太陽の家

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ブログ-施設長の部屋

2010/12/14
プルーンの効果

以前、うちの太陽の家を利用してもらっているじいちゃん、ばあちゃんたちに便秘の解消法をお教えした。そのときにはバナナの効果を強調したのであるが、ここで新たにプルーンの効果も訴えたい。ドライプルーンって知っていると思うが、知らない人の為に少し紹介をしておこう。テレビでプルーンエキスのCMやら見たことあると思うが、僕の言っているプルーンは、そのエキスを採取する前のフルーツを乾燥させた物で、スーパーのお菓子売り場などで種ぬきドライプルーンとして袋入りで販売されているものである。

このブログを食事しながら読んでいる方には申し訳ないが、このドライプルーンをここ数日ためしに食べているが、毎朝かならず便通がある。それも二回。必ず。僕の起床時間は結構まばらで、早いときは5時ころ、遅くても6時半には起床する。その後に何をするか?起きてすぐにコップ一杯の冷たいお茶を飲む。テレビのニュースを見る。プルーンを夕食後に食べ始めて以降、ニュースを見始めて5分程度後にはトイレに行きたくなる。まず、一回目の快便。そして、朝食を食べてしばらくすると又トイレに行きたくなる。

其の要求のままトイレに直行。即効で二回目の排便。この二回の排便のお陰でここ数日、腹の張ったような違和感が出没しなくなった。本当に順調に大量の排便が促される。最近、バナナでは排便管理が困難なほど効きが悪くなっていた矢先で、自分としてはとても快調である。

最近、バナナを食べていても排便コントロールが静ライトおもう方には、夕食後、就寝少し前にドライプルーンを数個食べてみれば効果は見えるはず。便秘薬に頼らない自然排便の強い味方! プルーンをお試しあれ!!

2010/12/12
関西のおばちゃんに閉口!

先日、東京に行くこととなって西銀座のチャンスセンターで宝くじを買った。その長蛇の列の中で、僕の真後ろに陣取った関西弁の女性、大よそ40代ほどの女性が街列の中で、携帯電話の連続。待っている間中、携帯電話でなにやら世間話。それも大きな声で。僕は、一向に前に進まない列の中で静かに自分の番が回ってくるのを待っていたが、其のおばちゃんの大声の会話を聞いているうちに腹が立ってきた。とても耳障りである。声が耳に刺さる。聞きたくも無い会話を聞かされる回りの迷惑関係なく、話しっぱなし。こんな女性って、どんな顔をしてるのだ?!と思い後ろを振り返る。まあ、そこそこ見れる顔立ちの若い女性である。しかし、周りの迷惑に鈍感なだけかもしれないが、関西弁で公衆のルールを破られることに、同じ関西人として恥ずかしい。何とかならんのかい???と考えながら耐えていた。

 しかし、そんな忍耐のときもそこまで。長い電話が終了ししばしの静寂の後に、再度、電話をかけている様子。今度は知人の誰かに電話で話しをしている。今の現状について事細かに様子を話している。そこで、僕は切れた!後ろで得意げに話を進めている女性を睨み付けて言った!『もう少し、静かに話をしてくれ!』と・・・・言った後から自分のとった行動に恥ずかしさを感じた。そのまま見てみぬ振りをすべきだったと・・・・彼女の恥ずかしい行為は、周りの他人に充分認知されているにもかかわらず、僕が注意した行為は、そんな彼女と同様の行為なのかもしれない!と考えた。実際、最近の世の中、妙に正義感を大きく訴えることは逆作用の場合が多い。喧嘩の仲裁に入った者が殴られ、逆に袋叩きにあったり・・・(市川家の問題ではないが・・・)

 まあ、こんな後味の悪い中で購入した宝くじ、全部はずれだったらどうしよう・・・・・!と不安になったと言うお話し。

でもね、携帯電話って、良く考えてみると、随分とわずらわしい器具なんですね。とても便利なように見えて、その実、話している会話の内容には緊急性は少なく、今殊更話さなくてはならない内容ではないことも多いと思うのです。また、他の人と話をしている最中であったり、会議の席であったり、運転中であったり、兎に角、時と場所に関わらず勝手にブルブル、りんりんと音を立てるのですから、周りの者にはいい迷惑なときが多いのです。僕は、携帯電話を持つことでじぶんっ自身の行動が縛られ制限されるような気がしてならない。そして、知らず知らずの内に、先ほどの関西のおばちゃん同様、色々な人に迷惑をかけてるかもしれないのです。皆さんもご自身の携帯電話の取り扱いには充分な注意をお願いします。

