上京していつも思う事。それは、都心部の艶やかな世界と、一歩離れた地域との格差に急激に現実の世界に引き戻される気がして、とても寂しい感覚を持って帰りの新幹線に揺られてくる。東京の都心部は虚構でも幻想でもなく、現実の姿として存在はするが、あまりにも綺麗すぎる。ってことなのか?!? 僕の東京の友達は、そんな幻想的な生活をおくっているわけでもなく、僕たちと同じような毎日の生活をおくっている。でも、なんだか違うんだなァ~
そっか、言葉が違うのか・・・?! 僕は三重弁丸出しの言葉で会話してる割には、出来る限りスマートに、出来れば都会的に振舞いたいと無理な努力をしながら、上京した時は特に意識的に振舞っているようだ。結果として、いつまでたっても他所からの訪問者から抜け出すことが出来ないでいるのかもしれない。同時に、都内での生活は、普段の自分の生活からかけ離れた次元で、時を過ごすのだから、尚の事、自分自身は、俗に言う「浦島太郎」のような、夢の世界に酔いしれた状況を作り出してしまっているのかもしれないな。
でも、今回の訪問先は大井町という地域で、いたって庶民的な街で、繁華街と言う場所も、全国何処に行ってもあるような普通の居酒屋や立ち飲みの店などが溢れる、言ってみればとても大阪っぽい街なんで、それこそ六本木や赤坂とは、まったく異なる庶民の街と言える所でも、やはり僕の住む世界とは違う匂いがした。夜の明かりの量なのか、通りを行き交う人や量なのか?本当に良く分からない。危なっかしそうな店でも、堂々と営業して、その前を普通のアバちゃんやオッサンが買い物かご下げて歩いている。普通の生活が共存しているからこその情景だけど、その点で、東京と田舎の違いは歴然としているのかもしれない。
まあ、兎に角、東京から新幹線に乗って、品川をすぎ、多摩川を超えて新横浜むけて走る。高層ビル群が、次第と低層ビルに変わり、その内に一般住宅の量が増えてくると同時に、未舗装の部分が多くなってくる。新横浜駅も海側(名古屋向け進行方向左手)から見える駅周辺の情景は、大都市横浜とは思えない、砂利を敷いた駐車場があり、民家あり、倒れかかった錆びたフェンス有りと、本の数十分前までのゴミ一つ落ちていない都心部の情景から比較すると、とてもじゃあないけどメリケン波止場や中華街で賑わう横浜とは思えない。
都会がすべて良いわけではない。でも、これほど現実に格差があると、若い人が現実の世界から逃避したくなる気分、良く理解できるような気がする。
今月は順調にブログ更新を実施してたにもかかわらず、少しのお休みをもらってしまいました。昨日まで二日間、東京の会議に出席していたこともあって、ブログ更新が出来なかったのですが、これとて言い訳にはなりません。以前なら、パソコン持参で上京してたのですが、最近は一泊程度の出張の場合、下着とカッターシャツ程度の荷物をブリーフケースに入れて行くだけの、超コンパクトな旅行に切り替わってきました。軽装の旅行は、手軽で良いのですが、分厚い資料などが配布されると困ってしまうこともあります。今回の出張では、それ程の資料もなく、とても軽く、移動するにも気を使わずに、とても楽な旅となりました。
以前は、以前は旅行用ローリーとか言う、ゴマ付きの旅行鞄にびっしりと荷物を詰めて、カバンを片手で引き歩いていましたが、これって意外と都心部では邪魔になるのです。都内で移動するにも、歩道には沢山の人が歩く環境の中で、自分自身プラスアルファのスペースが移動するわけですから、それこそ 大勢の人の中では邪魔になるのです。時には、足を引っ掛けて転びそうになる場面もあって、楽な割には余分な神経を使います。
