どのような職種においても働く場におけるスーパービジョンの重要性が問われている時代である。我々の福祉業界では、殊更スーパービジョンの役割が提供サービスの質だけではなく、職場における人間関係の改善と維持に厳しく問われている。管理者として職場の人間関係や上質なサービス提供を担保するために、個々の職員自身に自己覚知を促していく必要がある。
スーパービジョンには4つの機能があり、それぞれが独立した機能ではあるが、課題に対しては4つの機能すべてを駆使しながらのスーパーバイズの展開となっていく。僕は、当然のことではあるが教育的機能を中心にスーパービジョンを実施してきたが、ここで問題となってくるのは「相手の人格」である。ケースによって4つの機能を使い分けるのは当然!と書いたが、相手の人格を考え、個々の機能をどれほど?どこまで?を考えなくてはならない点が難しい。
ある者には、教育的機能を8割、残りの2割を支持的、管理的機能を添えるように実施すれば良い場合もあれば、逆に支持的機能を多く与えていかなければいけない場合もあり得る。これが俗にいう「脅したり、透かしたり、宥めたり」ってことなんだろうか・・・?!
自分の管理もままならない者が、他者を管理・マネージするずうずうしさ・・・。スーパービジョンの前に自分がスーパーバイズされなければならない!と自分をいさめるのである。
毎年、年始のご挨拶をブログで公開していたのですが、今年はついつい機会を逃してしまい、今に至る!といった反省をしております。昨年末の認知症介護指導者養成研修を受講していたひずみ(・・・って言うと、大府の研究・研修センターの講師陣には怒られるけど)が、結局、自分自身に年末という認識を形成するには至らなかった結果、クリスマスも大晦日も元旦も無く、普通のような生活を送ったということです。
また、今年の正月を迎えるにあたり、昨年末は31日もデイサービスのサービスを提供していたのですが、それも一因として言い訳しておきます。
さてさて、そんな言い訳はさておいて、年明け早々より禁煙をスタートさせてしまったお蔭で、太り始めました。高脂血症と高血圧が課題の自分は、体重の増加は大敵。何とかして増加傾向にブレーキをかけなくてはならないのですが、一向に体重の減少には結びつきません。それもそのはず、間食が増えたこと。仕事しながらも年末のごあいさつとして頂戴したお菓子の類を、暇があれば口に入れている状態です。そして、間食だけではなく、三度の食事もおいしくって、ついつい腹いっぱい!食べてしまっている、口いやしい自分に腹が立ちますね。
先日、何かの番組で食事の食べ方について話をしていたが、一口づつよく噛んで食べることが重要であるらしい。太る人間は早食いである。早く食べ物を胃の中に入れてしまうと、満腹感がないばかりか、胃と腸に負担もかけてしまう。わかっているのに、なぜか早く食いとなってしまう。だから最近では、一口ごとに箸をおくことにしている。箸をおいて、一口づつゆっくりと味わって食べるようにすることで、よく噛み、ゆっくりと食事ができるようになる。まあ、これもいつまで続くやら。前途多難な一年のスタートです。
年末と言えば大掃除。大掃除と言えば窓拭き。年度の終わりに重労働が控えている。今日から太陽の家でも、ぼちぼちと掃除が始まった。利用者がいるから掃除できる時間に限りがある。大々的に埃を舞い上がらせて、ハタキと箒でパッパっとはいかない。窓は窓で、寒い木枯らしの吹き荒ぶ中、窓を開け放って両面、きっちりと磨き上げなければいけない。
手も荒れる。歳とってきてお肌の脂分が少なくなってきているのに水仕事は、更なる乾燥をさそう。お肌もボロボロ、身もボロボロ。おまけに床だけではなく、天井部分の煤と埃にも気を配らなくてはいけない。顎をあげて上目づかいに仕事をしてると腰にも普段以上の負荷がかかる。「腰、いてえ~よう・・・」ってなわけで、こんなしんどい仕事しながら、高齢者介護しなけりゃいけない。今年のカレンダーのひまわりが良くない。29日土曜日、30日日曜日、31日月曜日は、利用者にとっても厳しい。一般企業のように28日金曜日を今年の最終日としてしまうと、利用者は29日から年明けて4日までの6日間、風呂にも入れなくなってしまうじゃんか!
僕なんか1日たりとも風呂を欠かさず生活している者にとっては、1週間入浴のない生活は非常に苦しい。なんぼ汗をかかない冬といえども、1週間はさすがに臭いが気になる。体の臭いだけではなく、髪の毛も自身の脂でベッタリと艶が出てしまうではないか・・・これはダンディーな僕には許されない。
てなわけで、31日もサービスの提供をしてしまう。結果的に大掃除にしわ寄せがくる。体がしんどい。目が回る。これを本末転倒と言わずして何と言おう!!
