いつものように近所のスーパーへ買い物。僕の買い物は、その場で献立を決める。格好良いみたいだが、これは意外と不経済極まりない行為で、無駄な買い物をしがちである。さて、今日のお話は無駄な買い物ストーリーではない。今日、立ち寄ったスーパーでの出来事。いつものようにブラブラと食材を吟味しながら店の中をうろついている時、5歳か6歳くらいの男の子が、声の限りの大声で叫んでいる。確か、小学低学年程度の女の子が近くにいた。その男の子のお姉さんらしい。男の子は「おねえちゃん!▽□!?×◎・・・」と訳のわからない言葉を発している。それもあらん限りの大声だ。僕を含め、周りにいた客の皆が、その子の方に振り向いたくらいだ。耳に突き刺さるような大声で、何度も叫ぶ男の子を無視するように、母親は平然として買い物を続けている。
その子の母親であることは、その時のそぶりで一目瞭然、他人の僕にも判別できるものである。他人さんの場合は、わめき散らす男の子をいぶかしげに見るものだ。ところが、親は、そんな子供を他人のふりをしているようだが、その不自然さが逆に親ですと!物語っている。事実、レジで並んでいるその子と母親は、僕の想像通り一緒にレジを通って行った。
最近の若い親たちは、子供に圧力をかけずに豊満な気持ちで自由にふるまわせる。そのほうが、大きな人間に成長すると思っているようだ。確かに、今の大物政治家の献金疑惑裁判でも、大物は4億もの大金の出所をうやむやに、闇の中に隠ぺいしてしまうほど大胆で不敵である。小さな事には、構うほどの神経は持ち合わせていない。たかが、スーパーの中。不特定の人たちが集う公園と同じ、どこの誰とも知れない者たちが買い物する場。誰に遠慮する必要もない場所であるらしい。
僕が子供のころは、小学校のある神戸(かんべ)の商店街が地元のお買いものエリアである。そのような場所で、今日の子供のような振る舞いでもしようものなら、その辺に歩いているおっさんに「浩一!静かにせい!」と怒られたものだ。僕が有名な子供というわけではなく、その当時は、その辺の誰もが、何処の、誰それの子供であるとか、親の職業まで知っているような社会であった。ちなみに、うちは豆腐やアゲを製造販売していたので「あげやのこういち」として知られていた。
僕が中学を卒業した頃、夏の暑い盛りに親父のサングラスをかけて、麦わら帽をかぶって神戸の街中を歩いていたことがあった。その夜、家に帰ると母親から、サングラスをかけて歩いていたことを問い詰められ、こっぴどく怒られたことがあった。僕は気づいて無かったが、知り合いの人に目撃され、そのことを家の母親に通報されていたのである。小さな町だからこそ、昔の時代だからこそと言えばそれまで。今は、私自身含めて、公共のルールとマナーを教える通りがかりのオッサンはいなくなった。人間関係が極端に希薄になっている。これも個人情報保護の観点から、他人の事を詮索する風潮にくぎを刺されているからである。
高齢者介護の世界で地域密着を求められ、地元との連携を強要されるものの、社会全体の関係性が希薄化している現代社会。どのように社会貢献できるのか、本に難しい課題となりつつある。
車には必ずクラクションが付いているよね! そして、クラクションの音色はまちまちであり、人によってはオリジナルな音色を嫌って、又は、オリジナリティーや奇天烈を狙い音を変えている人もいる。軽自動車なのに大型トラックのようなエアーホーンを取り付けていたり、ベンツのクラクションを真似たりと様々である。今日、太陽の家の前の幹線道路脇の植え込みの除草を行っていたが、本の一時間程度の草抜き掃除の間に、結構な台数の車がクラクションを鳴り響かせて走り去る現場に遭遇した。
一台は、対向車の右折に伴い、自らの進路妨害をたしなめるクラクションだった。もう一台は、施設前のショッピングセンター駐車場から幹線道路に出るときに、信号待ちで並ぶ停止車両に道を譲ってもらった礼としてクラクションを鳴らした。それもエアーホーンである。そして、もう一台は、猛スピードで走り去る車が、前方の障害物にあたる車両に向け発したクラクションである。
いずれのクラクションも冷静に考えても不必要な行為であると感じる。僕から見ると、最初の一台は、少し減速してやり過ごせば支障はない場面であり、そこのけそこのけ俺様が通る!とばかりに、相手を威嚇する行為はとっても失礼極まりない行為である。良く言われる事であるが、自分の占有道ではない。公共の道路で俺様が通る式の運転手って意外と多いものだ。次に、系車両を運転する女性は、礼のつもりでエアーホーンを鳴らして走り去ったが、彼女は片手にたばこを持って、片手でハンドル切手、クラクションを鳴らして行った。女だてらに!と言うと男女平等の時代に叱られそうだが、手を挙げて軽く会釈すれば済むことではないのかなア・・・うちの近所でも深夜にも関わらず、知り合い同士か何かか隣の集合店舗の駐車場から出る際にクラクションの挨拶を交わす連中がいる。同じようなタイプに思える。いずれにせよ、車のクラクションって、いまどき使う頻度は減少傾向にあると思われるが如何かな? 車のクラクションは対向車や歩行者を威嚇する為のモノでは無いと思うし、知り合いに挨拶を交えるための道具でもないと思う。クラクションをやたらめったら鳴らしたがる連中を見ると、田舎臭く、オシャレでない気がするよ。
時と場所、状況を考えてスマートについでに言えば知的にクラクションを使うことは出来ないものか・・・・・???
