今日で東北関東の沖合で巨大地震が発生してから10日が過ぎる。本当に大きな地震と想像を絶する津波のパワーに恐怖を覚える。被災者の皆さんの毎日の生活を思うと、出来る限り早く普通の生活に戻れるように心よりお祈りしたい。日本政府も発生当初から大量の自衛隊を送り救助に徹していたが、ここにきて僕には良く分からない疑問が浮かんできた。それは、福島の原子力発電の扱いについてである。昨日は、消防署の一部のエリート部隊140数名が、放水車に乗車して原子炉の建屋に放水・注水を実施、それなりの作業効果はあったような報道がされている。
僕は、朝からこの報道を見ながら、実際の作業にあたった一部の精鋭達の決しの覚悟を察しながら、テレビ画面を食い入るように見つめていた。隊員たちの決死の覚悟とは、今回の会見のさ中に涙ぐんで家族からの応援メッセージを語るその姿に強く表れていた。それぞれが家族を持ち、家庭を持つ今を盛りの隊員たちの決しの覚悟。って並では出来ない事と思う。僕なんか超軟弱者なので、自分の命を投げ出して出陣することは不可能であろう。
また、同時に現場には東京電力の社員(?)協力会社(?)は分からないが『人」が現場復興に努力していると言う。誰にとっても放射能をあびることの恐怖は十分に理解された上での作業を遂行している人達。そんな人たちの「命」に変えて、東京電力、政府の両者は原子炉を守りたいようである。
最初の段階でアメリカからは原子炉の廃炉を前提とした協力申し込みがあったそうで、それを良しとしない両者がとっている行動が、この一連の福島原発の騒動であるようだ。果たして、電力はそれほど重要か?人の命を犠牲にするかもしれない危険性を敢て無視して守るべきモノなのか? かく言う私自身にも電気の恩恵をかなりの部分で受けなが生活をしている。このPCの電源、音楽ソースの電源、携帯電話、テレビ、炊飯器、冷蔵庫、暖房機器などなど書き出したらきりがない程、この電気と言う便利な物に頼りきっている生活である事はいがめない。
ただどうなんだろう、この便利さを金額に換算し、同時にこの便利さを守るために犠牲となる人々の命を値段で換算した時、政府は当然ごとく文明の利器を守る方が得策と考えるのでしょうね!
アメリカンのオバマ大統領は福島原発を中心に80Kmの範囲に生活する自国民に避難指示を出したそうである。スタンドプレーであるかもしれないが、まずは人命を最大限に尊重することから始まる欧米人気質とはたまた国家的プロジェクトを国民の生活よりも優先する考え方の日本。はるか昔、日本が真珠湾を攻撃して第二次世界大戦に突入していった頃の考え方と同類ではないか?!
もうそろそろ、原子力発電に頼る電力行政から脱却しないと、日本は破滅してしまうのではないのか?
先週末に東北関東地域を襲った巨大地震と津波の被害には、驚き、恐怖と悲しみ、言葉では言い表すことのできない、同じ日本人として心痛む思いでいっぱいである。地震の揺れをこの地域でも感じ、テレビのブラウン管を通して映し出される津波の映像に恐怖し、逃げ遅れた車が波にのまれていく様を、何もすることができずテレビにしがみついていた自分である。
あの恐怖の津波から5日が過ぎようとしている今でも、色々な生活物資が不足しているという。僕の横浜に住む友人によれば、被災地からそこそこの距離が離れている横浜においても、ガソリンが不足していると言う。茨城県や千葉県と言うのであれば理解できるが、横浜でもガソリンが入手しにくい現状をどう考えるか?
そして驚きは、さらにこの鈴鹿の市内でも。なんと、乾電池やフラッシュライトの類が全て売り切れの状態となっているのである。僕は、今日、自宅のベランダの白熱球が切れたので、予備球を買いに近所の家電量販店に行った。その量販店では、全ての乾電池が全て品切れ。フラッシュライトも品切れ。棚の上には商品が残っていない。この鈴鹿市もさしずめ被災地の様相である。その後、近所のスーパーへ今晩の夕飯の材料を買いに・・・ここでは、ミネラルウオーターが棚から消えている。そして、インスタント食品(ラーメンの類)・・・・ここって被災地なの?と疑ってしまう。
私達の住む鈴鹿市にしても巨大地震と津波の災害に巻き込まれないとは限らない事は確かです。しかし、今は、まだその地震被害を想定して非常食品類を買い占める必要は無いんでないの?と思う。もちろん、今すぐに直下型巨大地震が起こるかもしれない。その場合は、備蓄品を買いだめした人はラッキーで、それすら出来なかった我々はアンラッキーと言えるのか?
