僕が休みの日に、デイサービスの利用者の一人がしりもちを衝いた事故があったようだ。幸い怪我もなく、笑って済ませることができるレベルだったから良かったものの、下手すりゃ圧迫骨折って場面でもあった。
さて、ここで今日問題としたいのは、その事故を受けて提出された事故報告書が意味が伝わらない。そんな問題点について話してみたい。
まず、事故報告書ってのは、それなりに役割を持ってる。第一に職員間で同じような事故を繰り返さないための情報の共有。第二に家族を含めた当事者以外からの問い合わせに対し、職員の誰もが同じように状況を説明できるよう共有する。次に今後の介護に生かせるように職員間で、事故のリスクを学ぶための教材としての役割が存在する。
しかし、職員の中には、この事故報告書を上司に叱られないよう、旨く文章を仕上げ簡単に処理してしまおうとする帰来がある。僕は、上司として、このような安直な考え方で報告書を書いてくる職員に腹が立つ。事故を起こした、または危険を回避できなかった責任を問うつもりは全くない。広いデイルームで自分の意志で動くことができる高齢者が転倒することは、いくら職員の能力が高くても回避させることはできない。例えスーパーマンでも、スパイダーマンでも不可能である。(いや?スーパーマンの俊敏な運動能力、スパイダーマンの指先から放出される収縮自在の強力な糸があれば可能かもしれない)
高齢者が動かなければ転倒は起こらない。しかし、本人の意思は、意志として尊重されたい。では、我々として何をなすべきか?注目すべき点がここにある。なぜ、その該当者は立ち上がり、歩こうとしたのか?何を目的に移動を始めたのか?そこに、その人なりの目的があり、その人の目的意識に作用した人格や性格が関係しているのではないか・・・・?!
この点を職員間で共有できれば、その人が移動しそうな場面が予測できる。予測できれば、転倒前に現場で援助の手を差し伸べることができる。
これが事故報告書の一番大きな役割ではないのか!
これは亀山の中心部から津の安濃に向かう途中で撮影したものです。だらだらと長い上り坂に苦戦し、努力の甲斐なく坂の頂上間際でバイクから降りた所です。夏のバイクってのは、風を切って走る間は涼しくって良いのですが、一旦停車してバイクから降りると最悪です。汗がど~っと止めどもなくあふれ流れ、今までの涼しい爽快な気分は何処へ行ったの???ってな具合です。
また、夏の山道は僕にとって天敵のような「蛇」が出るのが今一苦手な部分です。この日も、この坂の途中に一匹の蛇が腹を上にして寝そべっていました。おそらく死んでいたものと思われますが、それでも必死になって蛇の死骸を踏みつけないように、ただでさえヨロヨロ、ヘコヘコの状態で辛うじて前進するかのような自転車をこいでいる自分です。ハンドルをまっすぐ固定しようにも、スピードが遅すぎることから蛇行運転。横たわる蛇の死骸を避けるにも四苦八苦。その分、見なくて良いものを長時間眺める結果となってしまいました。
時速7Kmとか、6Kmとか、ヨロヨロのスピードも限界に達したのがこの場所。一時バイクから降りて水分補給。写真を撮影し、その場に座り込んで休憩。さすがに坂道ののぼりはキツイです。
逆に下り坂は楽チン。テレビ俳優の日野正平さんがNHKの番組で、日本全国を視聴者の思い出をたどりながらバイクで旅行する企画がありますが、その時に日野さんが同じように言ってました・「人生、下り坂!最高!」って・・・僕も、この時ばかりは同じ意見!このダラダラと長い上り坂を過ぎ、今度は長い下り坂。僕は快調に変速機をあげていき、スピードメーターは時速67Kmまで上がっていきました。この車体重量で60Kmを超える速度は、さすがのスピード狂の僕でも恐ろしい。ほんの一瞬のミスがバランスを崩せば大事故につながりかねませんこの歳で結構、横着なことをしたものです。初めて最高スピードにチャレンジはしたものの、やはり今後はもう少しのんびりと走ることとしましょう。
さて、亀山から安濃、そして三重県の文化センターを通りぬけ津市内へ、いつものように国道23号線を通って帰ってきました。この写真は、昨日の土曜日に立ち寄ったお城公園で撮影したものですが、ここに掲載させてもらいました。
このロードバイクってのは、メンテナンスが重要でタイヤの空気は結構頻繁に、って言うより、毎回、乗る前には空気圧をチェックしなければいけません。タイヤが細い分、空気圧も高めに設定しています。僕のバイクで8気圧程の空気を入れています。それと、100Km走行ごとにチェーンオイルを充填し、余分な脂分をふき取っています。まあ、なんでも恰好から入るタイプですから、必要以上に見た目を気にします。シューズからヘルメット、手袋とウエアーに至るまで、凝り始めています。でも、レーサーのような体にフィットしたレーシングスーツってのには少し恥じらいがあり、まだ着ることができません。
