美浜町なんて場所は、僕もそれまではまったく知らない地名のひとつだった。 日本福祉大学という名前の大学があることは知ってはいたが、それが知多半島の美浜にあるなんてことは知らなかった。ちょうど4年前、一念発起の勢いで僕は日本福祉大学の門をくぐった。もちろん社会福祉を学ぶつもりでこの大学をチョイスした。
この歳になって、しばらくぶりの学生生活はきらびやかな日々であった。若かりし頃の自分は勉強することよりも遊びに神経が集中していた。しかし、社会人となって、自分の人生の折り返しを過ぎた頃より「学問」を意識し始めた。同時に真剣に学んでこなかった自分自身の過去に後悔もした。年齢とともに記憶力はどんどんと低下していき、テキストを呼んでいても目が活字をなめているだけで、全然頭に残らない状態にイラつくこともあった。しかし、なんとかそれなりの成績を残しながら卒業まできた。
僕の人生の後半に新たな思い出の地として美浜町がインプットされた。社会人となってからは車を使って学校へ行くことが多く、美浜まで知多半島道路を何度通ったかわからないほど。おそらく目を閉じていても大学のキャンパスまでは行けるくらいにはなった。
本当に田舎の山の中に日本福祉大学のキャンパスは建てられている。それほど巨大ではないが、そこそこの大きさの学び舎が点在し、それを結ぶように整備された通路がある。スポーツ部のグラウンドが学び舎に囲まれるように作られ、若者の元気良い掛け声などが響いてくる。ずいぶん昔にはスキーに行った本学学生の乗るバスが冬の凍てつくダム湖にスリップして転落事故を起こし多数の学生が亡くなったそうである。学校で一番小高い丘の頂上付近には、その事故で亡くなった学生たちを痛み、慰霊碑が今も残っている。
学校の周辺は田んぼや山で覆われ、その緑の山々を貫くように名鉄電車が走っている。大学の正門横には名鉄電車の駅があり、学生の多くは電車を降りて、心臓破りの坂道を登って校舎に入る。この名鉄電車以外は、本当にのどかな雰囲気の田舎町。それが美浜町である。
鈴鹿の浜に腰を下ろし、晴れて澄んだ空気の時には伊勢湾の対岸に見える知多半島。その半島の最先端部分に近いところの山の上に学校はある。また、逆に学校からも天候さえよければ対岸の四日市のコンビナート郡や津の造船工場などもよく見える。そんな美浜町だが、伊勢湾岸道と知多半島道路整備されてからは、ずいぶんと近くなったものである。渋滞がなければ一時間半で鈴鹿から美浜まで移動することができる。
有名なのは「えびせんべい」くらいかもしれないが、途中、半田市や中部国際空港、南知多ビーチランドなどもあって、ちょっとした小旅行が味わえて師崎まで出れば魚介類のおいしい食堂も多く、結構楽しめる場所なのです。お天気の良い一日、のんびりと車を走らせて南知多をぐるっとドライブしてみたらいかがでしょうか?楽しいかも知れません。そして、その途中で日本福祉大学にも立ち寄ってみてください。将来の社会学者の卵達がまじめに勉強している姿がそこにあるでしょう・・・。
先日、自分自身の国家試験受験のために名古屋市内に宿をとった。試験会場は名古屋市内であるにもかかわらず大事をとって栄に前泊することとした。事前に試験会場まで公共交通機関を利用して、ルートと所要時間の確認を行い、ホテルへの帰り道でふと見つけた古びた喫茶店。最近ではすっかりと姿を見なくなったタイプの喫茶店に興味をひかれ、中に足を踏み入れた。
中年ではあるがソフトな人当たりのオヤジが迎え入れてくれた。店内は奥に深く広がり、昔良く見かけたビニールレザー張りのソファーとコーヒーテーブルがお行儀よく並べられており、個々の机には今どき珍しく灰皿と塩が置かれていた。店主の促しにしたがって好きな場所に席を確保し、腰を下ろす。長年にわたり使い込まれたソファーのクッションはヘタリが見られ、座面のフレームにお尻が当たる。要するに座り心地の悪い部類の椅子であった。
店内には、私を除いて数名の地元のおじさんやおばさんが思い思いの場所に陣取り、世間話に興じている。店主も一人の常連客らしい女性と話をしながら、私の注文を待つ。そんな様子である。 名古屋の栄のど真ん中の路面店と言えど、昨今、勢力を拡大している外資系コーヒーショップの類に比べると、店内はうす暗く、窓もない、20年前のエアコンが音をきしませながら、暑い乾いた空気を放出している。あたかも、息切れする老体に鞭打って働く蒸気機関車のごとく。
