セントレアに離発着する飛行機の関係で、時として、うちの家上空を比較的低空で飛行する飛行機もあるのです。今日も、主翼に4個のエンジンをつけた旅客機が低空飛行しセントレア向け降りていったのです。僕のデジカメで、そんな美しい旅客機の地上からの姿を撮影したいのですが、そんなシャッターチャンスにカメラを持ち歩いていない場面が災いして、今のところ、ノーチャンスなのです。
飛行機って音速に近いスピードで飛行してるので、ジェット音が上空に聞こえてきたと察知して、カメラを取りに部屋に入っていたのでは、すでにシャッターチャンスは外れているのです。何度も言うように、音が自分の真上で聞こえ始めたら、実際の飛行機は、其の音の場所よりも遥か先を飛行して去っていくのです。
それでは、相手は定期便だから時間を管理して、地上から飛行機のつうかをスタンバイすれば・・・・と考えたことも有りました。しかし、これまた、理由は分からないのですが、時間を決めても全てが全て、同じスピードで同じ高度を維持して・・・ってわけではないのです。
まあ、そんなわけですが、其のうちに大きなジャンボジェットの機影を撮影して皆さんにお見せしますよ。
今日も暑かったです! 土曜日、日曜日と連休をもらえるようになって、ここ数ヶ月(・・・・・えっ? 土日に限らず仕事してへんやん・・・・!!!) まあ、そんなこと無いですよ。一応、仕事には出ています。いや、間違った、職場に顔は出してます。しかし、仕事は鼻毛を抜いてます・・・・・すんません!
さて、梅雨のなかば、写真のような雲が空一面にせり出し、日中の気温の高さを物語っているようです。今日も35度を越えた猛暑です。朝から気温は高く、室内の温度が異常に高くなって目が覚めたくらいですから、今日も一日あついだろうな・・・・と予想しながら色々な雑用を行いました。まず、洗濯。自宅のソファーにかぶせているカバーを洗いました。次に音楽を聴きながら洗車。愛車の洗車です。もう随分と洗っていない車は排気ガスなどが薄く幕を張り、車体の本来の色がかすみ始めてました。洗剤を薄めた溶液で念入りに洗車し、ふき取り作業。この時点で、履いているパンツとTシャツが汗でベタベタ。 次にお風呂場の掃除。お風呂場の天井にカビが発生し始めたので、漂白液でカビ退治とタイル掃除を行う。洗車で汗したTシャツも、天井の掃除で水をかぶり、さらにジュクジュクの水も滴るいい男!(・・・・?)に。 だから、もう一度洗濯。今まで来てたシャツ類を脱ぎ、いろいろと洗濯物をかき集めて洗濯機を回す。もうこの時点で、普段の太陽の家での業務より多くの業務をこなしている。太陽の家でも、これくらい良く働けば職員さんも助かるのに・・・!?
