「 監査 」と言う言葉は重いですよね!!! 一般の方には、何のこっちゃ?程度で、 会計監査やその手の監査は会社でも行われとるわい!と言われそうですが・・・・我々、介護保険の枠内で事業を運営するものにとって監査は、非常に重いものがあります。
市町村保険者の行う監査も、会計監査も基本的には同じものです。通常の業務が適正に行われているか?を確認するためのものです。職員のタイムカードから勤務表との出勤時間の突合、給料台帳都の突合から不正がないかを判断されます。次に、私たちの介護の基本である介護計画書の確認があります。ここで、介護の内容を精査され、必要と思われる指摘がなされ、改善命令などがだされます。同時に、利用者への請求書の確認が行われます。請求金額に違法性はないかを確認されます。次に、職員の研修の実施状況、契約書の整備、家族との連携の有無や承諾書など・・・・朝の9時半から夕方の4時過ぎまでみっちりと5人の監査官が、こと細かく確認を行います。
お陰様で、と言うより何も違法性はない訳ですから恐れるに足りる事なのですが無事に終了しました。前回の監査で指摘を受けた点についても改善されており、何より介護計画を褒めていただきました。今回の指摘事項は、雇用契約書や承諾書の一部が紛失していたりして記録に残っていないところがある点で、ファイルの仕方を再考し、紛失しているようであれば再度作成することとなりました。また、一部の変更届の提出が必要な部分があり、その点を改善することとなりました。
さて、一般の方々には我々の監査の持つ意味合いが分からないでしょうが・・・・と先に書きましたが。それは、これらの行政の実施する監査を受けることは必須であるのですが、仮に事業所の運営に不正が行われているとなると話は180度転換します。不正の規模にもよりますが、最悪の場合「事業所の指定の取り消し」や「返還金の命令」や資格のはく奪などに直結するのです。
私たちの事業所が指定を取り消されるということは、介護保険関係の事業は行えなくなると言うことです。つまり、この業界からの撤退です。それも、多額の返還金を支払って撤退です。記憶に新しいものに 大手介護事業所が全国展開していた事業所のすべてを手放していますが、それほど、私たちの行っている介護の事業は社会的責任の重大な職業なんですね!
人間の命を預かる場所です。極端な営利目的の事業でも困ってしまいます。また、極端に無知でお粗末な介護しかできない施設でも市民から徴収した税金に近い性格の保険料から支払いを行い難いですよね!理屈はよく理解しています。しかし、本音の部分では、一日中、行政の監査官と向き合って説明の繰り返しは正直、疲れます。
監査と同様の確認作業に「外部評価」と言われる第三者機関の確認作業があります。このときも、細かな事柄をすべて調べられ、不明点について説明を行っています。事業者としては、自らの事業所の評価を上げたいという意識が働き。必要以上に熱く語るのですが・・・・この熱意が逆作用を及ぼし真実を胡散臭いものにすることもあります。こんな時には笑ってしまうしかないのですが、一生懸命理念を語っても意味のない時、本当に疲れます。
こんな苦労することなく、次回の監査には楽々と監査を終了できるようにするぞ~と固く心に誓って一年間頑張るのですが、毎日の通常の業務をこなしているなかで、監査の時に受けた屈辱感を忘れてしまうのです。学習能力に欠けているのでしょうか?!なんでしょうか?
まァ、監査する行政担当者も疲れているのは同じでしょうが・・・・・
毎日、夕方には寒気の訴えのある丸子さんですが、病院の先生の前に来ると非常に優等生の発言が目立ちます。
「丸子さん、最近、お身体の様子はいかがですか?」と先生。
「いつも変わりなく、健康です!」と丸子さん。
『・・・・・・ん・・・・・?」と私。
『丸子さん! いつも不安な事や気になる事を、先生に相談してみたら?』と私の促しに対して、丸子さんはかくも大胆に予想に反していい子ぶって私の促しを無視します。
「・・・・・そうですか・・・・寒気を感じることもなかった?」と先生に問われても、ニコニコしながら機嫌よく応えていました。
『・・・・・・・・・・・・・!』 本当に絶句!です。
これが認知症の症状ですから、先生にありのままの姿を見て頂くという意味においても重要な問診です。もしも、ご家族に認知症を患って見える方がみえて、病院受診の時に同じようなふるまいをされる高齢者の方が居た場合、やさしく見守ってあげてください。認知症高齢者のと言わずとも高齢者の気持ちの動きを読み取ることに関しては、専門医を信じてみましょう!
