とても急激に寒くなって、今年の秋は無いのかい?と問いたくなるような毎日である。明日は、11月の気温だと言う予報も入り、ますます冬に突入と言った感じかな?そういえば、今日の福島は昼と夕方の二回にわたり震度3と4の地震が発生した。私も全国の認知症グループホームの関係で、福島県の協議会との交流もあり、少し心配。しかし、運よく地震も小さく特に被害も無いようで安心している。しかし、ここ数日、日本の各地で震度3程度の地震が多発しており、なんだか嫌な雰囲気。来月の10月には自分が考えて、大型地震がこの三重県を襲うと想定した一斉避難訓練を予定している中で、巨大地震が正夢にならないように祈りたい気分である。
さて、昨日にも異常気象の及ぼす影響についてブログを書いたが、あまり気候のことばかりでは読み手に失礼と思うので、今日はうちのグループホームについて書いてみたい。
何でも事業を拡大していく中で、一番経営者を苦しめることに従業員の確保と定着である。私たちのような弱小の施設では、せいぜい働いてもらえる職員数も20名そこそこ。大型施設なら50や100名なんて一般的。多い所では、1500人とかの従業員を抱えて運営している施設も存在する。1500人の中の数名の退職は痛くもかゆくもない。しかし、20名そこそこの規模に数名の退職者は大きな痛手を伴う。職員の退職はそのまま、事業運営を困難としサービスの提供に支障をきたす。うちのグループホームでも、先月末に一名が退職。其の前月にも1名が退職。二人とも退職理由が個人的な理由によるものらしいが、実際のところはわからない。退職者が出ると言うことは、職員の扱いが悪いというレッテルを経営者は張られてしまいがちで、それには言い訳も出来ない部分もあるにはある。職員への充分なケアが行き届いておれば、そうそう退職にまで踏み込んで結論だてる職員も居ない。と言う理由からである。
しかし、実際に、グループホームで働いてみると、職員同士の会話や交流が少なく、個人としてのかかわりが多く感じられる。もとより、介護は個人プレーではなく、協働の姿勢が求められているが、実際の現場では一日8時間働いて、その場で顔を合わせるのは3名程度。全職員7名の中でゆっくりと意見交換を出来る場がない。自ずと、職員は全ての問題や課題に対して個人の力で考え、対応していくことを求められる。介護未経験で資格も持っていない職員などにすれば、毎日の業務が不安で仕方が無いのも当然である。新人職員には出来るだけ先輩職員がマンツーマンで指導する機関を設けてはいるが、それとて、どこまでを教えて、どこまでを自分で学んで行ってくれるのかは人によって格差がある。飲み込みの早い人、少し不器用な人、すこし苦手意識の強い人・・・等など。其の格差をどのように超えさせるように指導していくのか?は、グループホームの管理者にゆだねるしかない。非常に難しい舵取りを求められているようであり、大変な重労働であろうことも理解している。ただ、仕事を指図して監督しているだけではなく、そこには「施設利用者」の存在がある。一番重要なことは、利用者の生活の場を守ってあげなければいけないことであり、そこに働く者たちは道義的責任として、業務上のトラブル、特に人間関係のトラブルに利用者を巻き込まないよう細心の注意を払う必要があるはずである。
ただ救われる明るい兆しとして、前述の退職者の変わりに新たに働いてくれる新人職員(石河、玉腰)が、新人の割りに多面的な視点を持って仕事を手伝ってくれている点である。介護の仕事は、どうしても視野が狭くなりがちである。それは、相手が残り少ない余生という時間的制約を受け、おまけに、これ以上の成長が見込めない高齢者であると言う点で、どうしても最終的な「死」を意識しながらの作業だからだ。 認知症高齢者の日々の生活を支援する前に、其の人たちの終の棲家=平穏な過程と同じような生活という環境を模索していかざるを得ない。しかし、生活の質と言う点を重視する中で、普通の生活を継続することとは、ただ何もせず、闇雲に時間が過ぎ去る毎日を見守るだけで良いのか?という点を疑問に思う。毎日、同じスケジュールで動き、特に波風も無く、何の変化も無く時間が過ぎていくことは、果たしてハイレベルな生活の質が担保されているのか?うちのグループホームでは、利用者の方の自由な外出や散歩を奨励している。自分の意思で外に出て、散歩することは良いことであると思う。しかし、勝手にお散歩してくれるから、いつものことだから大丈夫と、職員はマンネリ化したシステムに胡坐をかいているようにしか受け取れない。 誰だって、何の刺激もない単調な行動を継続する事は辛い。仕事でも単調になればなるほど継続には、かなりの困難がついてまわる。たまには職員が同行して新たなお散歩ルートを見つけたり、季節の草花を探したりすることも必要ではないのだろうか?
