間の体は上手くできているもので、多少眠らなくても死にはしないように作られている。眠いけど眠れなくても心配はいらない。無理して寝なくていいよ!と自分に教えてあげればいい。そして、窓の外は暗くて町全体が眠っているように思うかもしれないけど、この時間にも働いている人はいるし、同じようにベッドの中でまんじりと朝を迎える人もいる。そして何よりも、自分は一人ではないことを信じる。
僕だって眠れない夜は多い。仕事や将来に対する不安な思いから深夜に目覚めることも多い。そんな時は、自分の好きな音楽を聴く。テレビの音量を絞って画像だけをみる。頭に思い浮かぶ事柄を日記に文字として残す。僕の場合はパソコンをひろげ、パソコンに思いをつづってみる。本を読む。そうやって、眠らなければモードのスイッチを一旦切るようにしている。そして、眠る行為とは真逆の行為をし始めることで、知らず知らずのうちに眠ってしまう。でも、迎える朝に仕事が入っている夜に眠れないときは、そのまま眠りに入らう、起きて過ごす時もある。
無理はしない。なるようにしかならない!そう言い聞かせて自分の心を落ち着かせようとしなければ、時が来れば寝入ってしまうものだ。
眠れないときに僕は睡眠導入剤を使わない。以前、ドクターから安定剤や睡眠導入剤をたんまり処方してもらったが、僕は逆にそのまま朝になっても起きないかもしれない恐怖から、自分から進んで服用しようとは思わない。それが逆に、開き直りと言うか、放っておけばいつしか眠れる!と言う図太さに変わった。
人の精神は緻密ではあるものの、逆に緻密すぎて一旦、どこかで断線してしまうことで回復方向に進み始めるものである。いずれにせよ、苦になるものを見つめすぎず、かといって逃げない。今の現状をしっかりと認識して、そこに多くを求めないこと。今、生きてることが一番重要で幸せなことと思えば、これ以上の何が不安になろう・・・