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ブログ-施設長の部屋

2012/2/2
防災備品を買いだめ!

最近、また地震の恐怖が増大してきている。東海、東南海、南海地震の発生もさることながら、富士山近辺の地殻の動きも気になるところ。巨大地震がこの近辺に発生する可能性が高くなってきているように思う。その中、ぼちぼちと防災に関連するグッズを買い始めて、備蓄在庫を整備しようと考え始めた。取りあえず、飲料水を長期保存できるものを二リットルペットボトルで60本、職員用にヘルメット、自分用に超高級ヘルメット一個(笑)、利用者用防災ずきんを40人分、空の飲料水用ポリタンクを5個、炊飯用の燃料、長期保存可能な電池等を準備した。来月には簡易式発電機を購入しようと考えている。

 そもそも、巨大地震が発生する確率云々よりも、これらの準備は保険のようなもので、使わずに済む方が良いわけで、これらの備品を使わなくてはならない状況の時には、これらの備品にかかる経費以上に重い経費負担が伴うこととなる。おまけに、うちのような高齢者介護の事業は、利用者あっての採算ベース。利用者が居なくては、施設経営自体が成り立たなくなる。

 今回の福島、宮城の東日本大震災の被災地を思うと、巨大地震の及ぼす影響は金銭だけでなく、そこに住む人々の将来設計まで粉々に砕き、生きる術まで奪ってしまいかねない。そう考えると、次に起こりえる巨大地震に対する備えは万全にして、社会資源としての役割だけでなく、ここに働いてくれる職員さんの生活も守れるような対策を取っておかなければいけないと考えている。

2012/2/1
パワーハラスメントに関する定義について

一昨日、厚生労働省から、事業所内におけるパワーハラスメント(以下、パワハラ)に関する定義についての発表がなされた。随分と細かな定義が定められ、おまけに個々の事業所なりのパワハラについて協議し事業所なりの線引きを行うことが奨励された。この件に関して、太陽の家でも職員(デイサービス担当者)と話をした。簡易的な話し合いであって、どちらかと言えば管理者から職員に対して、パワハラの定義を協議してマニュアル化した方が良いか否かについて質問した程度ではあるが、一応は、太陽の家デイサービスセンターの職員の意向としては、今のままで十分であるという判断がなされた。

 質問している場に管理者がいる中では、正直な意見を言えないのではないかと言う事で、一旦管理者は場を離れ、フロアー長に意見の集約をお願いして、その場を去ったわけだが、それ以降、何も言われないことから、特段、線引きをする必要性は無いのかと思われる。

 さて、このような法的な処置を摂らざるをえない社会的環境ってもの自体が本来で言えばおかしい!と私は考える。情報化社会となって、あらゆる情報が瞬時に世界に流れる時代となると個人情報が悪用され、それによる心理的被害の拡大が問題となり個人情報を保護する目的で「守秘義務」が法定化された。その反動と言うか、デメリットと言うか、日本全国、どんな田舎に行っても個々の家庭に表札は無くなり、隣の家の住人まで何をする人で、どんな人かも分からない時代と変わってしまった。それでも、地域密着と称して独居老人の孤独死を廃絶するための地道な活動を民生委員に課しながら、地域連携を保とうとする。先日、北海道の札幌では、障害者の妹を抱える姉妹が生活保護を受けることなくアパートの部屋で餓死?凍死していた報道があった。少し昔になるが東京だか埼玉だったか忘れたが、同じように障害者の息子を抱える母親の2人暮らしの住居で、生活を維持するだけのお金に困り、母親共々息子までが餓死するという痛ましい事件があった事を思い出す。このケースでは、母親が次第に欠乏する食糧や底つくお金の日々を死ぬ日までの毎日を日記にしたためていて、初めて逼迫する日々の実情が後になって分かったと言う点で、社会福祉を学ぶものは必ず講義の中で考える事となるケースであった。もちろん、地域の社会福祉事務所も出来る限りの支援はした事と思うが、なかなか本筋まで到達できない壁に阻まれて、これらの悲惨な被害者を救う事は出来なかった。社会保障は日本国憲法で保障された生存権を、少なからずも守ることが出来なかった参事である。社会保障は、誰でもが公平に受ける事の出来る公的な援助であり、それに対して罪の意識も持つ必要は無いものであるはずが、意外と古い時代を生き抜いた日本人には、他人の世話になる事を遠慮する気持ちが働きがちである。前にもカタカナ言葉の章で紹介したスティグマがこれに相当する。正当な権利であっても公的援助を受ける行為にたいする精神的抑圧感情である。かたや、自己責任で解決できない諸問題の全てを公的な線引きに解決策を求めようとする脆弱性に対し、なんともしがたいジレンマを感じてしまう。

 パワハラに関しても同じような雰囲気で私にとっては、逆に職場の人間関係の希薄化につながっていくような気がして仕方がない。世の中が核家族化し、少子化がその核家族化に拍車をかける現代、少ない子供に接する親の気持ちは過保護に作用し、軟弱でひ弱な子供(これは、私自身の尺度で判断しているわけで、正論と言い切るわけにはいかないが・・・・)のまま大人になり、自分自身の心理的な処理能力も脆弱となる。事業所内での人間関係の維持にも心理的ストレスから逃れることは出来ない今、そのような脆弱な精神状況では、ストレス回避もさらに困難となってしまう。精神的脆弱さは、生きることへ真っ向から立ち向かう力を阻み、乗り切ることを諦め、問題から背を向ける。次第しだいと社会からの孤立化が進み、挙句の果てに集団自殺などの逃げ道を作ってしまう。時代が時代だけに、パワハラの定義も仕方ないのかと思うところはあるが、世界の紛争地帯にすむ人達と比較しても、今の日本人は、世界の中での生存競争に果たして勝ち残る事は出来るのか?と心配になってしまうのである。