それと同時に、数少ない食事作りの効果と目的について考えてみたい。この計画が出始めた当初は、職員自信も燃えていた。しかし、今は若干のお荷物になりそうな気配もする。いや、すでに職員にとって食事作りは、生活リハビリではなくなり、職員の余分な業務になりつつあるのではないのだろうか?太陽の家では、毎食を業者に委託して、この施設内で調理を行ってもらっている。もちろん、私にとっては決して安くはない経費を費やして、毎食の安定供給をお願いしているし、また業者の方々も一生懸命に要望にこたえようと努力していただいている。食事作りの写真ばかり張り出して、食事を作って生活リハビリとして活用しています!というプロパガンダよりも、実際に食えそうにない失敗作に対しても、其の話題に笑いながら、みんなで反省を交えて食事を楽しむ、食事作りを楽しむような機会をもうけてもらいたいものである。
もう数年前になろうとするが、其の当時に入所された利用者の方の糖尿病を完全に克服できるまで、職員が努力して食事を制限したり、カロリー計算を行い徹底した支援を行った結果、其の方のインシュリン注射を不要にしたことを考えてもらいたい。自分たちでも出来るんだ!という自信がもてた。自分たちもグループとして協働体制がとれたという喜びがあったはずだ。今、うちのグループホームの職員は、ほぼ100%変わってしまった。この事実を負の遺産と考えるか、新たなる出発と捉えるか?其の捉え方によって、これからのグループホームの成長に大きくかかわってくるはずである。
今日のネットニュースでは、名古屋市立大学大学院医学研究科の岡嶋教授のグループが、赤ワインに含まれる植物性ポリフェノールが学習機能や記憶をつかさどる脳の海馬を活性化するメカニズムを突き止めたと公開された。問題となるのは赤ワインの量であるが、一日にワイングラス2杯程度(250mlから500ml程度)が良いらしい。
赤ワインと言えば、フランスやイタリア、南米チリ産やカリフォルニアなどが有名であるが、日本にだって美味しいワインは沢山生産されている。ただ、ワインドリンカーは増えてはいるものの、ここにきて焼酎を好む人が断然多くなってきている。私自身は、焼酎よりはワインの方が好みと言えば好みではあるが、残念ながら白ワインを好む。赤ワインをなぜ嫌うかと言えば、渋みである。肉料理には赤ワインと相場は決まっているようではある。肉料理には、脂肪が多く、食事をしながら赤ワインを流し込んで、脂っこさを消すことに主たる目的があるようだが、私は肉料理にもさっぱり目の白ワインを飲む。白ワインには、これらの渋みが少ないと言う事は、ポリフェノールが少ないと言う事なのだろう。認知症を予防するために、今後は白ワインから赤ワイン中心に子の実を変えるか…??と言ったところだが、元来、それ程避け自体を好まない自分だから、まあ、それ程の影響も少ないのか・・・・と笑ってしまった。
逆に酒を飲める御仁に赤ワインは認知症予防に効くと、ひょっとして赤ワインばかりがぶ飲みして、結果的にアルコール中毒による認知症になったりして・・・と笑い話にも出来ないような事態も考えられる。要するに、酒は百薬の長と言われるように、赤ワインも適度にたしなむようにしてもらえれば、そこそこ病からは遠のいていけるのか・・・というところでしょうね。
しかし、岡嶋教授の研究成果に対し、認知症を心配する高齢者の皆さんには朗報と言える。また同時に酒を楽しむ食卓という生活習慣は、日本人の食生活を更に豊かに、また同時に家族関係までも円満で明るい関係構築に寄与できる。そんなプラスアルファー以上の効果が期待できそうで、これからの日本人の食文化の改善に明るい期待が持てそうである。あまり大きな声では言えないが、高齢者は、核家族の社会の中では、昔の高度成長時代の子供同様、カギっ子生活の人が多い。一人で留守番、一人で食事、一人で寝る、とすべてが同居家族の中においても「一人」の生活が毎日続く人が多い。最近、BSテレビで『小さなイタリアの村』という番組が放送されている。イタリアの大きな都市ではなく、小さく辺鄙な田舎暮らしの人々の生活を紹介する番組である。この中で目にするイタリア人の家族は、食事を家族全員がそろって食べる習慣が今でも残っているようである。日本人の高齢者に認知症が多いのには、この生活環境によるところも大きく影響しているのかもしれない。
