今日は昼少し前から、一変して曇り始めた空模様が雪に変わった。雪の日は、道路を走る車もこころなしスピードを控えめにして走るのか、この中央道路と言う幹線道路沿いの太陽の家も静かな午後を過ごしている。その静けさをけたたましいサイレンを響かせて赤灯を回転させて救急車が、太陽の家角の交差点に入ろうとしている。雪が降ると言っても、前方が確認できないほどの雪では無いが、一般車が救急車の存在を確認できる距離に地数居ているにも関わらず、スピードを減速することなく交差点を走り抜けていく。どの車も停車することも無い。救急車は、仕方なく交差点手前で通行車両の通り過ぎるのを待っている状態である。
救急車輌って、ひょっとして赤灯を回す単なるタクシー?と思ってしまうほど、人々の救急車に対する意識は低い様である。先日、救急車に関係する人物と話をしていて、最近の救急搬送依頼について頭を悩ましている実情を聞いた。それは、救急車を呼ぶほどではない要件でも、病院専用タクシーと間違えているような依頼が多いと言う。単に熱が出た、腹が痛い程度から指をはさんだ。等の要件で救急搬送要請されるらしい。そんな緊急性の無いケースが多いからかどうかは知らないが、救急車が赤灯回してサイレン鳴らして走行中も、道を譲るどころか、救急車よりも速いスピードで前をつっぱしていく輩も多く見受ける。二車線ある道路も、片側を空けることもしないで、前を走れば交差点で必ず前が詰る。仕方なしに、救急車は対向車線に割り込んで交差点に入る。本当に危険極まりない道路事情である。
平和で安全な日本国。紛争地帯のように爆弾で瀕死の重傷と言う患者を搬送していることは考えられない。だから?救急車はそれ程、急いで病院に走る必要はないの?かたや、三重県全体にようやく一機のドクターヘリが配備された。新しくなった三重大病院の屋上ヘリポートにドクターヘリが配備されたのである。まだまだ実用化には時間がかかるようだが、それでも三重県の全体に遅くても片道30分で到着するらしい。道路上を走る救急車は、結果的に救急搬送と言う役目を果たせず、本来の患者搬送ではなく、移動式の病院の救急窓口になり下がったのかもしれない。
高齢者介護を実践する中で、どこよりも救急搬送の要請を頻繁に行うこととなるが、高齢者に限らず、交通事故で緊急的処置の必要な患者も搬送される現状を、車を運転する者の全てが、更なるルールとマナーを守ることが求められている。救急搬送に限って言えば、1分の時間が大きな命の分かれ目となる事を、もっと理解してもらいたいと願っている。
最近、また地震の恐怖が増大してきている。東海、東南海、南海地震の発生もさることながら、富士山近辺の地殻の動きも気になるところ。巨大地震がこの近辺に発生する可能性が高くなってきているように思う。その中、ぼちぼちと防災に関連するグッズを買い始めて、備蓄在庫を整備しようと考え始めた。取りあえず、飲料水を長期保存できるものを二リットルペットボトルで60本、職員用にヘルメット、自分用に超高級ヘルメット一個(笑)、利用者用防災ずきんを40人分、空の飲料水用ポリタンクを5個、炊飯用の燃料、長期保存可能な電池等を準備した。来月には簡易式発電機を購入しようと考えている。
そもそも、巨大地震が発生する確率云々よりも、これらの準備は保険のようなもので、使わずに済む方が良いわけで、これらの備品を使わなくてはならない状況の時には、これらの備品にかかる経費以上に重い経費負担が伴うこととなる。おまけに、うちのような高齢者介護の事業は、利用者あっての採算ベース。利用者が居なくては、施設経営自体が成り立たなくなる。
今回の福島、宮城の東日本大震災の被災地を思うと、巨大地震の及ぼす影響は金銭だけでなく、そこに住む人々の将来設計まで粉々に砕き、生きる術まで奪ってしまいかねない。そう考えると、次に起こりえる巨大地震に対する備えは万全にして、社会資源としての役割だけでなく、ここに働いてくれる職員さんの生活も守れるような対策を取っておかなければいけないと考えている。
一昨日、厚生労働省から、事業所内におけるパワーハラスメント(以下、パワハラ)に関する定義についての発表がなされた。随分と細かな定義が定められ、おまけに個々の事業所なりのパワハラについて協議し事業所なりの線引きを行うことが奨励された。この件に関して、太陽の家でも職員(デイサービス担当者)と話をした。簡易的な話し合いであって、どちらかと言えば管理者から職員に対して、パワハラの定義を協議してマニュアル化した方が良いか否かについて質問した程度ではあるが、一応は、太陽の家デイサービスセンターの職員の意向としては、今のままで十分であるという判断がなされた。
質問している場に管理者がいる中では、正直な意見を言えないのではないかと言う事で、一旦管理者は場を離れ、フロアー長に意見の集約をお願いして、その場を去ったわけだが、それ以降、何も言われないことから、特段、線引きをする必要性は無いのかと思われる。
