


昨日の水曜日、午後1時半から、三重県総合文化会館 視聴覚室において一般社団法人 三重県地域密着型サービス協議会主催の定例研修会に
「大逆転の痴呆ケア」「認知症になる僕たちに」の著者、和田行男氏をお招きして講演会を開催しました。
和田さんは、旧国鉄がJRに変るときに、特別養護老人ホームの相談員に転身し、東京に全国初のグループホームを立ち上げた方です。
著書も多数、NHKの仕事の流儀で紹介され、日本の認知症ケアの第一人者的存在の方です。
和田さんは、認知症の人の対応力に事業所ごとに格差が広がりつつある。
この現象に営利法人の経営するグループホームや小規模多機能型居宅介護事業所が悪者になりやすい。
今後の展開として、管理者は地域や家族とのネゴシエーションに精力をつぎ込むべきであり
関係性の構築と共に、事業所の理念を共有してもらえるよう経営者としても努力が必要であると説いてみえました。
その背景に、グループホームの創設された目的が達成できず、特養化しているグループホームが大きな障害となっている。
人員配置基準も特養よりも手厚い基準であるにもかかわらず、認知症専門職らしい活動もで来ていない現実を厳しく評価されました。
実際、自分の事業所をみても、反省すべき点多く。本当に地域密着型サービスなのか?を考え察せられる内容でした。
介護事業所として報酬単価の削減に文句ばかり言っている事業所団体も
そろそろ真剣に提供サービスの質の向上だけではなく、地域密着型サービスの役割を認識すべき時が来ていると思いますね。
良く健康のバロメーターとして食欲の有無が言われる。
今朝は、蒸し暑さにいつもより一時間早く目が覚めた。
また、昨夜は例の懇親会で、結構腹いっぱい食事したにも関わらず
今朝起きて、まだ明るくならない空を窓越しに眺めながら
さて、朝食は何を食べよう……….と考えていた。
そんな自分は健康的なのか?それとも、
どこか神経細胞が麻痺しているのか?
単に 口いやしい肥満体質なのか??
色々と考えると可笑しくなって笑える一日のスタートでした。
今日、三重県地域密着型サービス協議会の定例研修にお招きした和田行男しを
講演会終了後に囲んで懇親会を行った。
その席で、和田さんは将来的に「認知症ケアは無くなる、少なくてもアルツハイマーの人はいなくなる」と言う発言があった。
アルツハイマー治療薬が開発された。と言う話から
そのような話に発展したのですが。
和田さんの説は、認知症が治るようになることで
今、認知症の大半を占めるアルツハイマーの患者さんがゼロになれば
非常に大きな問題となるのが介護の業界。
特に認知症グループホームにとっては、大打撃である。
入居者が極端に激減する。施設運営が困難となる。事業所が破綻する。
全国で倒産する営利法人の運営するグループホームが続出する。と言った構図である。
ただでさえ、人材難で疲弊するグループホームの事業所。
そこに入居する認知症高齢者が減少する。
全国で800万人規模に認知症高齢者の拡大予想が問題視され
介護保険の破たんを危惧することから、総合事業への シフトチェンジ等
グループホームを運営する事業者としては、はっきり言って気が気でない部分の話である。
介護報酬を元にして経営される介護事業者。
ひと昔前の、誰でも介護施設を手掛ければ、みんなが儲かる時代ではなくなった。
そしてこの上に更に介護報酬の減額が行われ続ければ
間違いなく潰れる事業所は出現する。
生半可、脅しではなく、十分に想定できる問題なだけに
今後の介護保険事業者の先行き不透明な不安感でいっぱいの話であった。
今日は、三重県地域密着型サービス協議会主催の定例研修会の日でした。
三重県総合文化センターにおいて、講師、和田行男氏をお招きして
認知症ケアについてお話を伺いました。
研修終了後に、希望者と共に懇親会を行いました。
以前には、ノミニケーションの名の元、よく懇親会が開催されていましたが
ここ近年の介護職員不足から、研修時間だけでも職員を派遣することが難しい時代となり
懇親会の時間まで職員さんたちを押しとめることが難しい時代となりました。
今回、太陽の家で働き始めて、数か月の職員さんが講演会と懇親会に参加してくれました。
慣れない土地に引っ越して、慣れない職場で彼女なりに必死なのでしょう。
彼女の中には、いろいろなハテナ(?)を抱えながらも
前向きに改善や工夫を心がけている姿を見て
非常に感心し、心強いものを感じる事が出来ました。
そして、そんな彼女も、このブログを読んでくれる一人だそうで
今朝から、僕が昨夜書いたブログを読んで涙した!と話をきいて
驚きと反省する自分がいました。
今日のブログもそうですが、最近のブログ更新が深夜帯に行われることが
その反省の大きな要因でもあります。
深夜、一人で文章を書くと、その文章は非常にセンチメンタルな文章となってしまいます。
若いころに、ラブレターを深夜に書くと、情緒的になり、詩的な文章となります。
美しく流れるような詩情は、逆に女々しさの逆作用も生みだします。
それで、若いころの僕はずいぶんと失敗を繰り返してきました。(笑)
そして、今回のブログは、ある意味、女々しいイメージが
てんこ盛りの状態であったようです。
女々しいブログに後悔しているというわけではないのですが、
彼女の意見が面白く、自分でも笑えてきました。
以前にも書いたと思うのですが、本来の自分は根暗な人間なようですね。
今、お気に入りの音楽も、根暗な音楽です。
ある映画のテーマ音楽を演奏している 「2CELLOs」と言う
二人のチェリストの音楽がお気に入りで聴いているのです。
もともとバイオリンが好きで、同じ弦楽器のチェロの音色も大好きです。
そんな暗いチェロの音色を聴きながら、ブログを一人で枕元のランプの下で
ブログを書いていると、本当に書きあがる文章自体が暗くなりがちです。
この根暗な自分が本当の自分なのか、それとも昼間、職員さんたちに発破をかけ
檄を飛ばしている冷酷な人間の僕が本当の自分なのか?
