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ブログ-施設長の部屋

2012/4/21
家政婦ロボット”ミータ”

今日は久しぶりに朝夕の送迎に加わった。朝は8時5分前に出発、順調に予定する利用者をお迎えに上がり、午後の4時半より、朝とは違った顔ぶれを乗せて個々の自宅までお送り。ちょうど一時間を要して、全員を無事に送り届けて、安どのため息。送迎運転手って結構疲れるんだ。だってさあ、車を運転してる間中、交通ルールを厳格に守る以上に、自動車教習所で運転を習う時と同じような運転をするんだ。直線道で障害物があるときなど、進路変更のウインカー、元に戻るときのウインカー、交差点で進路変更するときは、進路変更する3秒前にウインカーを出して、後方確認をして進路を変えるんだ。おそらく、今でも、自動車教習所で一発合格できるほど、運転は交通法規に従って運転できてると思う。

 さて、話は運転のことではなく、全員を下した後、安どのため息をついて、さて、ここからは自分ひとり。FMラジオのボリュームを上げて、適当に音楽を聴きながら帰り始めた。すると、その局から面白いトークが聞こえてきた。一人芝居なのだが、家政婦ロボットミータを相手に男がいろいろと用を言いつける話。スイッチオンすると、毎回必ず、自己紹介から始まる。

「おはようございます。家政婦ロボットミータです。」(夕方なのに、おはようございます。は変だけど・・・)

そして男は、はじめてのミータに年齢を聞く。「お歳はいくつですか?」するとミータは

「女性に年齢を聞くのは無粋です。気分を害したのでスイッチオフ」ってな具合でロボットが勝手に自己判断でスイッチを切ってしまう。男はあきれ果てて、それでも剥きになって、すぐにスイッチオン。次は、年齢は尋ねずに、仕事を言いつける。洗濯をしろ!と命令する。するとミータは、汚いパンツ!と言って、また勝手にスイッチオフ。掃除しろ、特に拭き掃除をしろと告げると、手が荒れるからいやだ!といってはスイッチオフ。料理を頼めば、カップめんしか出さない。文句を言えば、またスイッチオフ。

そんなオン・オフを繰り返し、それではミータは何をしたいの?と聞けば、「今日はお休みにして下さい!」と言い残してスイッチオフ。

 なんだか、うちの嫁さんとの会話のような気がして笑えてきた。

この番組、くだらないトークに合わせて、昔のロックを流す番組。ギターが踊り、しゃうとするタイプのギンギンのロックを聞かせてくれる。。言ってみれば「ノリノリの番組」。 僕は結構気に入ってしまった。特に今日の家政婦ロボットミータのトークは面白かった。笑えるし、気分が軽くなった。

 ちょうど車が駐車場に到着したとき、同じ送迎運転手さんが別の送迎車で帰着。僕の車の横に停めながら、聞こえてくる大音量のロックミュージックに目を白黒。家政婦ロボットミータみたいな女、結構その辺にいっぱいいそうで怖いよね!

2012/4/21
豚まん食べるブタMAN

太ってる奴ほど高カロリーの間食をする。どう~しても食いたくなるブタまん。十分お昼ご飯も食べているにもかかわらずコンビニに寄ると食べたくなる。そりゃ~痩せやんわア~と自分でも嫌になる。

しかし、よくよくブタまん食べながら周りを観察していると、太ってるブタほどハイカロリーなモノを食べたがるようである。しかし、ブタまんって商品名、何とかしてほしいよね! セブンイレブンさん!

2012/4/19
守秘義務という権利擁護について

いつの間にやら日本中で個人の情報管理について、とても厳しい統制を必要とする社会となっていた。インターネットなどの電子媒体の普及によって、個人情報の悪用や影響に歯止めが効かない状況が増加したことと、情報の漏えいによって被る精神的負荷に個人が耐えられなくなってきたことも、大きな要因となっているのであろう。確かに、自分自身はもろく、崩れやすい、弱い人間である。強きを装いながらも、社会全体から総スカンを食らったとしたら、それこそ胃に穴が開くほどの精神的苦痛に悩むのではないかと想像される。ネット上の個人攻撃、根も葉もない誹謗中傷の類に、平然と平静でいられる人は少ないと思われる。だからこそ守秘義務が、何につけ取りざたされ、社会的コンプライアンスとして厳格な目をもって、我々の社会自体を監視するようにも思える。

