韓国と領有権を争う竹島、中国とは尖閣諸島、ロシアとは北方領土。島国の日本は国としての領域の線引きが非常に難しい地理的要素を抱え苦悩している。オスプレーの配備ではアメリカと安全性の面で不協和音が響いてくる。8月15日、67回目の終戦記念日を迎え、テレビニュースの街頭インタビューに96歳のかくしゃくとした女性が答えていた。「もっともっと、話し合わなければ・・・」
それこそ榎本博明氏の「すみません」の国という本に書かれているとおり、ホンネとタテマエの二重構造の国、日本らしくその場を無難にしのぐために真実の追及や責任の糾弾を良しとしない国民性がそのまま表面化しているようである。日本の外交政策は自民も民主も同じ。主義主張が違っても国民性は同じなのか???と笑えてくる。
そんな二重構造の社会が、ファッション、食品や生活文化の欧米化に伴い、日本古来の文化が崩壊しかけている。中国の活動家の尖閣諸島への上陸に次いで、今度は日本の地方議員達の上陸騒動。中国の反日感情に油を注ぐ形となった一部の日本人の行動ではあるが、このまま直接戦争に発展する危険性は少ないというものの、このまま感情のもつれを放置したままの国際関係に、海外旅行、特にアジア圏への旅行に多少の不安が伴うよね。韓国歴史ドラマにはまり狂って、一度は韓国の文化財を訪問してみたいと願っている僕には、とっても不安な要素ではある。
過去に起こった不幸な出来事。人間生きる上でいろいろな場面、状況に遭遇し、それらのすべてにベストを尽くし、つくし切れない不幸に対する決算と言うか、清算を如何につけるか・・・その点が思いの外難しいのが人間であるようだ。
介護保険財政が破綻しかかる状況が近くなると、と言うわけでもないだろうが近頃は「自立支援」を大きく叫ぶようになった。その人が在宅で、それまでのように普通に暮らせるように支援するのが自立支援の一つの目標でもある。財政事情が潤沢(潤うまで行かなくとも)でサービス量が乏しい場面では、施設入所で介護負担の軽減を目指していたが、これだけサービス量が増加することで、それらすべてのサービス量を補えるほどの財政力がなければ、当然のごとく事業所への給付額を減額するか、サービス利用を控えさすか、いずれかの選択肢を考えるのは安直ではあるが理解できるステップであろう。
先ごろの情報では、福祉関連事業の中でも通所介護事業所がダントツでサービス供給量を増加させているらしい。次いで訪問介護事業所が抜きんでているようであり、この状況にはその内に行政サイドから何らかの変更や改善のメスがはいるだろう!と情報筋は説いている。
まあ、そんなキナ臭い話題ではなく、純粋に自立支援にむけて、我々介護を担う者たちが何ができるかを考えてみたい。
自立支援と言えども、自立を促す前に本人並びに家族の要望も精査しなければ、やすやすと自立支援の掛け声に乗せられる訳ではない。そして、それに合わせて直接処遇者である介護職員の質的要素も考慮しなければいけない。つまりは、そう簡単に号令に従い右から左にと方向転換は出来ないというわけである。もちろん、現実問題として、我々事業者としての「できません」は、そのまま事業継続を認めません!になるだけで、何としても資質の向上とスキルアップは達成せねばならない。従って、いつの日にか、我々通所介護事業所向け行政の指針が入り込むときには、悪戦苦闘と介護職員への過剰な指示と教育を已む無くされてしまうわけである。
さて、それでは在宅生活を可能とする自立支援とは、どのようなことを必要とするのか?そこには、第一回の介護保険制度の見直しの時に慌てふためき、事業所の頭を悩ました「筋トレ」のように、冗談抜きで死に際に花を咲かそうとする爺さん、婆さん相手に筋力アップのトレーニングを検討しなければいけなくなるのかもしれない。そろそろ老人の域に入ろうかとする自分自身でさえ、健康管理のためにジムに通うことを真剣に考えながらも、未だに達成できていないのに、この僕をはるかに上回る年齢の人々に、さっさと筋トレを施して大丈夫か?と問いたくなる。
それでは、筋トレに楽しみを加えて、参加することに意義があるオリンピック理念を採用して、やったふりして時間だけ費やすことで何の自立支援ができよう・・・。音楽を採用して、口腔体操を兼ねて、ついでに生活不活発病とストレス発散をもくろんで、毎回のデイサービス利用時にはカラオケを施す。ついでに何をすればよいのか分からないので、レクリエーションを採用。レクに機能訓練を併せ持たせれば一挙両得!とばかりにレクを始める。介護を受けに来ているのか?暇な時間をつぶしに来てるのか?自立した生活のためにトレーニングに来てるのか?どんな目的を持って通所介護を利用しているのかも分からない。そんな通所介護事業所は、どんどん勝手に潰れていきなさい・・・とばかりに面倒は見てくれない社会。
さあ、私たち太陽の家が、個の事業所を選んでくれている要介護者のために何をしてあげることができるのか?これを機会にもう一度本人の希望、家族の希望を確認しながら可能なサービスを検討することから始めてみたらどうか?!