なんせ、あの手のスーツってのは、ボディーラインがくっきりと表面化されるものですから、僕のような過剰脂肪を身にまとうタイプが、ピッチリしたウエアーを着ると、それこそボンレスハム状態。走っているときは兎も角、信号で停車した時が恥ずかしい。そんなこんなバイク話でした。
週末のお休みの日は、朝から自転車に乗って出かけることが多くなっています。先週は早朝から一時間ばかり、自転車に乗って近隣の道を走り回りました。平日の朝は15Km程度、土日はたっぷりと(と自分では思っているけど・・・)50Km程度を走っています。これは、土曜日の走行の記録。鈴鹿市から国道23号線を走り、津のなぎさ街のフェリー乗り場まで。そこで証拠写真を撮影してから、お城公園へと向かいました。
フェリー乗り場のフェンスにもたせ掛けた僕のロードバイクです。オールカーボン製で軽いです。重量は8Kg。ペダルはレース仕様のビンディング式を使っています。変速機は20段変速。タイヤの幅は数センチ程度とかなり細身のタイヤを履いています。
このバイクを購入した当初は、津市の手前の河芸町まで走ることができず、心臓はバクバク、足は痙攣をおこし、喉はカラカラ。帰りの事を思うと実際問題、無事に帰れるの??と思いながらも辛うじて家に到着した。と言った非常に恥ずかしい状態でした。しかし、購入して2か月が経過する今、50Km程度の走行は苦にならない程度まで、筋肉が引き締まり心臓の方の機能も向上しているように思えます。写真のフレームにつけているボトルは水分補給用の水筒ですが、スポーツドリンク500mlが入ります。今なら、何とかこれ1本で事足ります。
この時期に日本の国民の大半がこぞって長期のお盆休みを取得する。必然的に公共交通機関や高速道路には、帰省や長期の旅行を目的とする人々であふれかえり、高速道路なんて単なる簡易駐車場化してしまうほどの車の列。この近辺の大型ショッピングセンターなんて、施設の駐車場に入るにも一苦労、出るにも更なる苦労。車に次ぐ車の行列。
国民の大半がこぞって休む現象ってのは、日本に限らずアメリカにも存在する。国民の祝日であるサンクスギビング、クリスマスなどは、日本と同じく街の中から人影が消えてしまうのだから困ったものである。特に我々のような異国民が旅行で訪れていようものなら、ホテル以外何処にもいくところがない。
この現象の中、我々高齢者福祉を行う者にとっては、この期間は通常の日と同じように途切れなく利用者の皆さんが訪れる。毎日が変わらず流れていくのである。ただ気分は国民の祝日。朝夕の送迎には、あふれかえる車にいつもの時間以上の送迎時間が必要となり、一部の職員の欠けた施設では、残された職員が交代で穴埋めを行い、何とか体裁を繕っている。
まあ、この時以外に満足な長期休暇をとれない業種に働く人もいるわけで、一概に悪い風習とは言えないものの、何とかもう少しリーズナブルにオーガナイズされないものだろうか・・・と密かに愚痴をこぼしてしまう。
お盆前のある日、テレビの番組の中で「嫁ハラスメント・婿ハラスメント」と言う新語について話をしていたことを思い出した。僕は、この言葉の意味を知るにつれ腹立たしい気分でいっぱいになってきた。つまり、嫁ハラスメントとは、お盆の帰省で旦那の実家に戻ったときに、舅姑から受けるハラスメントを言うのである。ハラスメントと言うものの、実際にひどい精神的暴言を受けるわけでもない。家族の思いとして、ふと何気なく出た言葉が、嫁の気持ちを傷つけることから嫁ハラスメントと名付けられたようだ。逆に嫁の実家に同行した夫に対しても、嫁の家族からの何気ない一言が夫の気持ちをえぐる。
言ってみれば、何処にでも転がっているような些細な出来事である。嫁の親からすりゃ夫は他人。夫の家族からすれば嫁も他人。他人同士が集まり家族を構成するわけで、そこに些細な関係ではあるが、赤の他人とは違った人間関係が生まれる。言葉の端々には、相手を傷つける可能性のある指摘がないわけでもない。
しかし、それとて、人間生きていく上において、本当に日常的に関係性の中に生じる、本当に微々たる障壁ではないか・・・認知症高齢者の介護を実践していると、グループホームの場合は共同生活の中での生活支援が主たる業務である。そこには、認知症だからと言う理由ではなく、人間と人間の接触による軋轢(そんな大そうなものではないが・・・)は生じる。言葉の捉え方の問題であったり、その時の気分であったり、とにかく理由はいくらでもある。
本当に些細な人間同士の関わり合いの中で生じてくる行き違い。気にしなければ笑って済ませることができる程度の問題をテレビで今の時代の花のように取り扱うことが許せない。日本の社会が暮らしにくい理由に、このようなアホな時勢に振り回されがちな国民感情に所以するのではないか。
僕は、このように重箱の隅をつつきまわすような日本人の気質に対し非常に腹が立つ。(と言う、自分も生粋の日本人気質を持っている人物かもしれないが)