緊急雇用プログラムに関しての文句です。非常に腹が立っています。
僕は、高齢者福祉の重要性を常に訴えています。生産性のない仕事だ!と判断する人も中には居ます。砂漠に水を撒くようなものだと揶揄されます。確かに人生を終えようとする人々に、税金を使って筋肉トレーニングの実施は無意味のようにも感じます。対人援助も言い換えれば「余計なお世話」かもしれません。しかし、だからと言って人生の終盤が「何の尊厳もなく、無益な存在」と扱われて良いのでしょうか? そのような終盤が見えているのに人は一生懸命働き家族を養っていくだけの気力を保ち続けることができるのでしょうか?
老後は子供たちの世話に成らずとも、ゆったりと安心した生活が保障されるから生き続けるのでしょう!?この約束が消滅してしまえばどうなるの?という点で、僕は社会保障の重要性を強く皆さんに訴えたい。
そんな重要な役割を担っている介護職は、過去も現在も人材不足が顕在化しています。人材は常に不足しているのが介護の現場であり、三重県の平均求人倍率の変化に関係なく、何処の施設でも人材が足らない。それも優秀な人材が不足している。この「優秀」な人材と言うポイントが特に重要で、利用者や家族は、万全なるホスピタリティと豊富なスキルを介護に求めようとする。しかし、支給される給与は日雇い労務者より低い賃金で、日本の最低賃金を少しばかり超えた程度の賃金しか払えない現状を考えると、この賃金でハイスキルの優秀な人材は期待できないわな!と言う結論に達してしまう。
超高級な五つ星ホテルのスタッフや世界を相手にする航空会社のフライトアテンダント(スチュワーデス)を介護の現場に求めても、そりゃ無理だろう!という結果と同じである。しかし、そこまでは求めないにしても、この現状を何とかしなければいけない。この緊急雇用プログラムってのは、先の東日本大震災以降の職を失った人々(本来ならば震災の影響を受けて失職した人が対象ではあるのだろう・・・)が介護を希望した場合、その人が介護職員初任者研修資格(旧ヘルパー2級)を取得する経費を税金で負担し、同時に資格取得いたるまでの雇用賃金のすべてを行政が負担するという制度です。
要するに働きながら資格取得を行える。そしてその間の給与、保険、資格取得費用のすべてが税金で賄われる。三重苦が叫ばれる介護の現場に、公費を使ってお試し期間を設け、おまけにタダで資格取得ができる。できれば、そのまま介護を目指して働いてほしい!と言う微かな期待をもって行われているのであるが、ここにきて不発に終わるケースが非常に多いって問題が出てきているようである。
資格取得まで至らずに、志半ばにギブアップする輩が多い。人それぞれ考え方も人生経験も違うから控えめに考えても、最初の心意気の持ち方に疑問を感じてしまう。途中で投げ出すことに対し、何の恥じらいもない点(この考え方は古い考え方であることも承知の上でいうなら・・・です)現代人の就労に対する意欲と意義ってのが軽すぎる!と憤りを感じているのは僕だけでしょうか・・・?
政府も、こんなところに税金を投入するくらいなら、なんで現状の介護職員に対してもう少し手厚くできないのか?と感じてしまう。鶏と卵の論争になってしまいがちな課題山積の介護の現場。今後の高齢者介護だけに留まらず社会保障全般に対する理論を日本としてもっともっと話し合わなければいけないと考えている。