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ブログ-施設長の部屋

2009/8/20
受容・・・

 我々、社会福祉に携わる者なら一度は聞いたことのある言葉に受容がある。「受容」とは、広辞苑によると”じゅーよう”【受容】①受け入れて取り組むこと。と解説されている。そして、現代社会福祉辞典によると、対人援助における重要な援助原則の一つ。援助に際して、援助者が、利用者の人間としての尊厳と価値を尊重しながら、その言動、態度、価値観、抱えている問題、訴えなどを含め、その人の存在を現在あるがままの姿で受け止めることを意味する。しかし、それは利用者の逸脱した態度や行動などに同調し、許容することではなく、そのような行動を彼らの現実の一部として認識し、理解するということである。と書かれている。

 この受容は、相談援助の初期の段階、特に初回面接の時に必要とされる原則である。私達、特に認知症高齢者の専門職として、その人への支援方法を検討する際には、その人の生活歴や習慣、趣味や性格などの個人情報が必要となる。個人として自分の過去を語ることは認知症を患っていなくとも抵抗があるものである。恐らく誰かれなく少なからず、他人に話したくない事もあるはずである。また、人によっては、修飾句が多く、事実がねじ曲がって伝えられかねない場合もある。とにかく、その人の話す言葉に傾聴し、虚意も真実も含めて受け入れることが受容であると考える。

 私達には同時に非審判的な接遇も求められている。これも、傾聴段階の、その相手の語る内容に相談援助者の観念で相手を審判しないという意味である。童話の「アリとキリギリス」のお話は、子供たちに勤勉さを育むための逸話ではあるが、社会福祉の世界には「アリとキリギリス」は無いのである。

その人を、そのまま受け入れ、どのような支援を必要とし、そのように社会資源をつなぎ、資源が不足している場合は関係する機関との連携の元、新しく資源を開発する。これらの一連の作業が社会福祉援助(対人援助)と呼ばれるものである。福祉を実践するうえで、バイスティックの7原則は非常に重要であるが、逆に言うほど簡単な理論でもないようである。

 昨日もあるグループホームの施設長と会話する機会があったが、この受容に関して理論的には理解できているが、それが実際のケアの現場で生きていない事を悩んでおられた。「受容」を目指しながら、知らず知らずのうちに「許容」してしまっている事に気づかないまま、その問題を自分の内部で処理が出来ずに悩む職員が多いということである。介護職員が肉体的にも精神的にも疲れる要因がこんなところにもある。

 

2009/8/19
新型インフルエンザの脅威

 とうとう日本国内でも新型インフルエンザによる死者が出た。人工透析を受けてみえる方で体力的にも虚弱な方であったようだ。この夏前のメキシコにおける大量のインフルエンザ罹患者が報告されたころから、日本の厚生労働省も水際での感染拡大阻止に全力を投入したにも関わらずの結果である。非常に残念な結果であると共にこれから秋、冬の季節を迎える日本における新型インフルエンザの蔓延が懸念される。

 新型インフルエンザは、じんわりと確実に拡散されているように見受けられる。このまま冬に季節は移り変わり、インフルエンザの住みやすい環境が整い始めるころが恐ろしい。健常な若者にとっては特段気にする必要はないような疾患でではあるが、ことこれが高齢者に対しては要注意が必要である。すでに新型インフルエンザ対策のマニュアルは作成し、緊急的な処置の目安は確立したつもりではある。しかし、いつどのようにして持ち込まれるか分らない病原菌に対して、ある意味防ぎようのない課題でもある。

 特に在宅介護である通所介護利用者の方々への注意喚起は難しい。家族の一員が罹患してしまえば、同じ屋根の下に暮らす高齢者も当然インフルエンザに侵されることは確実である。また、グループホーム利用者には、介護職員が保菌者として外部から持ち込んだり、面会の家族が持ち込んだりと感染ルートは複雑であり、ある意味防ぎようのない現実が存在する。