ちなみに赤ワインの渋みは、ワインに含まれるタンニンによるもので、文章の中で記載しているポリフェノールの影響では無いので誤解のないようにしてください。 それと、白ワインで好んで選ぶブドウの種類はソーヴィニオン・ブランやシャルドネ種がさっぱりした辛口のワインとして僕の好みではある。赤ワインでは、カベルネ・ソーヴィニオン、メルロ、ピノ・ノワールなどがお勧めの種類である。また、ワインには、ブドウの育った年度や気候が大きく影響を及ぼすそうで、それぞれ味が微妙に違うのです。自分の好きな銘柄を指定できるまでは、多少割高でもグラスワインで注文して、味の飲み比べをした方が良いようです。
デイサービスの中で使おうと思って、昔懐かしい電化製品の写真を求めてネットサーフィン(こんな言葉は、今時は使わないのかもしれないけど・・・)洗濯機を探し当てた。ついでに、日本の戦後の年表も調べながら、利用者の方々との話題つくりを模索しているなかで、この時代とは、私の生まれた時代であり、ちょうど日本は戦後の建て直しの最中に勃発した朝鮮戦争による軍事物資の特需に沸いた時代。
『神武景気』と呼ばれる経済成長真っ只中の時代に、三種の神器として、日本人の家庭に普及し始めた白黒テレビ、洗濯機、掃除機の三点が富の象徴のように扱われた時代に生まれている自分である。この写真の洗濯機も1953年製の国産洗濯機の写真を、あるネット上のページから拝借してきたのだが、我が家にも同様の洗濯機があった。おまけに、この1953年は、日本で初めてテレビの本放送が始まった年で、それから、かなりの年月を経て我が家にもテレビが設置された。僕が小学校の低学年のときに始めてテレビが届いたように記憶しているので、やはり、テレビの放送が開始されてから10年程度はかかっていたようである。
話がそれてしまったが、これらの古い写真などを使って何を企てているかと言うと、一つは『 回想法 』を使った話題づくり。もう一つは、皆さんの記憶をたどって、懐かしい古き良き時代を考え、思い、そして、今の文化や社会と比較し、どれほど日本の生活レベルが向上したかを語らいたい。この神武景気の時代は、太陽の家の利用者の皆さんがちょうど青春を浮かしている時代。時代はまだまだ今に比べると、不便な時代でモノが不足傾向にあったと思うが、それでも一番輝いていた時代ではないかと思う。人生の中で一番エネルギッシュで、それなりの色気も持ち合わせて居た頃だと創造する。そんあ人生最大の時代を思い起こすことは、昔を懐かしむだけで、今の自分の老いた姿を再認識するようで逆に辛いかもしれないと言う違憲も聞くときがあるが、僕はそうは思わない。自分の人生の一番すばらしい時を振り返るとき、どうしても第三者に自慢したいと思う。そして、其のj台の話をすることによって、今まで社会から取り残されてきた感情は、ことさら「まだまだいけるぞ!」と生きる自信につながっていくのではないかと考える。
前回、利用者の皆さんの古い写真を投影しながら、昔話に花が咲いたときがあった。一応、全て準備した写真を投影し終わって利用者の皆さんと話をしたとき。本当に楽しそうな輝いている目であったことを思い出す。全ての利用者の方々に共通して見られる状態ではないけれど、少なからず半数の利用者の生き様に有る程度の影響を与えることが出来たと自負している。
認知症でもない、単なる高齢に伴う物忘れとして我々支援する側が信じてあげることが、一番重要な要件かとも考える。歳をとっても、まだまだいける!この気持ちに利用者の皆さんがなってくれることが一番の目的である。今、そう考えながらデイサービスの中に 古い昔話を復活させようと企んでいる。
写真は上から「のうぜんかずら」の葉っぱの変色した写真。 真ん中、大きく成長できずにミニチュアサイズのトカゲ、ゼラニュームの白色化した葉っぱの様子。
今年の猛暑には、太陽の家植栽担当としては、非常に神経を使い、朝夕に限らず草花の様子を見つつ水やりを定期的に行ってきました。特に上の写真のゼラニュームに際しては、結構気を使ってきたつもりですが、株は成長しないばかりか、葉っぱも白く変色し花数も少なく、とても重篤な様子となりました。 のうぜんかずらなど、葉先が黄色に変色し、おまけに葉っぱの肉厚も普段よりも厚く、やはり高温と強烈な太陽光に、植物も人間以上にへこたっていたようです。
このトカゲも、写真で見ても小さく見えると思います。レンガの上に乗っている姿から全長が3センチ程度に見ていただけるかと思いますが、とても小さく、ミニチュアサイズのトカゲも、夏場の酷暑の最中には餌となる昆虫も捕まえる気にもなれず、それこそ水を求めて湿った地面に身を伏せっぱなしの状態で過ごしたのでしょうか・・・?
