台風被害も無く、大型台風への備えも、まったく必要は無かった!と言えるかもしれないが、これも実際に台風の動き自体は前もって予想は出来ないのである意味、備えをしたことは意味があった。まあ、徒労と言えばそうなんだが、片付けた物たちを元に戻さなければいけないだけである。今年は、このような事態が多い。(運がいいのかもしれないが・・・実際、豪雨被害を受けている地方のことを考えると、何も無く平穏無事が一番である)そんな、季節はずれの台風28号・・・・?ならぬ14号が過ぎ去り、暦は11月にあと一日となってしまった。明日の日曜は、10月最後の日曜日であり、月日の過ぎるスピードの速さに圧倒されっぱなしである。自分の誕生日に浮かれ、ヤイノヤイノと言ってるうちに、とうとう10月も最終エンドとなってしまった。これだけ月の経過が早ければ、其の分、早く歳をとると言うもんだ!
さて、暦も新しく11月ともなると、いよいよ野山の木々が色をかえて、冬の準備に取り掛かり始める。天高く玉ちゃん肥ゆる秋!であり、食事、いや!そんな生易しいものではなく、食い意地が普段よりも張って、何でも食べたくなるのがこの季節。そして、何を食っても「うまい!」僕はチーズや生ハムやサラミが好きで、色々なチーズの盛り合わせと生ハムをつまみにワインを含めば、そこには夏の光をたっぷりと吸収した葡萄の香りが口中に広がり、飲み干した後にも口の中には葡萄だけではなく、季節の花の香りの余韻が残る。自家製のフォカッチャに、生ハムとチーズをはさみ、ちょいとリーフレタスを差し込んで食べるランチも大好きである。岩塩をまぶしたフォカッチャだから、マヨネーズも何も使わない。塩の味がさりげないアクセントとなって、生ハム自体の塩味と相まって、適度にアポタイトをくすぐる。
お天気さえ良ければ、焼きたてのバケットとニンニク、オリーブオイル、岩塩、そして少し渋めの赤ワインをもって山に出かけたい。山のふもとに落ち葉と小枝を集めて火をおこす。バケットを適度な厚みに切って、充分に炎を立てて燃えた小枝の熱を利用して先ほどのバケットをうっすらと焼く。焼き上がりのバケットにニンニクをすり込んで、岩塩、オリーブオイルをかけて食したい。山の紅葉と空の青さを見上げながら、新鮮な空気をいっぱい含ませた赤ワインをすすりながら、至福の時を楽しんでみたい。ここでもチーズがあれば、それもまた格別な味であろう。岩塩の塩味が強いので、塩っけの少ないチーズの方が乙かも知れない。
梅干おにぎりと卵焼きの弁当も然ることながら、簡単にバケットを切って、チーズと一緒に食べるだけの昼食も簡単でいて美味である。それだけでは物足らないと言う輩には、キャンベルのミネストローネでも温めて食べると言うのはいかがだろう?山の冷気に冷えた体も温まり、ちょうど良い加減で居心地よく過ごせそうだ。
明日の土曜日には、季節外れ(でもないか・・・!)の大型台風が近づいているようだ。明日の早朝くらいから、この地方にも少なからず影響が出てくるのか・・・・?まだ今の状況は、差し詰め「嵐の前の静けさ!」そのもので、何とも言い難い。太陽の家でも入居者の方々の生活とデイサービス利用者の生活等、守らなくてはいけない責任を抱えて、今回の台風は脅威である。
もしも窓ガラスが割れたら・・・送迎中に豪雨になったらどうしよう・・・風の勢いで利用者が転倒したらどうしよう・・・・などと考え始めたら心配になってきてしまうが。先日の奄美大島の豪雨災害のように、突然の水害に襲われる可能性も。太陽の家の立地条件からは、山も近くなく、海からも離れているために高潮や土砂災害は可能性としては薄い。しかし、大雨による河川の氾濫はあり得る。太陽の家の裏に農業用の河川が流れており、この河川が溢れてこの付近一帯が水につかった経験もあるので、まんざらリスクゼロとは言い難。
雨もともかく、風の威力も無視できない。太陽の家の窓には雨戸がついていない。その分、ガラスの厚みは余分にとってあり、おまけにワイヤー入りとなっている。そんな窓ガラスが風力に負けて割れることは無いとは思うのだが、万が一、ガラスが飛散すれば、それだけで負傷者が沢山出る。
天災には、我々人間の力の及ばないところで起こるもの。その天災から身を守るのは、危険個所を認識して、それらの危険から遠ざかる為の判断と決断ができること。最悪の事態となるまえに安全な場所に避難する。そう考えている。物の価値よりも人の命の方を最優先すること。物は金で買いなおす事が出来るが、人の命は金には変わらない。そう常に考えて職員さんも対応してもらいたい。
※台風は14号であって、28号では無かったです。どこから28号なんて拾ってきたのやら・・・・鉄人28号を読んで育った世代だから・・・・?
