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ブログ-施設長の部屋

2011/4/18
パソコンとにらめっこ!

 別に今日、ブログを書かなくても良いんだよ!と分かっていても、なぜか書く気でノートパソコンを起動させてはみたものの、やはりネタを思い浮かばない。書き込みページを開いたまま、何も書きこまれていないページを、ただ見つめるばかり。仕方なしに、その状況を書いてみて、何かの文章のきっかけを探そうと書き出してみた。こうなると、僕のブログって、全てが単なる思いつき?!・・・・思いつきと言えば、思いつきだけど、結構、考え抜いた話題を書いているつもり・・・・(?)

 最近は、明るいニュースが少ない時。何か面白いネタは無いもの?といつも考えてはいるが、最近自分自身でも渋い顔してる事が多いこともあって、実際、楽しいって想いをしてないのかもしれない・・・としきりに反省するばかり。うちに白い犬がいるけど、やはり尾も白かった・・・!ってアホみたいなオッサンジョークも通用しなくなっているし・・・・ってね。

 そう言えば、今日のネタとしてテレビネタをもう一つ。皆さんはBS朝日だと思うけど、『小さな村の物語・イタリア」って番組をご存じだろうか?題のとおり、イタリアの片田舎にある小さな村の様子を、そこに住む人々の描写を通じて毎日の生活や文化を紹介している番組なんだ。本当に小さな村というにふさわしい、我々が旅行に行くイタリアの都市とは、全く違って素朴な、大きな産業もなくブティックと言われる高級衣料店も存在しない、そしてそこに登場する住人もイタリアの伊達男どころか、袖元の毛糸にほつれがあるような普段着の爺さんや婆さん達が主だった出演者であると言う、非常にローカルで飾りっ気のないイタリアを取り上げている。

 こんな番組の何処が興味あって観てるのかと言うと、その日常があまりにも普通で本当のイタリアの生活を観てるようで嬉しいのである。日本で言う東京の生活だけが日本では無いのと同じように、この何の変哲もない都会の振りをする田舎の町鈴鹿も、同じように日本の一部であり、長野県の山奥に点在する小さな町と同じように、特にとりたって紹介するものの無い町程、異国から見れば新鮮で目新しいものを感じるからんだろう。そして、その番組を見ながら、常に思うのは生活の質について考えさせられるのだ。つまり、そこでの生活には時間の意味が違う、者の価値観も違う つまり人生自体が我々のそれとは大きく異なる点を感じてしまうのである。決して裕福では無いが、それなりに住人達は毎日を満足(諦めの混じった満足?)して、紙に感謝して生活している。時に追われる事もなく、自分のリズムをもって時として自分の若かりし頃を思い出に酒を酌み交わし、その家庭に代々伝わるレシピで作られるイタリア料理を家族みんなでほほ笑みながら食す。僕からすれば、とてもうらやましい生活がそこここに存在するのである。 この番組を観てると、僕の大好きなイタリアが存在する。

 大きく威厳をもったドゥオモもなければ、歴史的に重要な彫刻も絵画もない町。小さな畑から収穫される季節の野菜を大切に保存したりして一年間の家族の糧を育て続ける人達には、飾りっけもなく長い人生に刻まれた深いしわが人生を物語っている。広い世界の中に暮らす一部の人達、何が一番幸せな人生かは人によって感じ方が違うが、こんな人生もあっていいのかなあ・・・と憧れを感じながら観ている。

(あ~ぁ、また面白くないブログを書いてしまった・・・・・)

2011/4/18
気持ちの持ちようによって変わる気分。

 3月11日の大震災以降、日本中が沈痛な思いに包まれ、全体的に暗い、何とも言えない恐怖感でいっぱいになっている状況が続いているが、こんな時には、曇り空の天候ですら人の気持ちを暗く、重くするものなんですね。今日は、天気予報では雨の予報で、地域によっては雷やヒョウ、竜巻などが発生するかもしれないと予報を受けていると、薄暗い外の空模様に、尚の事、心は晴れない。おまけに、黄砂か花粉か分からないのですが、車全体を覆いつくすようにベッタリと覆い尽くすチリを見つめながら、洗車する気にもなれず、フロントガラスにはウオッシャー液とワイパーの筋がキッチリと残ってしまう日々です。

