今日は久しぶりにデイサービスの送迎車両の運転手をやった。僕の運転は施設一番安全でスムーズな運転で有名である。(と、少なくとも自分は思っている)アクセルとブレーキングのステップ操作はスムーズで、発進、停車の折の衝撃は一切感じない運転を志している。と、まぁ、自慢話はこれくらいに・・・
今日の丸子さん、車中では他者との会話がはずんでいる様子。ベンチシート隣に座っているM子さんが咳く度に「大丈夫ですか?風邪でもおひきになったの?」を繰り返している。決して悪気があるわけではないが、ただ単に自分の会話を忘れてしまうのである。最初はM子さん、「私の持病みたいなもんで・・・気管支が弱いんでしょうね・・・!」と返答していいたもの次第に返答することが面倒になってきたのか、数回目以降からは何も答えなくなった。それでも、丸子さん、M子さんが咳する度にまた聞くのです。「お風邪ですか?大丈夫ですか?」 『・・・・・・』とM子さん。
まあ、そんなこんなの車中ですから、会話は弾んでいるものの、意思の疎通はまったく取れていない。皆さんが勝手な会話をしながら適当に話がすすんでいく。そんな送迎車両も丸子さんの自宅に近くすすんでいくが、今回の私の送迎は、本当に久しぶりの事で我ながら恥ずかしい話が、丸子さんちの場所を忘れてしまっていた。大よその所在は覚えているが、住宅密集地の中の一軒を路地を回りながら探そうとするが見つからない。う~ん、困った。こんな時は直接当人に聞いてみる。「丸子さん、お家がわからなくなりました。場所を教えてください!」すると丸子さん、辺りを見ながら「ここは違いますよ!この先を右に曲がってください」彼女が指示するとおり路地の先を右に曲がる。言っておくが私たちが使っている送迎車両は商用タイプのバン車両よりも一回り大きく幅も広いスーパーロングである。住宅地の路地を苦手とする車両を右に左に操りながら、車両の角が無くならない様に四方に神経を張り巡らせ、おまけに交通事故を起こさないような細心の注意と同時に車内の同乗者の安全にも注意を払っての運転です。最初に書きましたが、アクセルワークに注意する理由に、送迎車両に同乗する認知症の方々は、特に頻繁にシートベルトを勝手に外してしまう。何度お願いしても、その時は分かりましたと言ってくれてベルトを締めさせてくれるのですが、数分も経つとカチャっと、シートベルトをはずす音が聞こえてくる。まぁ、とにかく送迎車両を運転するということは単に安全運転に心掛けるだけで終わらないところが難しいところです。シートベルト無しに急発進、急停車は危険です。
またまた話が脱線してしまったのですが、結局路地を右に曲がっても丸子さんちは見えてこない。「あ~ら、ここも違うわね・・・何処だったかしら???!!!」と丸子さんはまったく当てにできないお返事。これは困った、困った。とうとう恥を忍んで事務所に電話して場所を聞くか・・・?こんな事を事務所に電話でもしようものなら、電話口ではきっちり教えてくれるだろうが、電話を切った瞬間から職員同士が僕の無様な姿を取りざたして笑いこけるだろうなぁ・・・・と考えている時に偶然にも丸子さんちの玄関。見覚えのある建物を発見。事なきを得た。って感じでした。
このように、認知症を患っている人には目線が変わると途端に見覚えのない場所として迷ってしまうようです。認知症の人が徘徊しながら自宅とは違う方向へ歩き、次第に行方不明になる事故も多く起きている。これは、認知症高齢者の記憶障碍というより失認の方が大きく影響している。例えば私たちが馴染みの薄い都心のデパートでウインドウショッピングに明け暮れ、いよいよお買い物も終わって外に出た時に、いつもとは違う方向へ出てしまった時など、一瞬ですが自分の居場所や方向が分からなくなることがありますが、認知症の方は常にそういう状況の中に暮していると想像してください。私たちは偶然。そういう障碍もなく普通に暮らしていますから、一瞬の迷いとして状況を処理出来ますが、認知症の方は一旦方向が認識できなくなると、途中での修正が効かなく、そのまま迷子になってしまいます。
普段、自分の住みなれた地域でも目線が変わると、全く違ったように認識されると理解してください。決してバカになったわけではないのです。目に映る映像を自分の馴染みとして認識できない様になってしまっただけです。だから支援が必要なんですね。
