このタイトル。驚きを表現しています。なんで、もうクリスマス・・・!って感じですが。一年の過ぎる速さに驚いてしまいます。年齢を増すにつれて一年のスピードは速くなっていくように感じます。うちのばあさん達といっしょにクリスマスケーキを食べたのが昨日のように・・・
今日も、利用者の方々とお話をしていたのですが、以前はクリスマスにはケーキを焼いたり、ローストチキンを作ったりと余計な御世話をしていた私ですが、最近はめっきりと何もしなくなってきました。怠けてると言えば、怠けてますが、実際はやることが多くて、実際に年寄りさんと何かをする時間がないのです。今、私が抱えている仕事は施設の防火スプリンクラーの設置で動いています。同時に、三重県グループホーム連絡協議会の年度替りに向けての準備をはじめました。ついでに、勤務表を組まなければなりません。おっと、お給料の支払い準備でコンピューター入力をしなければいけません。あっ!実習先の知的障害者施設へお礼の品を届けなければ・・・・
のんびりとデスクに座ってパソコンやってる場合ではないぞ・・・こんなブログを書いてる場合ではないんだ・・・・!?!?
でも、師走というものの、昔のような年の瀬イメージは薄くなってきました。私、まだ年賀状も書いていないんです!
今日、うちのグループホームの入居者の一名さんが事務所にきて訴えた!
「あんた、忙しいのに悪いけど・・・話きいてくれもらいたいの・・・・!」とAさん。
『うん! どうしたん・・・・?』と私。
「Mさんが、私の部屋に勝手に入ってきて、私の洗濯したての衣類の上にウンコしたん・・・・!それも、すごい量のウンチ!」
私はAさんの訴えを聞きながら、真剣に悩んでいるような彼女には申し訳ないが本気で笑ってしまった。実際に自分の下着や衣服の洗濯上がりの上にうんちが乗っている状況を考えれば腹も立つだろう・・・私は、訴えているAさんに詫びながら、
『Aさんには、申し訳ないけど、Mさん、そんなに沢山のウンチをAさんの着物の上にして、さぞ気持ちよかったんやろね・・・・・△■◎、<>””~7』と言った。
「そやでな、今日から私の部屋は鍵をかけることにしたん!」と彼女は言った。
『うん! その方が良いな!、まあ、職員には注意するように言っとくわ!』と伝えて、Aさんの訴えは終わった。
Mさん、とても重度の認知症です。最近では、自室のクローゼットの中でもオシッコをするらしい。以前からトイレットペーパーに包んだ春巻き状のウンチがタンスの中に入っていたりする方です。他者の部屋も、洗いたての洗濯物も理解できません。その時は、置いてあった洗濯物がトイレに見えたのでしょう。(見えたのでしょう・・・という言い方は妙でしょうが、実際に酔っぱらいのオジサンたち、深夜の繁華街で電柱に向かって一人怒ってブツブツ文句言う人。そんな状況を見た記憶はないですか? それとか、風邪をひいて高熱でうなされるとき、冷たい氷まくらで冷やされるとき、体が宙に浮いていくような気持ち良い感覚になったことはないですか?
認知症も重度になってくると、きっとそのような感覚なんだと思います。人様の衣類の上に、常識では考えられないですよね!でも、できてしまうのです。私は太陽の家の職員さんに伝えたい。認知症の人たちなんです。私たちの社会の常識を当てはめるのではなく、この人たちの感性の中で一緒に生活してあげることがグループホームなんですよ!
押し入れでオシッコしたら、なんで押入れがトイレと錯覚してしまうのか?を考えてみてください。その人にとってのトイレのイメージは私たちが思っているトイレのように、真白な便器に明るい陽射しの入る清潔な洋式トイレではないのかもしれません。少し、極端ですが、彼女の部屋のトイレをカーテンをつけて暗く変えてあげる。逆に押入れの中を明るく変化させてあげれば、この問題は解決するのではないのでしょうか? Mさんが、押し入れでオシッコする行為を嘆くのではなく、その行動を普通と理解して彼女の錯覚を取り除いてあげる工夫が認知症高齢者への支援ではないですか??