 さて、その中で、今、話題の男性三人を金銭的に利用した挙句に練炭自殺と見せかけて殺害する。という容疑者の裁判員裁判が行われた。そして、その100日にも及ぶ裁判員裁判は、毎回、たくさんの傍聴人が入れ替わり傍聴しながら、徹底的に審議が行われた。別にこの事件に限らず、刑事裁判は一般の者でも傍聴を希望すれば、裁判を傍聴できる。それも何の条件も制約も受けることなく、傍聴希望者の多い場合は抽選で傍聴人が決定される。

 このように、いうなれば誰でも容疑者の犯した犯罪の全容を傍聴席で体感できる場が存在する。容疑者の顔どころか、細部にわたる個人情報が加害者側も被害者側も公の場にさらけ出されるのである。言っておくが、僕は今だかって裁判という場に出た経験は、交通違反をして簡易裁判という場で反則金を決められた程度しか持ち合わせていないが、どうも納得がいかない点として、これだけ守秘義務が叫ばれながら、犯罪という特殊なシチュエーションを、何の関係もない人間が傍聴する権利は、守秘義務よりも勝るのか?という疑問である。と同時に、それほどのアヤフヤな守秘義務の定義に対して、それらを盾に表札をあげない家が常態化し、回覧板さえ受け取りを拒否し、自治会活動の参加を拒否するのか?大きな疑問を抱えている。地域密着という名の連携の輪と、地域協力を得ながらお互いを支えあう。そんな理想郷を目指す方向性にある高齢者または障害を持つなどの弱者救済の現場で、隣の人は何をする人ぞ!?では、理念と現実に乖離がみられる。

 裁判を公に(一部ではあるが)することで、犯罪に対する抑止力を養成するという目的性を持たせて、同じような事件を起こさない!ためにも必要不可欠な制度と考えられているのかもしれない。しかし、それならば、元からの個人情報なんてのは何なんだ? 銀行の口座番号や所得額や資産などの詳細について公にする必要性はない。しかし、どこの誰で、何をする人か!程度の情報が独り歩きすることが、そんなに大きな問題なのか?僕には、これら個人情報の管理自体に許容範囲を超えた行き過ぎが存在し、その結果が、冷淡な事件の多発やあまりにも簡単に人が殺されてしまう今の時代の恐怖につながっているように思える。過剰な個人情報保護意識の蔓延は、先に書いたような人の死を安易に考える事件の発生と表裏一体の問題を抱えているのではないか?と危惧している。

2012/4/18
モノには「旬」というものがある!

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物事すべてに「旬」と言う状況が存在する。旬と言えば、その時々の季節の野菜や果物をさして、一般的に使われる言葉ではあるが、その旬。人間同士の交流の中にも旬が存在する。たとえば、背中が痒い!と言うとき。(例えが悪いか・・・?)、もっと適切な説明をするならば、僕の経験談の一つに、その旬を逃した出来事のひとつ。そのことをお話ししたい。

 僕が日本福祉大学に学んでいる頃、東京の代々木でスクーリングがあった。僕は一学生として、この代々木のスクーリングを受講していた。この代々木のスクーリングは、全国で開催されるスクーリングの中でも一番規模も大きく、受講する生徒も多いのが特徴であり、当然、全国津々浦々からの生徒が集まってくる場である。集まる生徒もマチマチ。学生とは思えない強者もいれば、僕のようなヘナチョコ学生風中年もいる。まあ、それでも、僕は、どこに行っても、図々しさが売り! 日福の中でも結構活発な活動を行っていたおかげで、教授陣には面識も多く、いろいろと可愛がっていただいていた。まあ、もちろん、こんな僕よりも強者がいると書いたが、そんな強者の一人と知り合い、そのお蔭で学生同士の輪や教授との馴染みも拡大させてもらったという幸運も持ち合わせいる。話はそれるが、コヤツは女性でありながら、とんでもない輩で、怖いもの知らず。どんなところでも、僕よりも図々しく入り込んでいく。おまけに頭の切れは、流石と言わざるを得ない。そんな輩である。僕よりも一年先輩でさっさと社会福祉士の資格を取得し、その翌年に僕も資格取得。そして、その翌年には(2年後)には精神保健福祉士の資格も一発で仕留めた輩である。それでいて、その資格を持って、障碍者のボランティア支援を行っているという変人。(まあ、だんだんと、話題がそれていくが・・・)ともかく、そんな、東京のスクーリングってのは、僕にとって素晴らしい未知との遭遇、新たなる出会い、そして新鮮な刺激と多方面で得ることも多く、とても充実した学びの場であったことは事実である。

