今夜のNHKではコンビニの24時間営業と今後について話題にしていた。
同時にBS民放でも、コンビニの同じ課題についてコメントしていた。
両者の課題に対する切り込み方は、全く違っていた。
NHKでは、個々のコンビニ店舗の支払うロイヤリティと
近隣にもかかわらず多店舗展開する経営について問題視していた。
方や民放BSでは、アルバイトの人件費の高騰が経営を圧迫とした視点で
コンビニの今後を話し合っていた。
この両者の番組を観ながら、今のコンビニの抱えている問題点が
そのまま高齢者介護施設の抱える問題と同じような気がしてきた。
24時間の営業を手助けしてくれるスタッフがいない。
給料と報酬(売上)のバランスが図れない。
受容と供給バランスが崩れた介護施設の認可。
スタッフ不足を補うための外国人労働者。
コンビニの現状は、そのまま介護施設の現状と言える。
そして、よくよく考えれば、日本におけるすべての業界が抱える問題点が
ここに存在するのではないか・・・
利便性と平準化を求めていくと、結果的にオリジナリティを喪失して
地域性のない平坦な物しか残らなくなる。
しかし、平準化は、ある一定の質を辛うじてでも担保できる利点はある。
東京都内のコンビニの商品も、三重県の田舎のコンビニの商品も
場所に関係なく同じものが買える。
高齢者介護にしても同じで、日本全国、どこの施設でも
ほぼ同じようなサービスの質を確保できている。(はずだ・・・)
これは介護保険という制度で縛っているから、ある意味当然である。
今コンビニは沈黙を破って組織の内部の膿を出し始めた。
10年前に日本福祉大学の医学概論の講義の中で
日本の福祉は近い将来必ずビッグバンがやってくる。と
その時の教授が話をしていたことを思い出す。
この日本の高齢者福祉の業界で生き残るために
私たちはどのように考え、変わらなければいけないのか??
ますます難しい世の中になりつつある気がする。
昨日の夕方に撮影した写真ですが、ようやく虹の丘のソメイヨシノが満開となりました。
植樹して半年にして、結構な量の花が咲いたと感激しています。
まだまだ枝ぶりは少なく貧弱ですが、後10年もすれば入居者の人と共にお花見ができるサイズに、
石碑とともに写っているのが、淡墨桜です。
残念ながら今年の開花はなかったです。
この淡墨桜は、うちの系列でもある社会福祉法人 天年会の初代理事長が好きで
今から10年前に岐阜県の根尾村から購入したものを
虹の丘の開所に合わせて寄贈いただいたものです。
ここに植樹されるまえは、社会福祉法人天年会 グループホームかなしょうず園の敷地に
植えられていたものです。
初代理事長が亡くなって以降から
二代目理事長の玉田香介と、かなしょうず園施設長の玉田香の好意で頂戴しました。
先日、三重県のある地域のグループホーム事業者との意見交換会で耳にしたことだけど
介護職員の争奪戦は、この地域に限ったことではなく
日本全体に介護従事者不足の状況が大きな問題となりつつある。
あわせて、今では一部の地域、特に人口の少ないエリアに限って言えば
グループホームに入所する要介護者を、特養や有料老人ホーム等の入所系施設間で
分どり合戦が始まっているという。
団塊世代の高齢化が問題となり、予想される要介護者を賄うために
ここ数年で駆け込みとも思われる事業拡大が大手社会福祉法人をメインに
拡大されてきた結果、器のほうが需要を上回る状況が出てきたようだ。
本来、グループホームは認知症の人の専門職が
認知症の人のために専門性を駆使しながら安定した毎日を暮らせることを
目的として創設された。2000年に「介護保険制度が施行され
そこから一気にグループホームが新設された。
今では全国で1万件を超える事業所が認可されているが
そこで提供される認知症専門ケアの質が今となっては大きな格差を生んでいる。
何が違うのか?
