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ブログ-施設長の部屋

2010/6/22
ブログのおかげ!

「施設長の部屋」を書くようになったお陰で、太陽の家の職員さんとの関係が大きく改善した。そして、このブログのお陰で、職員さん全体的に向っている方向(ベクトル)がそろい始めている。

 これは手前みそでもなく、実際にブログを書き始めてから、徐々に職員さんに施設長が何を考え、何を思って太陽の家を運営しているのか理解してもらえるようになった。最近では、職員さんの方から、ブログは毎日更新してください!と言う要望までもらえるようになって、秘かに喜んでいる自分である。

 また、今日、うちの事務長から、施設長のブログは屁理屈も多いけど(屁理屈ですよ・・・・屁理屈とは思っていないけど・・・!)、料理の話やら、ナメクジの話まで色々な側面が書かれているのですね!と言われ、なるほど!と感じたところである。確かに、私のブログはテーマに一貫性がない。その時の思いつきを文章化している。だから、毎日飽きもせずにブログ更新が可能なのかもしれない。そして、ブログに書き連ねる文章は、”よそいき”の文章もあれば、普段着のままの姿もある。この両面から、職員のみんなは私自身を読み取ってくれているのだと思う。

 インターネットの使い方としては色々な処方箋が考えられる。私は太陽の家のホームページを作成するにあたり、一番の目的としていつ開いても、新しい情報が掲載されているようなホームページを求めていた。既存のページにしても、内容を変えて常に真新しい感覚のホームページを狙っていた。しかし、そこまで変化の激しくは労力の点でも、システムの点でも困難であり、そうなるとブログ形式の書き込みが可能なページがほしかった。新着情報を含め、私がタッチできるページは2ページある。この2ページ分でも、定期的な更新を繰り返すことで、そこそこの新鮮味は感じられる。また、このページに訪れてくれる人達にも、ある程度は何かしらの考えてもらえる切っ掛けを送信出来ている事と思っている。

 7月の三重県地域密着型サービス協議会の例会では管理者の抱える課題と現場職員の抱える課題の両面から、検討を行い、さらにベターな職場環境に向けて話し合う研修を予定している。今現在、加入事業所の管理者の方々に個別にアンケート調査を実施している。そのアンケートの集計を検討しなければならないが、今現在、集まってきている結果をみる限り、多くの事業所の管理者の皆さんが職員との意思の疎通に苦しんでいるようである。

 事業所のトップが、どのように現場サイドと交流をもち、お互いの相互理解を深めることが出来るのか?これは、非常に難しい課題であり、どうしても管理者または経営者の独りよがり的な独断的支配におぼれがちな施設運営に、私達はもっと多面的なコミュニケーションツールを探すべきであると考える。”インターネットを使うべき”に固執するわけではなく、自分に合ったツールを見つけ、管理者から心を開いて職員と接する事が、一番過ごしやすく働きやすい職場へと変身するのではないかと思う。

 次は、働きに見合ったお給料を如何に支給していくか?であろう・・・・

2010/6/22
孤家族化、その2

今日。家族関係についてのブログを公開したが、今回第二弾として家族関係の脆弱さと希薄な連帯感について書いてみたい。

自分が子供のころは、祖父母を中心とした縦社会の家族構成が厳格に受け継がれてきていた。縦社会であるから祖父母を頂点とした序列が作られており、食事の給仕にしても、入浴順にしてもすべてが祖父母から先に行われる。そんな言うなれば保険的な家庭環境であった。そして、全ての食事は全員がそろってから始まる。少しでも遅れようものなら父親からゲンコツの嵐。自分は子供の頃、近所の同年代の子供達と神社の境内や公民館の広場を遊び場所にしていて、野球やかくれんぼなどの一般的な子供として遊んでいたが、夕ご飯時を忘れて(忘れるほど遊びに必死だった)帰る時間が遅れると悲惨であった。その夜は家に入れてもらえない。もちろん夕ご飯抜き。そんなお仕置きを母親が取り持ち、父の許しを請い涙を流して誤った事を良く覚えている。

 その当時に、家族一緒に食卓を囲む事に違和感はなく、何の疑問も起きなかった自分であるが、今思い起こせばとても懐かしい気持にもなる。また、食卓では、爺さん婆さんから、その日の遊びや行動について質問されたり意見されたりすることが日課でもあった。褒めてもらえるばかりではなく、訳も分からず父親の逆鱗に触れてしまい、食卓でも叱られたりすることもあった。茶碗の上げ下ろし、お箸の使い方から食事のマナーについても教えられる時間でもあった。