さて、このような法的な処置を摂らざるをえない社会的環境ってもの自体が本来で言えばおかしい!と私は考える。情報化社会となって、あらゆる情報が瞬時に世界に流れる時代となると個人情報が悪用され、それによる心理的被害の拡大が問題となり個人情報を保護する目的で「守秘義務」が法定化された。その反動と言うか、デメリットと言うか、日本全国、どんな田舎に行っても個々の家庭に表札は無くなり、隣の家の住人まで何をする人で、どんな人かも分からない時代と変わってしまった。それでも、地域密着と称して独居老人の孤独死を廃絶するための地道な活動を民生委員に課しながら、地域連携を保とうとする。先日、北海道の札幌では、障害者の妹を抱える姉妹が生活保護を受けることなくアパートの部屋で餓死?凍死していた報道があった。少し昔になるが東京だか埼玉だったか忘れたが、同じように障害者の息子を抱える母親の2人暮らしの住居で、生活を維持するだけのお金に困り、母親共々息子までが餓死するという痛ましい事件があった事を思い出す。このケースでは、母親が次第に欠乏する食糧や底つくお金の日々を死ぬ日までの毎日を日記にしたためていて、初めて逼迫する日々の実情が後になって分かったと言う点で、社会福祉を学ぶものは必ず講義の中で考える事となるケースであった。もちろん、地域の社会福祉事務所も出来る限りの支援はした事と思うが、なかなか本筋まで到達できない壁に阻まれて、これらの悲惨な被害者を救う事は出来なかった。社会保障は日本国憲法で保障された生存権を、少なからずも守ることが出来なかった参事である。社会保障は、誰でもが公平に受ける事の出来る公的な援助であり、それに対して罪の意識も持つ必要は無いものであるはずが、意外と古い時代を生き抜いた日本人には、他人の世話になる事を遠慮する気持ちが働きがちである。前にもカタカナ言葉の章で紹介したスティグマがこれに相当する。正当な権利であっても公的援助を受ける行為にたいする精神的抑圧感情である。かたや、自己責任で解決できない諸問題の全てを公的な線引きに解決策を求めようとする脆弱性に対し、なんともしがたいジレンマを感じてしまう。
パワハラに関しても同じような雰囲気で私にとっては、逆に職場の人間関係の希薄化につながっていくような気がして仕方がない。世の中が核家族化し、少子化がその核家族化に拍車をかける現代、少ない子供に接する親の気持ちは過保護に作用し、軟弱でひ弱な子供(これは、私自身の尺度で判断しているわけで、正論と言い切るわけにはいかないが・・・・)のまま大人になり、自分自身の心理的な処理能力も脆弱となる。事業所内での人間関係の維持にも心理的ストレスから逃れることは出来ない今、そのような脆弱な精神状況では、ストレス回避もさらに困難となってしまう。精神的脆弱さは、生きることへ真っ向から立ち向かう力を阻み、乗り切ることを諦め、問題から背を向ける。次第しだいと社会からの孤立化が進み、挙句の果てに集団自殺などの逃げ道を作ってしまう。時代が時代だけに、パワハラの定義も仕方ないのかと思うところはあるが、世界の紛争地帯にすむ人達と比較しても、今の日本人は、世界の中での生存競争に果たして勝ち残る事は出来るのか?と心配になってしまうのである。
最近パソコンの調子が悪く、入力途中に勝手にカーソールが別の場所に飛んで行ってしまう状態が多く発生している。特にギャ行等の小さいャ等が入る言葉を入力する時に多く発生する。その度に、全てを消し去り再入力しなければいけないので、非常に時間がかかり、手間も増える。長年使っているとパソコンも段々と扱いが難しくなる。うちの女房と同じかもしれない・・・・(オフレコでお願いします)
さて、そんなこんなで、正月気分もつい先日のことながら、もう今日は2月の一日。早いものである。歳を重ねるごとに月日の経過速度は速くなる。残りの命を数えると一抹の寂しさを感じる年ころ、この一日の過ぎ去る速度は、更に寂しさを強く感じさせる訳である。この残り少ない時間をいかに使うか・・・・?大きな課題を背負いこむこととなる。
一月の末日である昨日、今回の国家試験受験者二名の速報判定を見ながら、二人とも合格圏内の得点を得た事に喜んでいた訳だが、一昨年以来、国家試験への挑戦者が年々増えてきて、今年は2名が受験、100%の合格率、来年は、恐らく3名が受験する事となる。出来れば受験する3名が全て合格してくれると嬉しい限りではあるが、ここでも時間の経過の速さに勉強がt伴っていかない現実に苦悩する姿が存在することとなる。成人となって国家試験などの難関受験ってのは、学生の頃の受験と違い、家事、業務等と並行して勉強をしなければいけない点で、十分な勉強時間の確保が困難となるからである。特に小さな子どもを抱える主婦の場合、子供を寝かしつけてからの勉強は、それこそ寝る間を惜しんでの勉強スタイルとなる。当然一日24時間を有意義に使わなければならない。そんな過密なスケジュールが、更なる時間の経過を早くさせてしまう。
何時の間にやら50歳、それからあっという間の60歳。なんだかんだと病院のお世話になりながら過ごす70歳。人生はなんとはかなく、わびしいものなの?!