なかなか良いペースでブログ更新が出来ていたのが、この日曜日のブログ更新が抜けてしまいました。この日曜は、グループホームの関係の三重県大会「事例発表会」の運営で、お昼前から一部の職員さんと一緒に三重県総合文化センターまで行っていました。体調が万全でない僕を配慮して、事前の準備から会場セッティングまでの全てを、私以外の役員さん達が実施してくれて、私は会の始まる30分前に、ようやっと会場入り。 何処かの有名な司会者のごとく、さっそうと現れマイクに向かって一言。
・・・・・って、鈴鹿サーキットの某有名レースアナウンサーのような颯爽とした切り口でスピーチは出来ないけど、一応マイクの確認と会場の音響の確認を行い、多少の時間あまりの中で、基調講演の講師の先生にご挨拶。簡単に出のタイミングをお話しして、いよいよ会の開演となりました。
400名近くのキャパを持つ会場だけに、この日の参加者では、本当に人が散見できる状態。要するにパラパラの参加者。壇上からターゲットを決めて話題を振っていくにも、どのグループをターゲットにすべきか迷ってしまうほどまばらな人影。いやあ、やり難い。僕のような目立ちたがりは、壇上に一人スポットライトをあびて、会場中にぎっしりと詰まった人々を相手にすればするほど、燃えてほとばしる熱気の中満足感を得ることができるのです。まあ、でも、この日の参加者でも十分、やりがいはありました。
さて、この時の報告は別の機会に別の場所で行うとして、今日の僕のブログに書きたいのは、この「熱い想い!」についてです。僕は、何に対しても熱血漢で、常に対象とする者に熱い熱意を注いで暮らしています。それは、福祉だけに限らず、僕のセカンドビジネスである、鈴鹿サーキットでの業務にもほとばしる情熱を注いで毎回仕事をさせてもらっています。時として、その熱意も空回りして、上手くいかない時もあって、終わってから関係者と反省する事も多いのですが、それも全て、自分が全力投球している証拠と思うのです。全力で課題に取り組んでいなければ、それ程、感動する事も、反省する事もないわけですから、やはり私達のチームは熱い仲間たちばかりなんでしょうね。
僕は、逆に何をするにも感情を移入できない人を苦手とします。それは、その人が何を考えているか分からない事が第一に理由です。そして、第二に理由に、仕事を仕事と割り切って、ただ単に作業するだけの介護が嫌いです。介護はマニュアルに沿った作業ではありません。もっと人間の感情がまじりあい、喜びや感謝があると同時に苦痛や悲しみや怒りも感じる場面があるはずです。それが人を相手に働くヒューマンサービスと言う意味ではないかと思うのです。
昨年も季節の変わり目には同じような言葉を思い出すが、ここ数年、日本特有の四季がはっきりと出ていないような気がするのですが・・・・?急に寒くなり、急に暑くなる。この二つのパターンに終始し、それぞれの気候がまた極端に激しい気候へと移り変わっていくように思えるのです。それこそ、映画の見すぎかもしれない一種の誇大妄想癖と言われるかもしれないけど、やはり地球全体が温暖化の影響をジワリジワリと受けての、異変症状の表れかと疑ってしまいます。そして、この気温変化に確実に翻弄されているのが弱者の高齢者です。血流が悪いなかで体温も上がりにくく活動が低下していくのですから、これはこれで年寄りにとっては恐怖です。そして、この上から重い蓋をされたような鬱積した感覚には、少なからず今回の東北関東大震災の心的影響も大きく作用しているように思うのです。連日のように伝えられる原発被害は修まるどころか、更に新たな問題を抱えて、決して予断を許すような段階では無いようですし、被災地の救援スピードも思うように向上せず、全国、全世界からの義捐金や救援物資の適正な配布にまで至っていない現状をニュースで聞いていると、被災地で無くとも気分は暗くなる一方です。そこに来て、毎日の天候が、すっきりとせず雨が降ったり、風が強く吹いたり、スギ花粉で車のフロントガラスがドロドロに汚れてしまったり・・・・・スーパーに買い物に行けば、陳列棚からミネラルウオーターが消えて、入荷不明という張り紙が出てたり、冷凍品のショーケースの照明が消えていたり、皆さんそれぞれが省エネルギーを実践してるようです。
しかし、この全体的な動きに関して疑問を感じるのです。もちろん、東北の震災の犠牲者の皆さんの感情を逆なでするつもりは無いのですが、あまりにも被災地以外の国民が過剰に反応している姿が、日本国全体を低迷させているように感じるのです。東北の痛みは、私達の共通した痛みであることは確かです。しかし、全国的に喪に服して全ての活動が停滞した時、誰が救援の手を差し伸べることができるのでしょうか?
この震災と同時に世界的にも産油国の世情不安から原油が高騰しているのです。レギュラーガソリンが150円に近くなってきました。ちょうど今から3年前くらいになると思いますが、一番高いガソリンを静岡県での研修先で補給した事を思い出します。ハイオクガソリンでしたが、静岡のインター近辺のガソリンスタンドで198円/リットルでした。僕の車は100リットル入るので、満タン給油2万円。今は、この時の状況に近づきつつあるようですが、これまた明るいニュースではありませんよね。
被災地にガソリン・軽油・灯油が届きにくい状況。それは、この関西地区の使用制限やら節制が不十分という理由では無いよね!? どこかで私達に出来る支援を考える途中に間違ったアイデアに振り回されているの?
