65歳を過ぎ、今年の10月には66歳となってしまう。
アメリカのルート66は一度は走破したい懐かしいアメリカの道。
それと同様、僕の66もアンティークでレトロな世界がある。
子供がいない僕の場合、僕の最期を見守ってくれるは
唯一、一緒に仕事をしてきたスタッフ達。
みんなは僕よりずいぶん若いから、そんな君たちに今のうちに託しておこう。
今後、このブログで僕の最期の締めくくり方の希望を記していく。
是非とも、これが僕の本心であり、期待するところ。
1.助からない余命延長は望まない。苦しむなら緩和剤を入れてもらい
眠らせてもらいたい。
2.葬儀は派手に行う必要はない。家族(残っていれば女房と姉妹程度)と僕を助けてくれたスタッフ達で、これ以上の人はいらない。
3.僕の祭壇には、少しでいいので赤やピンクのバラを飾ってほしい。
4.葬儀にお寺さんの念仏は不要。時間が許すまで僕の好きな音楽を流し続けて加増場まで連れて行ってくれればいい。
5.火葬場では蒲年の塊は不要。全部を灰にして太陽の家の裏庭と虹の丘の畑に撒いてくれるだけでいい。
6.あとは何もする必要なし。年に一回の命日には、太陽の家や虹の丘合同でボランティアさんに来てもらって音楽祭でもやってくれればいい。
7.仏壇もいらない。その代り、適当な場所に時々、生ハム、チーズとパスタを用意して置いといてくだされ!
8.パスタばかりだと飽きるから、たまにはピザをお願い。
ピザは、イタリアンソーセージ、サラミ、アンチョビーとオリーブが乗っていれば最高!
9.僕は酒は飲まないから、それよりも美味し紅茶を入れてくれ!
ホットチョコレートもいいなあ・・・
10.Killing Softly って曲、ロバータ・フラックの歌っている。この曲は僕がアメリカに留学した時に最初に聞いた曲で、僕のソウルミュージックなんだ。だから、これだけは絶対に忘れないように!
大体、希望するところの一部は伝えることができた。また、次回にいろいろと思いつくことを書いていく。よろしく!
以上、我儘勝手な男より
地元の県立高校から、この18日の午前中の二時間
職業ガイダンスとして、医療・リハビリの話をさせて頂きます。
私は高齢者介護または障碍者支援しか知らないから
とりあえず高齢者介護の視点からみた医療とリハビリの役割と重要性について
お話をさせて頂こうと計画しています。
高校二年生になる人たちを前に
どこまで医療・リハビリや介護の魅力を伝えることができるのか?
今回の講座の目的が、しっかりと学生さんたちに
嘘偽りの無い現場の姿を伝え、そこに生きがい、遣り甲斐や目標設定
出来るようにお話を進めていくことですから
あまり肩ひじ張って、小難しい講義はするつもりはありません。
でも、どこか自分の心中で、少なからずその子たちの将来に
影響を与える事が出来れば最高だな!!と期待する気持ちもあります。
人材確保が困難な時代、このまま何も手を打たなければ
日本の高齢者介護の担い手はいなくなりそうで恐ろしい。
また、介護技術の向上も見込めず、虐待が横行し
戦前の貧困社会の頃に戻り、姥捨て山が再燃し始めるかもしれない。
僕は特別、老人が好きなわけではない。
ただ、人間が粗末に扱われること、弱者が泣いて暮らす姿に心痛む。
意地悪い爺さん、婆さんでも、泣いているなら僕は全力で助けようとする。
(泣いていない人は助けないの?)と意地悪な質問がありそうだが、
これは例えだから・・・笑
昨日までの考察を踏まえて、今日は曲を変えた。
昨日のチェットベーカーよりは、もう少しポピュラーな
ナットキングコールを流してみた。
うちの若い職員には、特に女性スタッフには
有名なナットキング・コールすら知らない世界。
でも、今回のこの認知症のAさんには効果があった。
風呂上がりのひと時、ゆったりとくつろぎ
ナットキングコールに聴き入り、口づさみ
そして、体でリズムをとっていた。
JAZZが好きと言うだけあって音感は衰えていない。
認知症で意思の疎通も苦労する人が
音楽を聴きながら、その曲のフレーズを口づさむ。
音楽療法が有効と言われる所以だろうね・・・
およそ40分ほどの演奏時間をジッとラジカセの前でくつろぐことができた。
デイサービスと言うのは、特に太陽の家には
一つだけのデイルームしかなく、作られる雰囲気が一つしかない。