2010/12/6
年寄りと物の関係

年寄り所帯に限って言うなれば、家の中に色々な不用品を溜め込む状況がある。今日も太陽の家の事務長の体験談で大笑いしていたのだが、先週末に実家の両親を訪ね家の中の大掃除をしたところ、例外なく物に溢れていて、またそれらの物を整理できないご両親と大バトルを繰り返したそうである。うちの両親も今では80歳を超え、そろそろ細かな記憶が乏しくなりつつある今、やはり世間一般の高齢者世帯と同じく不用品の山の中で暮らしている。我々から捨てるように促しても、その時はつくろった返事をしながら、結果的には物の移動だけで何も整理整頓できないで終了してしまう。

大半の家庭では、この時点で親子げんかに発展する。子供は貯めておいても使うことのない皿やトレー、スプーンなど。最悪の場合は空のペットボトルさえ数十本も溜め込んで、ただでさえ狭くなって居住スペースに障害物が溢れる現状にも関係なく、捨てることができずに貯めておく。皆さんのご家族は、このような事は見受けられませんか?

まあ、冷静に分析すれば、命短い年寄りにとって何でもかんでも自分の死ぬ時に備えているという名目で不用品を溜め込んでしまっている。大勢の人が集まるお葬式などは、昔からの慣わしとして大量のコップやお皿などの備品を必要としていた。その時に、残された若い家族が世間で恥ずかしい思いをしないで済むように、生前から備えていると言う理由のようである。それと、色々な物が自分の管理物品から家族管理に変更されていく中で、次第しだいと寂しさや役割の喪失を実感する事が増えてくる。その中で、唯一、色々な物を蓄えること=自分の役割と思いやりと思いこんでしまう。そのような錯覚が出てくるようです。

年寄りが身辺整理する事。これは辛いかもしれませんね。身辺整理は、そのまま何時あの世に旅立ってもOKよ!と自分で言ってるようなものですから・・・・年老いた家族を抱える若い世代の皆さん。年寄りが持ち込んでくる物品については、やたらと捨てることを強要するのではなく、出来る限り受け入れてあげて捨てる為の理由づけを説明してから整理するように促してください。年寄りは意外と寂しいものです。

2010/12/6
My ブーム!

他所さんは、どうか知らないが、今密かに僕の中でのブームを書いてみよう。

今の僕のブーム

①ビーフジャーキー

②ツナとトマトのパスタ

③フスマで漬け込んだひのな漬け

④甘いエスプレッソ

⑤ジャスミンティー

⑥CDコレクション

⑦ビジネス書

⑧パソコンのカードゲーム

⑨ゴルゴンゾーラ

⑩通信販売

10のマイブームを書き出して驚くのは、大半が食品関係であり、ここからも最近のメタボリックな玉ちゃんに納得できるというものだ。特にビーフジャーキーは、天狗が一番自分には合っている思うが、やはり食後、寝るまでの間に一切れづつではあるが食べてしまう。今まで夕食後には一切の間食をしていなかったのに、最近、このビーフジャーキーにはまっている。次のひのな漬けは、石薬師のとある漬物屋さんから直接購入して食べているが、季節ものの漬物として最高に美味しいと思って、今、はまっている。エスプレッソに関して言えば、これまでエスプレッソなるものは苦くとも砂糖など入れずに飲むべし!と思いこんでいた自分だが前回のF1グランプリの際にフェラーリのチームマネージャーから、あるレース期間中の早朝にエスプレッソを御馳走になった事が切っ掛けで、その時の彼が放り込む砂糖の量に驚き、真似してみたことからエスプレッソのイメージが180度変わってしまった。

パソコンのカードゲームと言っても、大したものではなくウインドウーズに付いてくるソリティアにはまっている。このゲームは自分にとって睡眠導入剤のようなもので、いつも寝る前に数回のゲームを行ってから寝る。