丸子さん、今日もご機嫌斜め! 今日は特に愛想なし!って様子。朝方のお散歩には参加。9時ちょっと過ぎには入居者の二人と一緒に帰ってきた。普段だと『ただいま・・・!』の言葉があって、笑顔が見れるけど、今日もなし。そのままお友達の三子さんのところへ寄り添うように歩み寄り、職員が差し出した椅子に腰かける。他者の方々と一緒に機能訓練を受けるのは受けるが、どこか楽しくなさそう・・・
で、お友達の三子さんにお風呂の順番が回ってきた。三子さんから一緒にお風呂に入ろう!と誘われていたけど丸子さんは断っている。見るに見かねて看護師が入浴を勧めるが、ガンとして拒否! それとなく丸子さんの肩に手を回すと身震いする。言えば言うほど、頑なに拒否する。三子さん、仕方なく。と言うか、それでも後ろ髪を引かれるように脱衣所方向へ歩き始めた。それでも、丸子さんは知らぬ存ぜぬ!って様子。
は~ぁあ・・・困ったなァ・・・・でも、また先日の様にペルー人職員が声掛けすれば、何の問題もなく入浴するのでしょうか・・・?まあ、放っておこう!っと。
さて、丸子さんは、入浴を拒否し、三子さんをふろ場に残して、とっとと自分の居室へ戻ってしまった。
三子さんは入浴後に必ずお化粧をする。口紅もぬって、おめかしをする。そこへ、デイ利用者のお~い!さん、今日は珍しく活発で行動的。三子さんが席に戻るなり口説き始める。「昔から、あんたのことベッピンやって思とった!・・・ひひひ・・・」 まぁ、なんとスケベそうな笑い!と思いながら会話を聞いていたが、さすが三子さん、怒りもせず上手にいなしてしまう。流石のお~いさん、一本取られてしまった。
さて、それから事もなくお昼ごはんも終わり、お昼からの予定を終了し、そろそろ帰宅準備という頃になって、三子さんが事務所を訪れる。
「ちょっと宜しいですか?お話が・・・・」という調子で私の顔を見る。「どうしました・・・?」と答えながら、三子さんに椅子をすすめ、その横に自分も移動する。私が横に腰かけてお話を聞くと、ここへ来るのも今日が最後ということを また話し始める。 来たきた!いつもの奴だ!と思いつつ、シッカリとお話に傾聴する。ご主人に先立たれたこと。年金生活であること、家族とは別棟で同居している半一人暮らしであること等など。繰り返しお話しする。どうも三子さん、年金生活であることとご主人が先だったことから将来的に経済的な不安があるようだ。三子さんには、ここのサービスを継続しても必要な経費はごくわずかで、残りはお国が支払ってくれるのよ!と、専門家らしからぬアドバイスをさせてもらった。介護保険だの社会保障だの、専門的なお話は高齢者には複雑すぎて理解できないだろうし、特に認知症の方々には余計な不安感を扇ぐことになりかねない。だから、単純明快に分かりやすく、利用者負担は大きな問題ではない、心配する必要もないことを伝えた。 三子さん、何度も何度も同じ問題意識に戻ってしまうのです。一生懸命説明して、理解してもらったように思うが、結局はまた振り出しに戻ってしまうのです。おおよそ30分程、同じ悩みごとの相談、同じ内容の回答、同じ相談、同じ回答を繰り返してようやっと本人さんも納得(本当は納得できていないと思うが、彼女なりの僕への心配りなのでしょう。分かった振りして、「お時間をとらせてしまって・・・ごめんなさい!」と言ってご自分の席に戻られました。
認知症の方の問題は、なかなか物事をスムーズに理解するには至らないことがあります。三子さんが自分の実の母親なら、僕も冷静に対応できたでしょうか?とても難しいと思います。実母であれば遠慮もなく、繰り返しの内容に面倒な気持ちが先に立ちそうです。認知症高齢者ケアは親族には非常にきびしいモノがあることも、この件を想像していただければ理解していただけると思います。
今日の丸子さん、どうも調子が出ない。いつものように笑顔がない。そっと近付いて行っても何の反応もない。『丸子さん・・・今日は体調悪いの?』と聞いても『何にもない!』と素気ない。普段なら、僕の顔を見ると「久しぶりやなぁ・・・あんたの顔を見ると嬉しいわ!息子みたい!」と言ってくれるのに、今日は何も言ってくれない。
そう言えば、今日は朝から神経内科クリニックを受診したんだった・・・・その時、診察室での会話が影響してるのか・・・・?ちょっと、明日、担当者に診療の様子を聞いてみよっと!