この夏は、本当に異常な暑さで、ペットにも熱中症が出るほどの超危険な状態でしたが、太陽の家の利用者の皆様は特に大きな体調の変化もなく過ごしていただけましたので、取り合えず人安心です。異常気象が人為的な無計画な開発や資源の無駄使いから発生してくることは、少しづつ一般の市民レベルに浸透はしてきたものの、さて、実際に毎日の生活の中で自分自身の欲求を押さえてて、環境に優しい活動をしているかを考えると、大きな声で自信を持って『 ハイ! 』と言いきれないのが残念です。 十数年前に鈴鹿市の商工会議所青年部の発行する機関誌に、環境問題について文章を書いた事があります。今、世間で常識的に叫ばれているような内容で、CO2の排出量の制限やら、石油製品の及ぼす影響などについて書きました。この時の機関誌は、全国の商工会議所のコンクールで何かの賞を頂戴したのですが、今思えば、あの当時から地球温暖について考えてきて、自分は環境に優しい生活や事業展開をしているのか?を問う時、自信がないのが残念で仕方ありません。
そして、日本福祉大学の講義の中でも、資源問題の与える貧困社会の問題について学んできたのですが、だからと言って、自分自身の生活に直接大きな影響も見えない部分に、何かの支援や協力すると言う難しさを知ったようにも思います。自分の興味のないもの、それだけではなく、自分に確実に降りかかる状況がみえない中で、その影響力を想像し予防することの難しさを知ったように思います。今、太陽光発電システムが補助金を受けて、沢山の家庭に浸透していこうとしています。太陽の家でも昨日、三井ホームさんの太陽光システムパネルの設置に関する経済的、環境的効果をシュミレーションしてもらいました。まだまだ、投資に対するメリットには20年程の時間長必要です。投資対効果を考えると、たとえ環境に優しくても、そこまでの投資をする前に職員に分配すべきではないか。とか、いろいろな直接的影響力の方に目がいってしまいます。
私達の住む世界。この世界を子供たちや孫たちの代に引き継いでやらなければいけない。そんな時に、今を考えていて良いのか?という大きな課題に悩むところです。
僕は、炊事洗濯をするんですよね!って、別に自慢ではないのですが、最近の男性では珍しくもない存在で、沢山の男性(特に中年男性が奥方に代わって炊事洗濯に掃除までこなす人は多い)に見られる『軟弱性』みたいなところがあるのです。洗濯なんていっても、昔の手洗いに近い洗濯ではなく、最近の洗濯機は超優秀で、ドラムの中に洗濯物を放り込んでスイッチ『 ポン 』で、時間が来れば脱水までし終わって、おまけにセットによっては完全に乾燥までしてくれるのですから、それ程、大した作業ではないのです。まア、其の中で、今日の洗濯は、面白かった。と言うより恐ろしかった。
うちの洗濯機は横斜めのドラムで、今時の節水タイプ。まだ買い換えて一年程度のモノなのですが、今日、あまりの寒さに冬の布団を引っ張り出してきて今晩から、其の布団でぬくぬくと寝ようと思い立ったのですが、この夏の酷暑で仕舞い込んでいた布団が妙に臭い。僕の体臭・・・?と諦めながらも、うちでは犬が三匹生活を共にしてる関係で、布団の上でよくお漏らしをする。そのお漏らしの結果が、今日の異臭なんだったのです。朝、仕事に出かけに衣服の汚れ物を洗濯し(洗剤を投入しスイッチをいれただけ)、昼の休憩に外の物干し竿に干せば良い!と思いつつ、結局、洗濯機の中に夕方の仕事終わりまで入れっぱなし。ようよう、外も暗くなってから、慌てて外に干したのですが、其の直後、布団を洗おう!となったわけです。