まったく介護とは無関係なプロ野球の話題。早速だが、昨夜の巨人 Vs DeNAの6回戦。8回表まで巨人は杉内の好投で相手陣営を0点に押さえ込んでいた。結果、杉内の自滅で8回の表、DeNAに一点を与えることとなってしまい、試合は引き分け。
さて、問題はここにある。杉内という投手。今年、実業団野球からパリーグに入り活躍してきた選手だが(巨人はヘッドハンティングがお上手なようだ)、今一持久力と言うか、集中力にかける点で信頼度が若干低いと僕は思っている。そんな杉内をどの時点で替えるか?!という点を考えてみたい。実際昨日の試合で、1対0に押さえ込んでいた7回裏の巨人の攻撃の中で、1アウト(加治前がライトフライでアウト)出塁なしの時点で、ピッチャーの杉内に打順が回ってきた。次に控えるのが一番打者の長野。運よく杉内は四球連続してボールの四球となり出塁。この日の巨人軍の打撃陣は低レベル。出塁を得点に結びつけることができない。原監督は、それまで無失点に押さえ込んでいた杉内を継投させる方をチョイスしたわけだが、結果は、次の回に杉内は自滅する。
野球は団体戦と言いつつ、個人の技量がチームに大きく影響するスポーツ。一人が崩れるとチームに与える影響も大きい。それだけに、個々の選手の使い方によって勝敗は大きく変わってしまう。要するに原監督の采配の問題が、今の巨人軍のリーグ順位に関係しているということである。プロ野球を社会に例えると、個々の球団はさしずめ企業。監督は、企業のトップの立場である。事業として成功を収めるためには、DeNAの中畑監督のように、選手にげきを飛ばし精神力を叩き込みながら、アンパイアヤーにも執拗に食って掛かるほどの粘りが必要なのか?それとも選手である職員を信頼して、例え負けたとしても選手の成長を促す采配を目指すのか・・・?!