2012/2/1
早々と2月になってしまいました。

 最近パソコンの調子が悪く、入力途中に勝手にカーソールが別の場所に飛んで行ってしまう状態が多く発生している。特にギャ行等の小さいャ等が入る言葉を入力する時に多く発生する。その度に、全てを消し去り再入力しなければいけないので、非常に時間がかかり、手間も増える。長年使っているとパソコンも段々と扱いが難しくなる。うちの女房と同じかもしれない・・・・(オフレコでお願いします)

 さて、そんなこんなで、正月気分もつい先日のことながら、もう今日は2月の一日。早いものである。歳を重ねるごとに月日の経過速度は速くなる。残りの命を数えると一抹の寂しさを感じる年ころ、この一日の過ぎ去る速度は、更に寂しさを強く感じさせる訳である。この残り少ない時間をいかに使うか・・・・?大きな課題を背負いこむこととなる。

 一月の末日である昨日、今回の国家試験受験者二名の速報判定を見ながら、二人とも合格圏内の得点を得た事に喜んでいた訳だが、一昨年以来、国家試験への挑戦者が年々増えてきて、今年は2名が受験、100%の合格率、来年は、恐らく3名が受験する事となる。出来れば受験する3名が全て合格してくれると嬉しい限りではあるが、ここでも時間の経過の速さに勉強がt伴っていかない現実に苦悩する姿が存在することとなる。成人となって国家試験などの難関受験ってのは、学生の頃の受験と違い、家事、業務等と並行して勉強をしなければいけない点で、十分な勉強時間の確保が困難となるからである。特に小さな子どもを抱える主婦の場合、子供を寝かしつけてからの勉強は、それこそ寝る間を惜しんでの勉強スタイルとなる。当然一日24時間を有意義に使わなければならない。そんな過密なスケジュールが、更なる時間の経過を早くさせてしまう。

 何時の間にやら50歳、それからあっという間の60歳。なんだかんだと病院のお世話になりながら過ごす70歳。人生はなんとはかなく、わびしいものなの?!

2012/1/30
言葉の与えるイメージについて

 高齢者にまつわる症状の一つに記憶障害があるが、特に著しい記憶の障害を今どきは「認知症」と言っている。その昔には「痴呆」または「ボケ」とも表現されており、それなりに人の尊厳を守る意味からも認知症と総称している。そんな、認知症という言葉のイメージを高齢者に聞いてみた。アンケート調査としてではなく、デイサービス利用者の一部に聞いた程度なので、何の意味も無いが、一様に「ボケ」と言われると腹が立つということであった。 利用者はボケと言われることで「馬鹿にされている」と感じると言う。それに比べて「認知症」の方が受け入れしやすいと言う。 私は「認知症」という言葉は「病名」のようなニュアンスを含んでいて、その言葉自体の重みが「ボケ」よりも重いという解釈を説明したのだが、それに対して利用者は、その道に活きる者として認知症を病名的イメージでとらえてしまうからではないか・・・と解釈された。

 認知症は病名ではなく、その状態を指す言葉なのであって胃潰瘍や癌とは違う。しかし、私自身、認知症という診断がなされたとしたら、それこそ受け入れに時間がかかりそうな気がする。まあ、認知症だけに限らず、高齢者に、特にデイサービス利用者を表現する言葉についても話を聞いてみたが、あまりにも馬鹿丁寧な言葉、例えば「ご利用者様」などには、歯の浮くような白々しさを感じると意見が圧倒的多数であった点も面白い結果であった。

 高齢者福祉施設として、利用者とどのように接して行くのか?これは永遠の課題で有る。馴染みの関係は、互いの言葉を乱雑にしがちであり、その乱雑さがいい加減な介護に結び付きやすくなるだろうし、逆に馬鹿丁寧な対応では介護者の方から利用者との間に高くそびえる壁を作ってしまう事となり他人行儀な冷たい介護になりがちではある。介護保険を利用して利益を追求するビジネス的介護も、ある一定水準の介護の質を維持するには適しているかもしれないが、それ以上もそれ以下も無い。安定的福祉サービスの提供としては十分な役割を全うしているが、果たしてそれで人間は満足するのか?という疑問がわいてくる。

 いずれにせよ、濃厚な人間関係の中には、感情のもつれやトラブルが発生しやすいデメリットを抱える事となり、逆に平均的安定した質の介護の場合は、希薄な人間関係の中で生活しなければいけないデメリットが存在する。高齢者介護はヒューマンサービスである。適度な人間模様を維持しながら、虐待も拘束も人権の尊重も守りながらサービスの提供を維持して行く事は、非常に難しい作業である。

2012/1/27
オナラのはなし

うちのペットは、人間様と同じ生活をしている。食事こそペット専用の食事ながら、それ以外は私がくつろぐソファーの上で、私のパジャマを引きづり下ろして、そのうえで丸まっていたり、時々洗濯物を取り込んでたたんで置いておくと、それをひきづり下ろして咥えて遊んでいる。いくつソックスを台無しにすれば気が済むのか・・・・ヨダレと歯で汚して、噛みちぎって、それはもう・・・・大変な事をしでかす。

 そんなペット達も一日の終わりころには、酔っぱらってソファーで寝そべる私の傍らに飛び乗ってきて一緒に居眠りをする。安心するのかイビキまでかいて、おまけに不用心にも腹を上に両足は力なくダラリと広げて寝ている。そんな彼らも時としてオナラする。

 「ぷ~っ」・・・・・そんな自分のオナラの音に驚いて彼らは飛び起きる。平和な連中や!


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