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ブログ-施設長の部屋

2010/6/11
恰好よく歳をとることへの憧れ

Sir Thomas Sean ConnerySir Thomas Sean Connery 前回のブログで恰好よく年齢を重ねると書いた。よくよく考えてみると、年齢を増すごとに恰好よく居る事の難しさは並ではない事に気付いた。世間一般によく言われる『加齢臭』問題、『しわとシミ』の問題など。ケアしなければいけない事項が年々増えてくる。経済面でもそうだが、自分自身の気力の点でも、次第しだいと「どう~でもええか・・・・!」となりがちである。

 僕が憧れる高齢者俳優と言えば、写真のショーン・コネリーや以前にもブログで紹介したとおりフランク・シナトラとなる。特にショーン・コネリーは、彼の出世作007シリーズの頃よりも晩年の顔に憧れる。知的でありセクシーである。特に唇にセクシーさを感じる。男の僕が唇に惚れると言うのもなんだが・・・髪の毛が薄くなっても、彼のしぐさや話し方にはイギリス人紳士の風格が感じられる。もっとも、ショーンコネリーは、あの007シリーズのヒットのお陰でイギリス女王よりSIRの称号を与えられ今の彼の正式名称は『Sir Thomas Sean Connery』となっている。

 以前に職員から質問を受けた。「家にいるときに、パンツ一枚で部屋の中を歩きませんか?」という問いであった。自慢ではないが、自宅にいる時にパンツ一枚でゴロゴロしている事はまずない。うちの家はこじんまりと小さいので、玄関に不意のお客様がみえた時に、パンツ一枚で歩きまわっていると恥ずかしいから。と言うのがメインの理由ではあるが、それよりも、やはり自分自身、自宅にいても恰好を気にするからである。

 また自分の発する臭いについても、かなり神経質である。昔に比べると香水を使う頻度と量は減ったが、体から汗のにおいが漂うことに、嫌悪感さえ持っている。僕は、特に体臭がきついわけではないが、人間である以上、汗が匂わないわけではない。夏は特に気になるので、洗身には気を付けている。使う石鹸、香水、パウダー類などがその対象となる。

 服装と身だしなみと言う点では、誰しも少しだけ気を付ければ、ほぼ完ぺきにケアする事は出来るが、これが皺やシミとなると環境や体質に大きく影響を受けるわけで、これについては、自分では何ともできない。もちろん大金はたいて美容整形にかかれば、ある程度は若返りも可能なようであるが、そこまで力入れて若返る気持ちも無い。ただ、皺があっても、白髪が増えても、それなりに社会の一員として施金なる行動を継続する事の方が大事である。

 結論として、見た目ももちろん、立ち居振る舞いに関しても年相応な姿を演出する努力が欠かせないということである。もう歳だから・・・・孫もいるし・・・・と自分自らが年齢の壁に負けてしまっては恰好いい年寄りには程遠い。いつまでも気持ちだけでも若くありたい。

2010/6/10
太陽の家デイサービスの課題

  こんな文章を書くこと自体、新規の利用者の獲得には程遠くなってしまう事ではあるが、あえてブログとして書き連ねてみたい。

 私の役目は、この施設の長として、よりよい施設運営を心掛ける責任があり、それは職員間の人間関係、利用者の受けるサービスの質、家族・地域との関係の構築と維持など、多義にわたる仕事を負っているつもりである。そして、サービスの質に関して言えば、これは、今一番重要かつ早急の改善を必要としている課題である。

 その課題とは、利用者全体との交流の時間の使い方である。午前の入浴時間や午後の個別リハやレクの時の進行の仕方に大いに問題がある。どうしても利用者の全員を子供扱いしてしまう職員が多いということである。利用者の病態に関係なく一律に幼稚園の先生のような先導をする職員に問題がある。研修のたびに職員には人間としての尊厳を重視した支援をもとめているにも関わらず、この結果である。事務所で聞いていて非常に腹立たしい場面が多く発生している。