レクの幅が狭いやら道具を持ち合わせていないやら、出来ない理由づけばかりに目を向けず出来ることを考えることをはじめないと、いよいよ行政の施策が変更されてからでは遅すぎる。
介護保険制度は両刃の剣である!良い部分も悪い部分もある。これは制度が悪いのではなく、使う側の考え方に依存する部分で良くもなれば、悪くもなる。そのような両局面を持ち合わせている。同じようにバリアフリー構造も両局面を持ち合わせている。何度もブログで書くように、制度利用が生活環境をよくできる反面、制度利用が利用者の依存心や甘えを助長するデメリットをもっている。バリアフリー構造は、足を上げずに転倒の危険性なく歩行できる反面、その楽な歩行姿勢を継続することで筋力の低下を招き足の上げ下げに支障をきたすケースが最近多い。
通所介護サービスを長年実践するなかで、最近特に身体的能力に低下をきたしているように感じる。福祉用具レンタルが安価に実施できる環境は、車いす利用を促進し、必要以上に歩行不能な高齢者を作ることとなり、スリーモーター付き電動ベッドの改良により、自分で寝返りを打たなくても良くなり、重度な寝たきり高齢者を生んではいないか?!
なんでも便利になることは素晴らしいことで、不自由だった障害を乗り越え、健常だったころに近い生活に戻すこともできるようになり、障碍者にとって福祉用具の利用は、自分の足や手を取り戻すことに等しい快挙であることに違いはない。しかし、こと高齢者の生活にとって、これらの便利グッズがどれほど効果をもたらしているのか?疑問と思える個所が多いのは私だけの思いだろうか?
自立支援が大きく叫ばれる中、自立支援を促進するための道具によってさらなる介護負担が増える社会を、私たちは無意識のうちに突っ走っているのではないかと思う。
※ このコメントは、実際に福祉用具を利用している高齢者に対する偏見でもなく、利用を阻止する意図もないことは理解していただけると思うが、完璧な福祉国家を目指す我々が、その便利さゆえに自らの生活維持能力を奪ってしまうのであれば、考え者であると感じている。この点をサービスを提供する側、つなぐ側(ケアマネ等)と受ける側が、しっかりと考えて実施しないと不幸なのは利用者本人という状況となる。
世間全体がお盆休みだというのに、私はデイサービスの送迎運転手。今日も朝一番の8時から送迎1号車をあやつり海側地域を担当。無事に最後の利用者宅まで到着!
が、しかし、ここで私の不注意による車両スタック。ヤッバッ!と思った時には既に遅し!左前輪がフレームまでズブズブと沈んでしまい、それほど悪あがきはしていなかったが、後輪の両輪もタイヤ半分が埋まる状況。昔は四輪駆動車で悪路走行が大好きで、ジープを含め四駆三台でいろいろな所で遊んだものだが、仕事中に車両スタックは初の体験。至急、事業所に電話連絡し、代替車両を要請し、利用者をまずは事業所へ搬送。後に大型送迎車輛を持ち込み、四駆時代に使いこなした牽引ロープとシャックルを使って救助。
四駆時代には雪でも泥でも、どんなスタックも一発で救出し、どんな状況でも救出には自信はある。車両重量2トン半を超えるランクルでも一発で救い上げることができる。と自信たっぷりに大型送迎車量に乗り込み、トウロープを板バネにかませ、シャックルでつなぐ。車両をゆっくりと動かしてみて無理なら、少したるみを持って急激な衝撃を加えることで、恐らく何の苦も無く上げることができるだろう・・・一番怖いのが、救助の車両が周辺のぬかるみに足を取られて二重のスタック。出来るだけ舗装路を使っての救出を心がける。場所が狭い路地の中、周りには民家のブロック塀。下手に急加速して無理強いすれば、ブロック塀に衝突も考えられる。
何だかんだ思いを巡らしながら、特に何も問題なく車両救出劇は終了。跡片づけをして、タイヤで荒らした土地の所有者に詫びを入れ、朝からとても重労働と嫌な汗をかいたスタートとなった。 今後の教訓として新規宅地造成したばかりの地盤は、甘く見ると恐ろしいということを身を持って体験した。と言うわけである。
西日本に局地的大雨の予報通り、今日の午後から雷まじりの大粒の雨が降ってきた。デイサービスの帰宅時間間際の出来事で、送迎担当の私的には、最悪のコンディションとなってまいりました。なにが最悪かと言えば、雨です。これほど大粒の雨だと、車の乗降時に利用者を濡らしてしまうからです。傘なんて役に立ちません。カッパってのが一番良いのですが、利用者分のカッパは準備していません。こんな時は、予備の職員を同情させ、傘を二本で緊急対応。もちろん、傘をさしかける職員は頭からずぶ濡れ。車に乗り込んでエアコンの冷気をあびて、職員が風邪をひく。いずれにせよ、この状況は厄介なものなんですね・・・。
しかし今の時代は、地球環境的に良いのか悪いのかわからないのですが、随分と舗装された道路や住宅環境の増加で泥まみれになることは少なくなってきました。雨でぬかるんだ泥交じりの庭先を車いすで移動することは、雨に濡れて歩行するよりも煩わしいものです。さすがバリアフリーの世の中。僕の子供の時代から考えれば、随分と様変わりしたものです。
このところの晴天続きで乾いた大地には、恵みの雨。うちの裏庭に生い茂る植物にも水道の水ではなく、少し潤いをプレゼントって感じでしょうか!そういえば、うちのペット君たち、雷が嫌いでとても怖がるのです。おまけに、ビビりションっていうか、其処ら中でオシッコを漏らしてしまうのですが、今日もフロアーのいたる所でオシッコの輪が広がりそうです。