 さて、その代々木のスクーリングの最終日のひるごはんの後。僕は一人でたばこを吸いながら、代々木の会場の喫煙場所にいた。そこに、今回のメインの講師である教授が通りかかり、僕は教授に会釈し、少なからずご挨拶をした。すると、経済学と福祉施設運営の両面を取り入れた講義を専門とする教授が、そんな僕を夕食に誘ってくれたのである。突然ではあったが、僕の名前を憶えていてくれただけではなく、夕食でも一緒にしますか?とお誘いを受けたのは、とてもありがたく。授業では聞けない部分など、いろいろなお話を聞かせてもらえる場として、それこそ、のどから手が出るほどの幸運に躍り上った僕だったが、ちょうどその時、僕は、同時刻にアメリカ時代の友人と夕食をとる予定で、麻布のイタリアンレストランに予約を入れていたのである。教授には、とても残念ながらと言う理由を告げて、丁重にお断りをした。

 流石に日福の教授だけあって、そんな事で怒ったりはせずに、笑って「じゃあ、また次の機会に・・・」と言ってくれた。が、しかし、それ以来、その教授と何度もお会いする機会はあったにもかかわらず、お誘いは二度となかった。僕は、旬を逃したのである。

 物事には、その時!という旬がある。その旬とは、言い換えれば、その人に与えられた「幸運のカギ」なのだ。飯を食う!その行為ではない。その時の教授の気持ちを大切に考える。好意を無にしない。そのことで、どの様な幸運が待ち受けているかわからないが、そのカギを握って進むことで、人生にとって何かの変化につながったかもしれない。と僕は考えている。教授について行って、食事の場に同席させていただくことで、そのスクーリングに参加していた外部講師の先生や学校関係者との交流も広がったはずである。現に、僕の友人の強者とともに、日福の一番人気の医学概論の教授のお誘いに乗り込んで、京王プラザの韓国料理店で焼き肉をごちそうになった。その時にも、外部講師たちや学校の事務局と同席して、いろいろな角度からお話を聞かせていただいた経験がある。

 まあ、人間、どこにどのようなチャンスがあるかもしれないが、チャンスは待っているだけでは来ない。自分で捕まえ、それを自分の都合に合わせて調理できるような手腕をもって料理することによって、はじめてチャンスをモノにしたというえるのではないかと思う。

 

2012/4/18
東京都尖閣諸島・・・?!

流石というか、あっぱれと言うか、ハチャメチャと言うか・・・・石原都知事が尖閣諸島を東京都が購入すると言い出した。いろいろな思惑は潜んでいるとは思うが、この報道に笑いが込み上げる。・・・・・いやいや・・・・決して馬鹿にした笑いではないですぞ!逆に尊敬に値する発言で、その勇気に敬服するほど。ちょい前の近所の市長さんが南京大虐殺で波紋を呼んだのとはレベルが違う。ああだ~こうだ~!ときれいごとを並べ立てた挙句、次の日には発言をひっくり返して原発推進を認めるどこかの大臣とも大違い。良くも悪くもはっきりと方針を示す点では、今の日本を動かす政治家には無い部分である。

都民の税金を使って、まったく遠く離れた無人の島の権利を買うことの是非は別問題として、この作戦を実行したブレインは、素晴らしい。そして、そんなブレインを従えた政権が天下を取った場合は、逆に恐ろしい場面も発生してくる。いわゆる恐怖政治と言われるもので、独裁的政治がはびこる可能性も無きにしもあらず。すべてにバランスよく、国民の平和と安心を軸に政治を行ってくれる人はいないものだろうか?


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