とりあえず、書き換えました。
最近、私のメールアドレスに多数の迷惑メールが押し寄せている。朝、必ず自分のメールボックスを確認するのだが、毎回30から40通近くのメールが届いている。その八割が迷惑メールに相当するメールである。若い女性を名乗る人間からのお誘いメールだったり、最近では年配の女性(60歳頃)から(65歳以上の女性ならいっぱい知ってるし、毎日、そんな女性を相手に奮闘してるのだから・・・別に今更・・・と言う感も無きにしも非ず)、少し前までは、懸賞に当選した案内通知であったり、5000万円程の余分なお金が出来たから差し上げたい!等の奇奇特なメールまで多彩である。
この手のメールは言わずと知れた、悪徳なネット商売の一つである事は言わずと知れた事であり、そんな誘いのメールにいちいち返信するわけもなく、ただ単に無視するだけの毎日が続いている。人に言わせれば、おかしな(怪しい)サイトにアクセスするからアドレスがばれてしまうんだ!となるが、正直言って、この歳になって怪しげなサイトにアクセスするような暇もなく、ただ単にネットを使ってショッピングはするくらいの程度。なぜ、個人情報である私のアドレスが流れているのか?まったく身に覚えのないところで個人情報が漏えいしているのである。
そんなに困っているならメールアドレスの変更を実施すればいいではないか!と思われるかもしれませんが、昨今のネット社会では、メールアドレスはそうそう簡単に変更を出来る状況ではないと言う弱点がある。もちろん、その点を考慮して、全ての登録やネット商いに対して使用するアドレスを記録して、アドレス変更の通知を行うことで全ては解決するのですが、しかし、事はそう簡単には進まないのが現実としてあるのです。(一つは、自分のアドレスを何処の企業に、誰に連絡しているのか、全てを管理しきれていない。そんな弱みがあるのですが・・・)
そんな訳で、毎朝、届いてくる迷惑メールの掃除から始まるのですが、もう一つ面倒なことになッてしまっている要因があるのです。それは、最近購入して仕事のツールとして活躍しているI-padに原因があります。私の受診する全てのメールが、このI-padにも同時に送信されてしまう事です。迷惑メール防止機能の付いていないI-padは、全ての受信メールをご丁寧に保管してくれて、私はダブルに迷惑メールの削除を日課としなければいけなくなったのです。
文明社会となり、昔のSF映画の世界が現実となる現代、新たな手口の悪徳商法がついてまわり、必ず犠牲者が出る。そんな社会の構造は、相も変わらず善人がバカを観る社会のままなんだろうね。
僕の暮らしていたアメリカ西部と日本の劇的な違いは、意外と単純なところに大きな違いが有ります。それは『空の色』です。アメリカの空の色って、本当に抜けるような一面の『青』なのです。雲ひとつ無い、真っ青な空が毎日、ほぼ一年中と言っていいほど輝いています。もちろん、サンフランシスコでは冬場に雨の日が多く、このときばかりは青空の広がりは見ることが出来ません。手を伸ばせば届きそうなところに浮雲が流れているのが、サンフランシスコの冬です。しかし、曇り空は、このときくらいで、後は毎日、青空が続きます。そんな抜けるような青い空ですから、日の光も強く、同時に紫外線量も日本より多いのでしょうね。外国人がサングラスをかけている理由がわかっていただけると思いますが、(まア。彼らは目の色素が薄いアルビノ種ですから)もともと紫外線には敏感で、自分の目を守るためにサングラスが必需品な訳です。さて、今日は、外国人とサングラスの話ではなく、外国人のファッションと日本人のファッションの違いについて書いてみたいのです。つまらない文章ですが、少しだけお付き合いください。
