本日、総合防災訓練を実施いたしました。
大震災に次ぐ出火による消火訓練、避難訓練を実施。
訓練終了後に利用者の皆さんを交えて反省会を催しました。
沢山の課題が出ております。
二階グループホームの最大の課題は、やはり一人体制時の9人避難誘導の方法です。
9人のうち3人が車いす利用者。この3人をどのように救出するの?が一番大きい問題です。
一階デイサービスにおいては、避難先の体温をどのように保持するのか?
まだまだ極寒の時期ではないのですが、さすがに突発的な避難時にコートや上着をもって避難できるのか?
また、たくさんの利用者がわれ先に非難する中で、椅子が退出路の邪魔になっている点が
デイサービス利用者本人から指摘されました。
このように繰り返し防災訓練を実施していても
毎回のように反省点は出てきます。
実際の災害や火災に遭遇した時
私たち職員は冷静に対処できるのでしょうか・・・・・
75歳以上の保険料 軽減特例見直し、引き上げ検討
TBS系(JNN) 9月30日(金)9時2分配信
厚生労働省は75歳以上の後期高齢者医療制度で低所得者らの保険料を軽減している特例を見直し、保険料を引き上げる検討を始めました。
75歳以上の後期高齢者医療制度では、低所得者らの保険料について、本来は最大で7割軽減するとしていますが、特例で最大9割軽減する措置が設けられています。これについて、厚労省は医療費が増え続けていることから特例措置を見直し、本来の保険料に引き上げる検討を始めました。
対象となるのはおよそ916万人で、特例で9割軽減されている人の場合、現在月額380円の保険料が1130円になります。厚労省は負担が急激に増えることを抑える緩和措置などを、年末までに議論することにしています。
日本の高齢社会をどうしたいんだろう?と疑問に思うと同時に
今話題になっている、東京都の豊洲市場の問題やオリンピック開催にかかる費用の問題やら
税金の使われ方に大きなクエスチョンを感じてしまう。
916万人に増額して得られる保険料を単純に差額×対象人数で計算してみても
たかが6,870,000,000円。
それに比べ、オリンピックにかかる費用が3兆円を超えるともつぶやかれ、
豊洲市場にしても何百億もかけて建設したものが、根底からチャラになり兼ねない。
もちろん、オリンピック効果や日本の成長には、オリンピックや市場の移転は
別の問題でもあるのは確か。
でも、介護保険料も上がり、介護給付額は下がり続け、介護従事者にしてもなり手のない、
これで日本の社会保障は大丈夫なの……..????
そんな不安な気持ちになってしまうのですが。
台風10号は、西日本には大きな影響も与えず東北を犠牲にした。
岩手県のグループホームでは、1ユニット全員が溺死してしまった。
自施設ではない他の事業所の粗を指摘することは簡単だ!
しかし、いざ自施設に起きた事故となるとどうするだろう…….
あれだけ大きな規模となった台風に対し、どこまで準備し防御することができたか?
どうしても、自分の施設に対しては評価が甘めとなってしまう。
川沿いでもないし…….
二階建てであるし…….
緊急時のマニュアルは徹底されているし……..と
ここの感覚に危険が潜んでいるのかもしれない。
東北の震災でも、まさかの事が起きた。
今回の台風でも想定外のことが起きた。
川沿いでもない立地であろうと、二階建てであっても、マニュアルが存在していても、
やはり一番重要なことは、我々の負っている「命」である。
サービス利用者だけではなく、施設職員の命も同様である。
先日、地域密着型サービス事業管理者研修の中でも話をしたが
利用者の命を救うために職員の命が犠牲になることも、決してしてはならない事。
極限の選択を求められる前に、命を守るために何を決断するのか?!が重要だ。
もっと早く、例え大げさと言われようが、極限に達する前に何かしらの手立てを
必要とするのが今の時代の自然災害から命を守る術となるのではないか………….
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201512/CK2015120802000118.html
まず最初に、なぜこのニュースに到達したか?ですが、ネットサーフィン中にふと目に着いた
点字ブロックを叩きながら駅構内を歩いていた女性が、その音に「うるさい!」と叱られた。と言う記事から
つながるように、白杖SOSに関するニュースに至ったわけです。
視覚障碍者だけでなく、知的、身体を含むすべての社会的弱者に対する日本人の意識の低さに
非常に憤りを感じています。
だれも進んで障害を選択したわけでないにも関わらず
障害を抱える者を排除しようとする傾向にある社会が存在します。
我々、高齢者の介護を実践する者として、社会的な邪魔者扱い
されがちな高齢者に対する理解を求めていかなければならない立場であり
障害者に対しても同様の考え方でいます 。
世の中のすべての人々が、弱者に対して冷酷とは思いません。
一般の人たちが認知症をよく理解できないこと同様、障害者の行為に対する
社会の理解も非常に低い。その「知らない」って事が、障害者を色眼鏡で見、
化け物扱いにしているのかもしれない……….