でも周りにいる者がハラハラ・ドキドキしますね!
福祉の業界はとにかく、やたらめったらと「資格」を問われます。事業運営に際しても、色々な資格や経験を必要とし、それらの要件が満たされない場合は施設の運営ができない世界です。また、資格だけではなく、人員数や人材の質によって給付される介護報酬の額に差が生まれます。そういう点でも人の力を借りなければできない業種と言えるでしょう。
特に必要とされる資格に「介護支援専門員」俗に言うケアマネジャーですね。そして「看護師」「社会福祉士」や「介護福祉士」などが大きな資格要件となります。
資格みたいなもの、勉強すれば試験に合格して取得できると簡単に思いがちですが、これらの資格試験を受験するには、またまた受験するための資格や経験年数が必要となります。たとえば介護支援専門員は、介護福祉士や社会福祉士などの国家資格をもって5年以上の実務経験を経て受験することができます。もちろん、看護師や保健師、医師、歯科医師などの資格でもOKです。ただ、思いついてケアマネに成りたいから受験してみようか・・・では受験できないと言うことです。(ベースとなる資格さえあれば受験はできます。しかし、実務がない場合は合格しても資格は与えられません)
さて、これらの資格は確かに重要です。しかし、資格を持っていることは、そのままその人に技量が備わっている証明にはなりません!と僕は思うのです。資格取得を急ぐあまり、肝心な人間の心を忘れて資格取得のための勉強に忙しい人に、心あるケアを期待しても叶わぬ望みと思ってしまうのです・・・。
私も、ここまで経験年数はまだまだ少ないです。毎日が勉強の連続です。その中で、自分にできる限りの資格も取得してきました。しかし、先にも書いたように自分の持つ資格は、そのまま自分の技術と知識が高度なレベルであると言う証明ではないこと。また資格取得したその日から、スキルが格段の向上を認められたわけでもありません。しかし、資格取得すると自分の中の意識が変わることは事実です。資格を取得するにつれて責任感が生まれます。自分自身の発言や行動に責任が伴います。僕は、この感覚が重要と考えました。資格がすべてではありません。しかし、資格を取得するために努力し考える姿勢は大事です。私たちが実践する介護の業務は、非常に難しく、常に混乱と不安の中で正解のない支援を継続的行っています。これで終わりという考え方ではなく、常に「今以上」を追求して毎日の反省の上に介護の実践を行ってゆきたいと願っております。
2009年も残すところ、あとほんのわずか。テストに例えるなら、答案を見直しているような場面でしょうか・・・。こう書きながらも、このブログが公開される頃には時計の針は深夜の12時をまわっていることでしょう・・・
この年もいろいろな事がありました。毎日、毎日、真剣に生きたつもりですが、年の終りになって振り返ってみれば、まだまだ反省点も多く次年度に向けての課題となりそうな事項が思い当たります。反省と再計画の繰り返し。まさしく対人援助技術の基本形のようなもので、繰り返し繰り返し、達成されるまで計画として継続するわけです。しかし、ある面、いい加減学んだら!と言われる部分でもあります。今年こそは・・・ではなく。今年は必ず達成できるようにがんばって生きていくつもりです。
やはり、書き込みをしてる最中に、日付が変わってしまいました。
「皆さん、新年、明けましておめでとうございます。旧年にも増して、皆様のご指導、ご鞭撻のほど、心よりお願い申し上げます。」