今日、認知症専門職の、愛知県、岐阜県の友人達から連絡を受けた。
東海三県ではないが、国内の同業グループホームの複数の事業所(それも結構多くの)で
新型コロナウイルス感染者がでた❕と言った内容だった。
ヨーロッパでは、すでに認知症高齢者施設でのクラスター発生による
高齢入居者の多くが亡くなっていることを考えると、日本だけがのがれることが出来るわけがないのも事実。
案の定、全国で7事業所で感染拡大が広がっている。
事業所を外部から隔離することで、感染予防を目指してきたが
やはり、そこで働くスタッフが 媒体となって、感染を広げている。
問題は、PCR検査で陰性であっても、陽性であっても
一旦、感染者が出ると、濃厚接触者は隔離されるという事実である。
認知症の人が、個室に閉じ込められ隔離される事態は、非常に危険だ。
また、介護職員がアイソレートされることで、人員不足に拍車がかかる。
大規模の特養などでは。ある程度、職員を融通できるが、
小規模事業所ほど、職員数に余裕なく、極端に言えば、職員3人で9人の認知症の人を
24時間支えなければならないケースもある。
夜勤も含め、職員の数に無理がある。
医療現場の崩壊に続いて、高齢者施設の崩壊は
直接かかわる弱者に確実に死の宣告をするに等しい状況となってしまう。
市中感染が一番問題となっている今、
布マスクではない、サージカルマスクもアルコール消毒液も入手できない。
物資は潤沢にお店から亡くならない!と政府は言うが
うちの利用者のおやつ作りのホットケーキミックスすらスーパーでは売り切れ。
最近では体温計用のボタン電池が売り切れとなっている。
シャープの生産する不織布マスクも、パソコンからの発注もままならない。
日本の政府はアベノマスクすら配布しきれていない。
品質の悪犬のマスクに対し500億円も使うなら
その金で、大型のマスク製造工場が作れるだろう・・・
中国は武漢で発生したコロナ過に対し、緊急措置として大規模の病院を作ってしまった。
各世帯に二枚の布マスクの配布。
その予算でいくつのマスク工場を作ることが出来るだろう・・・
対処法で政策を押し出している政府のやり方には、どうも納得がいかない!!
https://www.youtube.com/watch?v=8YRgzbhf5wI
不要不急の外出を制限され、部屋の中でのんびり暮らす。
そんな時に、このUチューブがいい!
三重県のコロナ感染者、ここ3日間、感染者ゼロ。
この調子でコロナの感染者増えないでほしい。
そのためには、少しだけ、自分の行動をスローに
自分を守り、他者を守るために、ちょっとだけ我慢しましょう!
『 Covidiots 』 とは、イギリスで作られた造語で
今回の新型コロナウイルスと 感染拡大阻止に協力しない馬鹿者を掛け合わせた造語。
(Covid + Idiots(愚か者) = COVIDIOTS
この造語を聞いて、本当にうまいこと言うな~と思った。
我が家の前の24時間営業の大型スーパーが夜10時には閉店するようになった。
この感染拡大、いつになったら今までの普通の生活に戻れるのだろう・・・・
僕の父は、車のメカニックとして生計を立てていた。
僕が小学生のころ、必死になって整備士免許の勉強をしていたことを覚えている。
アメリカ生まれで、今でいう帰国子女で、9歳の年に日本に家族とともに帰国してきた人だ。
第二次大戦が終わるまでは、二重国籍を持っていた。
祖父はアメリカで一旗揚げて、家族とともに日本に凱旋したようだが
私の父が完全にアメリカ国籍を失う頃には
蓄財も使い果たし、とても貧乏な毎日を暮らしていた。
決して楽にならない生活のために、何とか 国家資格が必要だったようで
本当に必死に勉強していた。
その苦労のかいもあって、2級整備士の免許を取得し、家族全員で喜んだことを思い出す。
僕は、決して裕福な家庭に生まれたわけで無いにも拘らず
アメリカの学校に留学させてもらった。
あの当時の父の給料がいくらかは知らないが、まだ1ドルが360円の時代のことだから
僕の学費を工面するのもかなり無理をして送金してくれていたんだろう。
後で知ったことだけど、あの当時、父と母は、毎晩夕食を終えてから
家の外の倉庫の中で内職をしていたそうだ。
ちょうど、立ち上がったばかりの鈴鹿サーキットのゴーカートのエンジンのオーバーホール。
エンジンをばらして、灯油で洗浄し、ガスケットを交換し組み立てなおす仕事だった。
自分の努力だけで、ここまで来たような顔をしている僕だが
皆には見せないところで、 今の自分まで育ててくれたのが今は亡き父と母である。と思っている。
始末に始末を重ね、大した高級なアクセサリーも衣類もなく
少しづつ貯めたお金も、全部僕につぎ込んでくれた。
父が亡くなって相続の手続きをしている中で
父と母がどれほど節約生活を我慢して生きてきたかを知った、
本当に親不孝な自分。親のいなくなった今、改めて親の偉大さを身にしみて感じる。
決して裕福ではない、社会的地位のあった人でもなく、いたって一般的な低所得者家族であったが
今、もう一度、父と母に会いたい。そんなことを考えてしまった夜だ。