以前のたてドラム式洗濯機では、結構頻繁に布団を洗っていたのですが、この横ドラムでは初めて。洗濯層に入るのか不安になりつつ、丸い扉をあけて中に布団を詰め込んだのです。結構、無理やりに近く押し込んで、洗剤、柔軟剤を放り込んでスイッチをポン! そのまま勝手に洗濯してもらってる間に、夕ご飯を作り始めたのです。明日はお休みですから久しぶりに、ニンニクたっぷり放り込んだペペロンチーノのパスタを作り始めました。其のうち、自分で布団を洗濯してることも忘れ、パスタの湯で加減に全神経を張り詰めて、大なべのパスタを湯がいてました。その時、突然の大きな音。ビックリするほど大きな音がしました。洗濯機の設置された裏口界隈からの音でしたので、誰か良からぬ者が、裏口のドアを蹴破って入ってきたような音でした。
少々、ビックリして音のした裏口を覗いたのですが、それはそれは、洗濯機が大変な状態となっていたのです。何が大変かと言うと、洗濯機自体が大きく踊っているのです。それは、トムとジェリーの漫画にでてくる洗濯機が暴れるシーン。まったく、其の通りの事態が繰り広げられていました。要するに、洗濯層に無理やり押し込んだ布団が水を吸って、大きく、重くなって、ドラムが右に左にと揺れてしまい、その結果、洗濯機も右に左に大きく揺れるのですから、洗濯機の4本の足(と言うのでしょうか・・・・?)が浮き上がってバウンドしているのでした。洗濯機の後ろの壁にもあたり、バンバンと音を立てています。流石に漫画のように、洗濯物が外に飛び出るようなことは無かったのですが、一応、一時停止ボタンを押して、中の布団の位置(と言っても、位置をかえるようなスペースも残っていない状態です)布団を一旦引きずり出し、ベタベタで水の滴る布団を入れなおして、再スタート。最近の家電製品には必ず電子回路が入れられており、其の電子回路が色々な場面を想定して機会が勝手に微調整を行うのですが、まア、今日のこれはひどい惨劇でした。お陰で、洗濯に倍の時間を要し、おまけに洗濯機の周りの床を水浸しにして、ようやく選択が完了!と言うアクシデントだったのです。
やはり取扱説明書に書かれている容量を超えて、洗濯機を過酷に使うのは辞めたほうがよさそうです。
尖閣諸島の問題は、想像以上に荒波の様相を呈してきた。報道でも重要課題として必ず取り上げられ、社会の関心も大きい様である。ここにきて、船舶の衝突事故の船長の釈放やら、中国側からの賠償請求など、本当に頭をかしげたくなるような事態に、民主党政権も大変なかじ取りを迫られている。陰謀説やなんやらかんやら、私達には想像も出来ない国政の世界の問題に外交のこじれが一般旅行客などへの影響を考えると恐ろしくなってしまう。
僕も、上海には一度訪れた事がある。同じ人間の住む世界の一都市としてみると中国は面白い社会構造を持ている。古い封建的な中国と近代的な文化の融合した都市が中国の大きな都市のあちこちに出来あがり、一昔前の見栄えばかりで中身の伴わない粗悪品の街という中国ではなくなってきていた。そこに住む人々は、東京の街中でみかけるような近代的なファッションに身を包み、ヨーロッパ製の高級外車がビュンビュン走り回り、全く六本木や赤坂の街中と変わらぬ様相であった。しかし、やはり共産圏の国として、心なしか開放的な気分で街中を歩き観光するには多少の勇気と度胸が必要であった事を思い出す。ホテルの前を夕食後に散歩する時に、現代風の上海女性二人に声をかけられたことがある。今から3年前の上海である。彼女達は夜のクラブとかディスコなどの若者の集まる場所へ連れて行けとせがんできた。「どうせオイらは、スケベくさい顔した小金持ち風日本人男性さ!」と、半分自分自身の見た目を反省しながら丁重に、お誘いをお断りして散策を続けたのだが、結構くどく誘われた事を記憶している。今どきの上海っ子も、日本の若者と同様、遊ぶ金欲しさにオッサンに群がるのでしょう!
