『東海から四国の太平洋沖で国が新たに想定するマグニチュード(M)9に近い巨大地震が起きた場合、各地の沿岸を襲う津波の高さは、従来の想定の1・5倍前後に達するという推計を、東京大総合防災情報研究センターの古村孝志教授らがまとめた。
古村教授らは、従来の東海・東南海・南海地震(M8・7)で想定してきた震源域(深さ10~30キロ)より浅い場所まで地下のプレート(板状の岩盤)境界が滑り、M8・9の地震が起きた場合を計算した。その結果、津波の最大の高さは、土佐湾で20メートル、三重県周辺で15メートル、愛知・静岡県周辺で10メートルとなった。
政府・中央防災会議の専門調査会による従来の想定は、M8・7の地震で各地を最大12メートル、9メートル、8メートルの津波が襲うとしていた。』
この情報は今日のヤフーに掲載されたニュースをそのままコピペさせてもらった情報だが、三重県を襲うであろう津波は従来の想定サイズの1.5倍と書かれている。また、別の情報では震源域によっては、津波の到達時間も短縮され、逃げる余裕すら無い場合も想定されると言う。昨年の東日本の大災害を目の当りにしたからか、本当に恐ろしい。先ほど、デイサービス利用者の送迎に加わり、海側の送迎車を運転しながら、穏やかでくっきりと澄み渡った伊勢湾を眺めながら、知多半島がすぐそこに見えるほど、今日は空気が澄んでいるのか、はっきりと半島の全てがみえた。そんな穏やかで平和な状況の中、もしも巨大地震が襲ったら・・・と考えると恐ろしすぎる。
うちの送迎運転手さんには、送迎車を運転する際には、かならずラジオのスイッチをオンにして、もしもの時の緊急通報をキャッチできる体制で運転してください。とお願いしてある。もちろん、運転の妨げになるような大音量でラジオを聞きながら運転することは常識的に認められないことは大前提ではあるが。
とにかく、巨大地震がおこるぞ!おこるぞ!と常に言われ続けている東海地方。今更、堤防のかさ上げ工事や防潮堤の新設なんて間に合わない。こうなってくると、全ては、ここに住む人々の防災意識にかかってくると言っても過言ではない。自分の身は自分で守る。我々のような介護を専門とする者としては、自分の命を投げ出して利用者を救うのか、それとも利用者を放り出して自分の命を優先するのか・・・・?これは、介護職員の全てが抱えている大きな問題である。命を投げ出して利用者を救えば、助かった相手は一生涯、そのギルティーコンシャスに苦しみながら生きなければならない。また逆に、自分の命を優先した者は、救えなかった利用者への罪の意識を背負いながら生きなければいけない。どちらにせよ、結論は出せない大きな課題なのである。
僕は、この課題に対して協議会の中では、自分の命を先ず最優先すべきであると説いている。しかし、これとて、自分の立場に置き換えてみれば、結構、もがき苦しみながら一人でも多くの利用者の命を救おうとするのではないかと思う。そして、その気持ちのベースには、正当制のバイアスと言われる作用が働き、自分は絶対に助かると言う思い込みで突っ走ってしまいそうである。 いずれにせよ、この際、もう一度、職員全体と自然災害に対する姿勢を話し合ってみる必要性はありそうだ!
何の話か・・・?って・・・・この時期の話題と言えば、当然、「宝くじ」の話。
年末、有楽町まで行って購入した宝くじ。 300円が当たったくらいで、また今年も大外れ!
3億円が当たれば嬉しいに決まってる。でも、もしも3億円が当たったらと考えると、ちょっと人生変わってしまう切っ掛けとなりそうで恐ろしい。今の貧乏(?)な生活でも十分満足なんだから、3億円当たらなくって正解かも・・・・と妙な言い訳をこじつけている自分。
今晩、全国の日本国民の中には、少なくても数10人は3億円の当たりくじを手に、ワナワナと興奮の中で過ごしている人がいる。まあ、それは、僕ではない事がはっきりしてるのだから、まあ、関係ない!
毎年、毎年、懲りずに宝くじを買っては、意気消沈している夜なのだ!