そして、お昼からは意を決して名古屋までお買い物に。せっかく洗車したのだから車に乗って出発!途中でガソリンを補給して高速道路を使って名古屋方向へ走る。高速道路の無料化社会実験も終了したからか、若干交通量も減少してるのか四日市までの区間は、普段だとノロノロ運転だが、今日は制限速度レベルで走行している。でも、やはり土曜日は車の量も多い。四日市インターに着くまでに、なんだか名古屋まで行くに億劫さが出てくる。いやあ、何だか行きたくないなあ~・・・・と、妙に疲れてしまい(まだ、鈴鹿から四日市までの区間しか走ってないし・・・・・)、そのまま四日市インターで高速をギブアップ。一般道を走って四日市駅界隈で買い物。夕食の食材を購入。そのまま自宅に戻り、まだ陽は頭上高く輝いているため、もう一仕事。太陽の家の裏庭の植栽を植え替えよう。そろそろ、夏の花に入れ替えて、利用者の皆さんに明るい雰囲気で窓からの眺めを楽しんでもらおう。と思い立ち花の苗を買いにお店へ。其の足で、太陽に戻り植木鉢を整理、土を整え花を植え替える。6鉢ほどの植木鉢に植え替え水をやる。これから10月ごろまで、花を楽しませてくれる。
そして、多少陽は翳っていたものの、やはり暑い。お花の手入れにも着ていたシャツ等が汗で濡れる。そして、また洗濯しなければいけない。今日のように暑い一日は、汗かいたら、そのまま屋外で水道の水を頭からかぶって、着ているシャツ類も石鹸つけて洗って・・・・ってね! 本当に汗いっぱいかきました。
梅雨の最中に、晴れ間が広がり、おまけに6月と言うのに埼玉の熊谷では39.8度だって。鈴鹿市もグングン温度は上がり軽く33度は超えてしまいました。外で少し仕事をしようにも汗が滝のように流れて、ハンカチでは容量不足。今日はタオルを使いました。午前中に一本、午後に一本と合計二本のタオルを汗拭きように使いました。今日はポロシャツを二回も着替えました。汗がシャツをパーフェクトに濡らして、そのまま着続けていると風邪をひきそうな。屋外で仕事をする人の辛さを考えると、本当に大変だなア~と感じる。
これだけ暑い一日を過ごしてみると、あれだけ原発大反対と言っておきながら、冷房の重要性というか必要性に判断基準が曖昧になりやすく、また自分の気持ちにもわがままになって原発の是非については、かなりいい加減な判断基準となりそうである. いい加減と言うより、とても勝手なジャッジメントが行われようとしているのです。特に今日のように夜も蒸し蒸しする日に限ってエアコンが故障。首筋に汗が流れ、窓を開けても風が入らない。原発に大反対!多少の電力不足を物ともせず、エアコン不足は気力で乗り切ると言う固い決意は何処へやら??? たった一晩のエアコン故障ですら、眠れない夜を過ごさなければいけない。ヨワッチイ奴なんだ!
まあ、しかし、私達の暮らしには「電気」のかかわりは大きく、電気が無くなることは、そのまま今までの生活ができないと言う。それ程極端であり、シビアな問題となる。それでも、正直なところ、原子力発電所の事故や放射線被害を考えると、いつまでも原発に依存し続ける生活様式を変えていかなければいけない。私もエアコンが壊れて、部屋の中は蒸し風呂のような状態ながら、団扇をあおいで乗り切る覚悟でごじゃる!
3月の行事案内以降、更新がなされていない点について、お詫びします。もちろん、毎月付の行事は実施しており、細かなショッピングや外出行事を加えれば、太陽の家ではデイサービスをはじめグループホームでも活発な活動を行っています。今月は6月30日に、ガーデンパーティーを予定。庭先でバーベキューを行います。利用者の皆様には、副食であるメインディッシュにチョイスが有り、食後のドリンクもいくつかの選択肢を設けています。炭火でのグリルは、毎年利用者の皆さんには好評です。今年も、皆様には美味しいお昼ご飯を提供できるよう最善を尽します。
次に、同日の夕刻には、グループホームの運営推進会議を開催します。地域包括支援センターやご家族、地域の民生委員、などを招いての会議です。いろいろと地域の皆様のお力と知恵を借りて、よりベターなサービスの提供に繋がればよいと考えています。私の希望は、もっとたくさんの家族の方々にも会議の場に入っていただきながら、幅広い支点で認知症介護を見つめてゆきたいと思っています。