まあ、そんな上海、滞在期間は短かったが、東洋人は東洋人で同じ肌の色ながら全くの異文化との交流の時間であった。さて、話が本題からそれてしまったが、中国人はしたたかである。長年の歴史の中で、戦に次ぐ戦を乗り越え、その都度トップの考え方次第で世の中が露骨に変化していく社会を生き抜いてきたのだから、精神的にしたたかなのも納得できる。今となっては世界のトップレベルの経済力と軍事力そして、世界的にも大きな国土と人口を誇る国。日本に比べても豊富な人材を使って、今では世界を牛耳る程の力を持っているようである。
テレビの報道で知る限り、今回の尖閣諸島の問題は、あきらかに中国の国家的な嫌がらせ又は巨大で暗黒な隠れた意図が見え隠れする陰謀を感じさせるようだが、外交は政府のえらいお方に任せたとしても、我々一般庶民の高根の花である海外への旅行が、命の保障も無くなるような、また、日本人であることを恥じるような国にはしてほしくは無いと願っている。
直近に書いたブログでは、この酷暑に対する辟易するするほどの愚痴をたらたら書いているわけですが、それが急転直下、朝夕の気温の急激な低下によって結構毎日過ごしやすい日々が数日続いている。昨晩など、夏物寝具では寒すぎて夜中に目が覚める程の気温の低下に驚いている。さて、そうは言うものの、今日、土曜日の昼中、風が心地よく木陰で昼寝でもすれば、さぞ会的であろうと思わんばかりの天候。まあ、土曜日は利用者の体調の変化さえなければ、電話も少なく比較的事務所はのんびりとした環境で過ごす事が出来る。そんな訳で今日のタイトルを「のどかな昼下がり」と書いてみた。
先にも書いたように、利用者の体調によってと書いたが、このような老人専用施設ともなると結構急激な体調の変化がありえる。こんなの言わずとも知れた事ではあるが、この体調の変化。一言でいえば簡単ではあるが、意外とその変化に気づくには専門的な知識と経験を要す。そして一番重要な事は、利用者個人の普段の様子観察をしっかりと行っているかが重要な要となる。普段と違う歩き方、普段と違うそぶり、普段と違う顔。高齢者は、人生の達人であり、我々若い者の先を歩く人生の先輩であり、色々な経験を積んでこられた方々である。同時に、細かな事を訴えなくなる。嫌味ではなく、人生の達人ともなると、いつもと変わらん!と自分自身が思い込んでしまい、その結果、多少の痛みも苦痛も外部に訴えることなく、自分の内で処理してしまおうとする。問題はここにあり、認知症ともなるとこの状態が特に顕著に表れる。一つは表現方法が見つからないのだ。
私達専門職は、これらの寡黙な老人の体調の変化に気づき、適切に医療機関に橋渡しを行うことで、大病を未然に防ぐ事が可能となるのである。うちの認知症グループホームの入居者のお一人ノ歩行が左に傾く事が多い。と言う事で病院受診をした。その結果、やはり小さな脳梗塞の発生が散見されるという所見であった。また、この後に大きな脳梗塞が起きるかもしれないので厳重な見守りと注意が必要と言われたそうである。私達は医療機関では無いので、利用者の方々に発症するかもしれない脳梗塞を未然いとめることは出来ない。しかし、発症する疾患にいち早く気づき、早期加療を行うことによって、人命を救うことは可能である。私達の役目は、早期発見と予後の生活支援である。
言うなれば、緊急時に備えること。そのために平穏な時には少し要らぬ力を抜いてストレスを開放する。要らぬ力を抜くことは、ただ単にボ~っとすると言う事ではない。細かな目配り、気配りは最低限行う事が絶対条件となる。この技術の習得には時間と経験が必要であり、その点では短期間に介護職の専門性を習得したと思いこむのは危険かもしれない。ましてや資格など、何の役にもたたない。沢山の症例を見てきて初めて、そのスキルが成就するのであり、その点では私もまだまだ中途半端なひよっこなのだ!と考える、今日の昼下がりであった。
本当に残暑厳しい日々が続いております。ナンナンダ?今夜の気温。またエアコンのお世話にならなければ夜も安眠できないではないか!
私の部屋は二階にあるのですが、一階から階段を上がって二階の踊り場に立つと、オーブンの中のような熱気を感じ、思わず「たまらん・・・!」と叫んでしまうほどである。 今年の太平洋高気圧の勢力がいまだに強く、温かな湿った空気を日本全土に送っているからだそうだが、もうすぐ10月ですよ!と言う時期になっても、真夏日の毎日。例年だと、日が翳った夕刻からは、長袖のジャンパーでもないと過ごせないほど、それ程肌寒くなっていたのですが・・・・どうでしょう、この天気。
ちょうど10月の第一週の週末は、例のフォーミュラーワン 日本 グランプリの開催される時期なんです。例年、F1の夜は、ダウンジャケットでもほしくなるほど肌寒く、各チームが24時間体制でガードマンを置いて自分のピットを見張っているのですが、そんなヨーロッパ人ガードマンたちも、あまりの寒さに綿入れジャケットに身を包み、温かなコーヒーやスープで段を取るほどなんですぞ!それが、今年はどうなるのでしょうか?これだけ熱いと、短パンにT-シャツで冷たいコーラでしょうか?