2011年、僕にとっても忘れられない一年でした。そんな2011年も、あと三時間少々で終わり、新しい年となります。今年一年、沢山の方々にご心配をおかけして、また色々な支援を頂戴して何とか乗り切ってきました。本当に有難い気持ちでいっぱいです。特に、うちの職員さん達には、いろんな意味で世話をかけました。自分でも不甲斐ない程わがままを言ってきたように思います。これが、一職員だったら許されないような我儘に、黙って理解してくれた職員のみんなに感謝しています。そして、そんな職員のみんなが大切に思ってくれて育んできた「和」が実を結んだのも、今年になってからだと感じます。グループホームもデイサービスも、みんなが協力して、なんとかサービスを良くしようと努力してきた結果、サービスの質も向上したと同時に、職員全体の協調性、相互理解など多くにわたって改善されてきたように思います。
生憎、施設長としての僕が療養に専念してた分、職員自らが考え、前向きに前進してくれた。そんな皆の気持ちが、この施設を とても良くしてくれたと思っています。皆のこの一年の働きに心より感謝し、いつかは恩に報いることが出来る様、僕は新たなる年には、今まで以上の全精力を投入して、職員の皆が更に幸せになれる様がんばるつもりです。
本当に、今年一年、職員を含み、沢山の方々にお世話になりました。この感謝の気持ちを忘れずに、明日からの新しい年の始まりを、自分自身も生まれ変わる気持ちで更なる飛躍を目指して頑張ります。どうか、皆様のお力添えを心よりお願い申し上げます。また、皆様にとって新しい年が、明るく健康で幸多い年でありますようにお祈り申し上げます。
平成23年12月31日
玉田 浩一
今年も残すところ、あと三日となり毎日が俄然慌ただしくなってきました。一昨日のブログにも書いたように、銀行や郵便局には、お年玉を新札の紙幣に交換する人達がいっぱい。大半が一万円札への交換が多く、今のお年玉の相場は一万円の様に見受けられる。僕の子供の頃のお年玉は百円だったように記憶してるが、あれから50年、当時のお年玉の十倍の金額が一般化しているようだ。
沢山の子供を抱える家族には大きな出費である。しかし、少子社会の今、お年玉を出す方の家族も昔に比べると小さくなって、稼げる額も小さくなって当然の様に一人の大人の負担額は大きくなっても仕方ないのかもしれない。私の家庭をみれば、兄妹は一人。子供がお年玉をおねだり出来るのも叔母一人、爺さん婆さんと親の兄妹が少ないので、収益が上がらない。と言う現実的な問題が発生するわけである。
まあ、そんなこんなで、年末のこの時期は何かと物入りな時。自転車操業の親父にはお年玉は苦しいぞ!
クリスマスを終えて、さて、いよいよ年の暮れと言う雰囲気。郵便局を筆頭に銀行から役所まで沢山の利用者でごった返している。昨日も銀行に出向いて、その待ち時間の長さに圧倒されてしまった。長蛇の列に耐えて銀行でやるべきを終え、その足で郵便局へ。郵便局でも長蛇の列。もともと郵便局の窓口は進み具合が遅い。デジタル化されたと言えども、まだまだアナログいっぱいの郵便局の窓口では、一人の利用者をこなすのに十数分を要する。本当にひどいものである。以前、窓口の苦情受付箱に、待ち時間の長さを訴えたことがあるが、今になっても改善されていないようである。
まあ、そんな事はどうでもよい。とかく世の中全体があわただしい! 車の往来も多いが、運転手のマナーもいつにも増して最悪の状況が展開されている。割り込み、ショートカット(コンビニの駐車場を横断する連中。)、無謀な狂騒的運転等など。昨日は、救急車がサイレンを鳴らして交差点に進入しようとする中でも、一般車両が車を停めることなく、普通のように(いや、若干、申し訳なさそうに足早風に通り過ぎようとしている。)当然、救急車も交差点を左折することも出来ず、交差点手前でウロウロしている。免許を取得する時に道路交通法を一部勉強したが、救急車両が近づいてきたときには、その救急車両の進路に関係なく、道路の端に車を寄せて停車することが義務付けられているのではないか??? そんな事は、どこ吹く風。年末の忙しさを言い訳かどうか知らないが、優先順位を全く無視できる社会感情が恐ろしい。
正月は東洋の文化と歴史の中では特別の儀式かもしれないが、そんな正月も、過去の正月イメージからかけ離れてきている。三箇日は包丁を持たないと、おせち料理を準備するのだが、世の中の家庭ではおせちすら作らずデリバリー物で間に合わせる。ピザやフライドチキンや最近では弁当に至るまで、なんでも食べるモノに苦労はしない世の中。正月の一日から、商売人は商売を行い、それに向かって消費者は群がる。当然、車の往来も増える。どうせおせちも作らないのなら、年末にバタバタと走り回って忙しく動き回る必要性も無いのではないか?
なんだか、周りがバタバタするから、自分もバタバタしないと非国民呼ばわりするか????なんて心配に駆られて動き回る人が多いように感じる。年の瀬くらい、ノンビリとゆっくりと迎えたいものである。正月の際まで働き(高齢者の介護)、正月早々から仕事に追われ(高齢者の介護)その間、数日の休日は有るとしても、その為に忙しい時間を大掃除に充てる。一体全体、何のための正月なのか・・・・?わからない。