6月も今日で終わってしまいます。
今年の梅雨は、雨少なく終わりそうです。
空梅雨の年ってのは、逆に猛暑の夏だったか?忘れてしまったのですが
本当に地球全体が、普通ではない状態に変化してきているようで
恐ろしいですね。
僕が商工会議所の青年部の広報委員会で委員長を担当していた時
う~ん、今から20年前。
自然破壊や温暖化ってのが声高に叫ばれ始めたころです。
当時、広報委員会から青年部通信を編集、発行したのですが
その第一号の記事に、地球温暖化のことを取り上げたことを思い出します。
あの当時、僕は四駆でオフロードを走ることが好きで
キャンプ道具を積んで、山道を走り
人里離れた林道を走り回っていました。
地球環境の荒廃を書きながら、自分がその山道を荒らしている姿は
非常にナンセンスで、次第に四駆で走り回ることに罪悪感も感じましたね。
罪悪感を感じるから、逆に自分自身を『正統派』を気取っていたのだと思います。
決して無理やり草むらに分け入らないことや
石を蹴散らして、泥や土埃を巻き上げて走ることはいけない!と考えていました。
しかし、どちらにしても四駆で山道を走るのですから
排気ガスもそうですし、自然界に暮らす動植物には決して優しくはないのですね。
若い時は、何でもかんでも自分の視点を無理やりにこじつけ
独りよがりをしてしまいがちなんでしょうね…….
なんで6月最後のブログに、このような話題になったのでしょう????
笑。
さて、明日から7月の1日。全てが仕切り直しです。
明日も、元気に(プラス思考で!)全力投球!!
また、7月も、毎日ブログ更新の目標を維持し
つぶやきの腕を磨いてゆきます!!
この業界に入ってずいぶん時間をつぎ込んできた。
今まで、新聞や雑誌の常備は不要と考えてきた。
相手は高齢者であり、中には認知症を抱えた人たちもいるデイサービスである。
雑誌など興味を示さないと思っていた。
以前は、新聞を上下さかさまに構えて読んでいる人もいた。
だから喫茶店や美容院のように、雑誌の常備ってのは
それ程、重要視してこなかった。
しかし、今、じっくりと利用者の方々を観察していると
雑誌や新聞は読むものではなく、普段の生活の中のパターンなんだ!と言うことが
それとなく見えてきた。
内容は兎も角、そのしぐさ、行為が
普通の生活の一部なんだということ。
介護ってのは、何かを訓練し、指導し、改善するところではなく
普段の生活を支援しながら、その人なりの自立を支援する。
今まで理屈では理解していたことが、今回の雑誌によって
ようやく理解できたような気がする。
人を支援する難しさです。
医者は、人の病を治し、介護は人の生活を応援する。
応援の仕方は癒しであっても良い、リハビリ等の希望でも良い。
また、単にそっと寄り添うことを求めても良い。
いろいろな過ごし方が存在し、それの個別性を応援することも
決して悪い事ではないかな~と。
認知症高齢者の行方不明事故ってのが、日本全国で10,000件を超えて
発生しているという話は、僕も研修の中でお話しさせていただいているが
今日、うちのデイサービスにおいても、利用者の一時、行方不明事件が起こった。
お昼ご飯30分前のこと、いつもいる人がいないことに気付いた管理者から
「○○さんが居ない!」と耳打ちされた。
その時の僕の受けた衝撃は、背筋が凍る!と言った表現が一番相応しい。
直ぐに捜索する指示を出した。
今回は、僕に一方入れるよりも早く職員が動いた。
居宅のケアマネを含め、相談員と管理者が別々の方法で動いた。
僕がバイクに乗って捜索に加わろうとしたときに
事務所の電話が鳴った!