こんな熱気に、15年間使い続けてきた、うちの冷蔵庫がとうとうねを上げた。おかしな異音をたててプッスン!と其の活動を停止したのです。この熱い毎日に冷蔵庫のない生活は考えられないですよね。冷凍庫のモノは腐る、お茶を冷やすことが出来ない。生物を買い置く事ができない。つまりは、毎食の材料を、其の都度スーパーに買いに行かなければいけない。偶然、我が家のまん前には大きな冷蔵庫が存在するのですが、そこに行くには中央道路を渡ってレジを通らなければいけない。近くて便利ではあるものの、やはり自宅にある冷蔵庫には、少し及ばない。まあ、そんなわけで、今日、やっと新品の冷蔵庫が届いた。10月には新型が店頭に並ぶ時期とあって、量販家電店では、昨年モデルと言われる機種を安く販売しなじめる好機。まあ、値切りに値切り、結構お値打ちに買うことは出来たものの、やっはりまとまった金額の支払いを余儀なくされるのは、家計に響く。15年間も使い続ければ、それもまた元を取っていると言えそうですが・・・・
今日は中秋の名月。暦の上では明日から秋となるらしい。冬物の衣類も、まだまだたんすの置くに眠ってもらわなければいけないのでしょう。こんな異常なほどの気象。地球温暖化の影響が、じわじわと我々庶民の生活にも影響を及ぼし始めているのでしょうか?こりゃ、車もハアイブッリットに変えてガソリンのばら蒔きに終止符を打つときがきたかもしれません。または、太陽の家の車両を送迎車両以外は、全て自転車にするとか・・・・ダイエットにも有効で、余分な死亡を腹回りに蓄積した軟弱モノの私には健康と省エネの両得かもしれない。
ひょっとすると、来月の陽だまりで、太陽の家8号車と9号車として写真入で紹介できるのかもしれないですね・・・・・・はははは
このブログをはじめ、太陽の家の発行する『ひだまり』にせよ、沢山の写真が使用されている。もちろん、使用にあたっては、予め利用者家族の承諾を取っているのではあるが、この点で、家族サイドにも微妙な感情の動きがあるようである。つまり、利用者の顔写真はある点で、家庭内における話題性の観点から大いに写真などの掲載を求める反面、そのモノが社会の不特定多数の目にさらされることへの危惧感が存在するという点で、どうしても抵抗があるようだ。自分の家族が太陽の家を利用していると言う事実は、家族側からすれば出来る限り秘密にしておきたい。出来る限り、個人の中だけに封じ込んでおきたい。と言う感情の表れなのであろう。問題は、先にも書いたように、インターネットという媒体が取り持つ情報伝達スピードとカバーする範囲の大きさに恐怖するのである。『 ひだまり 』という新聞発行に関しては、それ程大きな影響力は持っていない。しかし、この新聞ですら、形として文章や写真が残る点で、扱いには厳重な注意が必要であろう。人は、ややもすれば「他人の不幸は 蜜の味・・・」なんて言うほど、他人の不幸を喜ぶ風潮が存在することも確かである。人間、すべからず100%の幸福感を得ることは難しい。すくなからず何かしらの不幸や問題を背負って生きている。他人の不幸を見つけては、自分自身の持つ不幸を同調することで、自分の心の痛手を緩和しようとする自己防衛的な態度として、人の不幸をことさら喜ぶ輩も多い。
私自身が一番悲しく思うのは、社会的な認知症高齢者に対する誤解である。認知症のとなる老人を持つ家族が、なぜに恥ずかしく、社会から背を向けて生活しなければいけないのか?と言う点である。認知症は何度も言うようであるが、遺伝するわけでもなく、病気でもない。年相応の物忘れなどの機能低下がもたらす諸症状のことであって、決して、その人の血が悪いのではない。 もっと言えば、日本にも古くから知的、精神的障碍者に対する特別な阻害感情が存在し、昔の障碍者は、そのまま見世物小屋に売られ、それこそ「さらし者」として生きなければいけない社会であった。東京タワーを倍以上に超えるスカイツリーと言われる建造物を創造するような時代となっても、今の日本にも少なからずこのような邪悪な出来損ない意識が根底に潜んでいるような気がする。。
