2009年も残すところ、あとほんのわずか。テストに例えるなら、答案を見直しているような場面でしょうか・・・。こう書きながらも、このブログが公開される頃には時計の針は深夜の12時をまわっていることでしょう・・・
この年もいろいろな事がありました。毎日、毎日、真剣に生きたつもりですが、年の終りになって振り返ってみれば、まだまだ反省点も多く次年度に向けての課題となりそうな事項が思い当たります。反省と再計画の繰り返し。まさしく対人援助技術の基本形のようなもので、繰り返し繰り返し、達成されるまで計画として継続するわけです。しかし、ある面、いい加減学んだら!と言われる部分でもあります。今年こそは・・・ではなく。今年は必ず達成できるようにがんばって生きていくつもりです。
やはり、書き込みをしてる最中に、日付が変わってしまいました。
「皆さん、新年、明けましておめでとうございます。旧年にも増して、皆様のご指導、ご鞭撻のほど、心よりお願い申し上げます。」
このタイトル。驚きを表現しています。なんで、もうクリスマス・・・!って感じですが。一年の過ぎる速さに驚いてしまいます。年齢を増すにつれて一年のスピードは速くなっていくように感じます。うちのばあさん達といっしょにクリスマスケーキを食べたのが昨日のように・・・
今日も、利用者の方々とお話をしていたのですが、以前はクリスマスにはケーキを焼いたり、ローストチキンを作ったりと余計な御世話をしていた私ですが、最近はめっきりと何もしなくなってきました。怠けてると言えば、怠けてますが、実際はやることが多くて、実際に年寄りさんと何かをする時間がないのです。今、私が抱えている仕事は施設の防火スプリンクラーの設置で動いています。同時に、三重県グループホーム連絡協議会の年度替りに向けての準備をはじめました。ついでに、勤務表を組まなければなりません。おっと、お給料の支払い準備でコンピューター入力をしなければいけません。あっ!実習先の知的障害者施設へお礼の品を届けなければ・・・・
のんびりとデスクに座ってパソコンやってる場合ではないぞ・・・こんなブログを書いてる場合ではないんだ・・・・!?!?
でも、師走というものの、昔のような年の瀬イメージは薄くなってきました。私、まだ年賀状も書いていないんです!
今日、うちのグループホームの入居者の一名さんが事務所にきて訴えた!
「あんた、忙しいのに悪いけど・・・話きいてくれもらいたいの・・・・!」とAさん。
『うん! どうしたん・・・・?』と私。
「Mさんが、私の部屋に勝手に入ってきて、私の洗濯したての衣類の上にウンコしたん・・・・!それも、すごい量のウンチ!」
私はAさんの訴えを聞きながら、真剣に悩んでいるような彼女には申し訳ないが本気で笑ってしまった。実際に自分の下着や衣服の洗濯上がりの上にうんちが乗っている状況を考えれば腹も立つだろう・・・私は、訴えているAさんに詫びながら、
『Aさんには、申し訳ないけど、Mさん、そんなに沢山のウンチをAさんの着物の上にして、さぞ気持ちよかったんやろね・・・・・△■◎、<>””~7』と言った。
「そやでな、今日から私の部屋は鍵をかけることにしたん!」と彼女は言った。
『うん! その方が良いな!、まあ、職員には注意するように言っとくわ!』と伝えて、Aさんの訴えは終わった。
Mさん、とても重度の認知症です。最近では、自室のクローゼットの中でもオシッコをするらしい。以前からトイレットペーパーに包んだ春巻き状のウンチがタンスの中に入っていたりする方です。他者の部屋も、洗いたての洗濯物も理解できません。その時は、置いてあった洗濯物がトイレに見えたのでしょう。(見えたのでしょう・・・という言い方は妙でしょうが、実際に酔っぱらいのオジサンたち、深夜の繁華街で電柱に向かって一人怒ってブツブツ文句言う人。そんな状況を見た記憶はないですか? それとか、風邪をひいて高熱でうなされるとき、冷たい氷まくらで冷やされるとき、体が宙に浮いていくような気持ち良い感覚になったことはないですか?
認知症も重度になってくると、きっとそのような感覚なんだと思います。人様の衣類の上に、常識では考えられないですよね!でも、できてしまうのです。私は太陽の家の職員さんに伝えたい。認知症の人たちなんです。私たちの社会の常識を当てはめるのではなく、この人たちの感性の中で一緒に生活してあげることがグループホームなんですよ!
押し入れでオシッコしたら、なんで押入れがトイレと錯覚してしまうのか?を考えてみてください。その人にとってのトイレのイメージは私たちが思っているトイレのように、真白な便器に明るい陽射しの入る清潔な洋式トイレではないのかもしれません。少し、極端ですが、彼女の部屋のトイレをカーテンをつけて暗く変えてあげる。逆に押入れの中を明るく変化させてあげれば、この問題は解決するのではないのでしょうか? Mさんが、押し入れでオシッコする行為を嘆くのではなく、その行動を普通と理解して彼女の錯覚を取り除いてあげる工夫が認知症高齢者への支援ではないですか??