利用者発見の一報だった。
太陽の家が始まって初めて、利用者が勝手に外に出てしまう事故が起きた。
幸運にも30分程度の時間内に見つかったから良かったものの
あの時点で発見できていないと、恐らく今なお捜索を拡大し
色々な方面の協力要請をしなければならなかっただろう。
30分の時間経過で、どれほどの距離を移動したかと言えば
約2キロ半を移動している。
一人の大人だから、勝手に外に出ていかれても、それはそれで認めなければいけない話ではある。
しかし、相手は認知症の高齢者。軽度の認知症であっても
昔とは街並みが変化した地元の道を自宅まで帰っていける保証はない。
問題はこの点にある。お元気さんなら放っておいても道が無くなれば
連絡して助けを求めることはできるが、認知症の人から他者に助けを
要請することはできない。ましてや、電話する小銭も持ち歩いていない。
陽が陰り暗くなって、尚のこと自分の位置関係が分からなくなる。
そして、いつの間にか命の危険が伴う場面に迷い込んでしまう。
考えるだけでもおsろ紙くなる状況である。
今回の事故を職員全体で話し合った。そして
予防するための改善策を話し合った。
その結果をご家族に状況説明と共にお知らせした。
今回は大事に発展しなかったが、これは肝に銘じ
ここから学んでいかないと、同じような事故を誘発し
今度こそ大きな代償を払うこととなる。
これは、介護職員だけでなく、太陽の家の全スタッフが
シッカリと反省し、認識しなければならない問題である。
夏はボサノバに限る。と言うと天の邪鬼と笑われるかもしれないけど
でも、雪が降る情景の中のボサノバってのも想像できないし
やはり、ボサノバは、暑い一日を終え
陽が傾き、少し熱波が収まったときにビールを片手に
テラスの椅子に腰かけて過ごす時にぴったりじゃあないでしょうか?
このCDは、昨日、うちの新しい施設の設計を担当してくれてる
設計事務所を訪問した際に、その事務所で薄らと流されていた曲を聴いて
設計士さんに教えてもらったのです。
小学館が発行しているJAZZ VOCALと言う雑誌についてくる
CDなのですが、津にある事務所からの帰り道に
書店に立ち寄り、即購入してきました。
簡単なボサノバの紹介本と一緒にCDが入ってて1200円。
ガンガンの大音量で聴くというより、薄らと流れている感覚が
すごく馴染めるし、心穏やかになります。
この音楽を聴いていると、呑めないのにラム酒を細かく砕いた氷をいれて
ミントの葉を飾って呑みたくなります!!
今夜は、このCDをお休みの曲にしておやすみなさいとしましょう!
コンテナ専用のトレーラーの後輪です。一軸が道路に接していません。どうも、これは空のコンテナーを輸送する場合に無駄なタイヤロスを防ぐために意図的にタイヤを浮かせているようです。面白い機工です。
今回は燃費に気遣いながら運転しているプリウスです。燃費が24.4Km/リットルの表示がでました。しかし、この燃費も、アクセルを極力踏み込まないで、スタートダッシュを亀のごとく、後ろに続く車の迷惑かえりみずの結果です。(笑) しかし、これだけ燃費が伸びると助かりますね!
最後の写真は、一か月前から予約注文入れていた小笠原先生の著書が県庁から戻ったら届いてました。読むのが楽しみです。
今日は朝から、色々と忙しい一日でした。毎日、色んな所に出かけなくてはならないのですが、先ほども紹介しましたようにプリウスの燃費が良いので、車で出かけることの多い時には非常に助かります。
新しく月刊誌が発刊された。
名前を『 GG 』という。
そのまま爺のための生活情報雑誌である。
自分自身がその年代になろうとする今、
この雑誌の広告を目にして、即、定期購読する気持ちになった。
今まで『レオン』というファッション雑誌を定期購読していて
少しずつではあるが、自分の財布の中身と掲載されるファッションやアクセサリーに
隔たりを感じ始めていたこともあり
爺のための雑誌は大いに興味を引いた。
今日、うちのデイサービスを使っている爺さんたちにも
さっそく読んでもらった。感想こそ聞けなかったものの
僕は、日本人の爺さんたちは、もっと年齢に関係なく自分の生活をエンジョイすべきだと考えている。
この前のブログにも書いたように、日本人の高齢者は、年相応ってのに
あまりにも型にはめすぎている感がぬぐえない。
若くても、老いていても、人間には変わりないし、男であることに変わりはない!
年齢に関係なく恋愛も、喜びも、楽しみも謳歌すべきである!!
60歳過ぎたらグレー一色の世界なんてのは古すぎる!
赤でも良い、黄色でも良い!何色でも良い。
僕は年齢が色を決める「常識」ってのをぶち壊したほうが、人生を更に楽しめると思っている!!!
しかし、本音を言えば、この雑誌で紹介されているファッションもアクセサリーも
やはり僕の所得では高嶺の花であることに変わりないけど…….