一番大きな違いには、この人材不足が大きく影響を及ぼしている。
要するに職員の入れ替わりに際し、年月が経過しても事業所内部での認知症の専門性が向上しない現実がある。
また、人材不足は、派遣職員等の頼らざるを得ない弱点が
そのまま質の確保の足かせになっている。
派遣職員はあくまでも腰掛的就労であり、サービスの向上には無関心である。
時間だけ勤め上げれば良い。予定された時間を務めれば給料がもらえる。
ましてや、正規雇用よりも派遣の方が給与額が良ければ
正規雇用を望むものなんていないのは当たり前。
介護施設で提供されるサービスの質に変わりがない以上
利用料金の安い特養に要介護者は流れるのも当たり前。
グループホームが小規模事業者に唯一託された高齢者福祉事業として存続させるには
そこで提供されるサービスの質を上げて、地域社会に認めてもらえなければ
自然淘汰されても仕方がない。
そのためには、まずは介護を担ってくれるスタッフに働き甲斐だけでなく
労働に応じた対価として相応しい給与と福利厚生を目指さなければならない。
10年前の誰がやっても儲かる高齢者福祉の時代は終わった。
サービスの質、労働者雇用、働き甲斐を含め、小規模事業者だからという
言い訳が通用しなくなっている現実がある。
今日、種をまく前に集めた石ころ。
この一輪車に二杯出てきました。
こんなのがゴロゴロしてれば、芽も育ちませんよね!
少し短めの畝が3本。ここにはラディッシュとフェンネルの種をまきました。
畝の一番奥には、ズッキーニの種をまきました。
種をまき、その上にふるいを通した土をかけ、その上から散水してます。
右端の畝にみえるのは、先日、プロに笑われたソラマメの苗です。
これでも、最初に植えた苗の3倍に成長しているのです。
でも、よその畑に育つソラマメに比べても、小さすぎますけど。
まあ、でも、緑が育てば、この地が不毛の地ではない事が伝わります。
僕は、それだけで第一の目的は達成しています。
今年は実がつかなくても良いのです。
何とか、新設の施設が不毛ではないことを証明できれば
それでOKなんです。
今日も野良仕事をやって、昨日のたてた畝に種まきをした。
それはそれで、いいんだけど、
お昼を食べに家に戻る時、昨日渋滞していた桜の咲く公園脇を通った。
立派な桜の木の下で、十人くらいの人たちがキャンプ用の椅子やテーブルを
セットしてバーベキューをやっていた。
僕の常識としては、お花見にバーべキューは完全にアウト!なんだけど、
桜の木の下で何を食べても、そこに細かなルールはない事も確か。
しかし、お花見はやはりお弁当でしょう・・・
私のこの常識は古いのか?!
このブログを読む若い人はどのように考えるのか?
そこが興味あるね。
野良仕事の最中に耕うん機のガソリンが切れたので、家に予備ガソリンを
とりに戻ろうとした頃、ちょうど桜の木が満開の桜島公園横で渋滞に遭遇した。
いつもはこんな渋滞無いところで、車が動かない。
時間的にも昼の二時頃、お昼ご飯を食べた後に桜を見に集まる車が
駐車スペースを求めて減速して停車する。
そこから後ろに続く車が停車する。
そんな渋滞が発生していた。
野良仕事の場所から普段だと15分で自宅に到着するにも拘らず
今日は倍の30分かかった・・・
ガソリンの携行缶を取りに戻るだけで、このロスは辛い。
まあ、気候も天候も良く、桜がいよいよ満開ともなると
誰しも花見って思うよね!