店主にホットコーヒーを告げ店の調度品を見回す。お~っ、徳用マッチの箱が置かれている。若者には徳用マッチなるものの存在すら知らない者も多かろう・・・。面白い!!!!マッチを燐寸と書いた大型マッチである。4面の側面全てがマッチをこすりつけるサンドペーパー様の紙の巻かれている奴である。タバコを辞めた自分には関係ないが、この店の常連客は、あの箱から一本づつマッチ棒を取り出して、その火でタバコに火をつけるんだろう・・・・。
暫くすると注文の品が届いた。コーヒーカップ自体に厚みがあって、唇に触れる感触はやわらかく、重みの感じるカップである。芳香なコーヒー豆の香りが漂うカップの横には、小さなステンレス製のミニカップに入れられたミルクが添えられている。私が学生の頃に、若者の間でこのミニカップをキーホルダー代りにつけるのがひそかなブームとなった時代があった。そして、もう一つ、外資系のコーヒーショップでは絶対に見かけないゆで卵のサービス。
そうなんです、入店してすぐ目についたテーブル上に置かれた塩が、このゆで卵のためだったんです。ゆで卵をテーブルの角にぶつけて、殻をむいて塩をかけて食べる。昔の喫茶店では必須のアイテムだったゆで卵。本当に最近では珍しい光景となってしまいました。
名古屋の喫茶店は、全国に先駆けて喫茶店のモーニングサービスとやらを始めた歴史があるのですが、今でも市中に残る喫茶店では昔懐かしいコーヒーの楽しみ方が残っていたのです。
座り心地の悪い椅子、暗い照明、偽物ばりばりの観葉植物、懐メロにちかいムード音楽のBGM等など・・・・今時の若者にはなじめないものばかりかもしれません。また、古っちィ~店かもしれませんが、私たちの年代からすれば、昔の自分たちの清秋のたまり場にタイムスリップしたような気持ちになりました。思わず、この店の店主の肩を抱き、頑張ってください!と言いたくなった自分であった。この日、二件隣りに回転していたスタバをチョイスせず、この店を選んだことにめぐり合いを感じた。
早い! とにかく早い!・・・・・・何がって? 時のたつのが早いのです。先日、年末のスタッフのシフトに苦心し、正月を何とか迎えたところですが、もうすでに2月に飛び込んでしまいました。 そう言えば、先日、あまりの寒さに買い物に行く気がしなくって、戸棚の中の食品を物色していたのですが、こんなときのためにと思って買ってきていた食材を取り出してビックリ!賞味期限が過ぎているのです。
もしもの時の非常食が・・・・買い込んだ食品の賞味期限と時の経つのが早い・・・は一緒にはなりませんが。この点でも如何に時が早く過ぎ移るか?を理解して頂けるかと思います。
知らず知らずのうちに、一日の過ぎ去るスピードの速さに驚きと嘆きを感じる年になってしまいましたか?!・・・・・ははは・・・
年齢を重ねるごとに日常の動作は緩慢になり、一日にこなせる仕事量に変化が表れ、その分、一日がのんびりとしたスピードで流れていくのかと思いがちですが、ところがどっこい、何もすることが無い。ひまなんですが、一日は想像以上に早く過ぎます。時間の流れは老いも若いも同じスピードのはずなのに・・・・。
これは、ある意味、当然なのかもしれません。若いころは、やる事がいっぱい。楽しみもいっぱい。めまぐるしく自分の周りの世界が動いています。その分、一秒あたりの充実感は老人の感じる一秒間のそれよりもはるかに多い。要するに、若者の一秒は老人の一時間に相当するのかもしれないという事です。逆に何もすることのない老人の一日は、若者の一時間に相当する。という理論です。当然、年寄りが一日を矢のごとく感じることとなるのです。
一日中、何の目的も持たず、一人でボ~っとしている時間が長ければ長い程、同じ尺度としての時間を消費しているのですが、実際の達成度は限りなくゼロに近いというわけです。この達成度の低さが、高齢者の時間に対する感覚を短くしてるのではないかと思うのですが・・・・逆かしら????