さて、以前のカバンの中身についてですが、自分の服装に対するこだわりとして、色のコーディネートを大切にしています。つまり、カッターシャツの色とタイの色、靴、ベルトとパンツのスタイルと色と、いろいろなコーディネートに神経を使います。(そんな拘っても、誰も見てくれないよ!と女房には笑われますが・・・)ですから、出発時のファッションと帰る時のファッションは違う物を着用するために、たった二日ながら色違い、柄違いの2セットが必要となるんです。靴からベルトからジャケットまで・・・それはもう、一昔前の船旅のごとく、家じゅうの服をクローゼットから引っ張り出して、あれやこれやと考えあぐんだ結果を数セット、カバンの中に入れて行くのですから、カバン自体も大きくなります。
しかし、前にも書いたように、そんな大仰な旅行姿にも、そろそろ疲れてきて、最近では、色のコーディネートを中心に、ジャケットやパンツは同じもの、シャツだけを交換する状況に変わってきました。お陰で、旅が楽になり、その分、自分自身の気持ちにゆとりができました。身軽なことは良い事です。
ところが、どっこい、そんな身軽な旅も帰る頃には、事業所の各部署へのお土産で、大きな紙袋を持つ事となるのです。いつも思うのですが、このお土産さえなくなれば・・・しかしねえ・・・僕の不在中に事業所を守ってくれている職員さんには、多少なりとも感謝の気持ちを提供しないと・・・・と考えると、お土産を買わざるを得ない。そんな現状です。
以前のブログで、僕は、認知症と言う言葉に響きに病気をイメージすると書いた事がある。医療モデルと生活モデルの観点からみても、最近では年寄りを含めて社会的に認知症が話題に上がることも多く、この言葉自体は、社会的な認知を得たと思う。そして同時に、認知症は、独り歩きして、年老いて物忘れが見受けられる頃となると、大半は「認知症」と診断される傾向にあるのではないか?と思う時がある。
それと逆に、明らかに認知症の症状である周辺症状が出現しているにも拘らず、それ相当の評価を認定されない要介護度判定も実在し、まだらでありながらも超不安定な精神状態を呈する要介護者も存在する。正当な要介護認定を受けることが出来ないと、介護保険サービスの利用に制限を受け、その分、家族介護の量が増加し、家族が受ける負担は計り知れない。
同じ要介護度の判定を受けている要介護者をみても、抱える問題はバラバラである。認知症専門のグループホーム入居者を見ても、今の要介護度認定は身体的な障害に多くの視点が向けられているように思える。かなり改善されたとはいえ、認知症の分野における認定調査は、調査員では難しいのかもしれない。その理由に、認知症の諸症状は、第三者が関わる時に限って、安定する傾向にある。誰しも、他人さんには本音を出さない、また、余所行きの自分を出そうとする。もちろん、認定調査員とてプロである。色々な方向から調査対象者を試そうとするが、そこは、人間心理、巧みに高齢者も自分自身を繕って対応しようとする。
高齢者の要介護度を判定すると言う難しさは、誰しも言うように非常に困難を極める。家族や介護者に夜間の状況などを聞き取り調査をしながら、影の部分をしらべる。しかし、それとて万全ではない。多少なりとも家族や介護者の主観や目論見も混ざってしまう。短時間の接見で、その人を見ぬくということはとても難しいという現実。そして、真実が伝わり難い現状。また、同時に年齢による物忘れに対しても、認知症と言う言葉で片づけてしまいがちな点。共に矛盾する作業を我々は、慎重な顔して実践している。
そんな労力をかけて意味の無い(?)調査、認定審査、認定を繰り返すよりも、年なんだから物忘れもあるよ!と片づけてしまう方が現実に沿っているのではないか?そこで、認知症と言うよりも「ボケてきた!」で笑って済ませる方が、年寄りにとっては生きる重荷にならないのではないか?と考えるのである。