来月の七夕には、毎年恒例になりつつある職員による演劇を予定しています。早速、昨日の夕方から担当職員が集まり演劇の練習に励んでいました。みんな、それなりに一生懸命で劇の進行や立ち位置、セリフなどに神経を配りながら、詳細を全員でつめていました。練習は通常の業務を終えてから行い、其の分が余分仕事となりがちですが、そんな苦労を負担と考えず、みんなの目が生き生きしてるように感じて、昨日の練習風景を見ていた。大変ですが、職員の皆さん、頑張ってください。
ここのところウインブルドンのゲームのお陰で、深夜までテレビ放送をみてしまう。今夜も伊達選手の試合をみて、年齢に関係なく必死の試合展開を実践する伊達選手に大きなエールを贈りたい。伊達選手40歳、相手の選手は世界ランクでも伊達よりも上。おまけに年齢も10歳も下。それでも粘り強いゲーム展開を見せてくれて、年齢に関係なく世界選手権でも通じる気力を感じた。歳だから無理はしないでおこう!とか、歳だから引っ込んでおこう!というマイナス思考は決して身を助けない、そんな事実をクルム伊達選手は証明してくれたように思う。夫婦仲むつまじく鈴鹿サーキットに来ることもあって、仕事上、現場でお見かけする伊達選手だが、直接的な接点は無い。それでも、NHKのウインブルドンの放送に映し出される伊達選手を見ながら、ちょっとなじみの気持ちを持って試合の展開を見守っていた。途中、ハラハラ、ドキドキする接戦や好プレイや惜しいショットに一喜一憂しながら、それでも徐々に負けが増えていく姿を見つめ続けるのも辛くなってきた程の接戦だった。とても惜しい試合ではあったが、ここまで頑張って世界的にも、長いブランクを乗り越えての善戦に、センターコートでの試合、それに見合ったなようなゲームに感動した。 年齢に負けない、不屈の精神に大きな拍手とエールを贈りたい。
どのようなスポーツでもそうであるが、日本人が世界的にトップグループに入り込むことは、それ程簡単ではないようだ。野球にしても、ほんの一握りの選手しか生き残れない。と言うより、長年にわたり記録を維持し続ける選手は少ない。モータースポーツにしても、F-1世界選手権の世界においても日本人ドライバーは数多く参戦したものの、表彰台に登ることのできた選手は少ない。オリンピックにしても、女子マラソンや水泳の一部で、世界のトップグループにいる選手居るが、やはり世界的にもトップアスリートの数は少ない。僕は、スポーツ音痴。若い頃はジムナスティック(体操)をやっていたが、学校を卒業と同時に体操の世界から離れた。その後に、四輪カートレースを始め、この地域では善戦しそれなりの結果を残すことが出来た。津にある見当山(こんな字だったか?)をメインに週末は練習走行やレースに出場し、最終的に静岡県袋井市でのチャンピオン・シップにチャレンジ、S-ストッククラスで一位。結構、僕の中では、イメージトレーニングや気力勝負という精神力が大きく作用していたように思える。一度、ホームサーキットである見当山で大雨。レインタイヤを持たない僕は、スリックタイヤのままの雨天レースを余儀なくされた。それでも、多くのレインタイヤをつけた金持ちカーターを抑えて3位入賞。表彰台の最後をゲットした事がある。レイン用タイヤと晴れ用タイヤでは、路面状況に大きなハンディをつけてしまう。ここまでくると運転技術もさることながら、気迫も必要である。雨でスリップして安定した走行の出来ないレースも、逆に捨て身の戦法で臨み、ライバル達に恐怖感を与えれば、そこにはチャンスが生まれる。レインタイヤを履いていても、雨のレースは不安である。其の点を煽れば、勝利のチャンスはやってくる。自分自身がもてる最善のモノを100%以上の割合で引き出せるように努力すれば、何にだって勝利することが出来る。僕達が必要とする国家資格にしても、自分が心から欲して、求めて止まない気持ちを持って臨めば、必ず良い結果を与えられる。そう思って信じている。
BSプレミアムで放送されたアメリカの番組、Inside Actor’s Studio という番組にダイアナ ロスをみた。ダイアナ ロスと言われても今どきの若い人には馴染みは薄いかもしれない。70年代のアメリカのシンガーでも、とても有名なシンガーとして登場したシュープリームスのメインボーカルがダイアナ ロスである。そこから一人立ちし、ダイアナ ロスとして売り出し、レコード売り上げ、映画興行、全てに全米だけに限らず全世界的に売れに売れた偉大なシンガーである。彼女の姪に、これまた有名なホイットニーヒューストンが居る。 さて、この番組では、シンガーに限らずアメリカの偉大なる映画スターなどの著名人を呼んでのインタビュー番組であるが、今回のダイアナ ロスの場合、数々のヒット曲、特に彼女の思いで深い曲を中心に集め、インタビューの合い間に実際に歌ってくれた。