野球を見ながら、僕は自分の事業所を考える。さて、僕はどちらを選ぶだろう・・・?と・・・勝利あるのみ!と形振り構わずに職員を使うのか?勝利だけでなく、将来に有望な選手を育てることを目指すのか?・・・・・・・・
野球、特に巨人のファンとしては、どうしても勝ってもらいたい。リーグでトップになってほしい。そんな気持ちが働き、あの7回の杉内の打席で代打という選択をしなかった采配を悔やむところだが、シーズンは長い。まだまだ前半戦の今シーズン。選手を育てる、同時に完封勝利と言う自信をつけさせてやりたい親心も理解できる。企業理念とプロ野球は一緒に考えてはいけないが、僕は原監督の考えに妙に納得してしまうのだが・・・・(だから、儲からんわ!って声が聞こえてきそうであるが)
今回の本はネットで購入した。まず、なんで機長の日記なのかと言えば、僕の持っているクレジットカードの関係で毎月送られてくる機関紙があって、その機関紙に毎月紹介されるパイロットのエッセイが面白く、他は読まなくとも、そのエッセイだけは、毎号必ず目を通すわけです。そんな機関紙に、過去のエッセイのすべてをまとめて本にした!という広告が入っていたので購入。続いて、高野さんと言う著者のホスピタリティに関する本だが、この方の経歴がすごい!世界的にもラグジュアリーホテルとして有名な「リッツ カールトン」の日本支社長を務めた人で、世界に冠たる五つ星ホテルを管理運営した、言うなればホスピタリティの神様と言われる方。僕は、この著者の本の大半は読んでいるが、それぞれに新たな気づきをもらえる。結構、役に立っている本の一つである。次に、トレーニング関連の本であるが、これは、今後のデイサービスにおける機能訓練を如何に行っていくか?を考えるために購入した。
昔から本を購入するときは、恋愛と同じ。「出会い」を重視する方で、その時に目に止まったものを片っ端から購入する。読める、読めないは別問題。直感みたいなものを感じて購入してしまう。今回も、立て続けに6冊の本(薄いものだけど・・・)が届いたけど。ところが、どっこい!実はこれだけではないんだ。あと二冊購入したものの、業者に在庫がなく、分納されるようで、あと数日後に残りの二冊が手元に配送される予定である。前回、速読術の本を買ったので、さぞかし早く読めるだろうと期待して読んでみたが、昨夜12時までかかって機長の日記一冊しか読めなかった。まあ、これも訓練!次第に、一日数冊の本を読めるくらいになってくれればよいが・・・・。
僕から野球等のスポーツの話題ってのは想像できにくい!と、よく言われる。僕のイメージは運動音痴でスポーツは全くやらない!って思われているようである。いやア、意外かもしれないが、これでいて結構なジャイアンツファンなんだ!そんなジャイアンツの話題ではなく、今回は横浜の「熱いぜ、チケット」のお話。
知っている人も多いと思うが、横浜は万年最下位に位置するチームであり、今年からスポンサーと言うか、チームオーナーが変わり横浜DeNAとチーム名称を改め、新監督に元巨人の中畑氏を起用して、その熱血ぶりをチーム運営に注ぎ込みながら、最下位からの脱出を狙っているチームである。流石に新進気鋭のコンピューターゲームソフトの企業であり、熱血漢の中畑監督だけに、横浜スタジアムの一塁側内野指定席の50席分は、1日から6試合「全額返金!?アツいぜ!チケット」として4000円で販売。観戦したファンの満足度により勝てば半額まで、負けたら全額まで返金する球界初の試みを実施したそうだ。
ここ三連戦を連勝し、いつになく好調(・・・・失礼!)な横浜。ゴールデンウイーク中の試合では10点を超える大量得点で中日に圧勝。見てる方とすれば、そこまで大量に得点しなくても、毎回、コンスタントに得点できるほうがチーム成績も向上するのに・・・・と思ってしまう。
ところで、この三連勝に際しても、チケットの払い戻しを求める声が大きい珍現象が起きているそうである。その理由に三連勝の前に三連敗している事をあげているそうであるが、そんなニュースを聞いていて、日本人のセコさと言うか、図々しさと言うか、何とも気分悪くなる野球ファンの存在に呆れてしまった。以前にも書いたが、今の日本人の自己中心的な振る舞いや思考に、社会全体がもっと考え直さなければいけないと書いたが、この横浜の試合をタダでみようとするファンの存在には、同じ次元の図々しさと利己的思考が表れていると思う。自分が応援するチームの選手には、ぜひとも頑張って熱い試合を見せてもらいたいと願うのがファンであり、そんなファンの御蔭で選手たちもオマンマが食べられる。ボランティア活動の一環で、毎日練習厳しい練習を積み重ねているわけではないよね!自分の生活もかかっているし、家族を養わなければいけないのは、選手とて我々と同じ。野球ファンとて正統派ばかりでないのは承知だが、少なくても野球場まで足を運び観戦するほどのファンなら、チームが勝った時くらいあ、ご祝儀を兼ねて帰り際にも入場料と同額のお祝い金を提供するくらいの器量がほしいくらいだ。
分けのわからない理屈を声高に喚き散らして、自分が楽しんだ時間分もタダにしてしまう根性。腐ってるぜ!そんなけち臭いファンがいる球団は、トップチームには登れないといわれても仕方ないぜ!