 人間の老化について、しっかりと研修を行い、老化は個人に全く責任の無い次元で、平等に全ての人に訪れることを話してきた。そして、その老化現象を発端として、多種多様な疾病や障害を抱えることとなるのが、簡単に言うところの老化現象である。その点をしっかりと介助者が理解する事から、高齢者を人間として尊厳のある関わりが持てる者と信じている。

 私達の先人であること。豊富な経験を有している事、その事からも、認知機能は低下している事は「知能の未発達な幼児」を相手にしているような態度こそ改めるべきである。

2010/6/10
不可解な若者文化!

(毎日新聞記事より)

カメ 甲羅に落書き「カメデス」 甲府の舞鶴城公園

 この新聞記事を読んで、また写真を観て、最近高齢者施設において問題となった人権侵害事件を思った。亀の甲羅に落書きして放つ事に面白さを感じる神経が、高齢者施設入居者の顔に落書きをして楽しむ介護職員達の神経と同じと思う。この行為自体に何が楽しいのか?今の若者世代の『笑い』に疑問を感じる。

 

2010/6/9
人の老いる姿。

  恰好よく老いてゆきたい。と誰しもが考えるところである。・・・・・恰好よくとは思わないまでも、苦痛もなく安楽に老いてゆきたい。と・・・・誰もが病院に入院して、点滴や経管栄養チューブなどに頼る生活は望まないはずだ! しかし、こればかりはその人の運命のようなところもあり、一概にその人の思いだけでは何とも仕方のない部分でもある。

 さて、老いると言う事は、以上の点からも非常に不安なものであり、歳を重ねるにつれ考え込む事が増えてしまうことも自然の流れでもある。地位や権力また財力に関係なく人は平等に歳をとる。歳をとると体や精神機能が、徐々に低下してくる。但し、この機能の低下は人によって低下の度合いが違うものの、やはり大なり小なり、若いころに比べると全てに於いてスローな状態となってくる。若かりし頃の行動半径は大きい。三重県全域であったり、日本全域であったり、世界であったりして、とても広いエリアでの活動が行われ、それなりの達成感ややりがいを感じて日々が充実しているはずだ。それが、加齢と共に遠距離への出張や旅行に疲れが生じ、それまでのような活発な移動に負担を感じるようになる。

 私だって、20年前には海外を飛び回るような生活を喜んで過ごしていた。しかし、ここ数年は東京に出かけても非常に疲れやすくなってきている。これが海外へとなると、行くのは行っても、以前のように目的地に到着すると同時にレンタカーで渡航先を走り回るような事は苦痛となっている。あと、10年もすれば、この疲れが倍増し、一日ゆっくりとした時間を過ごさない限り、疲れで事故を起こしそうな状態となるだろう。

 行動半径の縮小は、そのまま自分自身の役割の縮小へと意識がシフトされる。シフトされると言うのは、自分もそろそろ年だな!と観念する事を示す。年齢を意識し始め、そうこうしているうちに、同級生の誰かを亡くし、自分の周りの馴染みの人々の影も薄くなりはじめる。そして、感じることは「自分の時代は終わった!」という観念である。

 これらの気持ちの上の『弱気な自分』が、肉体的な機能の低下から発生し、それが次第に心理的な機能の低下に波及していく。活動の範囲は縮小傾向に有り、活動的でなくなることから身体機能も更に衰える。歩かなくなるから歩けなくなる。食欲がわかないから栄養素が偏り不足傾向にある。こうなると人体のホメオダイナミックスは完全に狂い始める。

 生きることに不安感情が常に頭から離れず、その事ばかりを気にし、夜も眠れない、その分、昼間にまだらに眠ってしまう。夜と昼の境目が認識できなくなり、自分ひとりが孤立して病魔に取りつかれているような不安でいっぱいになる。何をしても楽しくないから、物事にチャレンジする気力すら萎えてしまう。