彼女の容姿からは年齢は観て取れないが、そこそこ高齢となって、声にも昔のような広い音階を苦もなく歌い上げる張りは無くなっていたように感じたが、それでも、彼女は一生懸命に心をこめて歌ってくれる姿に、もうすでに懐メロと化した曲に、僕は感動した。特に The Look of Love という曲。自分が追い求めた愛の姿をようやくつかんだ!という愛の歌である。彼女のかすれた声でささやかれるように歌いあげられた曲は、その昔にダンスパーティーのスローミュージック、要するに女の子とチークダンスを踊るために準備された曲だった時代を思い出す。
ダイアナ ロスは、あのマイケル・ジャクソンを世に出す切っ掛けと言うか、彼のジャクソン5以降の歌手活動に大きな影響を与えた歌手であることも有名である。マイケルを可愛がり、大切に育てたダイアナ。映画、オズの魔法使いでもマイケル・ジャクソンと共演している。マイケル・ジャクソンはすでに他界しており、時代の流れと世代交代を感じて仕方ないが、音楽は人々に感動を与え、時には人の人生に大きな切っ掛けをあたえることもある。音楽っていいですね! 僕の青春時代から青年時代から中年時代へと、人生のすべての場面で色々な音楽が絡んでくれている。音楽を奏で人の心を動かす事の出来るアーティストに憧れてしまうのです。
何とでかいエビフライなの・・・・?!と驚きが一番最初目にした時の言葉だった。今日は、外食をする機会があって連れの者が注文したのが大海老御膳と言う名称の海老フライ定食。超特大の海老フライが二尾提供される。写真を見ても、その巨大さは理解できると思うが、本当にこの大きさの海老フライを人間の生理は必要としているのか?!という疑問がわいてくる。以前の自分であれば、そんな疑問も考えることもなく、逆に大きい事はいいことだ!と言わんばかりにお得な気持ちで、むさぼり食っていた事と思う。当然、このお店の一番の売れ筋らしく、この特大海老フライを求めて、常連客が多く訪れるようである。注文した大海老御膳の海老を写真撮ったり、大騒ぎしていた我々の様子を見てたのだろう、帰り際に店の女将らしき人物が、自慢げに私達の後ろの席にいた老夫婦も常連客で、今日も同じものを注文して完食して行った事を自慢していた。
この海老フライ一尾でカロリーはどれだけだろう?御膳として小鉢やみそ汁などを合わせて、軽く見積もっても一食2000Kcalは超えているだろう・・・。僕は主治医から一日の摂取カロリーの上限を2000Kcalと制限を受けている。この制限を守らないと近い将来に脳梗塞または心臓疾患の危険性が大きいと警告されている。CT画像からも内臓についた脂肪の量が異常な量であるとして、本当に命が大切なら大事にしてください!と。
僕が今のようなカロリー制限を受けるに至ったかと言えば、結婚と同時に食事内容と質が変わり、ジワリジワリと肥満傾向にすすんで行った。その後、夜遅くまで仕事する事となり、夕食を深夜の12時を回った時間帯にとる生活を長年繰り返し、結果として肝臓の機能障害や中性脂肪の基準オーバー等の問題を抱える事となった。食べることは、人生の最大の喜びであると言い続けている自分であり、今でも食べる事の素晴らしさは何ににも勝る喜びと思っている。自分の健康に異常を示していても、尚さら食事への欲求が継続し続けているのが恐ろしい。若い頃は、心身の代謝も大きく摂取カロリーの消化も簡単に行われていた。食べても太らない!という人もいるが、食べて寝てるだけだと、どんな人でも確実に太る。食べても太らないのは、摂取した分以上にカロリーを消費するような活動があるからだ。だから、若者ならこのような食事を摂っても問題は無かろう。しかし、私の年齢ともなると、一生懸命カロリーを消費しようと運動したところで、摂取分の半分も消費できなく、残りを内蔵周辺に蓄積させてしまうのだろう。
戦前戦後のモノがない時代に生まれ育った者たちは、食べることに対する執念と思い入れがとても大きなモノとしてある。僕も戦後の人間だが、子供時代には豊かな食事は取れない時代を過ごしていた。この時代の貧乏な生活が、後の飽食の時を形成することとなるのである。食べることが出来ない経済力の反動としてある程度裕福となって好きな物を好きなだけ食べることが出来る自分が嬉しいのであろう。ついつい余分に、過剰に注文してしまい、おまけに食べきってしまう。問題はここにある。
食事は質素な方が良い。年齢と共に質素でも上質な物を少量とる方が良いのか、普通の食事を腹八分の摂取に制限する方が良いのか・・・・?