さて、外国人のファッションは、若い頃は地味で、年齢を重ねるほどに派手になっていく。と言われますが、確かにファッションを見てみると、高齢になるほど派手な服を好んできています。また、海外のブランドでも理解できるように、レオナールをはじめイタリア物の衣料品なんて、とても派手なデザインが多いですね。原色の色を派手な絵柄において、とても綺麗な服を販売しています。高額で若い人には手が届かない高級衣料だからか、外国人は日本人ほどブランド品へのこだわりは少ないのですが、それでも着ている服は、前にも言ったように年配になればなるほど派手なデザイン、色の服を好んできます。そして、衣服のセンスで自己表現をしているともいえるのです。爺さんになってもブルージーンズとTシャツ姿の人も居れば、高級なイタリアメイドのスーツを身にまとい、高級なスポーツカーでぶっ飛ばす外国人のおじさんも居ます。それこそ、僕のあこがれるショーン・コネリーのような白髪、白いあごひげにスコッチタイを首に巻いて、派手めのブラウスにシルクのパンツ。首からは同じくシルクのセーターを巻きつけるようにして、歩く姿はとにかくあこがれてしまいます。
さて、それでは日本人のおじさんファッションは?と言えば、全てがねずみ色のいでたちで、磨り減ってくたびれた革靴姿。時には、派手派手ファッションのおじさんも居るには居ますが、龍の刺繍の入ったジャンパーとかジャケットを羽織って、歩く姿は昔風のやくざ。おまけに、近くに寄ればポマードの匂い! または、昔から大量に販売されているヘアーリキッドと呼ばれる、毛髪油のにおいをプンプンさせて。日本人は欧米人に比べると体臭は弱く、それ程強烈な匂いと言うものは無いのですが、匂いのきつい欧米人は、自分の匂いに敏感な分丹念に体を洗うし、様々なケアーを怠らない。しかし、元から匂いの少ない日本人は、自分の発する匂いに鈍感な分、手入れを怠ってしまいがちであり、其の点が欧米人と日本人の違いだと考えています。
そして、表題にも書きましたが、匂い、服装、着こなし。と第三者からの視点を意識している欧米人と日本人の違いは、老化にも大きく影響を及ぼしていると思うのです。先日、施設内研修でも話しましたが、日本古来から60歳になると「還暦」を祝い、その後は米寿やら古希やら、年相応のお祝い事が出没してきます。これらの年齢を意識せざるを得ない人生のうえの行事を体験していくことで、日本人は年相応という自己暗示をかけていきます。すると、まだまだ若く、第一線で活躍できるにもかかわらず半分は隠居生活に足を踏み入れて高齢者予備軍のような生活をしてしまうようになります。これは、日本人が殊更、ふけやすい人種として人間の精神年齢を上げている要素と考えられるのです。女性も同じく、老けるほど化粧も無く、服装も地味になり、そうでないと一種異様な人種のように世間から見られることを懸念する国民性がありますね。また、自分は寒い!と思い冬用の衣服を秋口に着ていると、世間から異様な目で見られることがあります。昔、僕がアメリカから帰ったとき、真冬の最中に半そでのカッターシャツを着ていたときに、親戚の者に笑われたことが有ります。温度の感じ方は人それぞれ違う以上、冬だから着膨れ饅頭のように服を着込まなければいけないわけではないと思うのですが、皆が同じ方向に向いていないと差別される国民性が、そうさせるのでしょうか?!