これは非常に寂しいことであり、このような封建的な思想の元で、認知症高齢者を地域で支えることは不可能である。ましてや公助はともかく、共助や自助なんて理論は成立しなくなる。認知症高齢者の行動や言動は、時として一般人が首をかしげる場面にも遭遇する。しかし、そんな人も、その昔には、一般の市民として働き、考え、活動してきた人である。特に狐に浸かれたわけではない。ましてや、認知症だから知的な障害を受けていることにはつながらない。僕は、今の社会が、あまりにも「転ばぬ先の杖」方式の防御策を張り巡らせ過ぎているような気になってしまうのである。認知症だから徘徊する。認知症だから尿失禁する。認知症だから○○する!と決め付けたようなイメージ先行で、其の障害を理解しようとはしない社会のほうが、最終的な末期状態ではないかとおもうのである。
地域でもって共に助け合う共助がなくては、認知症介護は出来ない。ましてや、これから先の高齢者の増加を見据えても、若年層の減少傾向の中、どうやって高齢者を支えていくのかと考えれば、更なる高齢者心理を市民全体が学び、理解を進めなくてはならない。歳を取れば、頑固になる。人の言うことを聞いてくれない。行動が緩慢になり、若者のスピードからすればあ動くシケインのごとく。邪魔な存在となりかねない。
ある家族が答えてくれた。「自分の老いた父親さえ居なければ、随分と生活も楽になる!しかし、父親の世話をしていて、父の笑顔をみると、もっと笑顔を増やしてあげたい、みていたい・・・と思う」と! この言葉は、家族の抱える負担は並ではなく非常に重いが、そこに人間を感じることで、邪悪な自分の意識を考え直す。非常に人間味溢れる暖かな思いやりを感じた。うちの職員さんも言います。とてもハードな仕事を求められストレスがいっぱいかかる職場で、利用者の方々の「ありがとう!」の笑顔と言葉で、全ての鬱憤が晴れきってしまう! 僕は、社会の中で、ささやかな生活を守ろうとする高齢者の方々を悪意を持って商売に利用するもの画像化してきた今の社会に苛立ちを覚える。一部の悪意に、自分自身の顔写真を伏せなくてはならない状態、すばらしい笑顔を社会に見てもらえない今の状態を決して文化的に成熟した社会とは呼べないと思っている。個人情報だろうが顔写真だろうが、皆に見てもらって、ここに幸せに暮らす高齢者をうらやんでもらえるようなサービスを提供したい。
今の僕は50肩らしく、右肩の関節二痛みが伴う。まっすぐ正面に腕を上げられない状態が昨日、今日と続いている。腕が上がりにくいと言うことは、何かにつけて不便で。(まあ、人間の体の、全ての部分で可動制限を受けると不便極まりないが、こうやってPCに向かってブログを書いているときも、自由に右手を動かせない状態では、キーボード操作に時間がかかり、あまけに重要な操作にミスが連発する。先ほども、別のタイトルでブログを書き連ね、いつもよりも筆の進みはよく、沢山の文章を書いたのだが、右手二痛みが伴うお陰で、マウスが変な箇所に触れてしまい、書いた文章を全て一瞬にして削除してしまった。ブログの書き込みページでは、一つ前の作業に戻ると言うことができないシステムとなっており、消してしまった原稿は元に復元できないのです。お陰で、一生懸命考え、頭をひねりながら書き溜めた文章はゼロに!
ワンクリック詐欺ではないが、ワンクリックで全てが消えてしまう。消滅してしまう恐怖は経験したものでなければ分からないと思う。しかし、考えても見てください。このブログを書く作業というのは、非常にムラがあるのは確かながら、公開するまでに結構な時間を要する場合が多い。それだけ、書く文章に気を使って、出来る限り自分の思いに忠実に読み手に理解してもらいたいと期待して書いているのです。当然、時間も神経もつかいます。そして、ようやく書き上げて、其の苦労の結晶のような文章が一瞬で消え去るのって、がっかりしませんか?
僕は寂しいと言うより、非常に腹が立ちます。そのような気の緩みと言うか失敗と言うか、とにかく、長い文章となればなるほど、消えた部分を書き足す気には、なれないことが多いのです。そんな、僕の腹立たしい気分を無視するように、今なお、僕の右腕は動かすたびに痛みが走ります。歳は取りたくないものです。そう何時も話してくれる、デイサービスの利用者さんの気持ちを少しですが、自らを持って理解したような気分です。