ゴルゴンゾーラは青カビチーズの一種で、フランス産のブルーチーズと同じような物である。独特の臭いと苦みがありくせの強いチーズである。このチーズとドライフルーツを一緒に食すと口の中に広がるドライフルーツの甘みとチーズの風味が絡んで、非常に濃厚で深みのあるコクを味わう事が出来る。ワインを含みながら、チーズとドライフルーツのコンビネーションは、至福の喜びとなる。

最近通信販売で購入したものは、まずパソコンデスクとチェア。これまで使ってきた折り畳み式の会議用デスクから、ワンランク上の引き出しつきデスクにランクアップ。さすがに、作りはちゃっちいもののドッシリと勉強もはかどるはずです・・・・(?)

2010/12/4
負の連鎖

やることなすこと全てがマイナス方向へ流れることを負の連鎖またはマイナススパイラルと言われるものがある。この状態を如実に物語る例として、貧困社会からの脱却の難しさである。テレビのドキュメントなどで紹介されるアフリカの貧困社会に生活する難民の問題やアジアの国々に生活する貧困層の問題である。この日本においても貧困は存在する。日本国民の大半は世界的な貧困層とは少し次元の違う貧困では有るが、それでも貧困という環境からの脱却は簡単ではない。日々の生活に困窮するほどではないにしても、経済的に余裕の無い生活は、我々の社会の中でも多く見受けられる。何か小さな事柄が原因していることは分かっているが、其の小さな原因を取り除こうとすると、そこに輪をかけて別の問題が降りかかる。どうも子供の頃のちょっとしたボタンの掛け違いが、後々の生活に大きなひずみを生む様子は、アフリカなどに存在する難民の多くが抱えている問題と似ている部分がある。

 原因の一つに教育が大きく影響を及ぼしている。生活する中において学校で習う数学や国語、歴史等の学問は無くとも生活は出来る。生活は出来ると言う表現よりは生きることは出来る。の方が正しい表現かもしれない。正直言って生きていくときに微分積分や江戸時代の年号などの学びは必要ないのである。確かに、学問は私たちの腹を満たしてはくれない。それよりは少ないながらも日払い賃金を得るほうが優先されるのである。世界の貧困社会も、このような問題を抱えながら、生きるために学問や教育、しつけなどの文化的行いをないがしろにせざるを得ない状況がある。

 もう一つは、国民としての義務の一つである税金に関して、貧困であえいでいても国税は容赦なく取立てを行う。無い袖は触れない現実があっても、そこには国民の義務として支払わなければいけない諸税の支払いが存在する。日々の生活にギリギリの状況に、非常にも追い討ちをかけるように諸税の支払いが督促される。僕も昔、金の回りが悪く、毎日の日銭で食う時代があった。毎日の生活を日銭でまかなう処に税金の支払いを求められ、非常に逼迫した日々で苦労した思い出がある。もう少し貯蓄できれば、多少は日々の生活にゆとりが出来るのに・・・!と思いながらも、年金や保険の支払いは猶予されない。そんな現実の厳しさに涙を流すときもあった。こんな状態のときに、そこから抜け出る一番の良策はといえば、ただひたすら耐える。そして、少しずつではあるが辛抱を続ける。辛抱に辛抱を重ね、徐々にではあるが余裕が生まれ、其の余裕が自分の生活を豊かに変えていけるようになる。このときに自暴自棄になれば、それこそ負の連鎖である。物事は全て悪い方向へ流れていく。本当に困って八方ふさがりと思える状況でも解決策は存在する。自分の求めるもの100%を確保しながら、猶予を主張することは自己中心主義の典型である。自分が理想とする世界に近づくには、今の生活よりも貧乏な生活に耐えてこそ新たなる世界の眺望が開けてくると言うものだ。

 人生は長いように見えて短い。そして、この人生は一回こっきりしかない。今の苦労しないで、一生苦労を経験しなくてすむ人生は数えるほど無い。大半が努力と忍耐に結晶が将来的に花開く人生として待ち受けてくれる。子供や親を抱え、毎日を何不自由なく生活できることは理想である。しかし、そこに行き着くには、それ相応の努力と忍耐が必要であること。チャンスは人から貰うものではなく自分自身が選び取ってくるものであること。そう考えると、毎日の生活を無駄にはできないと思えるのだが・・・・


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