今日も一日が過ぎ、デイサービス利用者が家路に就き、今は空っぽのデイルームに職員が残った事務仕事に精を出している。その中で、このブログネタを探し求めて職員の間をウロウロしながら、なんとかアイデアを貰おうと徘徊していた。リーダーが提示してくれたネタは全て、書いても公開できそうにないネタばかり。例えば愛人の事・・・・(そんなの居るわけないやろ!)、僕のコレクションのこと(コレクションは秘かに楽しむもの。他人に自慢してどうするの?)と、否定的な僕の頭はグルグルまわるばかり。そこに彼女に聞いてみた。『君の事をブログで紹介しようか…?』と。 すると、彼女は謙遜したように「私の事を可愛い!なんて書いてもらわなくていいですよ!」ときた。 なんともコメントのしようのな言葉に、僕はただ黙ってしまったわい。
そこで、うちのペットの紹介をしようと思う。太陽の家には現在3匹のミニチュアダックスフンド(訂正、2匹のミニチュアと1匹のミディアムダックスにしておきましょう)が在籍してます。彼らは本来は、老人さん達のペットとして愛嬌をふりまき、日々の生活に潤いをあたえるべく職務があるのです。しかし、昼間も夜も絶え間なく食べて寝るだけの生活をしている彼らには、うちの年寄り達は睡眠を妨害する敵のような存在なのでしょう。特に愛嬌をふりまくわけでもなく、年寄りの姿を観るとワンワンと吠えているのです。そんな吠えてばかりのセラピストですが、本当のところ、個体別の個性をもっていて、個性と言うか癖と言うか、その面白い部分を皆様に紹介しようと思います。
まず、一番上の姉であるショコラですが、非常にデリケートで怖がりです。怖がりだから、吠えて相手を威嚇しようとする。そんな彼女は甘えん坊です。時々洗濯物をたたんで置いておくと、その山の中から僕の靴下を持ち出してくわえています。僕が取り戻そうとするとうなり声をあげて、更に強く噛んで放しません。とにかく家族がいない時に、寂しいからか、家族の身に着けていた衣類をくわえてきて、その家族の匂いに埋もれながら眠る事が好きなのです。ある時、彼女は重度のヘルニアによって緊急手術を受けることとなり名古屋の一社に有る動物病院へ入院となりました。その時に、寂しがると可愛そうなので僕のTシャツを一緒に持たせました。病院の話によると、くわえていたのは食事までで、食事したらすっかりとTシャツの存在もわすれ、その病院のスタッフに愛嬌を振りまいていたそうです。
次に末っ子のファニー君です。彼は、ミニチュアのはずが、食べることが大好きな犬で今ではミディアムダックスと言ってもいい程の肥満体。彼の特徴は、食後に必ずティッシュペーパーを食べるのです。おまえはヤギか?と言うほど、上手にティッシュペーパーを箱から抜き去り、両足で上手に縁をつかみながら少しづつ食べるのです。それもスコッティーしか食べません。他のメーカーのティッシュは好みでは無いようです。
最後に二女のクッキーです。この子とショコラは本当の姉妹で、同じ両親から生まれたのですが、姉妹と言いながら、全く性格が逆の二匹なのです。クッキーは一番の偏食家で食事に対する好き嫌いが多いので、その分小柄です。そして体重が少ないから身軽な動きでソファーに飛び乗ったり、椅子に座っている私の膝に飛び乗ったりしています。彼女が飛び乗る事に抵抗は無いのですが、彼女はやたらめったらと自身の前足を舐めまくるのです。おかげで、僕の膝の上は彼女の唾液でベタベタになるのです。
三匹の子豚ならぬ子犬達は、今日も元気に山盛りのウンチとおしっこを部屋中にばらまいてくれている事と思います。
年始、月初と一区切りの終わった後、必ず迎える初日であるが、このブログに関しても毎月の一番最初に書き込むブログが一番神経を使う。今回も例外なく書きかけのブログを数件、全て完結して公開する事も無くお蔵入りの文章が存在する。何も特に神経を酷使する必要性は無いが、ただ過去の自分の文章を垣間見て、各々のブログに対して反省を行いながら、次こそは!とか来月こそ!という意気込み新たに新しい区切りを迎える時にどうしても意気込んでしまう自分が居る。きっと、この意気込みが空回りの主要たる原因ではないかと考えるのである。