 しかし、今の時期は例年、田植えの準備のためにトラクターが田んぼに入り、田起こし(この字であってるのか?)農家の人は大忙し、そして、次第に田んぼには水がはられて、それまで乾ききっていた田んぼが池のように、満面の水に満たされ始める時期なのですね。この頃はサギ類の鳥も、田んぼのあぜ道に陣取り、繁殖期を迎えるのか気が荒くなり始める時なんでしょう。時々攻撃的な鳴き声を上げては飛び回る姿を目にします。桜の花が散り始める今の時期は、気候も安定せず、天候も晴れたり曇ったり、雨が降ったりと、日々変化の多い時です。

 私達の気持ちの持ちようによって、自然の様子は大きく私達の気持ちまで左右します。また、テレビの番組の話で恐縮ですが、パタゴニアという所で超人的レースが行われたそうで、8日間、道なき荒野や山、湿地帯などをカヤック、自転車、トレッキングで走破するレースの模様を紹介していたのです。日本からも4人がチームを組んでチャレンジしていたのですが、距離にして650Kmをコンパス、GPSと地図だけを頼りに最終のゴールまでの所要時間を競うのです。しっかりとルートが決まっていないなか、獣道や断崖絶壁など、自分たちで目的のポイントへの道筋を決めながら進むのです。チェックポイントに到達したとしても、それで一日のレースが終了したわけではなく、一時間の休憩も無駄にすることなく、不眠不休の連続で先を急ぐこのレース。人間の極限を玉されているような過酷なレースに、食い入るように映像を見てしまったのでした。

 こんな過酷な環境の中、日本人チームはレース途中に一人が肋骨を骨折すると言うアクシデントに見舞われながらも、リタイアすることなく堂々の5位入賞を果たし完走したのです。極限で人間は何を考え、何を思うのか?僕のような軟弱者には理解できないですが、少なくても前向きに物事を考えていこうと言う、とても力強いメッセージを受け取った気がします。 

2011/4/18
デジタル ビジョンの弊害!?

昨日は、昼間は温かくて庭の手入れにはうってつけの日よりだった。最近、体力ないねん!の僕だから、一時間程度、植木の根もとの草を抜き取ったりして、居間のソファーに寝っ転がってテレビを観たりと、一日中、ダラダラと過ごしていた。デジタル放送への切り替えに向けて、世の家庭の大半のテレビはデジタル対応型の超薄型ハイビジョンテレビへと変わっている事と思うが、あまりにも画像が綺麗過ぎて、アナウンサーやテレビに出演する人達の顔面のニキビの痕までが映し出されてしまう。要するに見えなくてもいいモノまで見えてしまうことで、テレビの画面から結構目を背けてしまうことも増えてきたように思う。

 昨日も、ある歴史探訪の番組を見ようとしたのだが、解説に起用された大学教授の不潔(?)なイメージが画面いっぱいに出ていた事と、またもう一人中年女性の解説者の不釣り合いな服装と髪型やメイクに、その番組を観る気持ちが失せてしまった。人の顔立ちについて、どうのこうの言えた義理ではないが、番組を作る側もせめて画面に映し出される映像の管理はしっかりとやってもらいたいと言う番組だった。

 もちろん、ハイビジョンでクリアーな画像で素晴らしく美しい自然の姿や、何処までも澄んだ紺碧の海に浮かぶサンゴ礁の島々など、そのまま壁紙にしたいと思うような画像などは、ハイビジョンで見てみたいものではある。まあ、何でも同じだが、余分な情報はソートして観なくて済むならその方がいい。また、聞かなくて済むなら、それはそれで良い。僕が、年寄りによく説明するのに、「歳とって、今まで散々ぱら世の中の嫌な部分や恐ろしい部分に直面してきて、それらを一生懸命乗り越えてきたのだから、歳をとって耳がとおくなったり、目が醜くなったりするのは、そんな世の中を観なくて済むように、聞かなくて済むようにという計らいなんですよ!」と説得するが、世の中が進歩すればするほど、新たなる弊害はドンドンと生まれてくるんだな~と思っている。