今朝は早くから津市へ研修を受けるために車を走らせた。9時15分までに到着しなければいけないので、普段よりは早い目に自宅を出発した。朝の8時。言ってみれば、このような時間は皆さんにとっては決して早朝の時間帯ではないことは理解している。しかし、通勤時間3秒の私にとっては、朝のはよから・・・というケースなのである。まァ、兎に角、一般の通勤時間に車を運転するのは自分自身が通所介護の送迎を行って以来のことで、多少慣れない朝の道路事情に面食らうこととなる。
朝の国道がこれほど渋滞するとは想像はしてたものの、いつもの倍の時間がかかっている。信号の度に車は停車して、青信号となっても先頭車両はなかなか進まない。ガソリン代が高騰して皆さんエコ走行に徹しているのだろうか・・・自分の車が交差点に近く成る頃には、またもや赤信号。本当にノロノロ運転である。昔、国会の予算審議で野党が牛歩戦術とやらを遂行し、深夜までかかって投票したというニュースを見たことがある。今日の国道はまさしく国会の牛歩戦術といった状況であった。
さて、ノロノロ運転の状況下で、運転手は一体何を考え、どう対処するのだろうか? 本来、車の安全運転を遂行するためにはわき見運転はご法度であるがあ、これだけノロノロでしか進まない国道、周りの車両の運転手の行動が気になる。一度、皆さんも運転している方々の様子観察を行ってみると良い。へっ?と思うようなことが行われている場合に遭遇するのです!
例えば・・・・煙草を吸っている(まァ、普通ですわな!)
携帯電話で話し中(ちょっと、止めてよ!)
あくびをしながら鼻くそほじくっている(そんな気分にもなりますわ!)
口をパクパク、歌なんぞ歌っているようである・・・(朝から元気なことで!)
マンガ本を読んでいる(お前かァ、青信号になっても出発遅れる奴は!?)
運転しながらマスカラ塗っている(バックミラー越しに俺をにらむな!)
コンビニで買った焼きそば食ってる!(青信号に変わって、急いで飲み込もうとしながらもソバ数本が口の脇に垂れ下がってるよ!)
助手席の彼女が運転席の彼にキスしてる(朝から・・・もう!)
車の中の様子は他人からは見えない錯覚か?それとも、どうせ行きずり関係、どこの誰かも分からないからか?皆さん、本当に思い思いの格好で運転してるのですね。渋滞も楽しみながら運転すればイライラから交通事故の危険性も回避されるのかもしれない。この一分、一秒も無駄にしたくない朝の時間。一瞬の気持ちの緩みで事故でも起こそうものなら、それこそ遅刻してしまいます。
明日の朝は、今日よりは20分早く出発しよゥ!
今日の通所介護利用者の皆さんに聞いてみた。「ご自身が老いを感じ始めた事柄を教えてください」
1.孫から指摘されることが多くなった時
2.しわが増えた
3.足が動かなくなった時(弱くなった時)
4.物忘れが多くなった時
5.それまで出来ていた事が出来にくくなった時。
6.背中に手が届かなくなった時
7.重いものが持てなくなった時
8.針に糸を通しづらくなった時
9.小さな段差でつまづく時
質問2 「それらの現象を何歳ぐらいから感じ始めましたか?」
1. 60歳ころより
2.デイサービスに通い始めて初めて老いを認識し始めた
3.次第に古くなってきた
質問3.「老いてこれから、どうするの?」
1.甘えてはいけない
2.文句も言わない
3.感謝の気持ちを持つように
4.おしゃれ心を持つように
等の意見が出ました。
とても優等生の発言ですが、それでも、年齢と共に次第しだいと老いていく自分自身が無力になり、孤立してゆく姿が見え隠れします。年老いてだれも振り向いてくれなくならないように、必死で笑顔を作りながら余生を過ごしている老人の姿なんですね! 若く輝いていた頃は将来の大きな夢に胸を膨らませ、不安と期待でいっぱいの頃を過ごしてきた先人達の言葉は愉快に語り合いながらも、どこか重いものがありました。デイサービスという施設を利用する人達には、それなりの利用するメリットもあるようです。同じような境遇の者たちを見ながら、自分自身が勇気づけられると語っていました。
若い時代は将来を見つめる時、「老い」は遠い将来の姿であり、その時の自分には無関係の話でした。しかし、先人の呟きのように若い時代は光の矢のごとく早く過ぎ去るのです。