とにかく、人間にとって「老い」は全ての人に平等に訪れます。どんな金持ちも権力者にも「老い」は、絶対に訪れ、それなりに身体機能の低下が始まります。しかし、そこにも気の持ちようで年齢を感じさせないお年よりも居ます。そんな人たちは年齢は重ねていても、それなりにお洒落で自分自身を良く見せるように努力している人たちなのです。そして、そのようなお年寄りの全てに言えることは、皆さん気持ちが若い!そして感覚に茶目っ気を沢山持ち合わせている人たちなのです。日本人のおじいちゃん、おばあちゃん、世間がなんと思おうと、自分なりにおめかしして余生を楽しもうではありませんか?地味で暗い、なにも楽しみも無い人生の余生を歩くのではなく、明るく輝いている花道を歩いてほしいと願っています。同時に、そんな強烈なじいさん、ばあさんを見かけたら、暖かく拍手でもって激励してあげるような社会を作りたいと考えています。じいさん、ばあさんをゴールデンエイジと呼んで、眩いばかり希望に満ち溢れた余生を迎えることが出来るように。それが、本当の意味の「ゴールド・プラン」ではないでしょうか??
毎年10月は、何故かしら他の月と比較しても足早に過ぎ去る気がする。この時期に色々な制度が変わったり、新たな年度を迎える準備が始まったりと行政も企業もいっせいに模様替えを急ぐ月だからかか? しかし、それとて家のような小さな規模の事業所に影響が有るとは考えにくい。模様替えと言えば、この月の気候変動は激しい。特に今年のような猛暑続きの夏がここにきて、急激に冬に変化してきた感もあり、体の機能が冬モードへと切り替えに忙しくなるからかも・・・・などと考えてしまう。今日はそれほど寒い夜である。まあ、実のところ、10月は自分自身の誕生月でもあり、自分の持つ副業の方でも一大イベントであるF-1グランプリがあり、事業所のほうでも運動会やら誕生会、防災訓練などの行事の連続が、めまぐるしく走り去る月という印象を残している要因のような気がする。
しかし、今年の夏の暑さはすごかった。毎年毎年、何かしらの気候変動による災害やら社会問題が話題になるが、奄美大島の集中豪雨被害がまだ数日前に復旧し始めたばかりなのに台風28号が沖縄方面に向かっていると言う。多量の土砂に家を壊され、避難所暮らしを余儀なくされている人たちに追い討ちをかけるようなことにならなければ良いが。この10月13日に、太陽の家でも巨大地震の発生を想定した防災訓練を実施した。この訓練は、太陽の家の加入する社団法人 三重県地域密着型サービス協議会という組織全体で同じ時間に同じ巨大地震の発生を想定して訓練を行うことに連動して実施した。一斉防災訓練の趣旨はともかく、今の時代、「 うちは大丈夫! 」と100%安全な地域で、災害には無縁と言い切れることは無くなった。と言っても過言ではないような時代のようだ。どこの場所に居ても、色々な災害や災いに襲われる可能性は、年を追うごとに強くなってきたように思える。他人さんの大切な命を預かる仕事。それも、高齢であるがゆえに移動動作は緩慢であり、身体の自由も利きにくい。今回の訓練を通して、地震の際にはテーブルなどの下にもぐりこんで落下物から身を守るという手段が取れないことが浮き彫りとなった。
太陽の家は2×4工法の木造二階建て。三井ホームが自信を持って阪神淡路大震災規模の地震でも大丈夫と保障する建物ではあるが、壁や天井につけた時計や額縁、そして窓ガラスなどの類が破損したり落下したり調度品の転倒など、そう考えると建物の倒壊は免れても落下物で怪我をする事が考えられる。戦時中でもないが、防災頭巾の準備を真剣に考えないといけないのかもしれない。しかし、当初から太陽の家の職員さんには、もしもの災害時を考えて、施設内での履物をスニーカータイプの物でお願いしている。これには大きな理由があって、災害時の足場の悪い中、救助に当たるべき職員さんが足を怪我していては、救助にも参加できなくなる。其のことを防ぐために、職員さんには万全の体制を整えてもらいたい気持ちでお願いしてきた。そして、最近では職員さん用にヘルメットも準備している。まだまだ全職員の分を確保してるわけではないので、今後、早いうちに職員分のヘルメットの準備を行う予定である。また、同時に、利用者方用に防災頭巾の整備も進めていく予定である。
それと同時に、これだけ急激な気温の変化を考えると、体調の管理と維持への配慮を強化しなければいけない。寒くなると室内の空気の入れ替えが滞りがちとなるが、暖房だけでなく時折の換気も必要である。昨年の冬のような市内の薬局などの店頭からマスクが売り切れたり、注文しても在庫がなかったりと言う騒動もあった。私たち介護のスペシャリストと言われる者として、いかなる災害や天災に際しても、預かる命を確実に守り抜く気概と細かな配慮が求められていると考える。
10月26日(火曜日)、太陽の家では大運動会を開催いたしました。グループホームならびにデイサービスから利用者の皆さんに集まっていただき、借り物競争、パンくい競争や玉いれなどを実施。赤組と白組に別れての応援合戦など、非日常的一日を過ごしていただきました。
(この様子は、写真などを加えて詳しくご説明を行います)明日の午後には公開できると思います。乞うご期待!