ましてや、今回の東北関東大地震のように超特大の津波で、家を根こそぎ破壊されてしまえば、備蓄もへったくれもありゃしない。非常時には、自分だけ、自分の家族だけ、親族だけと限定して救う事は出来なかろう。みんな平等に持てるものを勇気も含めて、残った者が分かち合う事が重要である。ある避難所では、津波被害は免れた住民から灯油の余りを寄せ集めて避難所の暖房に使っていると言う。公共の公民館や体育館などに大勢の人と寝食を一緒にする事はプライバシーの面でも辛い。ましてや、この寒い夜に一人毛布二枚しか支給されてないとすれば、こんな劣悪な環境ってない。食うものも食わず、冷えた心と体を温める術もなく、この災害を生き抜くにはどうすれば良いのか?自分だけ買いだめしておいたカップめんを食べながら、自分だけ豊富な燃料を確保しながら生き抜くのか?人間である以上、被災民の中で、自分だけの特別枠は無い。と考えた方が精神衛生上も良いのではないかと思う。
昨夜の夕食前に私の病室の静寂を破ったものがあった。別にベッドに横になって目を閉じている生活ではないが、それなりに一人で静かに(静かにしてなければ、他に何もやることが無いんですよ!)過ごしていると、うちの太陽の家の事務長を先頭に、デイサービスの職員さんと看護師さんが大群で押し掛けてくれた。
何が嬉しいって、そりゃ皆の顔がみれる事です。いつも気にかけて、それなりに成長を楽しみにしていた職員さん達と一緒にすごしているわけでもなければ、夫婦でもないけど、それでも僕はこの子たちが大好きである。この子たちとは失礼な言い方ではあるが、ある意味、僕はこの職員さん達だけではなく、職員さん達の家族も含め見守る責任があるわけで、その責任から、例え僕よりも年配の職員さんであろうと、僕は自分の子供への目線と同じ目線で見守っていかなければいけないと考えているからである。
兎に角、皆と手術後の体調や気分を話しながら、色々な笑いを貰った。やはり楽しい時間である。それと同時に、僕は、この人たちのためにも、早く施設に戻って、仕事がやり易いように管理、運営を行わなければいけないと思った。あと数日、そんな逸る気持ちを抑えて、つかの間の楽しさを味わった一瞬だった。
このアイデンティティータグは歓迎できないね!なんせ、不愉快だよ! 朝から晩まで、それも寝てる最中、全てにおいて僕よりも幅を利かせているんだ! こういう大きな病院では、僕の顔や名前だけではなく、このタグが全てにおいて物を言う。太陽の家にいる時は、名札無くても、僕は「校長先生であり、オーナーであり、施設長であり、玉ちゃんであり、アホ、ボケ、カスでもあるわけだが」ここでは、全てをこのタグで確認して処置がすすんで行く。
それと、こんなタグを付けている事自体、病人の証であって、健康な人間はこんなタグは不要なわけである。人の一生は、結構長いかもしれない。しかし、そんな長い人生、たった数週間でもこんなタグを付される生活を必要とされなければ、その方が良いに決まっている。ヨーロッパではタバコの販売に更なる規制強化がとられるようで、店頭や自販機などで一般の人の目に触れる販売を規制するそうである。何だか、タバコを買い求めるのが罪な気がしてくるでは無いか? もちろん、僕はタバコを辞めたけれど、そこまでタバコに対して敵視する必要性は見えないけどね・・・・しかし、今回の病気治療で初めて、喫煙の愚かさを知らされた。大きな手術を受ける者には、やはり喫煙癖は致命傷である。なんせ、息苦しい。酸素が入らない!!!!!息できない!!!!そして、痰が出せない!!!!! つまりは、全てにおいて呼吸する事に大きなデメリットを抱えてしまうのである。
食べ過ぎる習慣、喫煙の習慣、不眠不休を自慢する愚行、年齢と共に体の色々な部位で次第しだいに悲鳴を上げ始めていた事に気づかないでいると、このようなタグで管理された生活を余儀なくされる。皆さんもご注意ください。
僕のブログは、全くの気まぐれで運営をされている帰来がここ数カ月続いている。まあ、それよりも、今日こそは何か書いてあるかな・・・?と楽しみに訪れてもらえる皆様には大変申し訳なく、言い訳のしようのない状況に ただひたすら平身低頭する以外お詫びのしようがないのであるが・・・・・まあ、そのような中で、ただ一つ私の言い訳を聞いて頂くとすれば、毎日、ブログ更新を意識的に書かないわけではないと言う事をご理解いただきたい。一応、書こうと言う気持ちで更新のページに入り、そこに色々な文章や思いつきを並べ始めるのが、毎日中途半端に終わってしまい、完結していない文章の山が、この追加更新専用ページには残されている。いつか改めて公開すれば良い!と思いつつ、時間が経過して読みなおしてみると、もうすでにその文章は、僕の文章ではなくなっている。 「自分しか書かないのに、なんで時間がたってしまうとお前の文章ではなくなるのじゃ???」と叱られそうだが、ブログって想いを一気に書き上げると以前のブログで言いました。その通りで、僕の場合は、文法も文脈もなにも関係なく、ただひたすら頭に浮かんだ言葉を文章化して行くだけの作業。読み返してみると、そこには言葉自体に力強さを感じられない、また、意味プ~・・・( ひょっとすると、今まで自分では錯覚してた?元より、僕の文章って意味プ~なの??)
まあ、兎に角、今朝から三回目の書きかけ文章を作るところだったが、なんとか、この文章は完結させて公開するまでにこぎつけた。
春、まだ遠い毎日ですが、それでも日中の温度は、以前に比較しても随分と過ごしやすくなった事と思います。しかし、油断は大敵、インフルエンザもまだまだ流行しているようです。手洗いとうがい、ぜひ皆さんが健康でハッピーな毎日を過ごせますように。