5月の菖蒲に次いで、今月はアジサイを持ち込んでデイルームを花でいっぱいにしました。
アジサイを飾るだけで、特に何も変化はないのですが………(笑)
それでも花が溢れる部屋ってのもいいものです。
いよいよ梅雨入り、
日本の夏が近くなってきました。
今朝がたのテレビの天気予報でも注意を促していましたが
食中毒の季節でもあります。
調理器具はもとより、手洗いの励行、食品の保存方法に注意が必要ですね。
2016年6月7日
先月末、近鉄白子駅前の洋風居酒屋に40人ほどの熱い人たちが集まり、認知症に関連することについて語り合う「会」がスタートした。
会の名称はまだ正式には決まっていないようだが、東京で開催されている「お福の会」(以前にブログで紹介)を、何とかして地元でやりたいと僕の友人が数年間かけてスタートにこぎつけた「お福の会鈴鹿市版」で、お福の会で毎回謳われる「お福の会宣言」も使われているから「鈴鹿お福の会」と呼んでも間違いはない。
お福の会は、立場や肩書を取っ払って、酒を飲み交わしながら「認知症」について議論し合う場で、役人、医療関係者、介護関係者、家族、職能団体・事業者団体関係者、学者、研究者、事業経営者、メディア関係者など多職種の人たち60人ほどが集う、知る人ぞ知る・知らぬ人は全く知らない会である。
白子に集まったメンバーも、役人や地域包括支援センター職員、医師、介護事業経営者、療法士、介護職、職能団体役員、家族など多彩であった。
今回は初めてのことでもあり、まずは呼びかけ人の一人(医師)から認知症についてプレゼンテーションが行われ、その後、特にテーマを絞らず流れに任せて意見交換が行われた。
僕は主催者に全く事前にお伝えせず、兵隊を連れて“突撃参加”。
じっと静かに聞かせていただくつもりだったのだが、おせっかいに口出ししてしまった。しかも何度も…。
「あーっ、やってしまった」って感じ。
僕が投げかけたのは、ある話に対して、同じ人の同じ口から同じときに二つの相矛盾する言葉(本人側からの言葉と介護者側からの言葉)が出てきたので、「それこそが今の認知症にまつわる一連の問題点」(要約)だと指摘させてもらって、会場を「お福の会化」して開花させたつもりだったのだが、ディベートに慣れていないのか「批判されるようなことではない」となってしまった。
あることに対して自分の意見を言う場や他人の意見を聞く場は、たくさんある。
でも、自分の言葉であろうが他人の言葉であろうが、言葉の中から矛盾点を見出し、その矛盾をとことん掘り込んで明らかにしていく場は、そうないのではないか。
僕の認識では「お福の会」はそういう場であり、互いの意見をぶつけ合うことで深め合い、その時点での合意点を見つけていく。そのことで社会に課題を投げかけられるのではないかと考えての会であり、意見を出し合う・聞き合うだけの会ではない。
帰路途上、僕の頭の中は「皆さん、また来てくださるかなぁ」「主催者に申し訳ないことをしたなぁ」でいっぱいだった。
ディベートの場は、場の外に場の中でのことを引きずらないことが最も大事な事だと思うが、往々にして場の外にまで引きずりやすいのも確か。
これから鈴鹿に「お福の会」が根付いていくことを、ただただ願うばかりである。
会場となった「CRES」というお店ですが、お福の会という名は、もともと新宿にあった今は無き「お福」という飲み屋でスタートしたため付けられました。
当時は、小さなお店の通路の床にムシロを敷いてまで40人ほどがギュウギュウづめで座り込み、オーバーにいうと時間無制限でやっていました。
今は大井町にある「ロマン」というショットバーを借り切って、終わりの時間もピシッと決めて開催していますが、いずれにしてもお店の協力なしにはできません。
というのも「低額・定額」「超満員」「賑やか」ですから、お店にとってはたまったもんではありませんよね。
鈴鹿でもお店がかなり協力してくださったようですが、いずこのいずれも「認知症という言葉のお力」なんでしょうね。ありがたいことです。
第二回 認知症を考える会が一昨日、5月31日夜、白子駅前のクレスというカフェバーにて開催されました。
職域、立場を超えて認知症を共通言語として理解するための集いとして
行政、医療、薬剤、介護から37名の参加がありました。
飛び入り参加で、「大逆転の痴呆ケア」の著者、和田行男氏の参加もあり
白熱した議論の場となっていました。
引き続き、第三回の開催に期待されるところです。
昨日、デイを利用され夕方の送迎バスに乗り込まれる時に見送りをさせていただいた時の事です。
この方は、若くして脳梗塞を発症し、片麻痺を持つ方です。
歩行訓練や自立支援もむなしく、何度も転倒骨折を繰り返し今では完全に車椅子での生活を余儀なくされています。
脳梗塞による発語に若干の障害はあるもの、認知症はありません。
まあ、年齢も若いのでしっかりとして見えるのですが
ただ一人身で在宅生活困難として有料老人ホームに入居されています。
車いすに乗って、送迎バスのリフトで持ち上げられる時にふと目にした光景。
それを添付したイメージ写真で紹介させてもらいました。
写真の赤サークルの場所に、彼女のお名前がマジックペンで書かれていました。
施設入所となると、洗濯物の管理が非常に厄介なことは理解しています。
グループホームのような小さな事業所でも、複数の利用者の洗濯物を一度に実施すると
洗濯物の所有者が特定できない場面があるからです。これは、どの事業所においても
同じような問題に苦しんでいるために、入所前には必ず持ち物には名前を書いてください!と
お願いしています。
しかし、今回のケースには僕は首を傾げてしまいました。
お年寄りの年齢的定義が何歳かはわかりませんが
年齢に関係なく、人の目に触れる個所にマジックペンで名前を入れられる気持ちって
皆さんは、どのように考えるるでしょうか?
僕はたとえボケ爺さん(長生きすればボケます!うちの家系ですから・・・笑)となっても
外から丸見えの箇所に名前を入れないでもらいたいと願うのですが・・・・。
太陽の家の玄関アプローチにパイロンとバー・・・・・
なんだこりゃ??!!と思われるかもしれませんね。
これは認知症のデイサービス利用者のお一人対策で講じた苦肉の策。
認知症、車いすを移動手段とする方の外出防止策として考え出した案の一つです。
太陽の家の玄関ドアは自動ドアです。タッチセンサーに触れればいつでもドアは開きます。
玄関口の人感センサーが扉が開いたことを音で知らせ
設置されたモニターで人物を確認できます。
その都度、玄関口で声掛けし、室内に戻っていただくようにお願いする毎日ですが
写真で分かるように玄関からスロープでまっすぐ降りると
常に交通量の多い県道があります。
ひょっとして外に出たことを気づくのが遅れた場合を考えての苦肉の策ではあります。
第二弾の安全策も検討しておりますが、ここで課題が出てきました。
①第一に見た目が良くない。
②車いすから普通の椅子に代えて日常を過ごしていただくことは無理なのか?
③ コーンバー程度で行く手を遮ることは可能なのか?そして、その間に職員が遅れることなく制止できるのか?
④本人の気持ちはどうなのか?等
認知症の人に対する専門職としてよりも、マンツーマンで関わり続けることの難しい多動性の利用者に対応することの難しさがある。
皆さんならどうのように考えるでしょうか?!