少し前にも書いたことがあるのだけど、韓国の女優の顔立ちと言うか、美の基準のようなものが好きだ!と公開したことがあるが、最近、自分の中で密かなブームとなっているテレビの番組に韓国の時代劇である「イ・サン」というのがある。韓国の王様にまつわる権力闘争や恋愛も含めた番組で、僕がなぜ、この番組を好きなのか?それは、キャストもともかく、衣装や建物などが結構、本物っぽい。それと王様が認知症をわずらい、自分の孫に当たる直径に王位を継承させるなどと、結構、笑える部分が沢山あって、純然たる恋愛モノでもなく、濁流のごとくの血で染まる場面設定も無く、のんびりと安心してみていられる番組と言う点がおもしろい。この番組は毎週日曜日の夜9時よりNHKのBSで放送され、毎週金曜夜10時からノーカット版を2本連続で放送中。金曜のノーカット版は韓国語で放送。また、日曜に放送した分のかなり前の放送分を追いかけ今、放送している。
以前は、これまたBSで放送されていた(今も継続されている)アメリカの救急病棟の話 「 ER 」が面白かった。ちょうどジョージ・クルーニが出演してた頃の時代である。一番初期の頃のERは、今のそれよりももっと真実に近いストーリーだったような気がする。今もなお、超過密な急患に対応してる救急ドクターたちの奮闘振りは健在ながら、すこし飽きてきたかな・・・
普段、あまりテレビは見ないことが多くなってきたが、それでも常にテレビはつけっ放し。今、盛んに省エネルギーが叫ばれる中、電気の無駄使いといわれるかもしれないが、テレビから流れ出る音に対しては、自分の中で無意識のうちに選択して聞いているように思う。其の選択肢の一つに今回のお気に入りのイ・サンがあるというわけです。
そう言えば、日本のテレビは東京オリンピックの時代に生まれて、今や各家庭に数台のテレビは普通。極端な場合、各部屋に一台のテレビ、もっとすごいのはトイレやお風呂にもテレビという家庭があるようだ。うちの家にはリビングとダイニング、それとベッドルームに一台づつ。計3台のテレビしかないので、どちらかといえばテレビは、それ程必要不可欠ではないのかもしれない。現に、自分の勉強部屋にはテレビは存在しない。この部屋にいる中でテレビをつけるという習慣が無い。不思議なもので、家族団らんの場であるべきダイニングでテレビはつけっぱなしにされ、自分ひとりが過ごす勉強部屋(書斎とは呼べない程度の部屋なので)では、一切のテレビの音は聞こえない。そんな環境が不思議といえば不思議である。
そしてテレビの話題でもう一つ面白い感覚の相違が感じられたケースとして、友人のお宅にお邪魔し、其のお宅で流れているテレビ番組をみて思ったことが、今までに自分が見たことの無い番組を視聴していて、一種、海外に行ったときのような違和感を感じたときがあった。もう少し分かりやすく説明するとすれば、僕は僕なりに時間帯によっては視聴する番組が固定されている。例えば9時になるとNHKであったり、10時になればテレビ朝日であったり。と時間によって流れてくる番組の音や調子は、ほぼ毎日同じリズムで流れている。そこに、友人宅などの異質な空間ではあるがあ同じ時間帯に、普段なら聞こえてくるはずの音楽やアナウンサーの声のトーンに変わって、若者のタレントの騒々しい掛け合いや声などを聞いていると、同じ日本語ながら、僕にはまったくの異国後として入力されるということなんだ。
こんなテレビ論を話していると、如何にも年老いた気持ちになるが、年々、自分自身のものの考えかたや感じ方が変わっていくことは事実である。それと同時に見て楽しいテレビ番組も変化していく。このブログを読みながら、なんとくっだら無い!と感じながら話半分に読んでいるアナタ!もうすぐですよ!僕と同じように、今のテレビについていけなくなる日も、そォ遠くは無いかもしれませんよ! ひひひ・・・・・