今まで知らなかったから、何の手助けもできなかった!ではなく
少なくても、このブログを読んでくれた人々には、白杖を両手で拝むように
胸元に抱える姿を見た時には、率先して助けてあげてほしいと願っています。
興味ある方は、一番上にアドレスを掲示しました。一度、皆さんのパソコンで
私たちは介護を専門、特に認知症ケアを専門とする介護職員である。
ケアに真剣に向き合うと業務の時間と、自分の時間枠に境目を付けることが困難となってくる。
専門職として高齢者ケアを実践することは大変な仕事である。
例えば、記録、家族との情報共有、行政や医療との連携、おまけに最近では地域との連携も
業務として重要な役割となってきている。
何が言いたいのか………….?!
つまりね、この業界で働く者の多くが「業務」とおぼしき(業務ではあるが、本当に大切な業務なのか不明)
なモノに振り回されているように思える。
時間はすべての人に平等に24時間が与えられ、その持ち時間を充分に活用しきれているか?
全てをやり遂げることって、結構な努力がいるし困難である。
これは、誰にでも同じことで、特別に自分だけが死ぬほど忙しいわけでもない。
(いや、これは一部、不適切な表現である場合もある。過労死って問題が現実に存在する)
ここで問題として提供したい事象とは、過酷な労働環境で酷使されるケースではなく
忙しい時間枠のコントロールの再検討という意味で考えてほしい。
一日24時間、仕事、プライベートをしっかりと管理していくために、どう働きかけるか?
この時間の有効利用と言う点で、個人的に格差がみられる。
この「差」ってものに注目したい。
我々の業務に優先順位をつけることはできない、全てが大切な業務であるかもしれない。
いい加減に終わらせてしまうことは、人の命に係わるミスにつながりかねない危険性を含んでいる。
では、どのように自分が持っている時間を有効に使うか?が問われる
七人の意見を同時に聞くことができる聖徳太子でもない限り、個別の案件を同時に複数をこなすことは難しい。
それでは、毎日、発生してくる色々な案件に対し、『差』を見せつけるにはどうするのか……..
確かに忙しい毎日である。自分の時間も大切であり、業務の事ばかりが生活の大半を占めるようでは
精神的にもまいってしまう。
しかし、少し世の中を見まわしてみよう!
他の人がどのように与えられた業務をこなしているか。
日本人は時間の使い方が下手と欧米人にはよく言われる。
僕も業務として欧米人と共に働くことが多い。
実際、日本人グループは欧米人よりも遅くまで働いている。
労働時間が短いから、業務が先延ばしされているわけでもない。
ここでの『差』はなんだろう………
長年、欧米人社会の中で暮らし、仕事を共にしてきた経験から言えば
日本人社会の仕事を進める上で、ロスが非常に多い。
ここで言うロスとは、日本人社会特有の腹の探り合いに必要な時間である。
はっきりと自己主張しない国民性に合わせて、和を尊重するうえでのお世辞に時間を費やす。
結果的に一つの案件を片付けるために10分ですむものを一時間かける。
一時間で済む会議が二時間かかる等々、個々の行程の所要時間に差が生まれる。
この小さなロス(又は差)が蓄積されてくると、日本人は口癖のように
「業務が多忙で……..」「仕事の連続で余裕なく、手もつけられず……..」と言い訳をする。
確かに皆さん忙しい。寝る暇なく働きアリのように動き回っているのかも。
しかし、もう一度、冷静に自分自身の生活を見直してみたらどうだろう。
我々の生活から、これらのロスをそぎ落としてみれば、どうなるのだろう……?
味気ない、無味乾燥な割り切り社会がはびこるのか?!
アメリカ社会のような、殺伐として個人主義の横行する味気ない社会となるのか…..
そこまでいかずとも、今、我々が付け足している無駄な時間を少しだけ減らしてみれば
多少は自分自身の生活に余裕も持てるのかもしれない。
そして同時に
忙しい!という口癖をやめて、一度、今までとは違う業務への姿勢を検討すれば
仕事を理由に、物事から逃げる必要もなくなるのではないだろうか………