 今の時代の子供達には想像も出来ないような食卓風景だと思う。しかし、祖父母を頂点として存在した家族に自分自身の子供時代は大きく守られて生きていたと感じる。自分だって子ども時代は甘えん坊の世間知らず、色々な悪さや悪戯をしては問題を起こしていた。その度に、「○○さんとこのこういちやな!オヤジに言うぞ!」と言われて、脅されるものの大事にはせず情状酌量という事で許されることが多かった。このように、祖父母、両親の顔なじみや知人に囲まれて生活していた子供時代は、それこそ地域密着の環境であったわけで、それから数十年の年月が過ぎた今。家族はドンドン小さくなり、同じ屋根の下に暮す者同士もお互いの意思の疎通がとり難く、赤の他人の同居人のような環境となり変っている。

 前のブログにも書いたように、個人の生活リズムがありすぎることから食事時間はバラバラで、便利な電気機器のお陰で冷たく冷めた食事こそ食べなくて済むが、それでも一人で食事をとる子供達も多い。その多くは学習塾や習いものの関係で、食事時間が個別となりやすようだ。一人で食事するから会話も無い、テレビを観るか、携帯メールを使って友人とメール交換するかくらいしか楽しめる物は無い。自分には子供がいないので、実体験としての経験は無い。しかし、夫婦間でも仕事の都合によって食事はバラバラな時がある。現代社会の構図から、仕方ない状況と言わざるを得ないのかもしれないが、この社会、この家族関係、このまま継続していって良いのかな?

2010/6/22
家族関係について

 先日、三重県総合文化センターにおいて研修が開催される都合で、太陽の家を早めに出て道中に早い目のお昼ご飯を一人で食べることがあった。通り沿いの全国チェインのハンバーガースタンドで昼食を食べた時のお話をしたい。

 回りくどい前置きは抜きにして、幼子を同伴の若いお母さんが同じようにハンバーガーを注文して、私の向かいの席で食べ始めたことから説明したい。子供を椅子に座らせ、子供に食べやすいようにセットした母親は、自分自身の食事を食べ始めたわけだが、食事を食べ始めると同時に母親は携帯電話を取り出し、メールを書いている様子。子供は黙々と黙って自分の食事を遂行している。おおよそ15分程で私自身が食事を終え立ち上がるまでの間、その家族には会話は一つも無かった。子供は食事という行為を遂行していると言う表現がまさしくフィットする状況がそこにはあった。

 また、ある時、うちの職員数人と一緒に車に乗り合わせて、ある寄合に出向く事があった。4人が乗り合わせた車の中で一人が携帯でメールを実施している。目的地に行く道中の大半がメール操作に明け暮れている。当然、会話は行われない。その様子はあたかも公共交通機関に乗り合わせた赤の他人同士のような状況である。電車に隣り合わせた他人さんが携帯メールを行っている環境が、その車の中に有る。これは、現代人としてすこぶる自然な発想かもしれないが、前回の私の書いたブログにも関連するが、やはり介護に携わる人々の意識改革は必要と思ってしまう点である。

 家族ではないが、職場の同僚の間でも会話が少なくなりつつある現代。この波は徐々に個々の人間に波及しお互いの深層心理に触れられないよう厚い壁を作るかのごとく孤家族化(個人の集まりであり、単なる集合体としてだけの家族を意味して)している社会をもう一度考え直さなければいけないと思う。

2010/6/21
高齢者介護の専門職を育てるために、今やるべき事。

 高齢者介護の専門職とは何ぞや?社会福祉を学んできて、思う事はその歴史の浅さに驚くばかりである。世界に先駆けて社会保障を手掛けてきたイギリスにしても19世紀から始まり、ある程度の骨格がそろい始めるのは20世紀に入ってからである。日本にしてみれば、世界水準に足並みをそろえることとなるのは戦後の混乱が一段落してからのことであり、まだまだ浅い歴史の中で行きつ戻りつして形作っているのが介護保険制度という状態である。公平な分配と言われ続けながらも、富める者と、貧しい者との格差は大きく、今でも日々の食事に困窮する人達は大勢存在する。

 資本主義社会の中で富の公平な分配を論じても、大きな抵抗は避けきれない。働かざる者食うべからず式の考え方が根強く今でも貧しさには、自己責任を問われてしまうケースも多いようである。社会福祉には、優れた理念が存在する。しかし、日本の国民性が、これらの欧米の理念が受け入れにくい場面を作っているようにおもう。欧米人のような生活環境や社会の中から発生してきた社会福祉理念は、農耕民族で島国の単一民族の日本では、なかなか「ホスピタリティー」という言葉は理解できない。