Mさん、洗いたてでフカフカの洗濯物の上で、お尻放り出してウンチ・・・・さぞや気持ち良かったことと思います。職員のみなさん、洗濯物の乾いた太陽の香りと洗剤の香りに包まれた空間。足元にはほんのり温かでやわらかな肌触りのもの・・・きっと赤ちゃんの頃感じたような感触を味わいながらの排泄だったのでしょう・・・可愛らしいとと言うか、笑えると言うか・・・認知症のなせる技です。
10月から、知的障害者施設での実習をさせていただいていたことは以前のブログに書いた。
その時、実習を受けさせていただく施設に対する遠慮というか、最低限のマナーとしてタバコを吸うことはやめていた。日中の実習中は忙しいので喫煙を忘れることが出来たものの、自宅に帰るとさっそくタバコに火をつける生活を続けていた。が、何気なく冗談めかして、たばこを辞めようと思いついたので、それから以降、タバコを辞めた。
まだ4~50日程度の期間しか経っていないので、タバコを辞めました!と大きな声で言えないのが残念ではあるが、今回の禁煙は続きそうなんですね。
そうなんですね…今までに何度も何度も禁煙を行い、他人に宣言し、強い決意のもと禁煙したはずが、数カ月のちには禁煙断念!本当に意志の弱い人間で恥ずかしい思いをしてきました。
その当時の禁煙している時に、常に考えていたのはタバコを辞めることではなく、如何にして禁煙を破るか?について考え続けていたように思うのです。
禁煙している最中に、「いつから、禁煙を辞めてたばこを吸おう・・・???」と思い続けていたのですから、ひどいものです。
最近では、喫煙する場所もなくなり、何処に行っても喫煙者は屋外の隅の隅に追いやられ肩身の狭い状態。または、狭い、ガラス張りの小部屋の中に押し込まれ強制換気のされている場所を紫煙でケムケムにしながら、頭の先から足の先までタバコの煙で燻されるよな環境の中でしかタバコが吸えない。新幹線の新型車両の700系では、喫煙室なる小部屋以外では喫煙はできない。3人が入ればいっぱいの窓際の小部屋に押し込められてタバコを吸っている。近鉄特急にしてみれば、もっと環境は劣悪で、喫煙車両は燻製室のあり様。都会では、歩きたばこや一部のエリア全体が屋外でも禁煙エリアとなり、本当に自由にタバコは吸えなくなってきている。
おまけに新政権の厚生労働大臣は日本人の健康のためにもタバコに増税を加えると宣言している始末。日本でも諸外国並みのタバコひと箱600円ですか・・・!これから、寒くなる冬の季節、タバコ吸うためにいちいち部屋を出て、外で凍えながら煙草を吸わなくても良いじゃあないですか!ってことですね。
私の住む場所は今や、地域の中でも中心部に位置する場所として大きな変貌を遂げた地域である。日本の社会に車が大きなウエイトを占めるようになってから以降、街の様相が様変わりした。私の子供時代には、古くからの商店街が町の中心であり、商店主たちが、それなりに勢力を誇っていた。小学校の時代には、自転車や徒歩を中心として、街はにぎわいを見せていたが、今の時代は車が大手を振って街の中心部にある幹線道路を走りまわる。
時代は変わるものである。あの当時ににぎわっていた町は寂れ、昔は田んぼと畑ばかりだった地に大手資本の全国チェーンの飲食業や遊興施設が軒を連ね、夜の10時を回っても通りには車があふれ、人々は食事を楽しんでいる。
そんな街を歩くと、焼き鳥のにおい、焼肉のにおいや弁当屋の揚げ物のにおいなどに混じって、ガソリンと車の塗料のにおい、タイヤのにおいなどが漂ってくる。目を閉じて漂うにおいだけでも、今どのあたりを通過しているか当てることができる。
先日、深夜というより早朝に近い時間帯まで机に向かっていた。私のデスク(デスクと言える格好良いものではない。ただ単なる会議用の長机であるが、一応、書斎らしくいろいろな書物に囲まれて、書きかけの文章が散乱している部屋で一人パソコンに向かっていた。そして、私の部屋から二本の高層マンションが見えるが、一つのマンションは明かりが全部消えているが、もう一個のマンションは3割程度の部屋に明かりがともっているのだ。流石に、この通り沿いでも朝方の4時ともなると、大半の明かりは消えて、街全体が薄暗くさみしくなるのだが、そんな中で住民の3割は、何らかの活動を行っているマンションと、全住民が眠っているマンションの二つのコントラストが面白く感じた。きっと、片方のマンションは老人世帯が多いのであろう。また、もう一方のマンションには若者の入居者が多いのではないだろうか・・・と勝手な想像をしながら、私の窓から見える景色を感じていた。
仕事と学業の両方で、よく上京することがある。先日、渋谷のとあるホテルに宿泊したときに窓の外に見える渋谷の街は深夜にもかかわらず大勢の人がうごめいていた。あの渋谷の街には及ばないが、この街もたくさんの生活パターンを持つようになってきた。その分、一日中、音が絶えない。無音という環境にならない。車が走ればタイヤの音、救急車やパトカーのサイレン、暴走族の騒々しいノイズ、時にはバカ者たちの乱痴気騒ぎの声など・・・音までが都会的となってきた。
そんな喧騒の街を横目に、ひとりで机に向ってパソコンに書き込みをする。