色々とお金を使いにショッピングに出かけることの多い毎日である。ショッピングと言っても洋服やアクセサリー類の大型ショッピング(額面が大きいと言う意味でね・・・)から、毎日の食材やおやつを買うためのショッピングやら、とにかく一日足りとて買い物に行かない日が無い程、毎日、財布とショッピングバッグを携帯してお買い物に出かける。
そして、何時も最近思うのは、ショッピングしてる人たちの裕福な顔やそぶり。皆さん決して日々の生活に困窮してるような人は居ないと言い切れるほど、皆さんのものを買うときの買いっぷりが良いのである。迷いも何も無い。これと言うもの、もとよりお目当ての物だとは思うが、目にして値札を考えずにストレートに買い物かごに入れている。そして、皆さんもう一つは、元気だ!ショッピングカートを押す仕草も軽快である。そうそう、ディズニーランドで楽しんでいる人たちの様な、目を光らせて体もウキウキ、弾むようにお買い物を楽しんでいる。世の中は、すでに不景気ではない。東日本大震災後の買い控えムードもなくなっているようでもある。
日本の経済に活気が戻りつつあるのであれば大歓迎である。昨日のブログではないが、原発の放射線不安や世情不安を素因に、国民全体が暗黒の沼の底にはまり込んでいると思いきや、意外と国民はしぶとかった!と喜んでいいのか悪いのか知らないけれど、まあ、元気な日本に向けて、徐々に日本が動き出していると考えるべきだろう。うれしい限りである。何にしても、明るい未来を信じて全てをプラス思考で進みましょう!
と言いながら、今日のお買い物の代金、1663円でした。
先週末の日曜日の夜、Mr。サンデーという報道番組をみて、その番組の構成に関して僕なりにダメだし(まったくの個人的意見だが)を行ったばかり。そして、一週間後の昨日の夜、同じようにMr.サンデーを見て、また改めてこの番組の構成に疑問をもった。昨日のテーマは福島原発事故に際して近隣住民の内部被ばくを取り上げていた。確かに、放射性物質による内部被ばくは恐ろしい。目に見えない、味も臭いもない。知らず知らずのうちに身体内部に被ばくしていると考えれば、非常に恐ろしい話である。福島原発の事故の発端は巨大地震であり、想定外の津波による被害であり、その被害を担当する専門家達の判断や処理ミスなどの人災とも言われているとても大きな問題を日本全体が抱えているわけである。静岡のお茶が輸出先のフランスで基準値を超える放射能が検出されすべて廃棄処分となるとか言う報道もされているなか、日本政府の処理方法が非常に大きな注目と関心を持たれている。
これほどの国難と言われる事象に対し、行政機関は元より、報道機関としてもある意味、社会的な立場をわきまえた行動が不可欠であると思う。行政機関として総理大臣を筆頭に、パフォーマンスと気合ばかりが目立ち、実質的支援は、震災から3カ月を過ぎた今もなお課題は山積み。そして、このMr.サンデーのように、必要以上の不安感をあおるだけが目的と思えるような報道姿勢。ニュースソースの選択から、報道内容からとても中立的内容とは思い難い。当然のごとく被害者感情に報道自体が偏り過ぎているような気がする。報道とは元来、そのニュース内容をみて、聴いて、自分なりに考えて対処できるように、出来る限り多面的に受け取れるような報道が求められていると思う。しかし、この番組のように、全ての視点が被害者としての視点だけでは、公平性に欠ける、また、原発に対する世間の判断を特定の方向へ扇動しているとも捉えられる。
まあ、小難しい話は別として、この番組と僕の感覚はどうも共通点を見いだせないようである。でも、言い訳ではないけど、テレビの報道番組にしても、全てをうのみにするだけではなく、それぞれ個人の考えをもって個人のジャッジをもって観ることは、とても重要な事と思うのですが・・・・??!!