 ひよっとすると、この冬あたりには沢山の高齢者が新型により命を落とすことになるかもしれない。

入居者や通所介護利用者の健康を守るために、事業所として感染マニュアルの見直しと対応策の検討が求められる。

この冬に集団的に新型インフルエンザの感染が発生する場合、太陽の家でもあらゆる人との接触を制限する必要も出てくる。つまり、家族の面会もマスク着用や除菌スプレーでの手指の消毒などをお願いしていくことも視野に入れて今から対策を講じていくつもりである。

同時に、太陽の家で働く職員たちにも、自らの生活を再検討してもらい、不注意にもインフルエンザに罹患しないような努力をお願いしなければならい。大切な家族を預かる以上、利用者の安全と体調の管理には過去にないほどの注意が必要となる。

2009/8/15
みんな、ご苦労さん!(^ ^)

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  デイサービスの一日が終わって、さて次の仕事は・・・そうですね!写真のとおり「施設の掃除」が待っています。

 職員さん達は、その日の担当をくじ引きで決めているようです。最終の申し送りの後に職員全員がホワイトボードの前で何やら話し合っています。そして、一人がアミダくじを書いていました。職員同士、真剣勝負の様相。静かに、粛々と、真剣なまなざしで自分の選んだ筋を伝っては悲喜交々の表情で散らばり始めました。ある者は掃除機を取り出し、ある者はゴム手袋をはめて、ある者は鈴鹿市指定のゴミ袋を持って各所に散らばったゴミ籠を回収しています。

 こんな光景が、毎日の夕方に見られます。今日の職員一人に聞きました。

「君の思う”はずれ!”って、どの作業を言うの?」と・・・

彼は一言、笑いながら「今日の僕みたいなもんです・・・」

 彼はゴミ集めと洗濯担当になっていたようです。

うちの職員さん、みんな若くて今どきの若者です。こんな面倒な仕事も自分たちで工夫して、それなりに楽しんで仕事できるようにしているのでしょう。トイレ掃除も掃除機も、洗濯も大変重要な仕事です。そして、何より一日中、じいさん、ばあさんのお相手をして疲れている中、本当にごくろうさま!と言ってあげたい。その思いが、今日の私のブログとなりました。

2009/8/14
うちの婆様達のお散歩

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 毎朝、お天気が良ければ婆さま達は自発的にお散歩に出かけることが日課となっている。グループホーム9名全員と言うわけにはいかないが、自立歩行可能な婆さまが中心となり行っている。ただ、うちのお散歩は他の事業所とは随分と異なっており先にも書いたように自発的に・・・自分たちだけで、勝手気ままに、自由に行き先を決めて、お散歩距離も勝手に決めて行うところが他にはないところであろう。別に太陽の家のPRに使うつもりはない。むしろ、この単独行に対するリスクを心配することの方が大きい。

 当施設は鈴鹿市の中央部に位置し、施設前には交通量の多い片側二車線の幹線道路が走っている。常に車の往来は激しく夜になっても車の行き来は絶えないような危険ともいえる場所にある。

 最初は、何度も何度も私自身が同行して、散歩道のコースを確認、同時に入居者のばあさん達の安全意識を確認し、家族ともお話をして、今、ようやく単独で(単独と言いながらも一人っきりではない。必ず複数のばあさんのグループである)行動してもらっている。認知症高齢者施設では、大切な人命をお預かりする意識は強く、それぞれの施設で独自の規定をもって運営されている。認知症を患いながらも共同生活を行うことによって、家庭では困難な専門的な支援を行い、問題行動を軽減しながら安心して暮らせる場の提供が全体的に共通した目的として運営されている。大切な家族をお預かりしている以上、入所生活の中で事故を起こしてしまっては家族に申し訳ない。と言った意識が施設にはある。大切に大切に接するうちに、次第しだいに入所するばあさん、じいさんを一番安全な施設内、もっと厳密にいえば居室内に24時間いて頂くことが安心できること、リスク回避であると考える現状も歪めない。