支援するにも救済するにも、最大級に疲弊した社会からは、新たな支援を行うだけのエネルギーは発生しにくいですよね。どこかで充電してあげなくてはいけませんよね!その充電できる場所を確保する事も重要な後方支援とは言えないのでしょうか?今のところ鈴鹿市は余震活動の枠外からは外れています。被災者の一部でも受け入れてひと時の安らぎを与えること。これも考えられる支援です。僕は、被災者の皆さんと一緒になって暗い毎日を過ごすことが、本当に被災者の人々が望むことなのかを考えてもらいたいですね。 だから、直接関係の無い者は、あえて明るく能天気に振舞うことで、明るいプラスエネルギーの拡散に努めてもらいたいと願っています。
誰も何も話してくれないんで、私の不在中に神戸の寝じゃかに行ってたの・・・!?
驚き! って自発的に寝じゃかに行くなんて・・・・・!
喜び! あの人が外出してんの・・・・・!
うちのグループホームも捨てたもんじゃあないんだ!
と、事務所で撮影された記録画像をみてて感じた。
アメリカで生活していると、毎年、春先からサマータイムが導入され、ある日の深夜12時を境に1時間早く進む事となる。つまり、深夜0時を迎えると、その時点ですでに深夜1時。と言う具合に社会の時計が時を刻み始める。当然、その日から朝の6時はmサマータイムの7時ということとなる。まあ、文章で説明しようとすれば少し分かり難いかもしれない。しかし、それまでの毎日と何が違うって、それは、一日の終わりの頃のイメージが変わる。会社帰りの時間帯のイメージ。例えば、日本人は働き蜂の人種だから、会社を終えて帰宅する頃には当然日もとっぷりと暮れて、辺り一面まっ暗。それが、帰宅時間帯に、まだ薄らと空の端が明るく周りの状況がみえる環境。この違いは大きいでしょう。
さて、当のアメリカではどんな感じ?僕の住んでいたカリフォルニアでは、朝日のあがるイメージとその時間・・・要するに日の出の時間設定がアメリカと日本では多少違いがある。あの当時、学生だった僕は、朝一番の授業で7時からの授業ってのもあって、その時間に学校へ行っても辺りは真っ暗。街路灯に明かりがつく中、教室に入って行った経験があるのです。逆に、学校の授業を全部終えて帰宅してから、地区の草野球の仲間たちとフィールドでナイター照明も無く、野球をして、帰って夕食を食べる。そんな環境が普通だったんです。
今、日本では東北沖大震災から原子力発電の危機的状況に日本中が恐れおののき、単純な報道発表を受けて市中のスーパーからミネラルウオーターが消えてしまっている。この原子力発電に関しては、僕は最初から一貫して反対意見を書いてきた。電気の便利さから私達の生活は一気に向上し、申し分ない生活の質を確保できている。寒い、暑いにはエアコンがスイッチ一つで対応し、一つの画面で映画から歌謡ショーまで数百の専門番組を構成したチャンネルを瞬時に楽しむことができる。しかし、自然の光を十分に活用できるように社会システムを変えてあげれば、それはそれで原子力発電等に依存しない安全な社会を構築できるのではないか?と思うのです。サマータイムの導入に関して、日本の政府は、更に働きすぎることとなる日本人気質に配慮したようであるが、働きたい日本人は働けば良い。何時働き、何時休みをもらい、何時まで働くまでをお上に決めてもらわなくては、自らの休みも取れない日本人ってどうなの?
ハッピーマンデーと言う名称で、やたらめったらと連休を増やし、日本国民を半強制的に休ませようとする。連休中に休めない業種ってのもあるんだ。医療、福祉、子育てなんかは完全に年中無休。サマータイム導入もいってみれば、この強制的世の中総3連休システムと同じような、同じ尺の中に押し込んでしまう動きと言えばそうなる。しかし、天日というものを、もう一度、まったく別の角度から見てみると、それなりに新たな発見があるかもしれないよ!
うちのデイサービスに通ってくれるお年寄りとお話しする機会があった。相談員の身で話をする機会があったとは?どういう意味じゃア?と叱られそうだが、この場合の話す機会と言うのは、利用者全員を前にして話す機会を得たということである。
その中で、今回の大震災のニュースはこの地方の高齢者にとっても、重く辛いニュースであったようで、それなりに心に大きな恐怖感を持ちながら先の震災以降、毎日を不安な気持ちで生活しているようである。もちろん、今の段階で東海、東南海地震へのつながりの可能性は低いような報道もされており、一応はゆっくりと夜眠ってもらっても良い状況ではある。
ただ、災害は思わぬところに落とし穴が存在する様であり、今回の大津波被害にしてもここまで大きな津波に襲われるつもりではなかったと言われている。私達の暮らす東海地方でも、近々に大地震の発生が噂されてはいるが、後々の20年から30年の中で発生する確率が90%。そして、この期間の認識の違いが大きな被害の差になって出てくるのかもしれない。
僕が恐れているのは、利用者の皆さんの安全。命の保証であるが、その利用者の人を守るために若い職員の命が犠牲になる事を一番恐れている。今回の福島、宮城でも同じようにベッドに寝た切りになっていた高齢者が助かり、その高齢者を助けるために奔走していた若い介護職員が命を落とすという状況があった。年齢順に犠牲者が決まると言う事を言ってるわけではない、高齢者の命も大切であることは当然、しかし、それよりも介護する側がもっともっとリスクマネージメントを徹底しながらお互いの命を救えるよう、さらに努力してほしいと切に願わざるを得ない。
ぼくは、絶対にうちの太陽の家を使って頂く高齢者の命はまもってみせる。同時に、一人でも職員が命をかけなくてはいけないような場面には送らない。その為に、多少過剰反応と言われるかもしれないが、地震、台風などの自然災害に対しては、私達の安全基準を守りながら利用者の皆さんを見守り続けたい。