ぼくのブログにも何度もアメリカの名前が出てきます。特にカリフォルニア、そしてサンフランシスコは、住み慣れた自分の故郷のようなところです。長年、其の地で暮らす中でアメリカ開拓民のものの考えかたを学びました。第一に自由思想です。何をするにも自由です。それこそピストル持ち出して街中で空き缶に向け発砲することも自由です。(逮捕はされますよ!当然、街中ですから・・・でも日本のように厳しくは無いです)とにかく極端な言い方をすれば近隣社会に迷惑さえ掛けなければ大概のことは許されるのです。自由の国、アメリカですから! アメリカ人がアメリカを表現するとき「 The Big Oppotunity Country 」 と言います。オポチュニティーはチャンスと同じニュアンスの意味を持っていますが、決定的な違いはオポチュニティーには、意味も無く降って沸く幸運のような機会という意味を含まない点がチャンスとはちがいます。だからこの英語を翻訳すればアメリカは大きな機会を有する国となるのですが、もっと的確なニュアンスで伝えるならば「 とても大きな可能性と機会に恵まれた国・アメリカ 」と訳したほうが適切かもしれません。
兎に角、アメリカは自由で、何でも可能性を秘め、アメリカンドリームも夢ではなく努力次第によっては誰にでも平等に機会が与えられている国なんです。そのような素晴らしい国でも殺人事件や事故、戦争やテロなど、人間の持てる全ての悩みを同じように抱えている国でもあります。この原因として僕が考えるに(あくまでも僕の主観ですから・・・)現代アメリカ社会が自由を求める反面、自己責任を果たせなくなっている点が一番の問題点だと思うのです。これは、日本でも同じ現象で、自由と権利をことさら強く欲求こそすれ、自分自身の果たすべき責任と義務を身勝手にも放棄している国民が多すぎると思うのです。
広島で原爆被爆者への不適切な発言が話題になっていますが、似たような話はそこらじゅうに転がっています。生活保護受給者が戦後の混乱期の数を超えている現状に、震災の義援金からみで生保を支給しないなど、権利と義務や責任が果たされて居ない現実に、トラブルは減っていきません。僕ははっきり言って自分の憂さ晴らしに爆音を撒き散らし何度も何度も一般道を走り回る暴走族が嫌いです。彼らはとても卑怯だと思うし、その一方的な単純思考回路には哀れみを感じますが、それでも、社会に、自分の人生に甘えた行為は許されるべきではないと思います。私達は辛く苦しい毎日の仕事を行うことで生活を維持してます。そこには責任が発生しますし、同時に守るべきルールと義務があります。全てを自分の自由意志のまま行うことは「自由」とは呼ばないのです。
日本に住む若者たちが、将来に期待できるような国を作ってもらいたいと願っています。日本には、無限の可能性とチャンスに恵まれた社会があり、自由な発想と夢に溢れる暮らしが保証されている。そんな社会だとすれば、暴走族は居なくなるのでしょうか?