さて、そのような中で、お蔵入りした文章の中で最後の最後まで迷った内容が、介護職員の介護スキルについてである。要するに介護職員である以上、自身のスキルアップはあってしかるべきであり、そのように時の変化と共に新しい介護手法について学んでいただくことは重要である。しかし、スキルという理論ばかりで気持ちが伴わない介護であれば、スキルアップしたとは言わない。知識だけが向上しただけで、それはロボットに新しいバージョンのソフトをインプットしただけに等しい。介護職員の一番重要な要素として学んでいかなければいけないものとして「気持ち」をあげたい。「相手を思いやる気持ち」「家族を思う気持ち」「困難な状況を分かろうとする気持ち」。何に対しても相手を「一人の人間として思う気持ち」が基本となるべきである。
この課題と同様、資格取得という問題がある。資格を持っていることは、その人のスキルと技術が優れていると言う証にはならないという事実。実際、ケアマネジャーの資格を持っていても役に立っていない資格もある。また、社会福祉士の資格にしても保有していると言うだけで、社会福祉援助を行っていないケースもある。資格と言うものは、無いと困る。しかし、持っているというだけの資格は無いに等しい。資格を保有し、学んだ事柄を反映しながら社会資源の一つとして使えるような環境整備を実践し、他の専門職との協働を行って初めて、その資格が有効となるのである。(これも、机上の空論と言えなくはないが・・・)
まあ、兎に角、介護現場で忘れ去られている「気持ち」これを、今月の自分の目標に据えて太陽の家を盛り上げてゆきたい。職員のみなさん、協力をお願いします。
光陰矢のごとし! もう6月も終わりますね! 今月は途中で職員の発破もあってブログの更新に精力を費やした。お陰でこのブログで35本目。今までの中の最多記録を更新しました。ブログってのは本数では無いのです。量より質なのですが、どうも量を意識してしまうと、どうしても過去に負けたくないという意識が働き、もうこうなると中毒症状バリバリの意地みたいなところがある。 何でも継続が重要と!そうなんです、このブログも本数だけではなく継続年数の方が価値をもつはずなのです。これからは定期的な更新だけではなく、休むことなく継続的に書き続けるように努力したいと思っています。
でも、自分なりには小さな声で「35回更新達成!おめでとう!」と自画自賛したい気持ちです。
これからも暇さえあればブログの更新を目指し、また、同時にブログ更新のためにもアンテナを大きく張り出し、全てのものを注意深く観察するよう努めます。皆さんに読んで頂けるように頑張ります。
いや~っ、暑かった。29日から30日にかけて東京に行ってきた。少し堅ッ苦しい会議への出席のためにジャケットを着て、流石にネクタイこそは締めなかったが、それでも一応の井出達で出かけた。折からの雨の影響と季節がら、湿度も高く、半袖シャツだけでも汗ばむ天候に、ジャケットをきて都内を歩く事は無謀である。夏対策として、最近では汗対策として通気性抜群のTシャツを着て、半袖シャツをまとう。やはり、汗がシャツを濡らす事は無かった。
着衣の事はどうでもよいとして、この暑さ。並ではない。うだるような!という表現がこれほど相応しく聞こえる日は無い程。東京23区がすっぽりとサウナ風呂の中に入り込んでしまったような、呼吸するにも苦しくなるような蒸し暑さだった。そして、時折激しく降る雨。都内ではワールドカップサッカーのテレビ放映を店で流しながら、顧客の獲得に必死である。打ち合わせを兼ねて入った店でも、店員さんが日本ティームのユニフォームを着てサービスを行っていた。
僕は、それ程のサッカーファンでもなく、テレビの映像より話し合の方が面白かったが、やはり、店の中の客の大半はテレビにくぎ付け。店員もオーダーを聞くと言うより、客と一緒にテレビを観ている。遠くの空に雷光激しく、ひと雨きそうな雰囲気。サッカーは兎も角、僕は天候の方が心配であった。