騒がしい時は、逃れる場所が無いのが欠点と言える。
その時にハイテンションでない場合、逃げる場所が無い。
今回のJAZZのアイデアでは、くつろげる部屋とは言えないが
それなりに個別の空間を作ることができた。
工夫すれば、今まで諦めていた事も可能となることが証明された。
今後の計画として、手作りでも良いので、このような多様性を
持たせた空間づくり、そして、その時の気分に対応できる介護を
目指していきたいね。
明日以降は、更に曲を変えて、その時の気分を音楽で計ることにも
チャレンジしてみようと考えている。
音楽(空間の雰囲気)は確実に認知症の人の気分を変えることができる。
昨夜書いたブログの一部訂正事項です。
会議の締めに3人がラーメンを食べた。と書きました。
あたかも僕はラーメンを食べて無いような印象を与えましたが、
実は、僕は会議の始まり、会場に到着してすぐに担々麺を食べました。
さて、今日は更に面白い話があったので、その件についても報告させてもらいますね。
昼食時間に、いつものようにスタッフとお昼ご飯を食べている中で
ある職員(うちの居宅の人間です。これだけで個人を特定できるとは思いますが・・・)が
紅茶のティパックも流石に4杯めとなると、色も味も薄くなるのよ!と呟くのです。
彼女の話を聞いていた管理者が、2杯が限度でしょう!!と
これまた50歩100歩な話。
二人に向かって、僕は紅茶は丁寧に淹れたいっぱいの紅茶を味わって飲むから高級な気分に浸れるのよ!と忠告したのですが
彼女は「貧乏性なので・・・」と笑いながら言い訳をしているのです。
確かに、高級な紅茶やフレーバーティ等は、どうしてももったいない意識が働くのですが
そこは、清水の舞台から飛び降りる覚悟で、いっぱいの充実した紅茶を楽しむ思いを込めて
感謝して頂く。それに尽きると僕は考えています。
でも、実際はコップ一杯以上の大きさのサーバーに入れたティーパックに
並々とお湯を注いで、もうこれ以上は飲めないと感じるまで
紅茶を飲んでいる自分がいるのも確かです。
セレブを気取ってフレーバーティをアフタヌーンティを楽しむと言いながら
今夜は、介護人材の課題について
北さんちの北施設長と、亀山のはなの家の施設長の坂倉さん、
事務局として太陽の家の高木を交えて
白子のクレスと言うカフェ・バーで話し合った。
求人難が非常に大きな問題となっている今を
どのように魅力を発信して、人を確保するのか?について
現状と打開策の一案について話し合った。
打開策はともかく、話がすぐに脱線して
なかなか本題に進まない。とてもいい加減な話し合いではあったが
とりあえず、四人で協議して、僕の提案を実行するために
話し合いを継続する方向で意見は一致した。
そして、今回のメインの話ってのが
加齢について、お互いの実感を話し合い
結論から言えば、自分のイメージにある高齢者に
実際に自分が到達してしまった今
いよいよすべてのイメージが現実化してきて
非常に寂しい気がするということと
今までできていたことや記憶が飛んでしまうことに
四人で大笑いの場となってしまった。
坂倉さんは、僕たちよりも二回り程年下だから
えらい場所に来てしまった思いの方が強かったと思い
彼には申し訳ない事をしたと、今は少し反省している・・・
でも、実際、手元に介護保険手帳が送られてきたり
介護保険料が特別徴収でなくなり、年金から差し引かれるよう
所定の手続きが必要となったり、
調理中に鍋を焦がしてしまったり、
利用者のトイレ解除中に、他の人に呼ばれると
トイレに残してきた利用者のことを忘れてしまったりと、
兎に角、加齢ってのは非常に酷な世界となる。
先日、厚生労働省の開所させた「オーダーを間違えるレストラン」の
認知症のウエイターではないけど、同じように利用者の支援が
頭からすっぽりと忘れ去られ、一人寂しく便所に取り残される
認知症利用者を思うと気の毒としか言いようが無い。
実際、一番よくしゃべっていたのは北さんと僕の二人で
残りの二人は、まだまだ年寄りには程遠いわ!って顔で
聞いていたような、そんな漫才のような会議となった。
最後に僕以外がラーメンで締めて、今回の会議は終了。
後から思うと、今回は会議ではなく
二人の第一号保険者の介護で終わったような気がした。
お二人さん、誠に申し訳なかったです。