 ただ、軽度の認知症状を抱える高齢者にとって、本人の意思を無視し自由を剥奪してしまうことによる逆のリスクの方が大きな影響力を持っていると考えられる。お散歩程度で高齢者の自由を剥奪したとか、本人の意思を無視したとか、表現が大げさだと考える人もいると思うが、私自身に置き換えて考えてみても、毎日、自分の居室に閉じ込められ、施設内だけに行動を制限されている生活には息がつまる。一日程度なら気持ちの上でも許容できるかもしれないが、これが毎日、これから先、死ぬまでの無限の時間を施設職員が計画する外出行事以外は一歩も屋外に出ることが許されないとすれば、そんな生活に人間の尊厳は存在するのか?

 これらの課題を総合的に考えてみると、この問題は施設にとっての二者択一であり、どちらを優先するか?というだけの問題なのかもしれない。こう言いながら、何か不慮の事故に自由散歩中のばあさん達が巻き込まれたりしたら、それこそ、同業の施設管理者や行政から非難されることも承知している。

 だからこそ、自由に散歩、外出することをもっともっと奨励したいし、うちのばあさま達全員が生きがいを持って自由に活動できるような波及効果を目指して実践してゆきたい。そして、この『賭』ともいわれる支援方法を継続させるために、安全の確保に更なる職員の努力が求められると考える。

写真は、ご家族のご意向に従い、本人と分かるような画像の掲載はいたしておりませんので、あしからずご了承ください。

2009/8/13
太陽の家に咲く花たち

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 太陽の家を訪れる皆さんが必ず言われることに、「明るいね!」と「表の雰囲気と全く違うのね!」がある。

確かに、玄関ファサードのイメージは施設的かもしれない、または中央道路に面し喧噪的なイメージがあるのは確かである。しかし一歩施設の中に入ると、大きな窓から入る陽光は眩しく、また裏庭に植えられた植物の色とりどりの花が太陽の家に優しさを醸し出している。これらの植物を健康に美しく保つにはそれなりの努力がいる。ただ単に植えて水さえ与えれば良し!という調子にはいかない。これは、何に対しても言えることで、美しさを保つには努力が必要であるということである。

 話は変わるが、私はお年寄りを支援する立場の人間として、常に自分自身の見た目も考慮に入れた手入れをすべきであると考える人間である。高齢者を介護することはある意味、肉体労働でもある。汗もかけば、着衣も汚れることもある。しかし、私たちの実践していることは対人福祉援助であり、あくまでも対象者は人間である。その業務の中で汗臭い、汚れた衣服で食事の介助や生活相談を受けても気持ち良くない事に、介護する職員は気を配るべきであると思う。別に糊のしっかりと効いたカッターシャツにネクタイは求めないが、毎日清潔な衣服で対人援助を行うことは最低限のルールであると考える。

 派手な最新流行のファッションを身にまとう必要はなく、自分に合った服装であること。そして、頭髪に関しても不快感の伴わないような頭髪を維持することも必要である。最近の若い介護職員さんには海辺でサーフィンしてきました!と言わんばかりの真っ黒に日焼けし、髪の毛も金髪で派手なピアスやネックレスなどを着けて職場に来る人が居る。サーフィンする行為は個人の自由であり、自分のプライベートな時間をどのように使おうが本人の勝手である。しかし、一旦、高齢者の身体介護などの援助を行うときには、プライベートの楽しみは忘れて頂いて、高齢者にとって一番安心でき心地よい環境を守ることが望まれると思う。

 どうせ介助中に汚れてしまうからという理由で、最初から汚れても良い服装で就労する姿勢ってどんなものでしょうか?私も沢山の介護職員さんとお話しする機会があるのですが、今でも髪の毛を振り乱して、旧態依然としてヨレヨレのエプロンをして素っぴんで、如何にも必死で働いています風の人を見かける。そして、その度に、こんな人に介助される年寄りが気の毒だと思ってしまうのですが、いかがでしょうか?


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