認知症って、本当に難しい。本人を前にして会話する内容に十分注意を払わないと、後でとんでもない結果になってしまう。
そう言えば、先日、僕も一度(一度に限らないほどの数々の失敗の中の一つ・・・はははは・・・・)やってしまった!経験があるのですね。サービス担当者会議の席上、利用者を前に、ご家族と一緒にお話をしていたのですが、本人には十分と説明を行い納得していただいたつもりなのですが、時間の経過とともに鼻っしの内容が部分的に記憶の中から欠落していき、次第しだいと本人を不安感情に陥れていく。そして、本人は困り果てて、ほかの職員に相談する。他の職員とて、寝耳に水の話。まったく話の筋が見えてこない。どうやって本人の不安感を払いのけてあげるか????!!!!と悩んでしまうのですね。僕は、その頃、のんびりと何食わぬ顔で、一人優雅に裏口の喫煙所でたばこ休憩。僕の居ない事務所では、困ったちゃんを囲んで右往左往・・・
認知症って、この点が家族介護の難しさなんですね。意見の食い違いなあんて朝飯前。挙句の果ては、お互いが悪者で罵倒の対象となり険悪なムード。なんて家庭環境は、認知症高齢者を抱える家庭ではよく耳にします。でも、よくよく考えたら、これが自分の立場に置き換えたら・・・やはり怒り出すかもしれない。だって、自分の聞いている内容と現実が違っていれば、または、何かの話を聞いた覚えはあるけど、その内容までしっかりと覚えていない。自分の記憶にとどまらない程度の事象だから重要でもないだろが、何も知らされていなくって今晩寝る場所が無かったら・・・どうしよう・・・?ってな具合に。
認知症でなくとも不安になるよ! だから認知症の高齢者には、あまり複雑な説明は避けて、わかりやすく理解しやすいように噛み砕いて伝えないといけないよね。(と、いつも反省はするのですが。)
何だか妙なタイトルのブログですが、今回、このホームページのアクセス数が2584件に達しました。実は、皆さんには見えないのですが、私の方では、このホームページへのアクセス数が見えるようにシステムを組んでもらいました。
8月7日よりカウントし始めて、今日の時点で表記のように2500件を超えてしまいました。一日100件以上のアクセスがあるということですが、その中でも私のブログを見に来てくださる方の数が311件。古いブログの閲覧などを足していけば、倍近くの方々の閲覧があったということです。それほど大した文章力も無いのですが、皆さんの閲覧数の増加はブログを書く意欲に直結しています。本当にありがたいことです。
また、ブログ自体の更新も数が徐々に増加傾向にあり、今月は21のブログをアップしました。以前のブログにも書きましたが、これで皆さんからのご意見やご要望を聴くことが出来れば、尚のことうれしく思います。ブログに関してでも結構ですし、なんでも結構です。このホームページに付属されている「お問い合わせ」窓口を使っていただき、送信ボタンを押していただければ私の手元に届きます。ぜひ、皆さんからのご意見などをお待ち申し上げております。
今日は、ちょっとさみしい丸子さんのお話。
今日の夕暮れ時というより、あたり一面はとっぷりと日が暮れてしまった頃ですが、僕は外出から帰り、車を降りて自宅に戻る頃のお話です。皆さんはご存じない方も多いと思いますが、私の自宅は施設の真横にあり、丸子さんの居室の窓が、我が家の玄関側にあるのです。中央道路の喧騒からちょこっと中に入った、少しだけ静かな位置に居室を持つ丸子さん。何気なく彼女の居室を見上げると、部屋の中に電灯の明かりはなく、暗がりの中で一人、窓から外を見つめる丸子さんの姿を見ました。ただ、遠くの方を見つめながら一人で呟いているように、口が動いていました。彼女の眼下に僕がいることも目に入らず、ただジッと外を眺めています。
昔のことを思い浮かべているのでしょうか、彼女の眼には今の周りの情景は一切入らないようです。ただ、ひたすら見つめ続けている丸子さん。彼女の眼に何が映って、何を思っているのでしょうか?僕には丸子さんの気持ちは計り知れなかったのですが、その姿を見た時、声をかけて現実の世界に僕の勝手な意思で引きずり下ろすことに抵抗を感じ、そのまま、何も声がけもせずに自宅の玄関を押しました。
太陽の光が世界を照らさなくなる夜は、僕たちでもセンチメンタルな気分になります。昼間は情緒も何も無いほど騒いで元気だった自分も、夜の帳が下りる頃には、とても感傷的になります。丸子さんにしても同じなんでしょうね、きっと。 遠くに輝くお店のネオンや街路灯の明かりを見つめながら、昔、彼女が暮らしていた世界の一部を思い起こしているのかもしれません。僕が認知症になって、窓越しに思い出に浸る時には、きっと一番素晴らしい時代の街の明かりを思い出しているのかもしれません。