今回の映像は、同じ場所から撮影した品川近辺の夜景と朝方の景色である。夜撮影した時には霧雨程度。その後、滝のような大雨。日が明けて、がらりと様子が変わり部分的に空に雲の切れ間も見られるような天候と変わっていた。
何はともあれ、目的の会議を終了し、その後、ワインを飲みながら意見交換を行っただけの東京出張。遊びも何もなく。本当に会議のためだけに新幹線に揺られ、また新幹線に乗って帰ってくる。この間24時間。中で6時間ばかりの睡眠時間を差し引くと、都内で動いていた時間は、数時間。勿体ないような、そうでないような・・・・複雑である。
次の東京は8月の初旬に再度おのぼりさんしてくる予定です。
今日は今年初の暑さと感じた程、熱に圧倒された一日だった。日も落ちて辺り一面まっ暗となっても空気に熱がこもって感じられた。このような暑い時期に、高齢者の施設で一番気を使うことに冷房の設定温度である。
施設職員にとってみれば、高齢者の介護に際し、肉体労働的介護を行う段階で、十分な汗をかくことになる。ジッと動かなくとも汗が流れおちるのに、色々な面で気を使い、体を動かす介護の現場では冷房は、ホントに有難いものである。私自身、現場の職員さん達が暑さにめげず介護を行っている現場をしり目に、自分の事務所だけエアコンをかけて涼しい環境で仕事するにも気が引けて、事務所の中でも汗を流して耐えている。
この暑さ。私の子供のころと比較しても、より暑くなっているのだろうか?それとも、夏はこの程度の暑さは普通だったのか?今では、記憶に薄く、その当時の気温との比較も出来ない。ただ、私の子供時代には、家庭にエアコンすら存在しない時代でもあり、窓を開け放ち、玄関先や庭先に打ち水をしたりして暑さをしのいでいたと想像する。うちの母親が畑から汗だくになって帰ってきて、その濡れた作業着のまま夕食の準備をしていた事を思い出す。母に甘えていくと、暑いから寄るな!と叱られたものである。昔はシャワーも無く、エアコンも無く、自然と共存するしか方法がなかった事と思う。
そんな時代を過ごしてきた今の高齢者の人達にエアコンの冷気は、心地よい環境を提供している事となるのか?が、今日の私のブログの問いたい課題である。 夏は暑い、冬は寒い、おまけに日本には四季があり、それぞれに特有の財産というか、優れた文化をもっている。認知症高齢者に近代的な文化的な生活は有効なのだろうか?この問題に関しては意見が大きく分かれることとなろう。一つは、馴染みの生活を目指す観点から近代的な文明の利器に頼らない。頼るとしても最小限度の依存に抑える考え方。その対極として、汗疹などのような皮膚疾患や熱中症などの夏特有の状態に陥らないよう安定的な室温で生活できるように配慮する考え方の二つである。
私はどちらかと言えば前者の方の考え方に近い。その理由と意義は、やはり生活環境の急激な変化を避けたい事。そして、エアコンの十分に効いた一部の閉鎖空間だけに生活することの弊害として不活発な生活を懸念したい。もちろん、エアコンに頼らない分、冷気を感じれるような空間整備を行う必要性もある。また、水分量、食事摂取量や睡眠にも配慮が必要である。暑い夏を体で感じ、それによって四季を味わい、旬の味わいを楽しみ、人生を感じれるよう支援出来れば最高かと思う。
夏は自然の風は一番と言いながら、暑い熱風吹き荒れる中、エアコンを一切使わないと言う事ではない。適温、適切な時間に限って、限られたエリア外に移動しても急激な気温の変化を感じることのない程度のエアコン操作が必要であると考えている。
エコロジカルな視点からばかりではなく、私は太陽の家を利用して頂く皆さんには、多少暑くても無理のない程度に熱気を感じてもらえるように繊細な環境調整していきたいと思っている。職員さんには申し訳ないのですが、エアコンは職員さんのために使うのではなく、利用者の皆さんの環境調整のために使いたいのです。この点に十分な理解をお願いします。