 ここで、別の視点から高齢者福祉を見つめてみれば、このホスピタリティーという考え方、宗教の及ぼしている影響は大きいように思う。生活困窮者に対する経済的支援と言う点で見れば、日本人気質にも欧米人と同じように存在する。例えば四国のお遍路さんをお接待する地元民のように、全国からの訪問者に対して、色々な支援を今でも実施することで功徳を積むと言う考え方である。ただ、この功徳を積むために「物」を分け与えることを中心軸に外部の者たちを受け入れている。ところが、欧米人の考える奉仕とは、物的支援ではなく、精神的支援が大きいのではないかと考える視点である。ボランティア活動自体が根本的に考え方に違いがあるように感じる。要するにキリスト教思想と仏教思想の大きな違いがボランティア思想に影響を与えているように感じる。 だからと言って、日本の仏教思想から発生しているボランティアの考え方を否定するものではない。むしろ、無償で施しや援助を行っている人々に感謝と敬意を表しているほどである。ただ、日本の文化と共に仏教思想と欧米発の社会福祉論の融合がなされていない点に今後の日本における社会福祉を考えてしまうのである。

 つまり、日本でなぜ欧米式の社会福祉が成功しないで、数々の問題が際限なく生じえくるのか?と考えるときに、一番の問題は日本人の気質と文化の違いが大きい。欧米人の考える社会福祉を取り入れようとすればするほど、単なる模倣に終始し、公平な分配につながる社会福祉に到達しないように思えるのである。

 私達の将来に向けて(私達の世代の老後だけに限らず)日本の社会福祉を見つめなおす時が今きている。社会福祉法人や営利法人などの法人格によって制度を分けることに意義を感じると同時に、今の日本の全ての施設の提供するサービスの質に格差があることは事実として考えなければならない。制度として社会保障が構築され、それを民間の力で制度の枠をこえるサービスの拡大が求められている今、私達はより深く専門職を育て、社会に戻していかなければならない。

 そのために今、私達がやらねばならない行動は、社会全体の意識改革である。一般介護職員の意識改革はもちろん、それらの施設を経営する経営者から管理者にいたるまで、社会福祉の歴史と文化を学び、それをベースに新たなるサービスを考え、運営していかなければならない。今、意識改革なくして日本の福祉に希望は無いかもしれない。これは、事業所だけの問題ではなく行政サイドも同様に意識改革を遂行する必要があると思う。

2010/6/20
毎日、ブログを書け!と言われて!

一日も休まずブログを書け!と職員に言われて、その気になって毎日書くようにはしているものの、やはり毎日、それなりにハプニングは起きるものの、それらすべてを文章化するには少し世間体をはばかる。毎回、ブログを書く時と言うのは、何かしらの想いがひらめき、一気に書き上げてしまうわけだが、そのひらめきの前には、これは書いてはまずい!とか、これは書くと角がたつ!などと自分の中で整理している事は確かである。そして、そうこうしてるうちに書きたい物が消えてしまう。そうなると、ブログってのは書けない物である。

 さて、今日のブログは、雨の高速道路の話である。今日は学校の用事で知多半島道路を走っていたが、このところの異常気象のためかどうかは定かではないが、報道番組でよく取り上げられるゲリラ豪雨ってやつに高速道路を走行中に遭遇してしまったことについて書いてみたい。

 高速道路は通常時速100Km程度から120Km程度の速度で走る人が多い。今日も、湾岸、知多半島道路とかなり快適なクルージングを行っていた。空は少々厚めの雨雲。何時降り出しても文句は言えない。そんな空模様の中。それでも順調に半田を横目に、セントレア行きのバスを追い越し、そろそろオービス(自動スピード検知器)の設置されている場所に差し掛かった時。突如とした大粒で激しい雨。

 車についているワイパーが全く役に立たない程の雨。それまで高速で走行していた自分も流石にこのような大雨の中では恐怖を感じる。スピードを80Kmにおとすが、まだ前方の視界が確保できない。さらにスピードを下げながら周りの状況を把握しようと努力するが、雨のカーテンは、自分自身の車から前後左右の車も確認がしずらい状況。路面にも多量の雨水が流れて、その様相は川のごとく。車のタイヤが水をかき分けて進む。大量の水しぶきと背後には大きなウオータースクリーンが出来ている。

 このような大雨にも関わらず、ヘッドライトも点灯せず走る車が居る。あちらは良くても、私の方から視認性が悪いことを知らないのか、とても危険な運転をするドライバーの多さに驚く。これだけ、自分の車から雨の影響で視認性が悪い時には、例えそれが昼間であっても各車ヘッドライトは転倒(ヘッドライトを転倒させてどうするの・・・・?点灯でしょ!)してもらいたい。また、当然のことながら、大雨の中の車線変更も危険極まりない。それら雨の中のドライブに対して鈍感なのか、無知なのか、非常識なのか、それとも素晴らしいテクニックの持ち主なのか知らないが、私のような素人ドライバーからみると恐ろしくて、そんな連中のそばには寄りたくもない。とっとと追い越して行ってくれ!と祈りたくなる。

 これから、このような局地的な豪雨の発生しやすい天候の毎日。車を運転するドライバーの皆さん、どうか雨降りはヘッドライトの点灯を早い目にお願いします。『こちらから、貴方はみえてないのですよ!』


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