2011/4/15
大震災にゆらぐ日本全土の影響も大きい。

僕たちの地域は、ほとんど地震の揺れを感じない地域に生活をしているが、今回の東日本大震災の被災地では、今なおかなり大きな余震に襲われている。また同時に原子力発電所の問題にも襲われ、気持ちの上で生きていくことに曇りが生じている。これが僕なら、とっくの昔に精神的に大きなダメージを受けてしまっている事と思ってしまう。また、報道機関は、連日連夜、この地震と津波による負債者に関する報道を行っている。その事が悪いのではなく、何も不自由なく生活出来ている我々が、報道される現実の一部を、どう捉えるか?が重要であると思う。

 被災地と同じ気持ちで落ち込むことも正しいのかもしれない。しかし、実際問題、日本全土の意識が沈没してしまう事となったら誰が復興へのお手伝いができるのか?「皆で頑張ろう!日本」のキャッチフレーズは、皆で同じ釜の飯を食おう!では無いはずだ。今の日本は、政府与党の力関係のとばっちりを受けて、一億総弱気人間をつくっているような気がする。もう一つ言ってしまえば。今回の大震災の被災者にとって復興への足を引っ張る要因として、与党も野党も政権奪取しか頭にない。そんなバカばかしい政治家の被害者であるとも言えるのではないだろうか・・・・?

2011/4/15
感情の陰陽。

 最近、とても弱気な自分がいた。何かにつけて弱腰。と言うより気力がない。何をみても、聞いても感動すら感じない。それよりも煩わしささえ感じる自分がいた。特に自分の体調がすぐれない時に大きく関係してきていた。自分はストレスへの対処方法について、多くの本を読んで理屈を理解していた。不安感情のメカニズムも理解して、それなりの対処もしてきた。しかし、いつからか知らないが、極端に色々なマイナスイメージを抱くようになっていた。自分でも何ともしようのないジレンマを感じながら、この泥沼の淵から這い上がる事も出来ずに一人もがいていた。

 こんな時に他者に救いを求めていっても、相手にとっては重い雰囲気が伝わる事によって、関係が疎遠となりがちである。よくよく考えてみれば、何とか救ってあげたいと思いながらも、何とも救いようのない程マイナススパイラルにはまり込んで居る者の傍にいるだけで、その自分も泥沼に吸い込まれそうな恐怖感を抱いてしまうからである。ある意味、冷たい様だがいたし方ない状態なのである。どん底で喘ぐ人を救うために、なまじっか関わることでミイラ取りがミイラになりかねないのである。だれしもが嫌う。

 時が解決する?・・・いやいや、ただ単に放置するだけでは時は解決しない。その問題には、周り以上に本人の意識向上にどんなきっかけを提供できるかが問われる。そして、その内容は人によって、人格によって、その症状の深さによって違う。相手をよく観察し、性格や悩んでいる種を見つけて、適切な言葉かけをする事によって救われる時もある。応援する言葉かけではなく、相手の痛みを理解してあげること。その中で充分に耐えている事をたたえること。充分に戦ってる事を理解してあげること。そこから解決への糸口が見いだされると思う。

 一緒にいても何もしてあげることができないのではなく、一緒にいてあげる事が出来ることが大きな救いとなることもある。と言う事を認識する事が必要だ。人間の感情の陰陽は、皆が当然持っているものであって、特別にその人だけの問題ではない事。痛みを感じて悩む事は普通の人間の行いである事。全てが、特別なケースではなく、いたってノーマルな事である事を相手に分かってもらえれば、それで大半は成功したと言える。


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