インターネットを使った通信販売を最近良く利用する。特にペットボトル飲料に関して言えば、この近辺のどこよりも安く購入することが可能であり、おまけにワザワザ重い荷物を抱えてスーパーから自宅まで運び込まなくとも、宅配便業者の人に玄関口まで届けてもらうことが出来る。非常に助かる、便利な、楽なショッピングなんである。最近購入したものはと言えば、500mlのお茶を2ケース、ボディーソープを数本、ペットフードを2袋、おまけに今回は大物を購入。自分の勉強机用の椅子を購入。今まで、近くのDIYショップで、3000円で購入したものを使っていた。しかし、やはり安かろう!悪かろう!と言う結果となってしまい、個々で購入した椅子に腰掛け、机に向かっていると、腰に非常に大きな負荷がかかることとなり、腰痛が激しく出ていた。全てが値段勝負ではないことは理解してるが、やはり3000円で肘掛つき椅子は、それなりに作りも雑であり、長時間の使用には耐えなかった。
さて、今回購入した椅子はと言えば、今度は、逆に大きすぎて、今のテーブルセッティングでは、椅子が大きすぎて、逆に窮屈な印象がある。お買い物も実物を見ないことには、なかなかこれと言うモノは購入できませんという例でした。やはり、これからの通販には、飲料などの中身が分かっているような物、市場に出回っているメーカー品であることが一番重要かもしれないです。
いやいや、今回の椅子の購入は失敗したと言ってないのです。ただ単に、インターネット通販を利用するには、更なる注意が必要と悟ったと言えばよいのでしょうか・・・・
秘かに仕入れた裏情報であるが、認知症対応型共同生活介護事業所に関する変更点の一部が表面化されてきている。
1.既存の制度上必須であった人員としてのケアマネジャー。これが廃止。ケアプランは専門の研修を受講したものが作成することが可能となった。 よって、グループホームにはケアマネジャーの配置は必須ではなくなる。
2.2ユニット以上のグループホームにおける夜勤体制が1名でも可能であったが、今後は二名以上の確保が義務付けられる。これにより、複数ユニットの事業者には人件費がさらに圧迫されることとなる。
3.軽微な医療行為の規制を緩和。これにより介護職員においても軽微な医療行為は許される範囲へと広がる。当然、それなりに医療関係者を交えたトレーニングと研修を踏まえた上での拡大解釈であるには変わりは無い。
などが主だった改正となろうと言うことである。いずれにせよ、介護保険の財源がパンクしてる現在、これ以上の介護給付額の増額は困難をきたし、利用者への処遇改善に主眼が置かれた改正である。と言うところで、事業者にとっては経費負担の増加が予想され、事業主にとってみれば特に運営負担が軽減されたわけではない。
特にケアマネジャーに関しては、ひところ、ケアマネ不在で減算を余儀なくされた事業所も見受けられるが、今となっては、大半のグループホームにはケアマネを確保し、それなりに業務が流れている事と思う。そう言う中で、ケアマネが不要となっても退職を迫るわけにもいかず、この制度改正は何の得につながるのか疑問である。逆にケアマネジャーの資格意義自体が安くなりそうである。
夜勤体制の改正は、はっきり言って当然と言えば当然である。1ユニットでも1名以上の夜勤者は確保する事が義務付けられており、なぜ、その倍にあたる2ユニットでも1名で夜勤が可能なのかが理解できなかった点ではある。しかしながら、二名の夜勤者を必要とすると、さらなる職員の補充がいる。2名が同時に夜勤明けと休みをとるとなると、その分、昼間の業務が希薄になってしまう。その穴を埋めるために少なくても2名の余剰人員が必要となるのは辛い。