 こうやって、人間は年老いて、次第しだいと動かず、食べずして死を迎えることとなる。これは自然の摂理であるが、今元気な時に考えるには酷すぎる課題である。そして、その中に病気や障害が重なれば、もうそれだけで他者の支援を得なければ生きることを継続できなくなる。

 私達の仕事は、こうした高齢者の生きていくために必要な支援を差しのべながら、出来る限り安楽な生活を応援する事が使命として課せられている。そして適切な支援を行うためにも、高齢者の心理、病気、機能を理解して行かなければ適切な対人援助が出来ない。

 いつかは、私達も自分達の子供や孫の世代の人間に世話になる時が来る。その時によりベターな介護を望むのであれば、今の自分達の行う介護の質が非常に大きな責任を負う事となるのである。将来の日本の介護を満足なモノとするため、スキルアップは絶対に継続していかなければいけない。

2010/6/8
送迎バスの運転は、こうあるべきです!

 時々、私自身、デイサービスの利用者送迎のバスを運転する事がある。送迎バスと言っても、大型のバスではなく、リフト付きワンボックスカーであり、定員も運転手含めて10名をマックスとするバンですが。それでも、普通乗用車に比べてもかなり大きい。横幅も、長さも乗用車をふたまわり大きくしたようなスーパーロングと言われるような車両です。

 僕は、このバスの運転を得意としており、おまけに運転技術も、うちの事業所では一番上手と思っている。(・・・・?本当?)そして、送迎の時に一番気を付けている運転方法として、自動車教習所で指導されるままの運転方法である。つまり、交通法規にのっとり、車線変更には後方確認、ウインカー、そしてハンドルを切る。進行方向に障害物があり進路変更を余儀なくされた場合には、必ず追い越し前に後方確認、ウインカー、進路変更、元に戻るために再度ウインカー。といった風にかなり実直な運転ルールを守っている。もちろん、法定速度は絶対厳守。時々、他の車の流れに同じて、多少スピード制限を超えることもあるがその超過幅を10Km程度に抑えている。

 また、当然のことながら急加速、急発進、急ブレーキは絶対にかけないよう、心配っているつもりである。

 しかし、なぜここまで厳格に交通ルールを守ろうとするのか?この私達の高齢者送迎車両の動く時間帯は通勤ラッシュの時間帯が多く、多分に他の居合わせたドライバーをいら立たせているかと考えると、自分ひとりが安全運転に心掛けても、周りの車両との同調性に欠けることから、余計に事故の危険性が増すのではないかという懸念も存在するのです。しかし、私達の車両に乗っている高齢者の方の中には、走行中に自分自身でシートベルトを外してしまう方も居ます。または、シートベルトを締める習慣のない人に限って、シートベルトが正当な位置にセットされていない場合があるのです、これは、無意識のうちに三点式シートベルトを肩から掛けていたにもかかわらず、自分自身で勝手に通している腕を抜いたり、正常ではないポジションに書かていなかったりすることが多いのです。こんな時に急ブレーキをかけると、腹部だけを圧迫していずれかの骨を折ったり、内臓を傷つけたりしてしまうのです。運転中は前方だけに神経を集中しているため、出来る事なら急ブレーキをかけなくて済むような運転に心掛けることが必要です。だから、ブレーキをかけるときは、ゆっくりと踏み込み、スピードが落ちた時点でブレーキを抜く。そんな小細工まで使います。

 まあ、私の運転はスムーズであり、かく安全をもっとうとしているので、乗っていて安心できる運転であると信じています。おそらく自動車運転教習所の教官を横に同乗してもらい点数を付けてもらえば、今でも合格点はもらえると思っています。

 通勤ラッシュの途中に私達の送迎車両に出くわして、不幸にも向う方向が同じドライバーの皆さん。本当に急いでいる最中に申し訳ないのですが、どうかこれらの事情を理解して頂き、少しだけ安全運転にご協力ください。


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