Mさん、洗いたてでフカフカの洗濯物の上で、お尻放り出してウンチ・・・・さぞや気持ち良かったことと思います。職員のみなさん、洗濯物の乾いた太陽の香りと洗剤の香りに包まれた空間。足元にはほんのり温かでやわらかな肌触りのもの・・・きっと赤ちゃんの頃感じたような感触を味わいながらの排泄だったのでしょう・・・可愛らしいとと言うか、笑えると言うか・・・認知症のなせる技です。
本日、デイサービスとグループホームを分けて火災訓練を実施しました。
例年、火災訓練は両事業所を合わせて実施するが、今回の訓練では利用者の皆さんと言うよりは介助す職員に緊急時の対応を考えてもらうための訓練を実施しました。デイサービスは一階フロアー~の避難は正面玄関は元より複数の避難を確保しやすいが、二階のグループホームに関しては、非難が非常に難しい。その点について担当職員と話し合い、最悪の場合は南側のベランダに避難し、消防のはしご車の到着を待たなければならないケースも考えられる。という問題点が話し合われました。
実際の火事では、職員はパニックとなり、同時に認知症を抱える利用者は「危険」「避難」の認識が持てずに職員の避難誘導に反した行動が想定されるのです。そのような想定外の行動が更に誘導する職員をパニックに陥れることが懸念される。
火災は家財家屋はおろか人命まで一瞬に奪い去る恐ろしく、起こしてはならない事故の一つです。火災発生から非難にかけて出来る限り速やかに避難できることと同じだけ、安全に避難できるように心掛けなければなりません。
人の命を預かる施設である以上、「失敗しました」は許されないと思っています。
10月から、知的障害者施設での実習をさせていただいていたことは以前のブログに書いた。
その時、実習を受けさせていただく施設に対する遠慮というか、最低限のマナーとしてタバコを吸うことはやめていた。日中の実習中は忙しいので喫煙を忘れることが出来たものの、自宅に帰るとさっそくタバコに火をつける生活を続けていた。が、何気なく冗談めかして、たばこを辞めようと思いついたので、それから以降、タバコを辞めた。
まだ4~50日程度の期間しか経っていないので、タバコを辞めました!と大きな声で言えないのが残念ではあるが、今回の禁煙は続きそうなんですね。
そうなんですね…今までに何度も何度も禁煙を行い、他人に宣言し、強い決意のもと禁煙したはずが、数カ月のちには禁煙断念!本当に意志の弱い人間で恥ずかしい思いをしてきました。
その当時の禁煙している時に、常に考えていたのはタバコを辞めることではなく、如何にして禁煙を破るか?について考え続けていたように思うのです。
禁煙している最中に、「いつから、禁煙を辞めてたばこを吸おう・・・???」と思い続けていたのですから、ひどいものです。
最近では、喫煙する場所もなくなり、何処に行っても喫煙者は屋外の隅の隅に追いやられ肩身の狭い状態。または、狭い、ガラス張りの小部屋の中に押し込まれ強制換気のされている場所を紫煙でケムケムにしながら、頭の先から足の先までタバコの煙で燻されるよな環境の中でしかタバコが吸えない。新幹線の新型車両の700系では、喫煙室なる小部屋以外では喫煙はできない。3人が入ればいっぱいの窓際の小部屋に押し込められてタバコを吸っている。近鉄特急にしてみれば、もっと環境は劣悪で、喫煙車両は燻製室のあり様。都会では、歩きたばこや一部のエリア全体が屋外でも禁煙エリアとなり、本当に自由にタバコは吸えなくなってきている。
おまけに新政権の厚生労働大臣は日本人の健康のためにもタバコに増税を加えると宣言している始末。日本でも諸外国並みのタバコひと箱600円ですか・・・!これから、寒くなる冬の季節、タバコ吸うためにいちいち部屋を出て、外で凍えながら煙草を吸わなくても良いじゃあないですか!ってことですね。
私の住む場所は今や、地域の中でも中心部に位置する場所として大きな変貌を遂げた地域である。日本の社会に車が大きなウエイトを占めるようになってから以降、街の様相が様変わりした。私の子供時代には、古くからの商店街が町の中心であり、商店主たちが、それなりに勢力を誇っていた。小学校の時代には、自転車や徒歩を中心として、街はにぎわいを見せていたが、今の時代は車が大手を振って街の中心部にある幹線道路を走りまわる。
時代は変わるものである。あの当時ににぎわっていた町は寂れ、昔は田んぼと畑ばかりだった地に大手資本の全国チェーンの飲食業や遊興施設が軒を連ね、夜の10時を回っても通りには車があふれ、人々は食事を楽しんでいる。
そんな街を歩くと、焼き鳥のにおい、焼肉のにおいや弁当屋の揚げ物のにおいなどに混じって、ガソリンと車の塗料のにおい、タイヤのにおいなどが漂ってくる。目を閉じて漂うにおいだけでも、今どのあたりを通過しているか当てることができる。
先日、深夜というより早朝に近い時間帯まで机に向かっていた。私のデスク(デスクと言える格好良いものではない。ただ単なる会議用の長机であるが、一応、書斎らしくいろいろな書物に囲まれて、書きかけの文章が散乱している部屋で一人パソコンに向かっていた。そして、私の部屋から二本の高層マンションが見えるが、一つのマンションは明かりが全部消えているが、もう一個のマンションは3割程度の部屋に明かりがともっているのだ。流石に、この通り沿いでも朝方の4時ともなると、大半の明かりは消えて、街全体が薄暗くさみしくなるのだが、そんな中で住民の3割は、何らかの活動を行っているマンションと、全住民が眠っているマンションの二つのコントラストが面白く感じた。きっと、片方のマンションは老人世帯が多いのであろう。また、もう一方のマンションには若者の入居者が多いのではないだろうか・・・と勝手な想像をしながら、私の窓から見える景色を感じていた。
仕事と学業の両方で、よく上京することがある。先日、渋谷のとあるホテルに宿泊したときに窓の外に見える渋谷の街は深夜にもかかわらず大勢の人がうごめいていた。あの渋谷の街には及ばないが、この街もたくさんの生活パターンを持つようになってきた。その分、一日中、音が絶えない。無音という環境にならない。車が走ればタイヤの音、救急車やパトカーのサイレン、暴走族の騒々しいノイズ、時にはバカ者たちの乱痴気騒ぎの声など・・・音までが都会的となってきた。
そんな喧騒の街を横目に、ひとりで机に向ってパソコンに書き込みをする。
人間にとって食事とは大事な作業の一部なのです。(当たり前のことですが・・・)
口から食べ物を放り込んで、歯で噛み砕いて、唾液と混ぜて飲みこんで体の栄養素として利用するのですから、立派な生きるための手段なのです。しかし、事はもっと複雑で、その生きるための行為に「嗜好」が合わさることで、より複雑になります。また、同時に人間の欲望が絡み、なおのこと一筋縄ではいかない問題を抱えています。その問題とは「肥満」です。
今の私は、この食の誘惑に負けていると言うか、食への欲望が強く、英語でいえば「GREED」(貪欲、意地汚い)と言われるほど食べることに執着しています。結果、大豚への道をまっしぐら!