アッ、そうか・・・30日の日曜日を休まず代休として31日を休みにすればいいのか・・・・いやいや・・・そんな問題ではない。4日間よりは3日間。せめて1日でも少なく入浴できない日を、それが相手を思いやる配慮というもんだ!と自分を慰める。俺たちゃ社会福祉をやってんだ!単なる金儲けでやってるんじゃねえよ!!ってか・・・
兵庫県西部の県立高校の野球部員らが、下校中の路線バス内で障害者の男性が席に座ることを妨げるなど嫌がらせをし、その様子をスマートフォン(高機能携帯電話)で撮影した動画を無料通話アプリから投稿して仲間内で閲覧していたことが28日、同校への取材で分かった。
同校によると、関係したのは野球部員8人を含む1年の男子生徒計10人。同校は重大な人権侵害にあたるとし、10人を5日間の自宅謹慎、部活動を禁止したという。
生徒らは11日午後6時ごろ、下校中の路線バス内で、床にわざとカバンを置いて男性の移動を妨害し、先回りして席に座るなどの嫌がらせをした。生徒らは腹を立て興奮した男性の様子を撮影し投稿。様子を見ていた別の生徒らが同校に連絡し、発覚した。動画は約30人の同校生徒らが閲覧できる状態だったが、すでに削除したという。
同校の調査に生徒らは「男性に以前、バス内でかばんを踏まれるなどされたのでからかった」と話しているという。同校は「明らかな人権侵害でモラルが欠如している。同じ過ちを繰り返さないよう指導したい」と話した。
この記事を読んで、皆さんはどのように感じられるでしょうか・・・・?!
もちろん遺憾です。遺憾を超えて許しがたき行為であります。先日の私のブログでも紹介したように、最近の学生たちは混みあう電車の中でも高齢者に席を譲らない傾向にあるとご紹介しました。学生も悪い。しかし、それよりも学生を育てている家庭が悪い。子供たちにしっかりとしつけのできない親が横行している。そのくせ、他人に少しでも危害(精神的を含め)が加わると途端に、大事な子供!と加害者に相応する者に食って掛かる。自分自身を顧みず、権利ばかりを主張する今の親たち。
子供を預かる教育機関もやりずらいはずだ!
そもそも、障碍者(認知症の人を含め)に対する思いやりってのは、この国には存在しないのか?!健康な者だけが生活する社会ってのは理想ではあるが、健康でなくても障害を抱えながらも生活を維持できる国にこそ将来が存在する。五体満足に生まれ野球や山岳部などのアスリートの卵が、相手を思いやることなく正々堂々とスポーツマンシップ・・・なんてお笑いに過ぎない。五体満足が「できないこと」を抱えることはつらい。しかし、元から「できないこと」を抱えてしまった人にとっては「普通のこと」さえも困難であり、さらにつらい気持ちを理解できる社会になってほしい。
年齢とともにクリスマスの持つ意味が徐々に変化してきている。特に今年は、認知症介護指導者研修を受講していたこともあって、クリスマスの気分には遠い環境に暮らしていた。世間全般がクリスマスムードに染まる中、なんだか今年は自分一人が置いてけぼりの気分でいっぱいである。
さて、さて、この月の最初のブログに紹介した通勤電車の様子について、もう少し別の視点から満員電車について紹介しておこう。
皆さんは満員電車っていうと何を想像するだろう? お年寄りに席を譲る善良な若者の美談?!それとも、ギュウギュウ詰で乗客の間にカバンが手で支えなくとも宙に浮くような寿司詰状態?! 想像と聞いていた話とは違って、それ程のすし詰め状態ではない。これは近鉄電車の僕が乗車する時間帯にのみ言えるのかもしれないが。現に岐阜方面から名古屋駅に到着するJRに関して言えば、ものすごい人数の乗客が名古屋駅のホームに流れ出てくる。豊橋行の快速電車の多くは名古屋駅で降車し、次に込み始めるのが金山から豊橋に向け乗り込む乗客の群れである。僕は名古屋から大府までだから、快速で2駅。大府までに金山で一回止まるだけ。それ程の満員状況ではない。だから、正直言って、想像を絶する満員状態ってのは体験していない。
次に、若者が高齢者に席を譲る場面であるが、これまた見たことがない。朝の通勤通学時にも、高齢者は多く乗車してくる。そのような状況下においても若者は席を譲ることはしないようだ。その理由の一つに、今どきの高齢者は、昔よりも年齢に対する自意識が過剰であり、席を譲ろうものなら逆に年寄扱いして!と怒り出す者が増えてきたこともあるのではないだろうか?それと、今の高齢者は昔に比べても元気!一時間程度、電車に揺られるくらいでは困らない。それこそ、若い者には負けられん!と言わんばかりである。だからか同課は知らないが、中高生の学生も、日ごろの勉強に疲れているのか、椅子に深々とくつろぎ、目を閉じて真剣、寝ている状態である。ある者など、両足を通路にデカデカと投げ出して寝ている。まあ、時代の変化ってやつだろう・・・この姿を嘆かわしいと思うか、否かはあなた次第!ってなところである。
研修センターの宿題に「倫理」と「道徳」について、自分なりの言葉で背うt名を書いてこい!というのが課せられている。後期の研修初日にはレポートを提出しなければならない。電車の中のマナーを日本人の道徳心として説明するなら、社会が変化すれば「道徳」も変化していくのではないか?!倫理にしても同じで、社会が変われば社会全体の規範も変化する。私たちの倫理観は中東で争っている人々には通用しない。その理由が、この満員電車の中の若者像とダブってしまうのであるが、私たちの考える倫理ってのは、非常にデリケートなもので、壊れやすいものであるのかもしれない。そんなことを考えながら、満員電車に揺られていた。
ところで、今日のブログのタイトルで書いた「クリスマスなんだよね・・・」に戻るとすれば、僕のクリスマス感ってのは、「唯一、この日だけはヤンキーの連中を含めて、みんなにやさしく理解して行く日」だったわけです。ジーザス・クライストの西端の日こそ、大らかに人類みな兄弟として愛し合う、そんな一日でありたいと思っていた。クリスマスツリーを飾って、プレゼントを並べて、みんなと一緒にその日得た糧を分け合う。そんな日が、僕にとっての一年に一度のクリスマスである。