今日の仕事も終わりかけに頃に、うちの居宅の所長と雑談を交える機会があった。
なぜ、このような話になったかと言うと
要介護者のサービス提供について、担当ケアマネジャーとして
関係する事業所への気遣いも結構な負担としてのしかかってくる!と言う話を発端として
先日、ネットのニュースで読んだ内容について話をした。
日本の介護費用がGDPに占める割合を他国と比較したデータについてである。
情報元は忘れてしまったが、その情報によると日本の介護費用は世界でも最高に高い割合だそうで
GDP比49%だったように記憶している。福祉先進国のイギリスやスウエーデンも
日本程の割合には達していなかったことが非常に不思議で
それだけ金をかけている割には、日本の福祉ってよくならないね!と愚痴っていたわけだ。
所長曰く、インフォーマルサービスの幅が小さすぎるのがだめですよね!!と。
欧米のようにキリスト教的マインドがベースにある国との違いも考えられるが
それよりも、私が思うには、日本の介護保険ってのは
身体介護に重きを置いた視点でサービス提供がなされる。
私は、この制度自体が、逆に日本の高齢者とその家族をダメにしているのでは無いかと考えている。
つまり、予防と言いながらも、やっていることと言えばリハビリ中心の機能訓練であり
寝たきりや重度要介護者にならないように活動を増やしましょう!的な思考ばかり。
本来ならば、老後を如何に楽しんで幸せに暮らすのか?を市民レベルで
もっと考え実行していくことが優先されるのではないか?と思うわけである。
さらに言えば、健康寿命を延伸させるために、本当に必要な努力とは何ぞや?を
もっと真剣に話し合わなければいけないし、そのための活動にお金を使わないといけないと考えている。
日本は、全く逆の発想から介護保険が成立している。
寝たきり、要介護状態になったら、どの様にサービスを使っていくのか?である。
まずサービスありきの介護を常識として社会が取り込んでしまえば
介護保険料なんて、うなぎ上りに上昇していくはずだ。
近い将来に1.5人または一人の成人が高齢者一人を負担していくような社会になろうとしている今
この制度を、もっと話し合っていかないと、この国は
高齢者介護に食い尽くされていくこととなりかねない。
私自身、その真っ只中に突入する世代として
本当にこれで良いのか?と疑問に思えて仕方がない。
※ 今回のつぶやきの元となる数値は不適格な数値と判断されるので、このままのデータを鵜呑みにはしないで頂きたい。ただ、内閣府が発表しているように日本の社会保障費の増加は、実質問題として今後の日本の社会保障に警鐘を鳴らしているという点では不適格な表現ではないと考えている。この点だけご理解の上、読んで頂ければ幸いです。
ほんの小さな事業所でも、介護保険で賄われている事業所には
大手企業並みの福利厚生が求められている。
私のところでも同様で、職員に支払う給与や賞与に対して
非常に厳格な人事考課制度の採用を求められ
そこには常に職員のマネージメントやガバナンスが要求される。
小規模だから、対象となる職員数も少なく、その分、人事考課も作業量は少なくて済む
しかし、対面する人材育成のボリュームではなく、同じだけの手間は人数の大小に関係なく
管理者に負担となって押し寄せてくる。
職員の処遇を大幅に改善するために、
職員のモチベーションを上げて、作業効率の向上と改善を目指すことが
その事業所から提供されるサービスの質の向上につながる。
そのような趣旨をもって人事考課が採用されている。
本来、人事考課なるものは、大手企業で働く者の細部にわたり
監理する側が実態を把握し、それに準じた評価を行うために存在する。
我々のような小さな事業所においては、個々の職員がどのような働き方をしているか
管理者自身身をもって知っているし、何よりも、その子の普段を熟知している。
だから今更、なんで人事考課なんだろう?と言われることも多い。
しかし、個々の職員の内面的な欲求や願望を含め、事業所にとって
どのような仕事をしてもらうのか?どのような人材に成長してもらうのか?は
それこそどんぶり勘定では賄えない部分が多くある。
小規模だから不要ではなく、小規模だからこそしっかりと人事考課を
活用し、職員の自己実現にむけて背中を押してあげることが必要となってくるのではないかな?!
先日、ホワイト介護さんの研修講師をさせてもらって言い忘れたこと、
それが、この人事考課制度に関するお話でもあった。
人材育成は公平に客観的に職員を評価し、さらなるステップアップに向けて課題をともに考え
一歩踏み出す勇気を与えることから始まると考えている。
叱りとばして、罰を与えることから人材育成はスタートできない。
この点をしっかりと伝えることができたのかどうか、今振り返ってみて不安になる点である。
日の経つのは早い!!
6月も、すでに20日が過ぎてしまった!
いったい今まで何を終えたんだろう!?と自問自答する。
毎日、せわしなく一日が過ぎ去るだけのような気がする。
最初の目標にしていた事項も
理由をつけては先延ばししているような……..
これではいけない!明日から、少しネジを巻かないと
乗り遅れていってしまうだけだ!
と、今日は切迫感でいっぱいになってしまった。
夕暮れ時を迎え、少々焦り気味の自分である。