いずれにせよ、楽には儲けさせてもらえないのが公務員のなせる制度運営と管理である。
何が焦るのか?と言えば、夢の中で追われる瞬間。足は動かない、声も出ない・・・・しかし敵は猛スピードで追ってくる。万事休すというタイミングで目覚めてしまう経験はありませんか? あまり普段の事業運営の中で焦りを感じない。と言うより、無視してしまう鈍感な私でも、時として追いつめられる夢をみることがあるのです。今日は、夢の話ではなく、『 焦り 』について面白おかしく書いてみたいと考えています。
次に最近体験した、何ともしようのない焦り又は苛立ちとして、トイレへの本能に急いでドアを開け用をたそうとした瞬間、かなりきつめに結んだジャージパンツの紐が解けない時。これは焦ります。想像して頂ければ理解できるはずですが、ジャージっていうはき物。股間に所謂「平和の窓」なるものもなく、パンツその物を下まで下げないと、用を足せないというモノなんです。なのに、腰に止めた紐が解けないとき・・・・地団太を踏むとは、こう言う時の事を言うのでしょうね!
第二に、これまたトイレにまつわる話で恐縮ですが、以前、僕の住んでいたボロボロのおんぼろアパートのトイレが詰った時の話です。紙の使い過ぎか?急にトイレに流れが悪くなったので、しばらく様子を見てもう一度、水洗を流したのですが、全く流れる様子は無かったのです。高い水圧をかければ、その威力で詰りを押し流すか?という賭けをしてみることに。便器いっぱいまで水を入れるべく何度もトイレの水を流したのです。期待を裏切るように、詰りは解消せず、水位だけが加速され、便器の淵に到達、それでも詰りはとれず、見る見るうちに水洗の水は便器を乗り越え、床一面に流れ出す始末。これは焦りました。何ともしようのない、ただ茫然と自分のした事を後悔しながら見つめるだけの時間。
第三に自分の人生の中でも重要かつ重大な運命を分ける試験の答案。非常に難しく、時間いっぱいに近くまでかかって、ようやく回答用紙に書き入れを終えて、提出間際に答案の順番を間違えている事に気付いた時。これは焦ります。制限時間まで5分という段階で、全ての回答が一問づつ、ずれていると気付いたとしたら書き直しますか?ここで諦めるか、火事場の馬鹿力をだして努力するか?人生の本当の分かれ道ですね。
第四に、先日、大変な経験をしました。大型の荷物を運ぶ時にフォークリフトを使いますが、この時は大型の業務用冷凍冷蔵庫を地点Aから地点Bに移動したときの事です。冷蔵庫にはキャスターという小さいですが車輪が4個ついているタイプです。おまけに、地点Bはなだからな傾斜地。地点Aでは、普通に置かれていたのですが、それをリフトですくい、地点Bまで運ぶ事は全く問題は無かったのですが、地点Bに下ろし、フォークを抜いたと同時に、その冷凍冷蔵庫は勝手に動き始めたのです。フォークリフトはバックしている最中。冷蔵庫は加速されて移動スピードは速くなりつつあります。その先には新品の乗用車が。慌てました。フォークリフトを急いで停車、ロックして、飛び降りて、走り寄って冷蔵庫を受け止めてセーフ! その瞬間大きなため息と共に、それらの一連の様子を見ていた人に冷やかされ・・・結構びっくり、ドッキリの瞬間でした。
まあ、言いだしたら限のない話ですが、余裕を持って行動すると言う事が、これらの焦りを未然に防ぐ手立てとして有効なのは分かっていますが、『 慣れ 』が、人間の行動を少なからず横着にしてしまうようです。これからも事故の無いよう、気分を引き締めることとします。