豚になると良くないのが、高血圧、高脂血しょう、心臓病やら糖尿病が心配される点です。まァ、別に早死にしても良いのですが・・・(このように言う奴ほど、生に対する執着はつよいそうです)病院に入院しなければいけなくなったり、注射や手術など痛い目に逢うことは避けたいですね。
さて、どれくらい、食べたいか・・・・毎食後に必ず甘いものが食べたくなる。洋菓子でも和菓子でもOK!スイートと呼ばれるものが食べたい。
夜、デスクに向かって仕事してると、何かしらの「おつまみ」がほしくなる。今の時期だとスルメ!
止まらない食欲に、摂取カロリーの調整が困難な場合は消費カロリーを増やす算段が必要と考えて、最近、ウォーキングを再開しました。夜遅がけは交通事故の危険性もあるの、できるだけ早い時間帯に。一人で裏の農道を平田まで歩いています。この効果が表れるにはまだまだ時間が必要ですが、この顎の余分な肉を取らないと・・・と思っています。
認知症グループホームが地域密着となってから以降、運営推進会議なる仰々しいタイトルの会議を実施しなければいけなくなった。運営推進会議とは地域に根ざした高齢者施設であることを施設を運営する者、地元自治会や老人会、利用者家族の代表や行政など、高齢者福祉の関係者が再確認する場であると私は理解していますが・・・なかなか有意義な会議の開催に至っていない。
前回までは、会議らしく事項書を用意し、司会進行を務めていたが、どうもしっくりこない。やっていて面白くない。
それで、オブザーバーとして参加してもらっている行政側の担当者として地域包括の管理者に相談したが、堅苦しいのかもしれない。とアドバイスを受け、今回の会議からは、以前よりはリラックスした雰囲気の中で、地元自治会や民生委員の発言がしやすいような雰囲気作りに努力した。
最初は焼酎談義に始り、このままで運営推進会議と言えるのか?!と心配しながらも、所々で、グループホームの実情についてお話を加え、それなりに活発な意見交換ができた。
しかし、こんな会議を2か月に一回、開催しなければいけない。
地域密着は確かに認知症高齢者のBPSDに対して有効な手立てであり、その関係が社会資源として利用できる重要な要であることは理解できる。しかし、なんで2か月に1回の頻度での開催を義務付けられるのか? それと、我々、営利法人の経営する高齢者福祉事業所はとかく営利主体の事業所のように誤解されがちで、社会福祉法人の運営する福祉施設に比べても、世間一般の視線は社会福祉というより商売として見られていることも災いして、運営推進会議へのボランティア的な参加をお願いしても理解を得難い部分がそこにあるように思ってしまう。
営利法人の運営する高齢者施設は社会福祉施設ではないのか?という疑問について、我々営利法人として肩身の狭い過去の出来事としてコムスン問題が存在する。あのコムスンの儲けを第一に考えるやり方が批判されがちだが、コムスンは儲けのために事実とは異なる申告を行い、不正に介護報酬を受け取っていたことから指定の取り消しに至った。儲けることが問題の中心ではないし、公益法人にしたって利益を追求しているのは事実です。
我々、営利法人は利益に対しては法人税の支払いの必要性はもとより、事業所の使用する介護車両の購入や施設の土地確保には取得税はもちろん一般の企業と同じだけの税金は支払わねばならない。営利法人だから、行政の補助は受けられない、団体からの寄付に対する優遇は受けられない等、沢山な不利な条件の中でも公益法人と同等、また以上のサービスの質をの確保を求められているのです。
営利法人の運営する高齢者施設は決して儲かっている事業ではないのです。どこの事業所でも、十分な賃金を確保できないほどの事業予算のなかで喘いでいながらも「捨てる」ことのできない社会的な責任感のもと、青色吐息で運営を継続しているというのが現実なのです。
こんな話を運営推進会議の席で出来るよう、地元の方々を巻き込んでいかなければいけないのでしょうね。