実際問題、自分でもわからないところが笑えませんか?!
今日、彼女と話をする機会があったこと。
そして、別の気づきがあったこと。
非常に面白い一日でした。
最後に、今日の講演の中で和田さんが話をしていました。
長生きするから認知症になるんだ!
認知症になろうと思っても、認知症になることは難しい。
この言葉に共感しました!
一応、研修に参加して学ぶこともあったことを書いておかないと
研修に参加できなかった職員さんたちに申し訳ないですからね……..
僕の父は厳格な人でした。
祖母の家系が厳格で、厳しい血筋だったので
それをそのまま受け継いだのが、私の父でした。
祖父はとても温厚な人で、どちらかと言えばお人よしの人でした。
この家の長男として生まれた僕には、4歳年下の妹が居ます。
子供二人に両親と祖父母の6人が一つ屋根の下に暮らしていました。
僕が生まれる頃に、祖母は今でいう脳梗塞を患い片麻痺 となり
リハビリを兼ねて菰野町にある観音さんに僕を連れてお参りによく行ってました。
その当時のことは、少しですが僕の記憶の中に残っています。
観音さんが、どんなところで、なぜ行くのかは理解できていませんでしたが
それでも近鉄に乗って、湯の山方面に祖母のお供をしたことと
そして、色々な物を買ってもらったことが思い起こされます。
また、父は家族を連れて日帰り旅行にも連れて行ってくれていました。
一番よく覚えているのは、琵琶湖で遊覧船に乗った時のことです。
妹二人で船のデッキで、湖を見ながらサンドイッチを食べたことを覚えています。
子供の時代の父と母、
小学校から中学校に入る頃の父と母。
高校から大学に入る頃の父と母。
僕も歳を重ねていき、それに重ねるように年齢を重ねていく両親に
その当時は、「認知症」なんて、想像もできなかったです。
僕が自立して、結婚して、両親と生活を別にし始めてから
父と母が次第に老けていくのを感じました。
それまで何かにつけ両親に頼っていた自分が
逆に両親が自分に頼ってくる重みを感じ始めていました。
それは、大人に成長しつつある自分自身の自信につながり
そう悪い気分ではありませんでした。
この業界に入ったころには、立場は完全に逆転し
僕の方が両親に意見したり、指示を入れたりし始めていました。
このあたりで、少しずつですが、自分が面倒を見ることを意識し始め
実感として「世話を焼く」必要性を認識し始めました。
僕には子供が居ないので、比較的、高齢になっても老けにくい環境ではあったようです。
もちろん、その当時にすでに妹夫婦に子供が授かり
外孫は体験しています。
両親が昔の威厳を失い、弱弱しく変化していったのはひ孫を見る頃です。
成長した孫に子供ができる頃には、父は若いころの怖いおやじではなく
物腰柔らかな大人しい爺さんに変わっていました。
悪いことを僕がすると拳骨で顔を殴った怖い父の姿は全く見ることができなくなりました。
今、グループホームの一室に暮らしながら日々痩せていく父の姿を
僕は、その施設の施設長の立場で父を見ています。
年齢も年齢ですから……食事が細くなり、次第に衰弱していくと
主治医に診断を受け、何もできないまま、ただ見守るだけ。
そんな時が来てしまいました。
人間、生きている以上、雑賀は全員に訪れます。
僕の父も人生の終焉を迎える時が近づいています。
認知症で、毎日、色々な思いが走馬灯のように
父の脳裏を回り続けているのでしょうか、
僕の顔を見るたびに、懐かしそうに話しかけてきます。
こんな父を見ていると、もっと親孝行してあげてればよかった!と
今さらながら思うのです。
人生、90年を生き、働いてきた父をみていると
自分の将来を見ているようで仕方ないのです。
そして、そんな時が僕に来るのでしょうね。(笑)