ガキの頃に数本の虫歯治療を行って以降、大した歯の治療の必要も無く今までこれたが、この歳になるといよいよ歯の治療が必要となってきた。今年に入って、左上の奥歯に痛みを認識し始め、その都度、歯医者に行っては痛みを訴え続けてきた。私は根っからの小心者で、痛みに対して非常に弱い。こんなものくらい!って歯科医師に笑われるような症状にも、痛い!痛い!と繰り返し言ってきたが、ここに来て、夜も寝れない程ズキズキと痛み始めた。
予てより、痛みがひどいようなら神経を抜くしか手立ては無いと言われていたこともあって、今日は朝から診療予約を入れて受診する決心をした。決心と言うと、神経を抜くと言う決断となるわけで、診療台に座るや、麻酔を打たれ、あれよあれよと言う間に歯を削られ、麻酔の効きが悪いと、追加の注射をして・・・と大騒ぎ。診療中も歯科医師や助手と話を続けたため、喋りすぎ!と叱られ、トホホ…・恐怖感をごまかすため、しゃあないねん!と一人思いながらも黙って治療を受けた。
治療には、さほどの時間はかからなかったものの、やはり麻酔が効いている状態だと、口に違和感を感じ、食事するにもいろいろと不便なことが多いものである。食べたものが口からこぼれる!まず、これが一番大変。次に、痛くない部分まで重い感覚で、余計に全ての歯が痛みだしたような気になる。やはり、健康って大事だ!と改めて感じた歯痛だった。
今日から太陽の家では、海外からの研修生を二名受け入れている。以前、介護職員としてペルー人を雇用していた時も、それなりに異文化の交流があったが、今回はブラジル人の研修生である。まず、大きい! 日本人とは違って体格が良い。食生活が日本と違うせいか、体のつくりが違う。そして、考え方も違う。顔立ちは日系人だけあって、日本人風の顔はしているが、それも、人物全体から醸し出される雰囲気は生粋の日本人とは異なる。何が違うのか、はっきりとは言えないが、やはり根底に存在する考え方の違いが、そのまま態度や行動に違いを生じさせているように思う。
そんな研修生と一日過ごして、終わりがけに反省会と意見交換会の場を持った。もともと短期間の研修と言う事もあるので、利用者の全体像を把握して介護することは困難であるので、表面的な傾聴を中心とした介護を実践して頂いた。入浴介助の現場にも立ち会ってもらったようだが、それなりに感じることは多かったようだ。
利用者の皆さんも毛色の違った研修生の訪問で、皆さんが余所行き言葉で応対をしていたのが笑える。皆さん、それなりに笑顔で、根掘り葉掘り、時折、大阪のおばちゃん的図々しさを発揮して、年齢やら結婚やらと質問をしていたが、意外と皆さん、利用者の方々は楽しそうであった。特に面白かったのは、重度の認知症を患っている男性利用者さん、普段だと職員に抵抗ばかりしている人なのだが、今日の研修生の片言日本語の語りかけには、終始苦笑い。言うこともちゃんと聞いてくれている。と言うと、普段の拒否ばかりの行動って、確信犯なの?と疑ってしまう。まあ、認知症って、そんなもんだ!と・・・・
うちの職員も、物珍しそうに接していた。特に言葉が変になってしまう傾向になりがちだった。相手が日本語を理解できないのではないかと言う心配からか、ちょこっとカタカナ言葉を交えたり、身振り手振りで話をしたり、特にゆっくりとはっきりとわかり易く説明しているリーダーが印象的だった。まあ、時には、こんな研修生を受け入れてみるのも変化があって、ちょっとした息抜きになって良いのかもしれない。そんな感想を抱きながら苦笑いする私だった。
そう言えば、最後の意見交換会で研修生が、朝礼で私が職員にミスに対する注意をしてた姿が恐ろしかったと言っていたが、本当の私を知らないな!と思いながら、ちょこっと悔しくて腹立たしい思いでいたが、内心では「日本人男性の本当の優しさは、外人のお前らには分かってたまるか!」と一人でぼやいていた。