週末は、ほぼ毎回、畑仕事をやっている。
今日も朝の9時から夕方5時まで、ずーっと畑で野良仕事をしていた。
一日中何をやるか?って、この畑は石が多いと以前からお話しするとおり
いくら取り除いても、土を掘り起こせば、また石が出てくる。
今日、ズッキーニ、ビーツ、ラディッシュを植えるために
畝づくりから始めたが、その前に購入しておいた牛糞、鶏糞の両方を土に混ぜる。
その作業から始めたが、耕うん機で耕せば石が出てくる。
畝を作るまでもなく、石を排除することが先になる。
しゃがみこんで石を拾い、一輪車に集める。
こんな作業をずーっとやっていると腰が痛くなる。
今日中に畝を作らないと、明日、種まきができない。
だから必死で作業を続けた。
一人で作業してても、この広い畑では、作業効率が非常に悪い。
特大の鋤簾みたいなもので機械で引いて集めるようにしないと
すべて手作業ではいつまでかかることやら・・・
夕方の5時近くになって、ようやく種まきができるだけの畝を作った。
最後に畑の作物に水やりをして帰って来た。
そう言えば、3月のはじめ?!頃に植えたジャガイモが芽を出した。
最近の気温の変化に、ようやく目覚めたようである。
僕がブログを書くときの姿や、ネタに迷い苦悩する姿は
今まで何度も書いてきた。
さて、そこで、ふと疑問に思ったのが
読み手の姿である。
このブログを読んでくれている人は、どの様な姿で読んでもらってるのだろう??
パソコンだけではなく、携帯電話やIパッドを使って読む人も居るだろう。
でも、これだけは言っておくけど
このブログを決して、デスクに向かって姿勢正しく読まないでもらいたい。
酒を呑みながら、ポテトチップスをかじりながら
ブログを読みながら、テレビでドラマをながら見しながら、
または、トイレで用を足しながら
とにかく自由気ままな姿で読んでもらいたい。
その理由は、撲自身も書くときに結構無責任な発想で
思いつきも多く、そのひらめきを活字にしてるだけだから
まじめに読んでもらいたくない。
一番うれしいのは、酒やコーヒーを飲みながら
つまみの裂きイカでもしゃぶりながら
姿勢も崩して読んでもらいたい。
気ままに書いているブログだからこそ、読み手にはリラックスして
読んでもらいたい。
なんだかんだと勝手な理由をこじつけて、
世の中では10連休だのと言っている日本。
何度も書いているけど、なぜ、一斉に国民の祝日を
作り出して国民全員が連休を取らなければいけないのか、
理解に苦しむのは僕だけではないと思う。
この業界に限らず、10日間完全に閉鎖することのできない業種は沢山ある。
ここまでしないと仕事を休めない日本人と言わんばかりに
国民一斉に右にならえ式に休みを取る。
ここまでの連休が重なれば、旅行に行く人も増える。
観光地は普段よりも観光客でいっぱいになる。
ついでに、ホテルや交通機関も、特別価格を設定し
いつもよりも割高価格で商いをする。
日本で必要なことは、半強制的に休みを取らせる社会ではなく
いつでも思う時に個人のリフレッシュのためのまとまった休みが取れる社会
そんな社会をつくるよう働きかけることが、僕はもっとも求められている気がする。
有給を最低5日はとりなさい!
10連休にしましょう!
働き過ぎの日本人には、とても大切な号令だけど
このような方法で、本当にリフレッシュできるような休みがとれるのか?
もうすでに昨日の話となるが、4月3日は、母の誕生日である。
この年齢となっても、宗教的な儀式や慣習を全く知らない
非常識な人間極まりなく、おそらくあの世で母も嘆いていることだろう。
こんな育て方をした覚えはないのに・・・と!
かろうじて母の命日には、仏壇と墓参りをするくらい。
盆もお彼岸も関係ない。
そんな不義理を少し反省し、また、放ったらかしにしてことを恥じて
誕生の3日に生花を持参し実家の仏間を訪れた。
線香に火を点け、灯明を点灯し(近年では、油を燃やすことはしない、小さな電球が
灯明の代わりに点灯される)
手を合わせて、じっと仏壇を見つめながら
度重なる親不孝を詫びてきた。
母の死後、誰も済まなくなった実家も
次第次第と姿を変えていく。
ライフラインはそのまま継続してつながっているものの
キッチンや居間は、泥棒が入った後のように荒れている。
探し物をして、部屋の中の物を移動させたからだ。
いつかは、部屋の整理をしなければいけないと思いつつ
中な整理できないでいる。
長年の生活の歴史は、本当にいろいろな物に溢れかえる。
母が住んでいた家にも、処分しきれないほどの物があふれている。
量の問題ではなく、僕の中の心の整理がつかないからかもしれない。